第三話
マルコと喧嘩してから1ヶ月近く経った。髪を切った私に対する周りの反応は様々だったけど、短くした方が評判がいい。私はもしかして長髪が似合わないのだろうか。少しショック。
そしてお淑やかさをかなぐり捨てて以前のようにお転婆に戻った私に、皆は『おかえり、アンナ』って言ってくれた。なんだか凄くこそばゆい。
それはそれとして、もうすぐ姉の結婚式があるというのに、未だに私はマルコと仲直り出来ていなかった。
しかし、正直仲直りどころではなかったのだ。
マルコが失恋のショックからか…グレてプレイボーイになっていたから。
それを見かけたのは父の職場に父の忘れ物を届けに行った、絶交宣言を受けて一週間くらいが経ったある日。
父に忘れ物を渡し、ついでに母の手作りお菓子を賄賂として渡して父の仕事への士気を上げた(こうすると父は仕事を死ぬ気で仕事を終わらせ、残業せずに帰ってくるので母が喜ぶ)帰り道。
街にある果実をまるまる使った果汁飲料を販売しているお店でお気に入りの苺のジュースを買ってほくほくしていると、視界に見覚えのある赤毛が見えた。
ジュースを飲みながら視線を向ければ、もう何日も話していない幼馴染が見えて私は慌てて物陰に隠れる。別にやましいことなどないし隠れる必要なんてないのだが、仲直り出来てない今はなんとなく隠れてしまった。
改めてマルコを見れば、隣には見覚えのない女の人がいる。私の村の子ではない…ということはこの街の人だろうか。
女の人は落ち着いた雰囲気の長い茶髪を垂らした女性らしい女性で…どことなく姉に似ている。
二人は横並びに歩いていて…手は恋人のように繋がれていた。
それを見て少し胸が痛んだ気がしたけど、きっと気のせいだろう。それよりこれは一体どういうことなのか。
マルコは姉を好きだったんじゃないの…?
視界に映る光景が理解できないまま二人は遠くへ行ってしまった。
しばらく呆然としていたが、ふと我に帰ってジュースを一気に飲み切り急いで村へ足を進めた。
私だけじゃこの問題は抱えきれない。頼り甲斐のある大きな背中を思い出し、その背へ向かって私はいつしか駆け出していた。
「ロベル!大変よ!」
「お、なんだどうした」
ロベルは野菜の面倒を見ているか、村で力仕事を手伝っている。今日はヨーゼフおじさんが畑にいるから多分薪割りでも頼まれているだろうと思って薪割り場に行くと、案の定ロベルはそこにいた。
どうやら今は一人らしい。ちょうどいい時に来たみたいだ。
「マルコが知らない女の人とデートしてた!」
「………は?」
たっぷりの間を置いて間抜けな顔をしているロベルは面白いけど(多分さっきの私も同じような顔してたから人のことは言えない)、今はそれどころではない。
「知らない女の人とデートしてたのよ!お姉ちゃんが好きなはずなのに、どういうことだと思う!?」
「…ひとまず落ち着こうか。そこにお座り」
促されるまま休憩用の椅子として使われている切り株に腰を下ろし、深呼吸をするように言われたので深呼吸をする。
落ち着いてくると、自分がだいぶ息が上がっていたことに今気付いた。急いで帰ろうとしていたから走っては歩き、走っては歩きを繰り返していた為に息が上がってしまっていたのだろう。多分ロベルはそんな私を見て気遣ってくれたのだ。
こういう優しさ、本当にやめてほしい。…このままじゃ本当にロベルのことを好きになってしまう。私はロベルに恋はしたくないのに。
…というのも実は昨日、ロベルに惚れかけて帰った時にあることを思い出したのが原因でロベルに恋はしたくないのだ。
ロベルは好きな人がいるって言っていた。
このままでは私はまた、報われない不毛な恋をすることになってしまう。そんなのもうごめんだ。
あんなに辛い思いをするのはもう充分。どうせするなら幸せな恋がしたい。
だから私はロベルに抱いたあの感情に、見て見ぬふりをすることを決めたのだ。
……もうこれ以上、傷付きたくないから。
「落ち着いた?」
「え?う、うん…」
「…それで?マルコがなんだって?」
「あ、えっとね…父に届け物をした帰り道、マルコを見かけたんだけどさ…知らない女の人と手を繋いで歩いてたの」
「ほー…手を、ですか」
「うん。だからあれは友達とかじゃなく…高確率で恋人だよ」
「んー…二日くらい前に会って話した時はまだサーラに未練たらたらって感じだったから、正直信じられないな」
「だよね!?お姉ちゃんのこと凄い好きだったもんね!?…というか、ロベルはもう普通にマルコと話してるの?」
「俺は絶交宣言されてませんから」
「くっ…」
マルコとちゃんと話せてないのは、私だけか…。
「……よし、ちょっくら偵察にでも行きますかね」
「偵察?」
「そそ、偵察。…マルコが最近街によく出掛けてるのは知ってた。明日も多分、街に出掛けるよ」
「なんで分かるの?」
「マルコ父が俺んとこに野菜買いに来たとき、マルコが最近自分の仕事を手伝ってくれることが増えたって言ってた。やっと継ぐ気になったのかって」
「マルコのお父さんって確か街で宝石の加工する職人さんなんだよね?」
「そーだよ。だから最近マルコは街によく行ってる訳。…てっきり失恋したという現実から目を逸らす為にマルコ父の仕事の手伝いに精を出してるもんだと思ってたけど…これは調査する必要がありますなぁ。明日、お昼頃に街に行こう」
「え!?急すぎない!?」
「時間は待ってはくれんのだよ。マルコは今午前中だけ仕事を手伝ってるらしいから、午後は自由にしてるはず。だから真相を知る為には午後が勝負な訳ですよ」
「わ、分かった…」
なんだか訳が分からないまま流されて明日、街に行くことになってしまった。
頭が沸騰しそうになって髪を掻き乱していると、ロベルは街によく来る吟遊詩人が演じるお貴族様みたいに、恭しい礼をした。
「可愛いお嬢さん。明日、私とデートしていただけませんか?」
「なななな、何!?」
「あれ?女の子ってこういう風に言われるの好きだって聞いたんだけど」
「それミランダから聞いたんでしょ」
「当たり」
「やっぱり!」
ミランダは村の中でも特に夢見る乙女な女の子だ。街によく来る吟遊詩人の話を聞くのが好きで、特に恋のお話に夢中。その恋のお話に出てくる王子様とかに憧れていて、よく目を輝かせて話している。
ちなみにミランダはマルコに憧れているけど、ロベルと仲がいい。くそう、今まで何も思ってなかったのに妬ける。
いや、妬けるのは嘘。別にロベルのこと、好きじゃないし…。全部全部、気のせいよ。
「…ま、デートなんて思わなくていいよ。明日は俺と街に遊びに行くっていう名目で偵察に行くだけだし」
「じゃあなんで言ったのよ!」
「言ってみたかっただけ」
「からかったのね!?」
「はははは」
「乾いた笑いをやめなさいっ!」
「…ごめん。こういう冗談はいらないんだっけか」
「そ、そうよ…」
「次から気を付ける」
なんでそんな、寂しそうに笑うのよ…。
「た…」
「た?」
「たまになら、許す…」
消え入りそうな声でなんとかそれだけ言うと、形の良い目を大きく見開いて、次いで嬉しそうに破顔した。
ああ、もう。本当に心臓に悪いからやめてほしい。今までその笑顔を平然とした顔でどう受け止めていたのか、もう思い出せなくなっていた。
◇◇◇
次の日のお昼。洗濯を済ませて集合場所であるいつもの河原に行くと、どうやらロベルはまだ来ていないみたいだった。なんとなく空を見上げれば、爽やかな青い空に白い雲がゆっくりと流れている。ぽかぽかと眠くなりそうな暖かさに包まれてうとうとしていると、突然肩を叩かれた。
「よっ。おまたせ」
「ああ、ロベル」
「眠そうだな」
「うん。昨日頭がいっぱいになって夜眠れなくって」
「そっか。……じゃあ行きますかね」
「行きましょ行きましょ」
街までは村から四十分くらい歩けば着く。馬車に乗ればもっと早いんだろうけど、村には滅多に馬車なんて来ないし、来たとしてもお金もかかるのでお金のない若者は歩いて街に行くのが普通だ。
私の父は仕事の日は毎日馬車に乗って仕事に行っているけど、それは御者さんに毎月決まった額を支払って契約しているからで、そうでもなきゃ村の人が馬車に乗ることの方が少ない。お金持ちでもなければ馬車は高級な乗り物なのだ。
父は図書館の司書をしていて高給取りだから乗れてるけど、馬車に乗ってるのは仕事に行くのが楽だからとかじゃなくて、少しでも帰って早く母に会いたいからというしょうもない理由である。母への愛が凄い。
そんなこんなでロベルと二人で街へと向かっている訳だけど、幼馴染とたわいもない話をしていれば四十分なんてあっという間に過ぎる為、気付けば街に着いていた。
「昨日マルコを見たのってどの辺?」
「あそこのジュース屋さんの辺り」
「じゃあこの大通りを通ったんだな。目立たないところで張り込んでみますか」
「今日も来るかな?」
「どうだろう。まあでも街にいるならあそこの通りはよく通るし、遭遇できる確率は上がるよね」
「確かに」
「そんじゃジュースでも飲みながらのんびり張り込みしてますかね」
「ラジャー」
私は苺の、ロベルはオレンジのジュースをそれぞれ買って通りの目立たない場所に行く。
「この辺なら大丈夫かな」
「多分ね」
私の住んでいる地域で一番大きく活気あるこの街に、一番大きな通りがある。その通りには店だけじゃなく露店や屋台が立ち並び、いつも大勢の人が行き交い私の村がお祭りの時みたいに賑わっている。
その通りにひっそりとある細い路地に入ると途端に人は少なくなり、大通りの喧騒が細い路地に響く。人気のないここならば注意していればマルコにはバレないだろう。
「昨日も思ったけど、やっぱりこの街は人でいっぱいだね。ちょっと疲れちゃう。私は自分の村くらいでちょうどいいや」
「俺も。マルコは街の方が好きだって言ってたけど」
「マルコはちょっと都会気質なとこあるもん」
「確かに」
そんなやりとりをしながら通りを見ていると、しばらくして昨日と同じ見覚えのある赤い髪が視界に映った。
「あ、マルコ」
「ほんとだ」
今日も隣に女の人がいて、しっかりと手を繋いでいる。…ただし、昨日とは違う子だけど。
「…昨日連れてた女の人じゃない」
「まじか」
「昨日の人は長い茶髪の人だった」
「…隣にいるのは赤毛の女性ですな」
「でも雰囲気は似てる。…お姉ちゃんみたいな」
そう、今日の人もどことなく姉に似ているのだ。年も同じくらい。
顔立ちはもちろん違うんだけど、なんかこう…全体的な雰囲気が。
「どういうこと?昨日は茶髪の人とデートして、今日は赤毛の人?昨日の人は恋人じゃないの?二股なの?プレイボーイなの?」
「うーん、昨日と今日の情報だけではなんとも…」
「じゃあ時間のある時でいいからさ、今日みたいにちょっと付き合ってもらえる?一体全体どういうことになってるのか知りたい」
「別にいいよ。仲直りするまで付き合うって言ったじゃん。前払いしてもらいましたしね」
「よしきた。明日は用事あるから…明後日はどう?」
「マルコ父のとこの仕事が休みだからマルコが街に行くか分かんないよ?」
「あ、そっか」
「俺がマルコからそれとなく情報を引き出してくるから、その中で予定の合う日にまた行こう」
「賛成」
「よし、とりあえず今日は撤収」
そんなこんなで私たちはしばらくマルコを観察することになった。
あれから何回かロベルと共に街に行ってみたけど、見かけたマルコはいつも女の人とデートをしていた。私たち二人が確認しただけでマルコがデートをしている女の人は確実に三人はいる。ある時は手を繋いで、ある時は肩を組んで。ある時は…キスをして。
あの姉一筋だったマルコのこの様子ははっきり言って異常である。平然と街中でキスしてた時はこっちのほうが恥ずかしくなった。思わずロベルと二人同時にマルコから目を逸らしてしまったわ。
マルコが…グレた。プレイボーイになってしまった。
村ではいつも通り(相変わらず私は絶交されているので存在を無視されている。最近は家族や友達に早くマルコと仲直りしなさいよ、なんて言われる程には)なので、異変に気付いているのは多分私とロベルだけ。
どうしてマルコは変わってしまったんだろう。そう思っていたある日、相変わらず街でマルコの様子を窺っていた時にロベルが静かに口を開いた。
「………確信はないけど、俺はある一つの仮説に辿り着いた」
「ほうほう、なんでしょうか」
「……マルコが大変拗らせている説」
「…拗らせてる?」
「そう。…今までマルコがデートしてた三人の女性には共通点がある。それは雰囲気がサーラに似てることと、サーラと同い年くらいなこと」
確かにどの女の人も、どことなく姉を思い出させる雰囲気をしていたし姉と同い年くらいだった。
「なるほど。お姉ちゃんは手に入らないけど、ならば似た女の子を…!ってこと?」
「そういうこと」
「…だとしたらかなり拗らせてる」
「うん。相当拗らせてる。…失恋してマルコはそういう方に行ってしまったか…」
「……もしかして、結婚報告の時の私のせいもあるのかな」
ただ失恋しただけだったらまだしも、私はあの日、マルコを深く傷付けた。
「ない、とは言い切れない…」
「……だよね」
マルコは元々拗らせていたのを私のせいでさらに拗らせて、こんな風に女の人と遊ぶようになってしまった。別に何人の女の子とデートしようとマルコの勝手なんだけど、あんなに姉を深く愛していたマルコを私のせいでこんな風に変えてしまった事実が、重くのしかかってきて苦しかった。
苦しいなんて思うことも許されないのかもしれないけど、それでもやっぱり苦しい。
ロベルはそんな風に思うことないって言ってくれたけど、やっぱり思ってしまう。
マルコに恋したことを後悔してしまうくらいには。
そんなこんなで相変わらず村ではマルコに無視されてるし、私のせいでグレてしまったという後ろめたさもあり、一ヶ月近く経った今でも私はマルコと仲直りできていなかった。
姉は五日後に結婚する。それなのにこのままで本当にいいのだろうか。姉は私とマルコが喧嘩している(一方的に私が怒らせてしまっただけだけど)のを知っていて、とても心配している。
マルコと喧嘩したまま姉の結婚に臨むのを姉は望まないだろうし、せっかく幸せな結婚式になる筈なのにこの険悪な空気を持ち込みたくはない。だから私はなんとかマルコと仲直りがしたかった。
そんな風に思いながら今日もロベルと二人で街に来ていた。そんなにお金がある訳じゃないから頻繁にジュースは飲めないので飲みたいという欲求を我慢していつもの細い路地にいると、そんな私に気付いたロベルが苦笑しながら路地の壁から背を離す。
「買ってやろうか、ジュース」
「…いや、いい」
「いつも畑手伝ってもらってるからな、そのお礼でどうよ」
「それこそいつも父さんの畑見てもらってるし…」
「いーからいーから。仲直りしようと頑張ってるご褒美」
「…じゃあ、ありがたく」
「よしきた。いつもの苺のやつでいいの?」
「うん。ありがと」
「気にしなさんな。じゃあちょっと買ってくるわ」
ひらひらと片手を振ってロベルはジュース屋さんの方へ歩いて行った。
この路地から離れたところにあるので次第にロベルの姿が見えなくなっていく。今日は特に人が多く混み合っているから、この感じだとロベルは当分戻ってこれまい。
壁に背を預けて静かにロベルの帰りを待った。
……ロベルは本当に優しい。
幼馴染だとしても、こんな風に私の我が儘に付き合ってくれる。これがマルコなら最初の一回は面白がって付き合ってくれるかもしれないけど、次からは絶対付き合ってくれないもの。
マルコに絶交されてからずっとロベルと一緒にいて、ロベルの優しさに触れて。
私はもう不毛な恋はしないと誓ったのに、誓いを破ってしまった。
だってこんなに優しくされたら、好きにならない訳ないじゃん。
ロベルが皆に優しいのは知ってる。でもそんな平等な優しさの中でも、幼馴染である私への優しさは特別なのではないかと自意識過剰にも思ってしまっていた。だってロベルは本当に優しくて、優しすぎて勘違いしそうになるんだもの。
ロベルは誰が好きなんだろう。
マルコが通りがかるまで暇な時にそれとなく聞いてみたけど、ロベルははぐらかすばっかりで全然教えてくれない。この秘密主義者め。
でも名前を知らないことに少しの安堵があって、それがたまらなく嫌になる。だって好きな子の名前を聞いたら、その子のこと嫌いになってしまいそうで。本当に自分勝手で、どうしようもなく傲慢で嫌になる。
マルコを探す気にもなれず路地の隙間から空を見上げていると、近くで小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃあ!」
どうやら女の人が飲み物を溢してしまったらしい。地面が濡れている。この混み具合だから誰かに押されて飲み物を溢してしまったのだろう。幸い誰かに飲み物がかかったりはしていないようで、揉め事は起きていないようだ。
「あー服が濡れちゃった」
「家近くなんだっけ。このまま帰る?着替えてくる?」
聞き覚えのある声にびくりと体が揺れた。
「せっかくマルコとデートできるんだもの。着替えてくるからこの辺で待ってて」
「分かった」
声の方に視線を向ければ、それは間違いなく見覚えのある赤毛で…どこからどう見てもマルコだった。
やばい。かなり距離が近い。このままだとバレかねない。
女の人が早足でどこかに行ってしまったのでバレないように大通りに背を向けていると。
「…アンナ?」
一ヶ月近く呼ばれることのなかった名前を、絶交されている幼馴染に呼ばれた気がした。