1.「棺」の漂着
ザザ…… ザザザ……
南国の陽光に輝く白い砂浜に、いつ果てるともなく打ち寄せる波の音を聞きながら、ジュスティーヌは木陰に吊ったハンモックの上でいつの間にかうとうとしていた。
夢見ているのは、ここからはるか離れた王宮の薔薇園。
子供の頃、初めて王宮に招かれた春のことだ。
金髪に碧眼、愛くるしい男の子が、ジュスティーヌに笑いかける。
「僕はアルフォンス。
君が、僕のお嫁さんになるジュスティーヌだね」
教え込まれたカーテシーをする前に差し出された手を、戸惑いながらそっと握る。
「どんな子が来るんだろうって思ってたんだ。
よかった、君で」
なぜ自分で良かったのかとジュスティーヌはおずおずと訊ねる。
「僕の眼は緑で、君の眼は紫だろ?
僕の髪は金で、君の髪は銀だ。
ちょうど対になってるじゃないか」
晴れやかな笑顔で言うと、アルフォンスはジュスティーヌの手を引き、咲き始めた薔薇を見せてくれた。
共に成長し、やがて結ばれるはずの2人だったが、その関係には次第に亀裂が入っていった。
思春期に入った頃、ジュスティーヌの魔力は近来まれに見るほど強大なものである一方、アルフォンスは王族としてギリギリ体面を保てるかどうかというレベルであることが明らかになったのだ。
呑気者でいまひとつ危機感が薄いように見えたアルフォンスを叱咤激励しようと、周囲はなにかにつけてジュスティーヌを引き合いに出してアルフォンスを煽るようになってしまった。
王家と公爵家が対外政策を巡って対立し始めたこともあり、次第にアルフォンスの態度はよそよそしくなり、ジュスティーヌの表情や言葉尻一つ一つを捻じ曲げ、自分を見下していると受け止めるようになってしまう。
ジュスティーヌはどうしていいかわからなくなってしまい、次第にアルフォンスと距離を置くようになってしまった。
思いが通じない苛立ちから、自分から皮肉をつい口にしてしまうこともあった。
そこにピンクブロンドの愛らしい男爵令嬢、ジュリエットが現れた。
田舎育ちで宮中の作法もろくに身についていないが、無邪気で愛らしいジュリエットは瞬く間にアルフォンスの心を捉えてしまい──
王宮で開かれた園遊会の折り、令嬢達が三々五々と空中庭園の大階段を降りていた時、ジュリエットが転落してしまった。
ちょうど階段の下にいたアルフォンスは、ジュスティーヌがジュリエットを突き落としたと指弾し、その場でジュスティーヌは捕縛された。
ジュリエットは頭を打って意識不明の重体、それだけでなく他の令嬢達も巻き込まれかねない状況だった。
国王はこれは殺人未遂だと激怒し、公爵家が横車を押してくる前にと、ジュスティーヌは即日、一種の流刑である「うつろ舟」の刑に処せられることになってしまった。
「うつろ舟」の刑とは、貴人に対して行われる刑で、木箱一つ分の食料や水などを積んだ、櫂も帆もない小舟に乗せて海に流すもの。
運良くどこかにたどり着ければ、その地でひっそりと暮らすことが許されるが、そのまま行方知れずになることの方が圧倒的に多い。
名目は追放刑だが、死刑に等しい重い罰だった。
「でん、か……」
あの時と同じように、夢の中のアルフォンスに自分の思いを訴えようとしたジュスティーヌは、不意に肩を掴まれて揺さぶられ、はっと目覚めた。
「姫様! 大変です!
舟です!『うつろ舟』が流れ着いたみたいです!」
陽に焼けて真っ黒になったジュリエットが、ジュスティーヌを覗き込んでいた。
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「うつろ舟」で10日間ほど海上を漂ったあげくジュスティーヌが流れ着いたのは、大陸の南に無数にある無人島の一つと思われる島の小さな入り江だった。
大型の肉食獣や致命的な毒を持つ虫などがいなかったのは幸いだったが、入り江はほぼ切り立った断崖で囲まれた、孤立した場所だった。
茫漠と広がる水平線には、他の島の影もなく、通りかかる船もない。
漂流中、木箱に入っていたものを使い果たした後は、魔力で真水を確保し、魚を捕らえて食べることでなんとか露命をつないでいたが、島に上陸してもさして状況は変わらなかった。
ジュスティーヌは公爵令嬢だ。
料理や洗濯など一度もしたことはないし、令嬢のたしなみとされている刺繍以外、なにかを作ったこともほとんどない。
岩礁にいる魚を魔法で捕まえ、魔法で焼いて、炭化したり生の部分が残っているものを手づかみで食べることくらいしかできなかった。
絹のドレスは、強すぎる日差しと潮風の下では到底着ていられず、身にまとうのはよれよれになった木綿のシュミーズ一枚と最低限の肌着。
草を集めて寝床を作ろうとしたが巧く行かず、結局砂地の上で丸まるように眠っても、疲れは取れない。
侍女たちの手で常に完璧に整えられていた、抜けるような白い肌も、銀の髪も、過酷な陽のもとでガサガサになっていく。
魚と水がある限り、命をつなぐことはできる。
でも、こんな暮らしでは、そのうち精神がやられてしまう。
その恐怖がどんどん膨れ上がり、喉元までせり上がってきた頃、新たな「うつろ舟」が漂着した。
乗っていたのはジュリエットだった。
沖から近づいてくる小舟に乗っているのがジュリエットだと気づいた瞬間、ジュスティーヌは硬直した。
「姫様ーーーー!!!!
よかったああああああ!!!
姫様ご無事でよかったああああ!!!」
だが、浜辺にいるのがジュスティーヌだと気づいた瞬間、ジュリエットは歓喜の表情で立ち上がり、両手をいっぱいに振って叫んだ。
小舟が渚に着くやいないや舳先から飛び降り、唖然としているジュスティーヌに駆け寄って堅く抱きしめると盛大に泣きじゃくる。
社交界に出るようになってすぐの頃、ジュリエットはジュスティーヌをやたら慕って勝手に姫様と呼び、将来侍女としてお仕えしたいなどと言っていた。
その後、アルフォンスとの仲が取り沙汰されるようになると、さすがにきまりが悪いのかジュリエットからジュスティーヌに話しかけることは少なくなっていたが、挨拶くらいはジュスティーヌの方から以前と変わらず普通にしており、表面的には令嬢同士のつきあいは続いていた。
そのあたりで、やはりジュスティーヌはアルフォンスに無関心なのだと噂にもなっていたようだが。
やむを得ず、ジュスティーヌは波立つ心を抑えてジュリエットの背を撫で、落ち着くのを待った。
「ごめんなさい、ごめんなさい姫様!!
私が意識を取り戻した時には、もう姫様は流されてしまってたんです。
ほんとは、アントーニア様がわたしを突き飛ばしたのに!!」
アントーニア。
アルフォンスの婚約者候補だった令嬢の一人だ。
昔からジュスティーヌに刺々しい態度を取ることが多く、ジュリエットにも居丈高に接しているのを見た覚えはあるが、ここでアントーニアの名が出るとは思っていなかったジュスティーヌは驚いた。
「……ジュリエット。
どうしてあなたまで『うつろ舟』に?」
邪魔な自分が消えたのだ。
アルフォンスとジュリエットは晴れて一緒になったのだろうと思っていた。
「それがその……
私、アル様を魅了で惑わせた大罪人、なんだそうです」
ジュリエットは無理に笑ってみせようとしたが、唇は歪み、つとそらした蒼い眼には抑えきれない涙が盛り上がった。
「なんて馬鹿なことを!」
ジュスティーヌは心底呆れた。
ジュリエットの魔力で、仮にも王族であるアルフォンスを惑わすことなどできるはずがない。
茶番もいいところだ。
王太子妃の後釜を狙う者──それこそアントーニアあたりを王太子妃として擁立したい筋が調略をしかけ、王家がのっかり、既にアルフォンスの証言で自分が追放されたのに、声高に都合の悪い証言をするジュリエットを放逐したのだとジュスティーヌは秒で察した。
そしてアルフォンスは……どう説得されたのかはわからないが、ジュリエットの放逐に抵抗しなかったのだろう。
「ですよね……」
半笑いで呟いた様子があまりにいたわしく、ジュスティーヌはためらいながら手を伸ばすと、ジュリエットを掻き抱いた。
ジュスティーヌはアルフォンスに裏切られた。
それはジュリエットのせいでもあったが、そのジュリエットもアルフォンスに裏切られたのだ。
ジュスティーヌの腕の中で、ジュリエットは身を震わせ、さっきジュスティーヌと再会した時は手放しで泣いていたのに、アルフォンスの件では意地でも泣くまいと必死で耐えていた。
ジュリエットが来たことで、入り江の暮らしは格段に文明に近づいた。
2隻目のうつろ舟に積まれた木箱には、当座の食料だけでなく、さまざまなサバイバルツールと海図、植物図鑑・魚類図鑑もあったのだ。
木箱には、「君なら必ず生き抜ける、最後まで諦めるな」と励ます手紙も入っていた。
手紙にはサインはなかったが、字の癖からして、アルフォンスの侍従候補のノアルスイユだろうとジュリエットは言った。
普段から、ノアルスイユにはなにかと助けられていたらしい。
田舎の弱小男爵領で育ったジュリエットは、家事全般だけでなく農業や釣りにも一通り経験があった。
鍛冶や大工、機織りなどの職人の仕事を間近で見る機会も多かったので、生活に必要なものの作り方についてもよく知っていた。
気がつけば、ジュスティーヌは、屋根のある小屋で暮らし、寝台で眠り、椅子に座ってテーブルでナイフとフォークを使って食事をするようになっていた。
ジュリエットは木の実をすりつぶして油を採り、香油を作って、ジュスティーヌの肌を潤し、髪に輝きを取り戻してくれた。
令嬢2人が以前のような仲に戻るまで、さほど時間はかからなかった。
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新たな「うつろ舟」を確認しようと、ジュスティーヌはジュリエットと共に岬に向かった。
2人とも、島に自生する植物から作った糸で編んだ布を、胸元と腰に巻きつけているだけだ。
南国の空の下、ジュスティーヌのかたちの良い脚は腿のなかばまで剥き出しだし、ジュリエットの胸元はぽよんぽよんと弾み放題だ。
「あ。どうしましょう。
もし流されてきたのが男の人だったら、この格好、まずくないですか?」
ジュリエットがふと足を止めた。
「そうね。
でももう、取り繕いようがないわ。
急ぎましょう」
すでに2人のコルセットは解体され、ボーンの鋼線は釣り針などに転用されている。
傷んだドレスもバラバラにして、貴重な素材として大切に保管している。
岬の突端からジュリエットが指差す先、水平線のだいぶ手前にボートと見えるシルエットをジュスティーヌも認めた。
「あれですあれ! やっぱり『うつろ舟』ですよね??
なんだかキラキラしてますけど……」
確かに、船影はやたらきらめている。
「帆柱もないようだし、まず『うつろ舟』だと思うけれど……
でも、あの輝きはなんなのかしら。
塗装じゃあんなに光らないでしょうし」
ジュリエットが来た時にはこんな風には見えなかった。
なにか、大きな飾りでもつけられていて、それが光っているのだろうか。
「うつろ舟」には普通、粗末な小舟を使うはずだが。
眼を凝らしているうち、するすると「うつろ舟」らしきものは島に近づいてきた。
島は岩礁に囲まれており、潮の流れは複雑で、満ち引き応じて変化する。
どうやら舟は、ジュスティーヌやジュリエットの「うつろ舟」と同じく、入り江に向かう流れに乗ったようだった。
「小さいわね」
「ちっちゃくないですか?」
入り江の中に入ってきた舟と並走するように、渚に戻り始めた2人は、ほぼ同時に声を漏らした。
海上で漂っていたときは気づかなかったが、うつろ舟にしても小さすぎる。
全長は2mほど、幅は1mないように見える。
これではせいぜい舟型の棺ではないか。
だが、色は棺にはそぐわない金色だ。
ちょうど、2人が渚へ戻った頃には、舟?棺?は2人が立てる深さのあたりを漂っていた。
やはり、かたちは舟だが、大きさは棺だ。
人影はなく、中がどうなっているか、渚からは見えない。
2人は海に入り、左右に分かれると、息を合わせて舟を浜に押し上げた。
金色に輝く舟は、軽くて強度のある魔導素材で作られているようだ。
舳先側に回ると、舟を渚へ引っぱりあげる。
引き上げた舟の中を見て、2人は息を飲んだ。
「……殿下……」
「……アル様!?」
ガラスで天面を覆われた金色の舟型の棺、その中に眼を閉じて仰向けに横たわっているのは、ジュスティーヌを弾劾し、ジュリエットを見捨てた王太子アルフォンスだった。
エディット・ピアフの歌唱で有名なシャンソン、「水に流して」(原題:Non, je ne regrette rien/私はまったく後悔していない)から着想したお話です。
※映画「インセプション」で合図に使われてるアレです。
Edith Piaf - Non, je ne regrette rien (Audio officiel)
https://www.youtube.com/watch?v=4r454dad7tc




