2.ジュスティーヌの秘密
「どうして殿下が……」
わけがわからないまま、ジュスティーヌはアルフォンスと舟──というか「棺」の様子を調べた。
正装姿のアルフォンスは、微笑みを浮かべたまま眠っているように見える。
だが、眼を凝らしても、息をしている風には見えない。
「棺」の蓋となっているガラスに似た魔導素材に刻まれた複雑怪奇な術式を読み解くと、「棺」の中の時を停めるものだった。
アルフォンスの顔の両脇にあたるところに、対になった手のひらのマークが刻まれている。
そこに同時に手のひらをつけると、魔力が流れて封印が解除される仕組みのようだ。
術式をたどっていくと、船体が周辺の魔素を吸収し、封印と船体そのものを維持し続けるよう書き込まれていて、ジュスティーヌは眼をみはった。
つまり、誰かが解除するまで、アルフォンスはこの棺の中で時を停めたまま、何世紀でも漂い続けることができてしまうということだ。
これほど複雑で大量の魔力を必要とする術式を発動させられるのは、アルフォンスを猫可愛がりに可愛がっていた王太后だろう。
王太后は、病弱な先代国王を支え、実質的な摂政として長く国に尽くした人。
彼女のたっての願いならば、たいていの無理は通る。
それにしても、なぜアルフォンスが流されたのか。
「……ジュリエット。
わたくしが追放された後、わたくしへの処罰に抗議したお父様は王室への不敬があったと幽閉され、お兄様達を廃嫡として公爵家は又従兄弟のドニが継ぐ、という布告があったのよね?」
「……そうです」
ジュリエットはアルフォンスから距離をとるように数歩離れたところからうなずいた。
顔色は真っ青だ。
「……きっと、お兄様達がクーデターを起こしたのね……
それしか考えられないわ」
その話を最初に聞いた時も、無茶なことをすると思ったものだ。
又従兄弟のドニは、アントーニアの従兄弟でもある。
要はアントーニアを王太子妃にと目論む派閥の駒だ。
だが、ジュスティーヌの実家である公爵家は、下位とはいえ他国の王位継承権も複数持つ家柄。
長兄が王家を告発し、みずからが公爵家の正統な嗣子であると主張すれば、それを認める国はいくつでもある。
辺境伯家に婿入りした次兄、魔導師として既に名を馳せている一番下の兄ほか、それぞれ国内外で地位を築いている一族も、こんな非道を黙って受け入れるはずがない。
クーデターを起こして、幽閉された父を解放、国王を退位させ、しかるべき王族を担いで新たな国王とし、アルフォンスは「うつろ舟」の刑としたのではないか。
アルフォンスが殺されなかったということは、父は健在なのだろう。
父が害されていれば、兄達のこと、国王一家もアントーニア達も必ず全員殺しているはずだ。
捕らえられてしまった父がどうなったのか、ずっと心にかかっていたジュスティーヌはほっとした。
「そもそも、お兄様達が大人しく廃嫡されるわけがないじゃない。
外面は物腰柔らかだけれど、腹黒すぎて身内には腹黒三連星って呼ばれてた人達よ。
おまけにジュリエットを追放するだなんて、下策もいいところ!
結局、アントーニアを王太子妃にして、公爵家を乗っ取って、国を良いように操りたいっていうのがバレッバレじゃないの。
そうなれば、きっかけになったわたくしの追放だって、そもそも王家とアントーニア達が仕組んだことだろうってことになるわ」
珍しく激したジュスティーヌは「ほんっと馬鹿ばっか!」と毒づいて、愛しい、憎い、そして懐かしい男の顔を見下ろした。
ほのかに微笑を浮かべたアルフォンスは、相変わらず美しい。
美しすぎて、イラッとした。
「姫様……
姫様は、アル様を、どうされるおつもりですか?」
ジュリエットの声が異様に強張っている。
どうしたのかと、ジュスティーヌは振り返った。
「もし、姫様がその棺を開けられるのでしたら、私……
私、もう、ここにはいられませんッ!!」
真っ青な顔で震えながら叫ぶと、ジュリエットはアルフォンスの近くにいることそのものが耐えられないように、渚をぱっと駆け出す。
ジュリエットの放逐にアルフォンスは抵抗できなかったのだからわからなくもないが、反応が激しすぎる。
慌てて、ジュスティーヌは後を追った。
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岬の手前でようやく追いつき、肘を掴むとその場でジュリエットは泣き崩れた。
「どうしたのジュリエット。
ちゃんと言ってくれないとわからないわ」
しゃくりあげるばかりで、言葉が出てこないジュリエットをなだめすかし、抱えるようにして木陰のハンモックまで連れて行って座らせる。
「……仕方ないわね。
今日は特別よ」
術式を呟くと、ジュスティーヌの手のひらの上で小さな竜巻が起こり、少し離れたところに生えている椰子の樹に飛んでいく。
ややあって、一番熟れた実がどしんと落ちてきた。
ジュスティーヌは椰子の実を拾い、強化魔法をかけた手刀でスパッと切れ目を入れ、ストロー代わりの草の茎を折り取って差した。
2人ともココナッツは大好物なのだが、この入り江には椰子の樹が数本しか生えていないので、貴重な嗜好品なのだ。
ハンモックに並んで座り、そっとココナッツジュースを勧めると、ジュリエットは涙を手の甲でぐいっと拭い、すっきりと甘い透明な液体を少し飲み、ジュスティーヌに実を返して来た。
ジュスティーヌも飲み、またジュリエットに渡す。
2人はしばらく黙ったまま、代わる代わるジュースを飲んだ。
「姫様の前で言っていい話じゃないですけど……
……私……アル様のこと、ほんとに好きだったんです」
ジュースがなくなったところで、ジュリエットはようやく口を開いた。
ジュスティーヌは黙ったまま、続きを促す。
「王都に出てきて、なにもわからなくて……
姫様みたいに優しくしてくださる方もいたけれど、どうやってもやっぱり浮いてて……
そんな時、アル様が、かまってくれて」
「姫様と婚約されている方だから、好きになっちゃ駄目だ。
私が田舎育ちで珍しいだけだから、好きになっちゃ駄目だって、思っていたんですけど……
周りの方も、姫様との婚約はいずれ破棄される、アル様を支えてあげてほしいって言い出して」
ジュスティーヌは、久しぶりに無の表情になった。
誰の目からも、アルフォンスとジュスティーヌの仲が良い風にはまったく見えなかっただろうし、ジュリエットが信じてしまったのも仕方ない。
それにしても、そんな風に周囲は言っていたのか。
確かに、ジュスティーヌも父公爵から「無理をしなくていい」と遠回しに婚約解消を勧められてはいたが。
「でも、私は男爵令嬢じゃないですか。
母方の祖母は平民なんです。
王妃になんて、なれっこないじゃないですか。
結局、結婚前の一時のことなのか、姫様と結婚して私は妾ということになるのか、それとも……私のために、王位を捨ててくださるのか、どうなるんだろうって」
ジュリエットはまた溢れてきた涙をぐいっと拭った。
「……心の底では、王位を捨ててでも私と一緒になるって言ってほしかった。
ずっと大好きだ、私だけだって言ってほしかった。
でも、アル様がどう考えているのかわからなくて。
ある日、お前なんかなんとも思ってないって突き放されるんじゃないかって、怖くて。
だけど、私が求められているのは笑顔だけなんです。
だから……笑ってるしかなくて」
ジュスティーヌはジュリエットの手をそっと握った。
自分は取り澄ました無表情の下に、どろどろと渦巻く黒い感情を隠していたが、ジュリエットは無邪気な笑顔の下に、不安と懊悩を隠していたのか。
「私が魅了でアル様を惑わせてたってことになった時、審問の場にアル様もいたんです。
でも、私が一方的に責められている間、なにも言ってくださらなかった。
困った顔をして、ずっと私から目をそらして……
最後に、陛下がなにか言いたいことはあるかってアル様に振ったとき、」
ジュリエットは言葉を切って、ジュスティーヌの眼を見た。
「『私は魅了にかけられていたとのことですから、なにか申し上げる立場ではありません』て、言ったんです。
私が死刑になるかどうかっていう時に、ほんっと、他人事みたいに!
あー死んだ、アル様が好きだった私、今死んだ!!ってなったんです。
もう二度と会うこともないから、それだけは良かった、せいせいしたって思ってたのに……
まさか、この島に流れ着くだなんて……」
ああ、とジュスティーヌは嘆息した。
アルフォンスが好きだった自分は死んだとジュリエットは言うが、アルフォンスを好きだった名残は、まだ生々しく残っているのだ。
「……殿下らしいといえば殿下らしいけれど。
……つらかったわね」
子供の頃から、アルフォンスには自分に甘いところがあった。
怒られると自分のせいではないという態度を取り、他人事のように振る舞ってしまうのだ。
だが、この場合は──
「でもその殿下の仕打ちは、あなたを守るためだったのかもしれないわ」
「……え……?」
「『うつろ舟』って、潮の流れによっては、普通に陸に戻ってしまうこともあるでしょう?
だから、殿下のお気持ちがまだあなたにあると思われたら、万万が一にもあなたが戻って来ないよう、海の上で殺されてしまうもの」
「そ、そんなのアリなんですか!?」
「『うつろ舟』に乗せられた者を襲ってはいけないというルールはないのよ」
当たり前のように言うジュスティーヌに、ジュリエットはドン引きした。
それが王都の貴族の常識なのかと、怯えた目でジュスティーヌを見る。
「も、もしかして、姫様のところには来たんですか!?」
「ええ。
最初の夜、3隻で待っていたの。
向こうが気づく前にまず右の船をファイアボールで大破させたら、真ん中の船に大破した船の乗員をのん気に収容しはじめて。
収容が終わったところで、真ん中の船にもう一発打って沈めたら、最後の船が超満員になってしまって。
それで帰ってくれたから、ちゃんとした軍人でも暗殺者でもなかったんでしょうね」
え?え?え?と、ジュリエットは戸惑った。
少し陽に焼けたし、下着同然の姿だが、ジュスティーヌは宮廷にいた頃と同じく、令嬢らしくたおやかに微笑んでいる。
「……えっと、ファイアボールって、……強いんですね??」
ジュスティーヌは真顔で「わたくしのファイアボールは特別なの」とうなずいた。
「それに、あなたの『うつろ舟』に積まれていた木箱。
わたくしも、あれはノアルスイユの仕事だと思うけれど、あの人はなにかにつけて殿下の意向を受けて動く人だから……
殿下があなたに助かってほしいと思っていなかったら、あんなにしっかりした用意はしなかったんじゃないかと思うのよ」
「……もし本当にそうだったら、……手紙くらいアル様が直筆で書いてくだされば良かったのに……」
「そうね。
でもそういうことをしない、できないのが殿下という人なのよ」
笑みを含んだ声で、ジュスティーヌは言った。
アルフォンスの駄目なところもむしろ愛でているようなジュスティーヌの言葉に、ジュリエットは少し驚いた。
「あの……
姫様は、アル様のこと、どう思ってらっしゃるんですか?」
「どう……と言っても、一言では言いにくいわね……」
ジュスティーヌは、ジュリエットの方に向き直った。
「その話をするなら、まず、あなたに謝らなければ。
あの日、大階段からあなたを突き落として、大怪我をさせたのは……わたくしです」
ブクマ、評価ありがとうございます!!!
注:「ジュスティーヌのファイアボール」主要諸元
火球の直径最大2m前後(数百メートルを超える長距離で使用する場合は30cm程度)・温度約1500度(だいたい溶鉱炉の中身)・時速165km(大谷君リスペクト)・有効射程距離5km(海抜ゼロメートルの高さで見える水平線との距離)・射出後の軌道コントロール可能(海面すれすれに飛ばして船腹を抜いた瞬間、下に方向を変えて向けて船底をぶち抜いたりできる)