大事になった
青の月の夜が明けた朝、僕の屋敷の会議室はピリついた雰囲気だった。
ツキシロが捕まえてきた者達についてだ。
「我らが領に対する明確な敵対行為です! すでに兵達の準備は整っております。すぐに攻めましょう!」
そう力説するのはルドフランだ。ラトレルもツキシロも頷いている。
このまま、その意見に押されてしまうのではないかと怖くなった。
「ま、まあ。結果的にコッコも治ったんだし、そう事を荒立てなくてもいいんじゃない?」
「「「「「「「そうはいきません!」」」」」」
全員に否定された。
「いいこと? ユリアス、よく聞きなさい」
エリナ姉さんが、いつになく真剣な面持ちで言う。
「みんなが怒っているのは、コカトリスが傷を負ったことでも、ツキシロと揉めたことでもないわ」
え? じゃあ、何で?
「はあ。やっぱり分かっていないのね。
怒っているのは、あなたが侮蔑されたからよ」
「ああ、『成り上がり』って言ったとか聞いたな」
「それよ。ここにいる者達が絶対に許せないのは、あなたが馬鹿にされたり、軽く見られることなの。もちろん、私もね。
まあ、他の者達のように武力でとは思っていないだけで、腸が煮えくり返っているわ」
「み、みんなの気持ちはありがたいけど……。成り上がりって本当のことだし……」
バンッ!
いきなり机が叩かれる。
叩いたのはガディアナだった。普段はみんなより一歩引いて大人しいガディアナだ。びっくりした。
「ユリアス様。いいですか、ユリアス様は伯爵位程度のお方ではございません。ここは、多くの者達にとって理想郷なのですよ。私達のような魔物も、ヒューマンも、同様に暮らしていける場所。
労働や役割に対する正当な評価。与えられる信頼。種族を超えた友情。
それらを与えてくださったのはユリアス様です。
有する総合的な力で国を興しても良いほどなのです。いわばユリアス様は、我らが王なのです。それが侮辱されて許されるはずがありません!」
……なんか大袈裟だし、過剰評価だよう。
「わ、分かったから。僕はみんなの意見に従うよ。
でも、武力でやり込めるのは駄目……だと思う……。どこかで悲しむ人も出てくると思うから……」
「分かったわ。ユリアスにとっても、私達にとっても悪いようにはしないわ。
あとは私達に任せなさい」
僕はみんなに任せることにして、会議室を出た。
どんな結論が出るのだろうか。
⸻
三日後。ズンバラ都市を統治するドリアンナ侯爵の名代として、ユーラシドリ伯爵がやってきた。
出迎えたのは姉さんと、僕の奥さん達。扉の前にはルドフラン、ラトレル、イーナが警護名目で立っている。
「パドレオン卿。先日の儀式以来ですな」
「ええ。御参列頂き、改めて御礼申し上げる。またお顔を拝見できて嬉しく思います」
簡単な挨拶を済ませると、姉さんが切り出す。
「して? 御用向きは?」
「エリナ殿。そう急くな」
と言いつつ、背筋を伸ばす伯爵だ。
「先日よりこちらで世話になっている者達を引き取りに参った」
「はて? 世話をしている者などおりませんが?」
「エリナ殿。それは不敬な罪人のことでは?」(サリナ)
「ああ、サリナ妃。あの罪人共ですか」(姉さん)
伯爵の顔色が変わる。
「罪人だと? 我が領の子爵を罪人扱いしておるのか!」
「罪人は罪人。事の次第はご連絡差し上げているはず」(アンフィ)
「くぬっ。ともかく引き渡してもらおう」
部屋の空気がピキリと張り詰めた。
ルドフランやラトレルが、わずかに身構えるのが視界の端に映る。
だがエリナ姉さんは、まるで何事もなかったかのように涼しい顔で、少し肩を竦めただけだった。
瞳には微かに笑みが浮かんでいる。
「勝手にされるがよろしいわ」
その声は、冷たいのにどこか甘く響き、伯爵の言葉を空気ごと押し返すほどの強さを秘めていた。
伯爵は顔を赤くし、再び声を荒げた。
「なっ!? そ、そんな横暴、許されると思っているのか? 他領も黙っていないぞ!」
エリナは、ゆっくりと首を傾ける。
瞳を細め、まるで好奇心をくすぐられる子猫のように、相手を観察するような視線を向けた。
「勝手になさるがいいわ」
その一言が、かえって相手を激昂させた。伯爵の拳がわずかに震える。
周囲も息を詰めている。
伯爵は悔しそうに歯を噛み締め、声を絞り出す。
「くぬぬ。その言葉、忘れぬぞ。今日は引き上げるがな。ドリアンナ侯爵を舐めたこと、後悔するだろう」
伯爵が怒りを抱えたまま踵を返すと、エリナはわざとらしく、少し思い出したように声をかけた。
「あー、そうそう。グオリオラ公爵、イスカンダリィ公爵、アーノルド公爵、ムサ侯爵と、その派閥の貴族は、今回のパドレオン領の措置を認めているからね」
伯爵は、振り返る勢いで椅子を倒しかけるほど動揺した。
「なんだと!? まさか……」
エリナは唇の端をわずかに上げ、氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「お帰りは、あちらです」
マーベラが一歩前に出て扉を指し示す。
伯爵は蒼白になり、ブツブツと何やら呟きながら部屋を後にした。
重苦しかった空気が、すうっと軽くなる。
エリナ姉さんは何事もなかったように書類をまとめながら、ぽつりと呟いた。
「まったく、交渉っていうのは、駆け引きが命なのよ」
誰も引き取ることが出来ずに、帰ってからも大変だろうな。
それにしても、テノーラさん達まで巻き込んでいるとは。さらに僕が口を挟める事態ではなくなったようだ。
願わくば、なるべく穏便に済むことを願うしかない。
アーノルド公爵……既話未登場。イブロスティ女王の従弟。西方の有力貴族。