『 』
セナの足が止まる。
幸の発言がまるで理解できない。
大鼠の返しだってそうだ、そんな名前とはなんだ。
そもそも言語を発したのかすら定かではない。
「──ちょっと、見せて!」
「うわ、ちょ、そんな焦らなくても、ほら!」
幸が見せびらかすそのページには、確かに軍曹班のイデオが書き連ねられている。
そして、さも当然のように、『 』という空欄を幸は誇っていた。
「な、なにも書いてない。空白じゃないか!」
「えぇー? なに言ってるのさセナ! 流石にその冗談は怒るよ!」
「……まあ、怒るだろうなぁ。書いてあるじゃねえか、見えてねえのか?」
二人は何を言っている。
何が起こっている。
いや、そもそもだ。
こいつの能力は何だった?
いくら記憶を掘り返そうとも、何も思い出せない。
それどころか、今の今まで違和感にすら気付かなかった。
すでに知っているつもりになっていたのだ。
「……っ」
「せ、セナ? どうしたのいきなり。変なこと言い出すし、なんか変だよ!」
「おい、顔色悪くなってきてるじゃねえか」
「……」
二人におかしな様子は、無い。
ただ一点を除いては。
「とりあえず、立ち止まるのはよくねーだろ。その辺のビルに入るぞ」
「う、うん。セナ、歩ける?」
機転を効かせた大鼠と、気を利かせた幸。
二人に連れられ、ビルの店舗へと場所を移す。
その間も、セナは恐怖のあまり、幸や大鼠にイデオを使うべきか逡巡していた。
いつのまにか、二人が偽物にすり替わった?
それとも、おかしいのは自分の方なのか?
飛び込んだ店舗は、洋食レストランの趣きだ。
ワインレッドのカーペットとベージュの壁紙が、少しの高級感を演出している。
とはいえ雑居ビルの一階。
見栄で着飾っても限界があり、よくよく観察すれば老朽化が見て取れた。
店内で一番窓から遠い席に座らされると、幸が小走りで店の奥へ消えていく。
「とりあえず休め。なんだかんだ、あの戦争から休んでねぇだろ」
「……」
休むとか、休まないとか、そういう問題なのか?
違うはずだ。
なにか、不死狩りの誰しもが一切気付けなかった、なにかが進んでいる気がする。
「はい、お水!」
「気が利くじゃねえか幸の嬢ちゃん」
「休むならこれが一番だよ!」
差し出されたそれを、飲む勇気がない。
仲間だと判断したこの二人が、本当にちゃんと二人のままなのか。
爆発で気を失っている間に入れ替わってやしないだろうか。
そんな不安が鎌首をもたげている。
「……二人とも、聞きたいんだけどさ」
「ん? なになに?」
「改まらずに聞けよ」
「……えっと」
なんて発音すればいいのかがわからない。
「幸、ノートを出して」
「いいけど、顔色悪い時は作戦会議しないで休むべきだと思うけどなぁ」
「いいから」
「むー……はい」
差し出されたノートは、間違いなく幸のものだ。
字の癖や、ノート自体の変色、ページ数、書かれている内容。
専用のイデオでも無い限り、そう簡単に複製できる物ではない。
ページをめくり、軍曹班の項を開く。
そして空白を指さした。
「このイデオ、どんな能力だったか覚えてる?」
「……は?」
「えー? そりゃ覚えてるよ! ビデオにも撮ったし何度も見たじゃん!」
「まあ、確かに大したこと無いイデオだったとは思うけどよ。にしたって忘れてるのはらしくないぜ」
「いいから、内容を言って!!」
思わず声を荒げてしまい、静寂が満ちる。
幸と大鼠は不思議そうに顔を見合わせていた。
「内容ったって、なぁ」
「うん。隣に概要も書いてあるけど……」
概要なんて、書いてなかった。
「『 』するイデオでしょ?」
二人が発しているのは、呻いているだけにしか聞こえないくぐもった声。
意味が含まれているとはとても思えない、呂律が回っていない声を、当たり前のように二人して奏でている。
「『 』するイデオだよなぁ」
たまらずに、セナは深呼吸を始めた。
大きく吸って、大きく吐く。
目の前の二人の存在も、今は忘れろ。
可能性を一つずつ潰していけ。
(……残ったものが、考察対象だ)
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