開戦の狼煙
浮ついていた重心が正しく戻り、地に足が着いたのが感覚でわかった。
風は無く、気温は快適で、五感に不快は感じていない。
恐る恐る目を開ければ、眼前に広がるのはビルが織りなす摩天楼。
日本の都心をモチーフにしているのはいっそあからさまで、実在しているのをもじってるような看板があちこちに見て取れた。
現実の都会と違う部分と言えば、人の姿は一つもなく、車の走行音もしない。
空は雲一つ見えない晴天で、太陽が頭上で偉ぶっている。
大通りには建物以外にも、停められている電気自動車が何台も見えたのだが、遮蔽物としては心許なかった。
ざっと己の現状を目視してみれば、服装は千鳥柄のワイシャツに、黒のロングパンツという動きやすいものになっていた。
胸元のショートタイは白地に空色ストライプと洒落っ気すらある。
それらが、最近欲しいと思っていた服装の組み合わせだとわかり、裏社会のVRは心まで読めるのかと感心してしまった。
「すぐに、隠れないと」
そうひとりごちたセナの背後で、早速爆音が響いた。
地響きにあわせてアスファルトがひび割れ、店先で孤独に佇んでいた自転車が横転する。
「いきなり何!?」
地震か、それともフィールドのギミックか?
ビルの中に飛び込むのも、ビルの外にいるのも同程度の危険がある。
なるだけ安全にいきたいという思いは開始10秒で夢に終わった。
いくら視線を動かしてみても確認できる範囲で破壊は見られないが、それが逆に距離不明というディスアドバンテージを嫌でも意識させてくる。
「ああ、もう」
舌打ち一つ残して、ビルへと飛び込むしかない。
階段を駆け上り、登り、昇り……息を荒げながらも手摺りを掴んで這い上がる。
VRゲームにしては体が重い、肺が痛い、苦しい。
最先端のメジャーなゲームでもここまでリアルじゃあ無かったのに!
「ぜぇ、はぁ、う……よ、し。ここなら──」
地上十六階。
急な運動で踊り狂う心臓と、じんわりと滲み始める汗が気持ち悪い。
セナはオフィスビルのガラス窓から眼下の状況を確認すべく、駆け寄った。
「──……は?」
外を見下ろすと同時に、現実的な疲労も言葉も思考さえも、端から丸ごと吹き飛んだ。
怪獣と巨大ロボットが、戦っている。
両者のサイズ感たるや、ここらで最も大きいビルが腰の高さしかない。
片や怪獣は口から火の粉をまき散らしながら、おそらく引っこ抜いたのだろう高層ビルを右手で握りしめ、棍棒のように振っている。
片やロボットは上半身に搭載された多数の砲門からビームの乱射を繰り返し、身の丈にあったサーベルで相手のビルと鍔迫り合いを繰り広げていた。
それだけではない。
怪獣の周囲には落雷が迸り、稲妻を纏った人間が目に見えるほどのエネルギーを放出している。
きらめく一撃がロボットの外装に弾かれて、相対していた怪獣に突き刺さり叫び声をあげた。
少し離れたところでは、全身が炎で出来たプレイヤーが火の玉となってロボットへ向かっていく最中だ。
先んじてと放たれた無数の火の玉はまるで天の川の如く、濁流と表現して差し支えない。
怪獣がそれらを自慢の外皮であしらう中で、ロボットの外装の一部が融解していく。
かと思いきや、怪獣とロボットの近くから途方もない大きさの樹木が急成長し、天高くへと伸びていった。
ただでさえ巨大な両者を遙か越え、覆い尽くし日陰に閉じこめるその偉容には一目で『世界樹』という単語が脳裏をよぎる。
その根がまずは建造物を、次に獲物を縛り上げはじめた。
それら障害をまとめてなぎ払うためだろうか、怪獣の口から火炎がまき散らされ、ロボットや巨大樹木だけにとどまらず周囲のビルへと引火し、各所で爆発音が連鎖していった。
地獄のような、いや、セナにとってその光景はまさしく地獄だった。
自分のイデオでは、あんな化け物どもとまともに戦うことはとてもできない。
「……間違った? 僕は、力を……選択を……?」
ガラス一枚隔てた向こうで戦闘音が木霊していた。
どこまで広いフィールドなのかはわからないが、あの規模の戦乱が周囲に拡大しないとは考えにくい。
一旦身を隠すべきか、なんて、そんなあり得ないほど消極的な選択肢が浮かんでは消える。
「あんなのと、戦えるわけが」
立ちくらみが膝の力を消し去って、両手で窓に重心を預けるのは心が折れかけているからだろうか?
うつむいて、考える、考えなければ本当に負けてしまう。
最悪のまま進んだとして、光明は? 勝率は? どんな相手を見つければ戦える?
否、このゲームにおいて本当に最悪を引いたのなら、そのプレイヤーは脱落するしかない。
理不尽で唐突な死が後悔を連れてやってくるはずなんだ。
その確信が指先を冷たくさせ、当初の予定の変更を脳が始めようとしていた──。
ふ、と唐突に。
本当に唐突に、眩しかった戦闘光が止まった。
何が起こったのかすぐには理解できず、顔を上げる。
見えたのは、泡になって跡形もなく消えていく巨大怪獣の姿だ。
ほとんど間を置かずにロボットも灰のように散り、稲妻が止んで、炎も掻き消える。
争っていた全ての能力が一瞬にして消えて無くなったようにしか見えない。
空中を自由落下していく枝葉が乱れ舞う中に、プレイヤーのような影も複数混じって見えている。
それらは摩天楼の影に消えていった。
「や、やっぱり……いるよね、無効化能力者。あーびっくりしたぁ……」
脱力し、尻餅。
しばらくは手摺りが無いと歩けそうにない。
最も恐れていた『広域破壊能力による即脱落』をスタートと同時に食らうということは、とりあえず無くて済んだようだった。
そして今の現象は、ここで抱いた絶望が的外れで終わってくれる可能性を十分に感じさせてくれる。
「……戦闘跡を確認するためにプレイヤーの一部は集まるはずだ」
目的地を怪獣たちの戦闘跡地に決めたセナは、笑っている膝をピシャリと叩いて立ち上がる。
まだ試合は始まったばかりだというのに、いきなり戦意が折れかけた自分に渇を入れ、階段を降り始めた。
始まりの狼煙が燃え上がる。戦火は広がり、百個の欲望へと焚べられていく。
──残り、92名。
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