神田アキ③
電車がホームに滑り込んでくる。
休日の昼前とあって、座席は家族連れやカップル、友人同士のグループで8割ほど埋まっていて、一人分の座席にギリギリ満たないスペースが、売れ残りのように残されている。
そのどこにも居場所を見出せない私は、喧騒から締め出されるように、ドアを背に立ち、スマホを手にとった。
電車の乗換案内アプリを見ながら、移動ルートを確認する。
ここから5つ目の駅で降りて、電車を乗り換え、さらに各駅停車で十数駅。そこが、ナルの家の最寄駅だ。
駅名だけは聞き覚えがあるものの、一度も降りたことはない。
ナルの家の住所をマップに入力して、駅からの道のりを確認する。
表示されたブルーの経路は、駅から商店街の通りをまっすぐ伸びた線が、一度だけ折れて、そのまま目的地の赤いピンまで繋がっていた。
どうにか、迷わずにすみそうだ。
スマホを鞄にしまって車内に目をやると、向かいの座席には小さな女の子がふたり、家族と一緒に並んで座っていた。
フリルやレースのついた、青い生地の、お揃いのワンピースを着ている。
同じくらいの背格好に、同じ服、同じ髪型。
そして、同じ顔。
見るからに、双子だった。
こちら側の座席に座っていた若い女性が、隣に座る男性に「かわいいね」と呟く。
かわいい、か。
見れば、靴下まで同じ色だ。
双子というのは、顔だけでなく、性格や好みまで似るのだろうか。
同じ顔で、愛らしく笑い合う双子の姉妹。
確かにそれは、可愛らしく、微笑ましい。
けれど、私たちは、そうではなかった。
同じ顔を、してたのに。
どうしたって、違っていた。
5つ目の駅で、電車を降りる。
複数の路線が乗り入れるこの駅は、曜日や時間を問わず、人で溢れている。
先ほどの双子の家族も、この駅で電車を降りた。
どちらが母親と手を繋ぐかで言い合っていたが、結局、母親を真ん中に、3人で手を繋ぐことで落ち着いたようだ。
双子の姉妹の明るい笑い声を背に、ホームの階段を登った。
ナルの家に向かう路線は、この駅を始発に、街の中心から離れていく。
ホームに到着した電車から、たくさんの人が吐き出されていくのを見送って、ガラガラになった車内の端の座席に、腰を下ろした。
発車時刻まで、車両のドアが開け放たれている。
晴天の空の下では、予想通りに、暑さがじわりと広がっていた。
せっかく冷房で冷やされた車内へ、生ぬるいホームの空気が侵食してくるようだった。
ドアのほうを眺めていたら、高校生らしい若い男女が、手を繋いで電車に乗り込んできた。
彼女が、私のほうをチラッと見遣って、私とは反対の電車の端へ、彼の手を引いて歩く。
そういえば私にも、高校時代にお付き合いをした彼がいた。
違う高校に通っていた彼は、わざわざ私の高校まで、付き合ってほしいと告白しに来てくれた。
彼からの告白を受ける直前、私は、好きな先輩に手酷く振られたばかりだった。
先輩は、一度は私の告白をOKしたくせに、翌日、返事を間違えたと言って、「やっぱりごめん」と無かったことにしたのだ。
そんな最中の彼からの告白は、重たい鉛に押しつぶされた私の心を、ドン底から掬い上げてくれた。
私は、彼の告白に甘えて彼とのお付き合いを始める。そのまま、彼との楽しい日々が続く、と思っていた。
けれど、彼が掬い上げてくれたはずの私の心には、重たい鉛が、まだ鎖で繋がっていたようで。
私は、その鉛をパステルカラーで重ね塗りして、誤魔化して、その鈍い灰色から目を背けていただけだった。
彼が私の名前を呼ぶたびに、私の鉛からは、重ね塗りのパステルカラーが、ボロボロと剥がれ落ちていく。
彼とは1年ほど付き合って、いよいよ剥き出しになった鉛の圧に耐えられなくなった私は、高校を卒業する前に、彼に別れを切り出した。
彼は私の身勝手な別れ話を受け入れられず、ずいぶんと揉めてしまった。
「好きな人ができた」ということにして、逃げるように、彼と離れた。
電車の端の彼女たちは、一つのスマホを覗き込んで、時折顔を見合わせては、楽しげに笑い合っている。
彼女も、心に繋がった鉛を、パステルカラーで重ね塗りしているんだろうか。
いや、そもそも彼女には、心に繋がった鉛なんて、初めから存在しないだろう。
なぜ、私は。
心に、重たい鉛を繋げてしまったのか。
発車を知らせるベルが鳴って、ドアが閉まり、生ぬるい空気の侵入が遮断される。
車内の冷房が、面倒そうに稼働音を上げ、あたりが冷気で満たされていく気配がした。
ゆったりと電車が揺れ、窓には外の景色が穏やかに流れていく。
駅に乗り入れていた他の路線の電車たちと、いくつかすれ違う。
やがて、駅の周りの高いビルや賑やかな装飾の看板が流れて行き、そのうち窓の外を流れる建物は、背の低いものばかりになった。
電車が揺れる。
それは、見たことのない風景のはずなのに、どこか見覚えがあるような情景。
知らない公園、知らない川、知らないグラウンド。
でも、どこか、懐かしい。
もう数駅進めば、もしかしたら、あの場所に辿り着くんじゃないかとさえ、錯覚する。
私が少し前まで住んでいた、あの街。
ナルと一緒に、家族4人で暮らした、あの家へ。
子どもの頃から、母のことが苦手だ。
母はいつも、私とナルを比べた。
私たちを比較して、できるほうを褒めた。
できないほうには、「頑張ってね」と、微笑んで。
ナルは、遊びにしても、勉強にしても、大抵のことを上手くこなす。
私は、ナルとは、違う。
同じようには、できなかった。
小学生の頃、その日返ってきたテストが全部100点で、これならきっと喜んでくれると、期待して母に見せた。
母は、私の頭を撫でながら、
「すごいね!さすがナルちゃん!」
そう言った。
母にとって、できるのはナルで、私はいつだって、できないほう。
「ありがとう」
私は、微笑んで母にそう返した。
父は、いつでも平等な人だ。
私とナルを比べて、態度を変えるようなことはしない。
それは、母と離婚して、家族が別々に暮らすようになってからも同じだった。
父は仕事で出張に行くたび、私とナルに、必ず同じお土産を買ってきた。
「これは、ナルに。これは、アキに。」
父は私に、ナルに渡すように言って、いつも二つ分のお土産を渡した。
私とナルは、高校で毎日のように顔を合わせることができるから。
優しい父は、きっと、少しでも早く、ナルにお土産を届けたかったのだろう。
父のお土産が、ナルに届いたことは、ない。
預かったお土産は、お菓子の空き缶に入れて、机の引き出しに閉まった。
誰にも見つからないように、奥底に。
缶も机も、あの家に置いたままだ。
誰にも見つからないまま、奥底に。