プロローグ:過去の断罪
「アイラ!!僕は君がその罪を認めて謝罪しない限り、君との婚約を破棄することも辞さない覚悟だ!!」
ダンスホールでの全校生徒参加のパーティーの最中に、会場であるダンスホール全体にハリー第二王子殿下の声が響き渡った。
そのあまりに突然の出来事に、談笑をしていた生徒達は息を呑み、騒がしかったダンスホールは一瞬で静寂に包まれた。
「ハリー様? 一体どうなさったのですか?」
ハリー殿下の婚約者であるアイラ侯爵令嬢は戸惑いながらも、手に持っていたシャンパングラスを近くのテーブルにそっと置いた。
……アイラ様、今日は真っ赤なドレスなのね。銀色の髪にとてもよく映えているわ。
子爵令嬢にすぎない私は、一度もハリー殿下やアイラ様とお話などしたこともないので、突然始まった修羅場をどこか他人事のように眺めていた。
「アイラ。今さら知らないふりをしてももう遅いよ。僕は、君がオリヴィア嬢にしたことはすべて知っているんだ」
ハリー殿下の隣には、オリヴィア男爵令嬢が寄り添うように立っていた。そしてそんな二人から一歩下がったところになぜかノア伯爵令息が控えていた。
ハリー殿下とオリヴィア様がとても親しくされていて、その様子にアイラ様が嫉妬しているという噂は学園中に流れていたけれど……。
「酷い暴言を吐いて時には暴力を振るったそうだね。君のやったことは最低だよ。将来、王家の一員に名を連ねる自覚があるとは思えない」
ハリー殿下の言葉に、アイラ様はただただ困惑しているように見えた。
「暴言に暴力などと……。私はそのようなことはしておりません。それにオリヴィア様と二人きりでお話をしたことさえございません」
「素直に認めれば許そうと思っていたが君には失望したよ。ちゃんと目撃者がいるんだ。ノア!!」
ハリー殿下にお名前を呼ばれたことで、後ろに控えていたノア様が一歩前に踏み出した。
「僕は、アイラ様がオリヴィア様に酷い言葉を投げつけている場面を確かに見ました」
「それはどのような言葉だ?」
「僕が聞いたのは『薄汚いくそ泥棒猫め』という言葉でした」
ノア様ははっきりと答えた。
……だけど、そんな下品な言葉、貴族令嬢が使うかしら?
アイラ様はあまりのことに唖然とされていたけれど、すぐに正気を取り戻してハリー殿下に訴えた。
「私が、そんな低俗な言葉を使うはずがございません」
「アイラ。さすがに見苦しいよ。君がオリヴィアを虐げていたことは、ノアだけではなくこの学園の全員が知っているんだ」
ハリー殿下は、軽蔑したような目線をアイラ様に向けていた。
私はそれよりもハリー殿下の言葉が引っ掛かった。
……この学園の全員が知っている……?
「君がオリヴィアに嫉妬して彼女を虐げていたことは誰もが知っている。この学園の全員が目撃者だ。そうだろう?」
ハリー殿下はそう言って周りを見渡した。そして、思わずハリー殿下を凝視してしまっていた私と目が合った。
……私はどうしても我慢できなくて、思わず声を出してしまった。
「恐れ入りますが、発言の許可をいただけますでしょうか?」
私の言葉にダンスホールの空気が揺れた。皆が驚いた顔をしてこちらを見つめていた。
「おい。どういうつもりだよ」
私の隣に立っていた婚約者のヒューゴ伯爵令息が、私にしか聞こえないくらいの声で呟いた。
私はその言葉が聞こえていないふりをして、ハリー殿下から視線を外さなかった。
「君は……?」
「失礼致しました。エバンズ子爵家のメイベルと申します」
「メイベル嬢。発言を許そう」
「ありがとうございます。……先ほどハリー殿下は『学園の全員が目撃者』と仰いましたが、私は目撃しておりません」
その言葉にハリー殿下は一瞬憮然とした顔をした後で、冷静に私を問い詰めた。
「君はアイラから脅されているのかい?」
「脅されているなどととんでもないことです」
「では、なぜアイラを庇うんだい?」
「庇ってなどおりません。私は事実しか申し上げておりません」
「アイラがオリヴィアを虐めていることは学園中に周知されていることだよ」
「噂は知っております。しかし、私自身の目でアイラ様がオリヴィア様を虐げているところを見たことは一度もありません」
「……君自身の目で……?」
「私は、私自身が見ていないことの証言をすることは出来ません」
私の言葉にハリー殿下は何か考えているようだった。
そして、しばらくすると顔を上げて周囲に向かって問いかけた。
「ノアの他に自分自身の目でアイラがオリヴィアを虐めていることを見たことがある者は証言してほしい。ここで発言をしたとしても不利益はないと第二王子の名において僕が保証する」
会場中が静まり返っていた。
「……では、アイラがオリヴィアを虐めているところを見たことがない者は手を挙げてくれ」
ノア様とオリヴィア様以外の全員の手がゆっくりと上がった。
ハリー殿下は会場中を見回した後で、隣にいるオリヴィア様を困惑した顔で見つめた。
「オリヴィア。君は僕を……」
「ハリー様。私は……」
目に涙を浮かべて必死にハリー殿下を見つめるオリヴィア様はとても可愛らしかった。そんなオリヴィア様に見惚れているのだろう。ヒューゴ様が思わず唾を飲み込んだ音が聞こえた。
「……とても残念だよ」
ハリー殿下はオリヴィア様から目を逸らした。
そして、その目線を婚約者であるアイラ様に移した。
「アイラ。すまなかった」
「……この件は、両親にも報告します」
ゆっくりと、だけどきっぱりとアイラ様は言い切った。
そんなアイラ様の態度に、ハリー殿下は驚いた顔をした後でそっと目を伏せた。
その隣ではオリヴィア様が俯いて震えていて、そんなオリヴィア様をノア様が悲しそうに見つめていた。