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嗜虐の黒:side小黒



 ほの暗い朽ち果てたビルの一室で、通信機器のコール音が響く。

 蜘蛛の巣と埃が充満する不衛生なその場所で、一人のプレイヤーが通話を開始した。



『やっほー! 萌ちゃんだよー! 黒ちゃん、状況報告お願いねー、どうぞー!』


「……こちら小黒。プレイヤーキラーの作戦に支障なし。どうぞ」


『あのねー、赤ちゃんが怒ってたよー? 部屋が真っ暗すぎてそっちの様子がわからないーって。VIPさんが怒っちゃうよーだってさ? どうぞー』



 通信者の近くでは複数の呻き声が響いている。


 痛み、苦しみ、畏れ、悲しみ。


 聞く者に負の感情が伝播しかねない怨嗟の合唱の中央で、壊れかけの椅子に座りながら、プレイヤーキラー小黒は平然と通信を続けた。



「ここは廃屋です。設定上、通電していません。外部に情報を漏らしたくないので窓に打ち付けられた板を外す理由もありません。何より、現在の任務は侵入者の排除であって、動画映えは第二目標に格下げしているはずです。どうぞ」


『だよねだよねー? 赤ちゃんってばちょーっと口うるさすぎ! やりたいようにやっちゃってねー。どうぞー』


「ありがとうございます。どうぞ」



 小黒の目の前では何かが蠢いていた。


 もぞもぞと、うぞうぞと、芋虫のようにのたうち回る。


 ソレを小黒は思い切り蹴り上げた。

 くの字に体を折り曲げた影は、先ほどに増して勢いよく蠢動している。



『次にねー、定時連絡! 現在生存者は82名でー、黒ちゃんのとこから出撃した不死者三人は負けちゃったよ! 負かした連中が、でっかい不死能力者狩りグループを結成したんだー。VIPさんたちが大激突にすっごい期待してる! どうぞー!』


「私のノルマに変更はありますか? どうぞ」


『あるよー! ハッキングして潜り込んできた違法当選プレイヤーの排除に加えて、不死狩り同盟とのガチンコを追加! そっちでは最低五人くらいは倒して欲しいかな? どうぞー』


「ミッション了解しました。ですが、同盟を相手取るとなるとその場での死亡があり得ますが、優先順位を教えてください。どうぞ」


『うーん、ハッキングっていっても、ズルしたのは抽選で百人に潜り込むところまでだったし、ゲームを崩壊させるような介入は萌が防いでるからなー……。うん、予定変更! こっちでも手は打つから、黒ちゃんは盛り上がり優先で! どうぞー!』


「畏まりました。それでは本来の業務に戻り、これより同盟狩りを行います。どうぞ」


『オッケー! 今回もキレッキレの大活躍、期待してるねー! 通信しゅうりょー!』


「通信終了」



 運営幹部である萌黄の音声も聞こえなくなり、再び暗闇と呻き声に閉ざされた。

 小黒は立ち上がり、先ほど蹴飛ばしたのとは別の影へと接近する。



「気分は如何ですか」


「……ァ……アァ」


「ああ、そうでした。聴覚を無くしていましたね」



 小黒はこれ見よがしに指を鳴らす。

 すると、室内で蠢いていた影たちが同時に体を跳ねさせた。



「ぁ、ぁあ、ああああぁ、ぁぁああぁあああ!」


「あああああ、きこ、きこえるぅう、あぁ、ぁああああああ!!」



 歓喜と狂気がない交ぜに吐き出され、絶叫と化して木霊する。

 影の一つが暴れ回った拍子に足を窓に叩きつけ、朽ちかけていた板の一部が欠け光が射し込んだ。


 そこに転がっていた影は、いずれもプレイヤーだった。

 全員が絶望に顔を窄ませ、希望に目を潤ませている。

 もっともっとと声を張り上げる。



「つぎ、つぎは目を、目をもどして、もどしてええぇぇぇ!」


「触覚でも、触覚でもいいからぁ! だす、だづげでぇええ!」



 男女の例外なく唾液をまき散らし、吼え転がり、目を血走らせていた。

 それらの様子を特等席から眺めた小黒は──それまでの事務的な表情から変貌し、頬を緩ませうっとりと舌なめずりをする。



「本当に、全く、どこまでも愚かで、無様で、情けなく、矜持(きょうじ)も気概も無いゴミですね。牙の抜けきった負け犬、と表現すれば犬にも失礼だと断言できます」


「まげ、まけまひたぁ……まけでいいからぁああ、もう、やめてぇええ……」


「本音を言えば私はもう、それはもう多幸感に満たされています。貴方達負け犬の鳴き声だけで達しかねない。許されるならばすぐにでも火照りを鎮めたいところ。ですがまだ仕事中です」



 光に照らされ、サディストの姿が露わになった。


 黒い靴、黒いスーツ、黒のワイシャツ……黒、黒、黒、全て黒。

 本来は端正なのだろう顔立ちも喜悦と欲情で崩れきり、転がるプレイヤー六名を絶対の優位から見下している。

 腰まで伸びたポニーテールを振り乱しながら、息を荒げつつも口調は変わらない。



「これから、あなた方不死者を倒すための集団がこちらへ来るでしょう。あなた方はそこで待望の自殺を試みてもかまいません」


「え、あ、ぃぁ……!」


「ですが何度もお教えしているとおり、私の目的はプレイヤーを殺すことです。あなた方が返り討ちにするなり、私が直接殺すなり……経過は問いません。合計十名を倒せたならば、私はその場でリタイアしましょう。あなた方は当初の目的通り、無敵の不死能力で優勝を狙うことができます」



 淡々と、事務的に要求を並べ立てる。

 それを正しく聞き取れている者がここに居るのだろうか。



「うそ、う、うそだぁ、嘘だあぁぁぁ!」



 案の定と言うべきか、女プレイヤーが枯れた喉で絶叫する。



「あ、あだじを、こん、な、こんなこと、するやつ、するやつがぁ!」


「約束を守るはずがないと?」


「そう! 守るはずないでしょお!」



 指が、鳴らされる。

 激情で赤らんでいた女の血の気が、一瞬で引いて真っ青に変わった。



「あ……や、やだ、やだやだやだやだぁ! もうやだああああ!」


「私がいつ嘘をついたのか言ってみなさい」


「ごめんなざいぃ……ごべんなざいいぃ! もう、もう言わないから、ゆるしてえぇ……」


「いつ嘘をついたのか言ってみなさい」



 聞こえないのは当然わかっている。

 理解してなお、とくとくと語りかけ続けているだけだ。


 味覚も視覚も嗅覚も触覚も聴覚も、何もかもをなくした女は白目を剥き泡を吹き始めていた。

 狂気を極めたその姿を十分に堪能してから小黒は指を鳴らす。

 その場の六名に全ての五感が戻ってきた。



「──っはぁ、はぁ! はぁ、ああ、うあぁ、あああああぁぁ……」


「私がいつ嘘をついたのか言ってみなさい」


「ご、べ、もう、ああぁ」


「嘘をついたことは一度もないはずです。私はあえて情報を伏せることはありますが、言ったことは守ってきました。ただの一度も違えたことはありません。違いますか?」


「ひぃ!」



 最後の悲鳴は、別のプレイヤーのものだ。

 声を抑えられないのも無理はないだろう。

 ここまでのことを平然と行った小黒の顔が、喜悦に歪んでいる様が目視できるようになってしまったのだから。



「私は確かに運営としての目的を持ちます。ですが、あなた方プレイヤーと全く同じ条件での参加です。たった一つの能力しか持ち合わせていませんし、身体能力が特別高いわけでもない。それなのに敗北し、拷問され、屈服させられる。一般参加プレイヤーに同じことをされるのと何の違いがあるのでしょう」


「そ、そんな、詭弁……」


「敗者に人権は無いのですよ」


「ごぶぉ……がっ……」



 革靴の先が、転がっていた女プレイヤーの鳩尾へとたたき込まれた。

 先ほどまでなら何も感じなかったのに、今は苦しく痛く辛い。

 だが、呻きながらも蹴られた女性は笑っている。

 苦しく痛く辛いと感じることができるから。



「絞められた雌鶏のような汚い悲鳴ですね」


「……」


「ですが許しましょう。あなた方は協力者。奇しくも同盟を結成した不死狩りと、我々の関係は何も変わらない。ちゃんと敵を殺せたならば約束はお守りしましょう。戦闘面においても、先に出て行った三人にしたように、あなた方にも支援を与えます。ただただ、不死を最大限に活かせばいいのです」


「はぃ、はいぃ……わかりました、わかりました、逆らいません、殺しますから! 殺しますから!!」


「そう、殺してください。死んでください。私を悦ばせてください」


「やります、やらせてください、あああ、たすけて、たすけてぇ」



 怯えきった視線、苦しみの嗚咽、恐怖の声音。

 それらを主食にキラーが動き出す。


 仕事のためにだけではない。

 命令だからだけではない。


 己の欲求を最大限満たし、屍山の上で微睡むために。


 喪服よりも黒い闇影が、三日月めいて笑っていた。



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