病の完治
私はシュトローム・ケント。グオリオラ公爵家に仕えていた元財務官だ。
二年ほど前、不動病を患い職を辞し、それ以来ずっと家に籠っている。
「あなた、公爵様がお見えになりましたよ」
「そうか。お通ししてくれ」
公爵は、こうして折に触れて見舞いに来てくれる。ありがたいことだ。
「どうだ、塩梅は?」
「正直、良くはありませんな」
公爵の前で取り繕う気にもなれない。
私の病は、不動病――四肢が徐々に動かなくなり、やがて死に至る不治の病だ。
すでに下半身は動かなくなっている。
「そうか。それで今日は人を連れてきた」
公爵の背後に控える、見知らぬ若い女性が気になっていた。
「この者なら、そなたの病を治せるかもしれんと思ってな」
はぁ……またか。
今までに数え切れぬほど、いろんな者がやってきた。名医も呪術師も。その結果がこの有り様だ。
何ひとつ変わりはしない。
「お気遣いありがとうございます。そのお心だけで、幾分か気分が楽になります」
一応は礼を言っておく。
どうせ治らぬ病だ。そして私は、それを受け入れている。
その若い女性が、すっと私の方へ歩み寄った。
私はベッドで半身を起こしていたのだが、いきなり彼女が下半身にかけられた布団をめくった。
あまりの唐突さに、言葉を失う。普通、一言くらい断りがあっても良かろうに。
私が戸惑うのも構わず、彼女はそっと膝に手を置いた。擦るでも撫でるでもなく、ただ置くだけ。それも十秒ほど。
「ああ。なるほど。治りますよ」
女性はあっさりと言い放った。
「ほう。私の病を治してくださると?」
「ええ。準備する時間をいただきますが」
「それは面白い。どんな名医も治せなかったのに?」
「治し方を知らなかっただけでしょう」
私は知っている。こういう者は、自信満々に断言するものだ。
だが結局、「じっくり治さねば」とか「治そうという気持ちが足りない」とか言い訳ばかり。
そして、治らないのだ。
だが私が死んだ後のことを思うと、妻のことがある。公爵に世話をかけることにもなるだろう。
それを思うと、邪険にはできない。癪だが仕方がない。
「そうですか。どんな治療か、楽しみですな」
「ええ。ご期待にお応えしますわ。
それでは、早くて二日後に参ります」
そう告げると、彼女は公爵と共に去っていった。
もし妻がいなければ、こういう無駄なことに煩わされず、静かに余生を過ごせるのだが──。
⸻
それから二日後。彼女は現れなかった。
やはりな。どうせ「治せるが、今は難しい」などと言い出すのだろう。
……あれ? どうして私は落胆しているのだ。諦めていたはずなのに。
ふっ、私としたことが、期待してしまったらしい。
少しだけ、あの女性を憎らしく思う。そして連れてきた公爵もだ。
その翌日、彼女はひょっこり現れた。遅れた詫びもせず、まるで当然のように。
また布団をがばっと捲り、妻に寝巻きのズボンを脱がせる。私は下帯一枚の姿だ。
「何を?」
「治療ですよ」
そうだろうが、その内容を訊いているのだ。
彼女は私の太腿に、掌に収まるほどの大きさの魔石を置き、それを包帯で巻いた。
「明日、また参ります。それまで魔石は外さないでください」
それだけ言い残し、さっさと帰っていった。
妙に憎めぬ女だ。これが治療だというのか?
ふふ……。奇抜な治療法に、必要以上の言葉を使わぬ彼女。
最終的にどんな言い訳をするのか、それを思うと少し楽しみですらあった。
⸻
翌朝。
彼女は魔石を取り外し、魔石と私の脚を見比べて満足げに頷いた。
「良くなっていますね」
どこがだ? 何も変わっていないではないか。
「ほう。効いているのですな?」
「ええ」
臆面もなく即答する。
「太腿というか、足の付け根は動くはずですよ」
「!?」
馬鹿な──そう思いながら、そっと力を入れてみる。
──動いた。動いた、動いた!!
「うおおぉ! ど、どんなカラクリで!?」
彼女はきょとんとした顔をした。
「カラクリ?」
こちらの言葉が伝わっていないのか、首を傾げる。
「どんな治療をしているのか、だ」
「単に、魔力の流れを作ってあげただけですよ」
……私の読解力が足りないのか? どうにも話が見えてこない。
「すまぬが、もう少し詳しく説明してくれ」
「いいですよ。……本当にご存じなかったのですね。
貴方の病は、魔力が滞っていただけなんです。現世のすべての動物は、血液と共に魔力が流れないと動けません。これは常識でしょう?」
そんな話、初耳だ。
「いや、初めて聞きましたが?」
「そうですか。二十数年前の書物に書かれていることなんですけれどね。まあいいでしょう。
詰まっていた魔力脈を、ちょっと強引に流れるようにしただけです」
説明を聞いても、まだよくわからない。が、なんとなく掴めてきた気もする。
さらに詳しく聞くと、魔力脈が詰まっていない上半身から、魔石で魔力を引き上げたらしい。
使ったのはスリーホーンロープの魔石だという。スリーホーンロープといえば、確かBランクの魔物。魔石も希少で高価なはずだ。
なんと彼女、自らその魔物を倒して魔石を手に入れたというではないか。
ほうほう、その魔石には魔力を吸い上げる効果がある、と。なるほど。
「なので、今晩は減った魔力を補わなくてはなりません。このポーションを飲んでください」
「これは?」
「マンマルポーションです」
聞いたことがある。魔力も体力も大幅に回復させ、傷の治療にも絶大な効果があるという薬だ。最近、東方から流れてきているらしい。
──えっ? これも彼女が作ったのか?
なんと、そのポーションは彼女が作ったというではないか。
ただの治療師かと思っていたが、魔物を倒し、薬まで調合するとは……。
ますます、彼女が何者なのか知りたくなった。
「あの……お名前を伺っても?」
「私を信頼してくださるのでしたら」
信頼か……。
誰ひとり私の病を治せなかった。彼女とて、本当に治せるのか分からぬ。
だが、少なくとも動かぬ脚が動くようになったのは事実だ。
「──信じよう」
「分かりました。それでは、すべての治療が終わった時にお話いたします」
彼女は新たな魔石を取り出し、今度は膝より少し下、脛のあたりに包帯で固定した。
──ひょっとして、明日は膝が動くのか?
「では、明日」
彼女はそう言い残し、帰っていった。
⸻
明日が待ち遠しくなるなんて、いつ以来のことだろう。
早く、明日になれ。そんなふうに思った。
興奮していたのだろう。なかなか寝つけなかったが、いつの間にか眠りに落ちていた。
目を覚ますと、すでに彼女がそこにいた。
「おはようございます」
朝の挨拶を交わすと、彼女はまた布団を捲った。
初めは無礼だと思ったその行為も、今日はまったく気にならない。
我ながら、なんと現金なものだ。
膝が動く。体が動く──生きているという実感が、これほど嬉しいとは。
⸻
さらに三日後。
私は体のすべての機能を取り戻した。
立ち上がり、歩き出した私を見て、妻は目を丸くし、すぐに駆け寄ってきた。
「あなた……! 本当に歩いて……!」
妻の目に涙が浮かんでいる。
自分の足で妻の元へ歩み寄れる──その事実が、胸に熱いものをこみ上げさせる。
「泣くことはない。もう大丈夫だ」
妻は声を震わせながら笑い、私の手をぎゅっと握り返した。
自分の足で立ち、歩けるという当たり前のことが、これほど幸せだとは思わなかった。
⸻
彼女には、感謝してもしきれない。
そして、公爵にも心から感謝する思いだ。