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第五話

「よお」


 次の日の朝、姉の結婚が決まってからの日課である洗濯を家の裏でしていると、昨日街で別れたきりだった失恋から少しだけ立ち直った幼馴染の声がした。


「……どうしたの、その顔」


 昨日最後に見たときはまだお綺麗な顔をしていたはずなのに、目の前の幼馴染は頬をパンパンに赤く腫らしている。

 あの後一体何があったのだろう。


「お前と別れた後デートしてた人たちのとこ行って、自分の気持ち正直に伝えて謝ってきた。これは関係を清算してきた結果の副産物」

「なるほど」


 デートしてた女性側からしたらマルコの謝罪の言葉は寝耳に水だったはずだ。

 実は別に好きな人がいてその人に重ねてただけで、別にあなたのことは好きじゃなかったです。ごめんなさい、もう別れましょう。簡単に言えばこんな感じだろうか。

 もし私が詳しい事情も知らずそんなこと言われたら絶対に殴ってる。いや事情知っても殴ってたわ。だって当事者女性からしたらこいつ三股してた挙句他に本命がいたとんでもない最低野郎だぞ。

 あの女の人たちは殴ることはなかっただろうけど、それでもこの頬を見れば叩かれたのだろうと簡単に推測できる。


「すげー罵られたし、叩かれた。別れたくないって泣いてくれた。だけど最終的には皆俺と別れるって言ってくれた。……本当に俺、最低な奴だったよ」

「そこは否定しない」

「別に否定してほしい訳じゃねえよ。むしろ最低だって罵ってほしいくらいだね。…彼女たち見てたらさ、俺は彼女たちに俺がサーラに抱いたのと同じような、もしくはそれ以上の苦しみを味わわせちゃったんだなって思ってすげー反省した。だからお前にお礼言おうと思って」

「なんでお礼?」

「昨日あのときお前に会わなかったら、ずるずるあのままの関係を続けてたかもなって思って」

「…そっか。そういうことならそのお礼、受け取っといてあげますよ」

「恩着せがましい言い方だな」


 頬を腫らして苦笑してるマルコは今まで見たことないくらいカッコ悪いのに、なんかカッコよかった。


「凄い目立つ頬の腫れだけど、周りにはなんて言ったの?」

「実は俺彼女がいてその彼女を振ったときに叩かれたって」

「そのまんまだね」

「変に誤魔化すのもなんだしな。…三人いた、とは言えなかったけど」

「でしょうね」


 もしそんなこと言ってたらマルコ父によって拳骨が加えられていたと思う。マルコ父の拳骨は本当に痛くてしばらくタンコブが引っ込まなくなるほどだ。だから嘘はついていないし、正直最良の選択だったと私も思うわ。


「そういえば今日親父さんの仕事の手伝いは?」

「親父にそんな顔で仕事場に顔出すなって怒られて、今日の手伝いはなし。彼女と別れてそんな顔になってるってことは、お前に非があったんだろうから一日かけて反省してろって言われた」

「親父さんらしいや。拳骨された?」

「いや。…多分俺があんまり情けない顔してたから、拳骨する気も起きなかったんだろうな」


 そう言って情けない顔で笑うマルコを見れば、成る程マルコの親父さんの気持ちが分かった。


 洗い終えてびしょびしょになった衣類を絞り、物干し竿に洗濯物を掛けていると、黙って見ていたマルコが声をかけてきた。


「そういやお前昨日体調悪かったんだって?いつも食い意地張ってるお前が夕飯も食べなかったとか、よっぽど体調悪かったのか」

「…私にだってそういう日もあるんですぅ」

「昨日別れた時は元気そうだったけど、あの後ロベルとなんかあった?」


 伊達に長い間幼馴染やってないな、鋭い。

 そういえばロベルとは違って優しくないけど、変化に気付いたら直球過ぎる言葉で気遣ってくれるとこも好きだったなぁ。


「なにも」

「ふーん」


 背中に刺さるような視線を感じる。

 絶対嘘だと思ってるよ。そして訝しげな顔で怪しんでる姿がありありと見えてくるようだ。


「……な、なによ。さっきから視線が痛いんですけど?」

「いやー別にー」

「本当になにもなかったし」

「へー」

「だから、なにもなかったってば!」


 思ったより大きくなった声にハッとして振り返れば、目を丸くしたマルコがいて気まずくて俯いた。


「ご、ごめん」

「……いや、俺もなんかごめん」

「……」

「……」


 最近こんなんばっかだ。もうほんと自分が嫌になる。


「…あのさ、俺で良ければ話聞くけど」

「いい」

「意地張るなよ」

「いいって」

「心配なんだよ!」


 叫ぶように言われて驚いて顔を上げれば、マルコは怒ったような顔をしていた。


「…幼馴染なんだから心配くらいさせろっつーの」

「ごめん」

「謝罪はいらない。干すの手伝うからそれ終わったらついて来い」

「どこに行くの?」

「いつもの河原。ここじゃ話したくないだろ」


 確かにここだと誰に聞かれるか分からない。不器用だけど、マルコは凄く気遣ってくれているんだ。


「…分かった」

「よし。じゃあさっさと終わらせようぜ」




 残った洗濯物を二人で黙々と干し、洗濯桶や板を片すと腕を掴まれ河原まで連行された。青々とした草花の絨毯の上に二人で座り込み、春の日差しを浴びる。


 (はた)から見ればなんてことない情景だろう。でもどこかぎこちない関係性になってから、こんな風にこの河原にマルコと来ることはなかった。数年ぶりのことに胸が熱くなる。

 私が感極まっていると、それを無粋な声が邪魔をした。


「で?何があったわけ?」

「…せっかく人がこの感じを懐かしんで感動してたのに。無粋だなぁ、マルコくんは」

「何がマルコくんだよ。そもそもそれ聞きに来たんだよ」

「……はぁ。言わなきゃダメ?」

「駄目」


 ロベルみたいに嫌だったら言わなくていい、なんて優しい言葉はかけてくれないのだ、この幼馴染は。


「あーもう分かったよ。言うよ、もう」

「お前は抱え込みすぎるとこあるから、たまに吐き出した方がいい」


 …はぁー。これだからイケメンはさー。

 人がせっかく新しい恋に前向きになったのに、過去の恋心を思い出させないでくれませんかねぇ。

 いや…新しい恋に前向きにはなってなかったわ。凄い後ろ向きな感じだったわ。


 なんてくだらない事を考えていたけど、隣に座るマルコがあんまり真剣な顔をしてるもんだから、私は思わず抱え込んでいた思いを溢してしまう。


「……マルコが三股してたときにさ」

「お前ここ数年、あんなにお淑やかで言葉少なだったのに、元に戻った途端めっちゃ言うようになったな」

「アンナさんは数年間力を溜め込み、パワーアップして戻ってきたのだよ」

「そうかよ。…で?」

「ロベルと一緒にマルコの様子を盗み見していたわけですが…ロベルと二人で過ごすのって凄い久々で、なんだかとっても楽しかったんだ」

「うん」

「で、マルコが爛れた女性関係を精算するってなって」

「…言い返せないのがすげぇムカつく」

「二人で街に行くこともなくなるねって話になったの。そのときにロベルにね、街に行くのにたまにでいいからまた付き合ってよ的なこと言ったら、やんわり拒否された」

「……あのロベルが?」

「うん」


 ロベルがそんなことを言うとは思えなかったみたいで、マルコは険しい顔をしている。


「マルコと私と、三人でならいいよって」

「…なんでそんなことを?」

「ロベル曰く、恋人でもないのに二人で街に行くのはちょっと…ってことでして」

「……正直信じられねぇ」

「私もロベルに実は嘘でしたーってさ、切実に言って欲しいわ。……それが本当にショックでさぁ。でも同時に私の言うことならなんでもいいよって、当たり前のように言ってくれるんじゃないかと思ってた自分がいて。そんな自分の傲慢さが嫌になった」


 なんで本当にそんな風に思ってたんだろう。

 幼馴染だからって甘えてたのかな。


 なんとなく居心地が悪くなり、立ち上がって川の近くに移動する。手頃な石を見繕い、勢い良く川に投げれば石は二回程水面を跳ねて川底に沈んでいった。

 もう一度投げようと石を探していると、いつの間にか隣に来ていたマルコが石を投げ、兎が跳ねるように三回飛んで水の中に消えていく。


「俺の勝ち」


 ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべるマルコに闘争心が刺激され、私はよく跳びそうな平たい石を見つけてまた川へと投げる。

 四回程跳ねた石を見送って勝ち誇った笑みを浮かべれば、マルコは右の眉を跳ね上げて石を探し始めた。


 私も負けじと石を探していると、よく跳ねそうな素晴らしい形状の石を発見する。しゃがみ込んでそれを取ろうとすると、同じようにしゃがみ込んで手を伸ばしたマルコと指先がぶつかった。


「…おい、これは俺が先に見つけたやつだから俺がもらう」

「いーや、私の方が先に見つけたね」

「俺だよ」

「私だよ」


 二人で睨み合っていると、どちらからともなく笑い出す。ひとしきり笑い終えてマルコを見ればマルコは凄く優しい顔をしていて、滅多にお目にかかれないその顔を見た私は全身に鳥肌が立った。


「え、何その顔。マルコ今日どうしたの?」

「お前ほんと失礼な奴だな。お淑やかだった頃のお前が少し恋しいわ」

「絶対そんなこと思ってないくせに」

「よく分かってるじゃねぇか」


 また二人で笑った後、マルコは少し照れ臭そうな表情で川の方を見ながら口を開く。


「……いやさ。昔よくこうやって言い合いしてると、ロベルがいっつも仲裁に入ってたなって思い出してさ」

「あー確かに。懐かしいなぁ…」


 最後に仲裁に入ってくれたのは、魚獲りしたときだったかなぁ。

 ロベルは私たち二人より少し大人で、普段はくだらないこと話して笑ってたけど、私とマルコが小さなことで喧嘩をするとすぐ気付いて場をとりなしてくれたように思う。姉がいないときはいつもロベルが姉の立ち位置にいたし、やっぱりお兄ちゃん感ある。


「…俺はロベルみたいになれないからさ、お前とロベルの仲を取り持つなんて器用なことはできねぇけど」

「知ってる」

「少しは否定しろや。…でも俺にも一つだけ言えることはある」

「何?」

「お前、ロベルのこと好きだろ」


 身体が硬直した。そんな私を見て、マルコはほらなと言わんばかりの顔で笑う。


「だってお前さ、ロベルにそんなこと言われてもカラッと笑って受け入れられるような奴だろ。なのにこんな風に思い悩んでんのは、好きだからなんじゃねーの?」


 なんで私の幼馴染って鋭い奴ばっかなのかなぁ。

 否定出来ないでいると、それを肯定とみなしたマルコはさらに続ける。


「そんなに思い悩むくらい好きなら…さっさと告白したらいいだろ」

「…なんでちょっと不貞腐れてんの」

「うるせぇ。…お前には俺みたいに、告白もできずに後悔してほしくないんだ」


 真面目腐った顔で言ったマルコのその言葉は、マルコに告白もできず失恋した過去のある私に重くのしかかった。


「…ロベル好きな人いるって言ってた」

「それでも告白しろ。…もしかしたら、ロベルの好きな奴ってお前かもしれないだろ」

「それはないと思うけど」

「なんでお前は変なとこで後ろ向きなんだよ」

「……なんでかなぁ。長い片思いしてたからかなぁ」


 ずっと報われない恋をしてきた私は、いつしか恋に対して臆病になってしまったのかもしれない。


「そんなに前から好きだったのか?」

「え?うん、まあね…」


 その相手はマルコだよ、なんてことは口が裂けても言えないけどね。


「やっぱり怖いし、告白なんて無理だよ」

「勇気出せよ」


『たまには勇気を出さなきゃダメよ、アンナ。…間に合わなくなってしまうことだって、あるのだから』


 髪を切り揃えてもらった時の姉の言葉を思い出す。

 私はいつだって臆病で、勇気がない。傷付くのが怖いから。


「アンナさんは力を溜め込んでパワーアップして帰ってきたんじゃねーの?」


 優しげな目をして、だけど意地の悪い笑みを浮かべるマルコ。

 この顔がどうしようもなく好きだった。なのに今は前みたいな熱い想いは込み上げてこない。

 本当に私、マルコを好きじゃなくなってロベルを好きになったんだ。


 マルコに告白できなかったことは私の中で薄れつつも、まだ大きな後悔として残っている。それは未だ消えない傷として心のしこりとなった。


 傷付くのが怖いと怯えていても、結局行動しないことで後悔して、自らに傷を付けてしまうこともあるのだと私は知っている。


 どちらにしても傷付くのなら、どうせなら後悔しない方を選ぶべきだ。


「……そうだよね。パワーアップしたんだもの。勇気を出せる私になってるはず」

「俺の知ってるアンナはどうしようもないほどお転婆で、おしゃべりで、自分の気持ちをきちんと相手に伝えられる奴だ。だからアンナならできるよ」

「えへへ、ありがとうマルコ!」


 かつて失恋した相手にこうも励まされることになるとは。人生何が起こるか分からないね。


 ゆっくりと立ち上がり、空へと手を伸ばして思いっきり伸びをした。身も心も凄く軽い。


「よし、玉砕しに行ってくるか」

「玉砕前提なのかよ」

「だって相手はマルコ以上にモテモテのロベルだよ?」

「おい、一言余計だぞ」

「うそうそ。マルコもロベルと同じくらいモテモテだから安心して」

「そういうことじゃねぇよ」

「……もし玉砕したら、告白に送り出した責任に慰めてね」

「しょうがねーから慰めてやるよ」

「ありがと、マルコ。行ってくる!」

「おお、行ってこい」


 河原に背を向けて歩き出すと、後方から「アンナ!」と名前を呼ばれた。


「…もし、本当に玉砕したら。そんときは責任とって嫁にでも貰ってやるよ」

「……何を言うかと思えば、またまた〜。マルコったら冗談ばっかり言って〜」

「…ま、だから安心して行ってこい」

「ラジャー!」


 大きく手を振ってマルコと別れ、私はロベルの元へと駆け出していた。今日は多分ヨーゼフおじさんは野菜を卸しに行ってるからロベルは畑にいるはず。


 少し前までロベルに会うのは気が重くてしょうがなかったのに、今は少しでも早く会いたい。

 好きな人がいたって、玉砕したって私のこの想いを伝えてみせるんだから!

 後悔なんて私には似合わないもの!




 河原からすぐに駆け出してしまった私は知らない。


「……そんなに心配しなくても、俺がお前を嫁にもらうなんてことには絶対ならないと思うけどな」


 と、マルコが優しく笑って呟いていたことを。


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