(第3話)天使との出会い
「メイベルがオリヴィア嬢のように純粋だったら良かったのに」
放課後にたまたま出くわしてしまったヒューゴ様は、いきなりそんな言葉を吐いた。
「ヒューゴ様。オリヴィア様がどうかされたのですか?」
「昨日、オリヴィア嬢が俺の落としたハンカチを拾ってくれたんだ」
「……私だって誰かが落とし物をしたら拾いますよ?」
「はぁ。そういうことじゃなくて、キラキラした青い瞳で見つめられたんだ」
「……」
「とても純粋で美しい瞳だった」
この男は何を言っているんだ?と本気で思ってしまった。というか、私は確かこの人の婚約者だったはずなのに、なぜ他の女性の瞳が美しかった話を聞かされているの?
「魔法学がAクラスだったからと調子に乗るなよ」
呆れてしまい何も答えなかった私の態度が気に障ったのか、ヒューゴ様はさっきまでのうっとりとした顔から一転厳しい顔をして私に言葉を吐き捨てた。
「調子になんか乗っていません」
「くれぐれもハリー殿下とアイラ様に関わるなよ。お前が粗相すると俺の将来にも影響があるんだからな」
「ヒューゴ様にご迷惑がかからないよう気をつけます」
私の答えに満足したのか、やっとヒューゴ様は立ち去った。
……学園でたまたま出くわしただけでこんなに嫌な気持ちになるのに、私は本当にヒューゴ様と結婚生活を送れるのかしら……。
考えるたびに不安になるので、最近では考えないようにしていたことを思わず考えてしまい、私は頭を振った。
もやもやした気持ちのまま帰りたくなかったので、学園の裏庭にひっそりと設置されているベンチに向かった。
気分が沈んだ時には、そのベンチでしばらく緑を眺めることにしている。そうするとなんだか気持ちが落ち着くから。
「あっ」
そのベンチに人がいたことなんて今まで一度もなかったのに、誰かが座っていたのでびっくりして思わず声を上げてしまった。
ベンチに座っていた男子生徒は、私の声に驚いて顔をあげた。そして私と目が合ったことに更に驚いた顔をした。
「……僕が見えているの?」
それは独り言のようだった。……だけど、私は思わず言ってしまった。
「もしかして……天使?」
「……えっ?」
さっきより更に驚いた顔をされて、私が慌ててしまった。
「だって……人間には見えないんでしょう?」
「あぁ……。驚かせてすみません。一人になりたかったから空間魔法をかけていたつもりだったんですが、いつの間にか解けていたようで……」
その男子生徒は恥ずかしそうに俯いた。
「空間魔法って……。もしかしてアイラ様の……」
「姉をご存知ですか?」
「たっ、大変申し訳ございません」
「……えっ?」
「まさかウィンチェスター侯爵家の方だとはつゆ知らず、大変失礼な口を利いてしまいました」
土下座! 土下座しなきゃ! 私のせいでエバンズ子爵家が存続の危機に陥ってしまう……。
顔面蒼白になって地面に膝を着こうとした私だったけど、突然身体が温かい空気に包まれた。
「驚かせてすみません。だけど、土下座でもしそうな勢いだったから驚いてしまって」
「あの……これは一体……」
さっきまで鳥の鳴き声や風で木々の揺れる音がしていたはずなのに、突然温かい空気に包まれた後は何の音も聞こえなくなった。それに、とても暑かったのに気温を感じなくなった。
「僕達は今、空間魔法の中にいます」
「……ここが……?」
「はい。僕と貴女を周りの空間から切り離しました。周りからは僕達は見えていませんし、声も聞こえません。だから、不敬とか気にしなくて問題ないですよ」
「……ですが……」
「それに、僕は天使ではないので安心してください」
「……そのことは忘れてください」
恥ずかしすぎて俯いた私を見て、その方はとても楽しそうに笑った。
「失礼しました。僕は、ディラン・ウィンチェスターです」
「たっ、大変申し訳ございません!!」
「……今度はどうしました?」
「先に名乗らせてしまうなんて!! 私めは、メイベル・エバンズと申します!」
「メイベル様。僕は、不敬だなんて言いませんから心配しないでください」
「ですが……」
「では、こうしましょう! 僕達、友達になればいいんですよ!」
「……?」
「そうすれば不敬だなんて気にしなくて良いでしょう?」
さっきまでとても礼儀正しかったディラン様が、あまりに無邪気に笑うから、私も思わずつられて笑ってしまった。
「それにしても空間魔法というのは本当にすごいですね!」
ひとしきり二人で笑った後で、私はどうしても興奮を押さえられなくて言った。
この世界には数々の魔法がある。その中でもウィンチェスター侯爵家は名門で、特に空間魔法に優れていることは私でも知っていた。だけど、実際に空間魔法の中で時間を過ごせるなんて、とっても素敵な経験だった。
「僕は、魔力量の多さを見込まれて養子に選ばれたので」
ウィンチェスター侯爵家の一人娘であるアイラ様は、12歳でハリー殿下の婚約者に選ばれたので、侯爵家では後継者を親類の中から選んで養子として迎えたことは有名だけれど、それがディラン様だったのね。
「本当にすごいです。ものすごい魔法を実感できて、感動しています」
「そうやって素直に褒められると、なんだか恥ずかしいな」
ディラン様は照れくさそうに笑って、その笑顔に、私はついつい見惚れてしまった。