神田アキ②
父のメッセージを、もう一度表示する。
最近、ナルと連絡とってるか。
とってはいない。
そう返信すれば、父は満足するだろうか。
休日の朝、わざわざ疎遠な娘に連絡するくらいだから、おそらくそれでは済まないだろう。
ナルに、なにかあったのか。
私に、何を聞きたいのか。
湧き上がる不満と気怠さを、ひと思いに吐き出して、私は、通話ボタンを押すことを選んだ。
数回の呼び出し音の後、父が応答する。
「お父さん?久しぶり。」
「おう、アキは変わりないか。」
「おかげさまで。メッセージみたよ。ナルがどうしたって?」
「母さんが、ナルと連絡が取れないらしい。父さんも電話したけど、出なかった。」
「いつから?」
「一昨日の夕方から。」
「そんなの、電話に気付かないで忘れてるだけじゃない?二人とも心配しすぎだって。」
「うん、まぁ、そうだといいけど。」
「何がそんなに心配なの?」
「母さんが、さ。ナルの様子がおかしかったっていうんだよ。」
「どういうこと?」
「一昨日にナルと電話したらしいんだけど、様子が変だった、って。詳しいことは分からない。とにかく、何かあったんじゃないかって、心配するんだよ。」
「気のせいだと思うけど。」
「アキのとこには、連絡ないか。」
「さっき履歴見たら、3月に住所教えて、それっきりだった。会ってもない。」
「そうか……」
沈黙。
秋風に、カーテンが揺れる。
そこから先の会話の流れを、何となく想像できてしまった。
受け入れ難いそれから目を逸らすため、視界に入ったものをあえて思考の中心に据える。
カーテンが揺れる。
トーストが冷めてしまう。
固くなると、美味しくないのに。
「アキの家から、そう遠くなかったよな。」
「なにが?」
トーストが冷める。
固くなる。
カーテンが揺れる。
「ナルの家だよ。電車ですぐじゃなかったか。」
「1時間くらいかかる。」
今日は好きなだけ寝て、家の掃除をして、小説を読む。返却日はいつだったかな。
あぁ、トーストが冷める。
「まぁ、こっちから訪ねることと比べれば、ずいぶん近いから。」
「……私に、様子を見てこい、っていうの?」
今日は外には出ない。
電話をする前からそう決めていた。
だから、あえてトゲのある言い方をしたのは、私のささやかな抵抗だ。
「うん。悪いけど、頼むよ。」
ささやかな、抵抗だったのだ。
「……本当に、大したことじゃないと思うよ。」
「そうなんだけど。このままじゃ母さん、警察に連絡しかねない。わざわざ父さんに連絡するくらいなんだから、分かるだろ。」
「自分が産んだ娘の片割れに連絡するより、別れた父さんに連絡する方が敷居が低いんだってことは、よく分かった。」
「そう言うよなよ。これでも気を遣ってるつもりらしいんだから。」
「私にじゃなくて、ナルに、でしょ。」
父が黙った。
私たちの会話の隙間を埋めるかのように、秋風が割って入る。
カーテンが、大きく揺れる。
もう、トーストは、きっと、冷たく固い。
電話に拾われないよう、静かに深く息を吐いた。
「……分かった。行ってくるよ。」
「悪いな、助かるよ。」
「でも、今朝ごはんしてたくらいだから。これから支度して、電車に乗って、連絡できるのは夕方かも。」
「いいよ、母さんにも、それまでは変に動かないように言っとく。」
「うん。じゃあ、後で。」
電話を切る。
トーストに視線を戻す。
奪われたトーストの熱と一緒に、食欲も、どこかへ持っていかれてしまった。
風が入る。
風にあおられたカーテンの間から、青く高い空をのぞむ。
雲ひとつない青空が、今日に限っては憎らしい。
日が昇れば昇るほど、夏を惜しむような暑さが広がるに違いない。
せめて、秋風が涼しく感じられるうちに、駅まで歩いてしまおう。
電車にさえ乗れば、汗をかくことはないだろうから。
遅めの朝食を諦めて、トーストを乗せた皿を手に立ち上がったとき。
テーブルの上に置いたスマホの画面が、短く震えて何かを表示した。
メッセージの受信。
父からだと思った。
ありがとう、か、よろしく、か。
いずれにしても、念押しのメッセージだろう。
皿をテーブルに戻し、スマホを手に取る。
父からではなかった。
それは、たった一言の短いメッセージ。
『返してよ』
ナルからだった。