完全なる無:sideウロボロス
「──ぐ、うぐぅ……!」
「……? 転んだときに足でも捻りましたか?」
唐突にくぐもった悲鳴をあげ、ウロボロスは小刻みに震え始めた。
怪訝には思うものの、能力も不明な相手に対して一定以上接近したり、触れるようなことを黒女はしない。
「まあいいでしょう。では答えてください。貴方は不死狩りの斥候ですね?」
「ふ、し、がり?」
「とぼけているのでしょうか。足だか腕だかわかりませんが、痛くてしゃべれないようならばこれでどうでしょう」
(……えっ?)
パチン、指が鳴らされる。
同時に、ウロボロスを苛んでいた痛みが一瞬で消え去ってしまった。
「あ、アンタ、いったいどういう能力を」
「質問しているのは私です。さあ、もう答えられるでしょう。いかがですか?」
「知らないよ、不死狩りなんて。初めて聞いた!」
姿勢は変わらず床に突っ伏したまま、黒女に背を向けての即答だ。
表情も伺い知れない怪しい者の言葉なんて、信憑性は泡よりも軽い。
「では、そうですね。ひとまず三分でいいでしょうか」
「……な、なによ。三分って何のこと」
「懺悔の時間ですよ。愚か者には贖罪の時間が必要です。では、さようなら」
──パチン
世界が消え去った。
(──え)
真っ暗だ。
真っ黒だ。
なにも見えず、なにも聞こえない。
痛みだけでなく感覚もゼロ。
匂いを感じることもできず、味なんて語るまでもない。
(あ、あ、ぁ、なにこれ!)
単純になにも感じない。
視覚も聴覚も味覚も嗅覚も触覚も、一つ残らず消えている。
(やめて、やめなさい! やだ、やめて! やめてぇ!)
今、叫んでいるつもりだ。
だが、本当に自分は叫べているのかがわからない。
もがいているのかもわからない。
狭い廊下の壁を叩いているのかもわからない。
そもそも、今、本当に腕と足がついているのか。動かせているのか。
──本当に今、生きているのか。
(あぁあ、やだぁ、あっあっああぁあ、たすけ、や、めて)
なにもない、無だ。
己を構成する要素はなく、己が世界に在る確信も無い。
なにもない、なにも。永遠の終わり、自意識だけ眠れない地獄。
無 即ち 死
(──ああああぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁあ!!)
──パチン
その音は、永遠にすら思えた三分の終わりの合図であり、
「ぁぁぁあああああああ!!!」
ウロボロスが叫べていた事をいち早く本人の耳に伝えた。
「まったくやかましいですね。ただ吼えることしかできない負け犬の叫びのなんと醜いことでしょうか」
背後の声が聞こえ視界に光が戻ったことで、ようやく精神の落ち着きが戻ってきた。
反射的に、怒りでも、悲しみでも、絶望でもなく、それら全てごちゃ混ぜになった激情に身を任せてウロボロスは振り返る。
だが、立ち直ったはずの心も黒女の顔を見た瞬間に一瞬で瓦解した。
「まだ正直になれませんね? 本当に全くもって仕方がない駄犬です。この世で最大の苦しみを耐え抜くなんて、プレイヤーはどうしてこうも野蛮かつ強情なのでしょう?」
女は、嗤っていた。
舌なめずりをし、頬を染め、恍惚の表情で浸っている。
(──違う)
もちろんウロボロスは何も言っていない。
正直になるとも、抵抗するとも。
それなのに勝手に話は進み、さも理路整然ですと言わんばかりに内心を決めつけられていく。
(この女は、違う)
薄々感づきはじめたが、ウロボロスは理由に使われているだけだ。
このキチガイの嗜虐的な欲求を満たすための言い訳作りであり、ポーズに過ぎない。
(人間じゃない)
正解か不正解かは問題になっていないのだから、きっと何を言っても信じない。
この後に待っているのは、三分では収まらない長時間の『五感簒奪』拷問。
むせび泣き、許しを乞い、女の言うところの無様な狂乱を演じるだけの漆黒の未来──。
「さあ、貴方が心を入れ替えて真実を語るまで続けましょう。その濁りきった心を澄み切らせ、入れ替え終えるまで付き合いましょう」
「…………く、ふ、ぐぅふ、うふ、は、ははは」
「ではさし当たり、次は五分……?」
ウロボロスが発したのが苦しみのあえぎ声ではなく、笑い声であったことに黒女は止まる。
彼女は苦しげな表情をしながらも確実に笑顔だ。
「何がおかしいのでしょうか。まさかこれだけで壊れてしまったのでしょうか。だとしたらあまりにも弱すぎて新記録更新なのですが」
「ち、がうよ。ははは。アンタ、おっかないよ、おっかない。けど、ちゃんと人間だったんだね」
噛み合わない話に黒女の眉が窄まった。
「そういえば、この床って黒かったっけね。無地だし、それに救われたのかな」
「なんの話ですか?」
「アンタさ、色盲って奴だろ」
黒女の口が止まる。
図星だろう、ウロボロスには確信があった。
「大変だよな、青が見えないとか……緑が見えないとか。友達にも居たよ、黒っぽく見えちゃうらしいじゃん」
「……まさか!」
初めて人間らしい焦りを見せた黒女が、それまで躊躇していたにも関わらずウロボロスに接近し、体を起こさせた。
パシャという水音と、目撃した惨状が全てを悟らせる。
彼女の腹には大きなガラス片が突き刺さり、とめどない出血の真っ最中だったのだ。
「アンタは赤が見えない……だから、自殺に、気づけなかった……ご丁寧に痛みまで消してくれて、ありがとうな」
「……なんて張り合いのない。能力も使わず即自殺とは、信念の欠片も存在しないようですね」
「ふ、ふふ、ふ」
黒女は顔をしかめてウロボロスを謗り、恍惚など含まれぬ本当の罵声を浴びせる。
既に朦朧としていた意識も白に溶け、力が失われ、ゲーム脱落の時が来た。
その瞬間、ウロボロスのイデオが発動した。
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