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地に足をつけて

作者: 北風邪

三年前に書いた小説の続きが書きたいと思い書きました。

乗務員のアナウンスが流れる。終点。電車の速度が段々と落ちていくのを体で感じる。


電車のドアが開く前から、僕はすでに席を立っていた。


開いた扉から熱気が溢れ出る。車内にいたからわからなかったが、外はこんなにも辛い環境だったのだ。


いつからこんなに暑くなったんだ?昨日、いやせめて一週間前まではここまで暑くなかったはずだ。きっと日本の温度を管理している人が調節のネジを壊してしまったに違いない。


そんなことを考えながら、乗り換えをするため、駅のホームで電車を待つ。ただ立って電車を待っているだけなのに、額から汗がにじんでくる。


「おはようございます、先輩」


後ろを振り返ると、僕の視線より少し下ぐらいの位置に女子が立っていた。縋原だ。


おはよう、と返事をすると縋原は僕が立っているより前まで歩いてくる。


「今日は暑いですね」


後輩。縋原。


僕が彼女のことを呼んで会話する時は大抵、なあ、縋原と言って会話が始まる。これは、俺が彼女の名前を知らないからとも言える。


だが、最近彼女の下の名前を知る機会があった。つまり、僕が彼女の名前を呼ぼうと思えば呼べるわけだ。これは大きな進展じゃないだろうか。よくわからないが。


「いつからこんなに暑くなっちゃったんだろうな」


彼女への返答のつもりが、すこし間が空いてしまったので、すっかり独り言のようになってしまった。


「少なくとも昨日はもっと涼しかったですね」


そんな独り言に対して、縋原は丁寧に返答をしてくれた。


僕が適当な相槌を打つと、それきり会話が途切れた。


まもなくして、駅のスピーカーからアナウンスが流れる。どうやらもうすぐ電車が来るらしい。


短い警笛と共に電車がホームへと到着する。


車内に入ると同時に、冷たい空気を感じる。今まで張りつめていたように感じていた空気が、やわらぐ。


「なあ、縋原。この前、空を飛びたいって話をしたじゃないか」


人の出入りが落ち着いた後、窓際に移動した僕たちは急にそんなことを話した。


「え、急にどうしたんですか。一体何年前の話を持ち出しているんですか?」


「そんな前の話じゃないだろ!……せいぜい1ヶ月かそれよりもうちょっと前くらいかな」


それでも、そんな前の話を覚えていたことに驚いた。僕だったら忘れているに違いない。


「空に飛びたいって話がどうかしたんですか?」


「少し前までは本当に飛びたいと思っていたんだ。でも、最近は空なんか飛ばなくても、電車を使った方が早いなって思うようになった」


「くだらないですね」


一蹴されてしまった。


「でも、良いことじゃないですか。現実を見ることができて」


ちょっと褒められちゃった。


「それにしても、急な心変わりですね。ちょっと前まで、ロマンが大事とか抜かしてたじゃないですか」


この後輩、ずいぶん口が悪いじゃないか。僕がどんな人間だと、彼女に思われているのか。


「私は、人はすぐに変わる生き物じゃないと思うんです。でなければ、先輩の遅刻する癖が治らないのに説明がつきません」


「たしかに……」


まずい。納得してしまった。実を言うと、昨日も遅刻している。一昨日は……


「待ってくれ、一昨日はぎりぎり間に合ったんだよ」


「そんな話はしていません」


随分と厳しいご様子で。


「同時に、何かきっかけがあれば人は変われるとも思うんです」


つまり、僕の考え方が変わったきっかけが何かあったと、この後輩は言いたいのか。


思い返してみる。この一ヶ月強の間に何があったのかを。


「何もなかったと思う。この一ヶ月の間で」


「ただ、急にぼんやりと変わったんだ」


「……そうですか」


電車が止まる。気が付かない間に次の駅へと到着していた。電車のドアが開かれ、生暖かい風を顔に浴びる。数人が乗り降りした後、無機質に扉が閉まる。


「そういえば先輩。今日の放課後は暇ですか?」


「え?今日は暇だな」


「では、数学を教えてください」


意外だ。縋原が僕に勉強を教わろうとするなんて。学業はなんでもできる人だと思っていた。


「いいけど、残念ながら僕も数学が特別得意ってわけではないんだ」


「構いませんよ。全くできないわけじゃなさそうじゃないですか」


「そこまで言うなら……。それで、僕は放課後、どこに行けばいい?」


もしかしたら彼女、実は数学がとても苦手な人なんじゃないだろうか。弱点を一つ知ってしまって少しうれしいなあ。


「放課後、図書室に来てください。もし空いてなかったら空き教室を探しましょう」


「わかった。そういえば、もう今日からテスト一週間前だっけ」


後輩が、そういえば?と怪訝な顔を見せてくる。その顔が、テストに対する意識が足りてないんじゃないですか?と言っている。


「昨日一応テスト勉強をしようと思って数学のノートを広げたんだ」


「まだ私何も言ってないですけど……ってどうかしました?」


「思い出した。僕がなんで空を飛ぶなんていう妄想を辞めようと思ったのか」


「何かきっかけがあったんですね?」


頷く僕。しかし、きっかけといっても、縋原が求めているような大層なものではなかった。


「昨日、勉強をしようとノートを探していたんだ。そこでふと、勉強って案外無駄な行為じゃなさそうだと、思えた」


「唐突ですね。昨日はノートを広げただけなのに」


「それは適当に開いたページの内容を覚えてたから……。ともかく、その時僕はなぜか前に縋原に空を飛びたいことを熱弁していたことを思い出したんだ」


なんだか話しているだけで恥ずかしくなってきた。普段考えている思考のプロセスをそのまま伝えているみたいで。果たして、この僕の支離滅裂な思考が伝わっているだろうか。ちらりと彼女の方をみたが、訝しげな表情を浮かべていたので、続きを話すことにした。


「勉強に比べると僕の妄想なんて、本当にくだらないと思ってさ。実行する気もないのに。叶いもしないのに、口だけで、虚勢を張ったようにするのは意味がないと思えたんだ」


「だから、空を飛んでみたいとは思わなくなったんだ。結局、僕は非現実的なことを体験したかっただけで、そういうものに縋りたかっただけなんだ。縋原が言うように、まだ僕は行動に移すことができないけど、せめて思考ぐらいは───」


「地に足をつけたいと?」


その通りだ。


「先輩の中でそのような変化があったとは、感心ですね。でも、先輩が言っていたロマンというのも、別に悪い気はしませんでしたよ」


縋原は笑う。しかし、どこか満足のいっている様子には見えなかった。僕の伝え方が拙かったせいだろうか。


思考を遮るように、車内アナウンスが流れる。左側の扉が開きます。


電車も僕が気づかないうちにホームへと差し掛かり、停車しようとしていた。


学校の最寄り駅についたのだ。


ドアが開き、縋原が静かに、先に降りていく。


その姿を見て、一つの考えが頭をよぎる。


声をかけようとした。


なあ、縋原。最近何か──。


言いかけて、辞めた。


その考えは、僕が辞めようと思っていた思考の延長線上に違いなかったからだ。

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