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F.S.フィッツジェラルド『フィッツジェラルド短編集』野崎孝訳 読了

 今となっては、フィッツジェラルドに興味を抱く人間で村上春樹を経由していない人はほとんどいないんでしょうね。まあ、かく言う私も高校時代に村上春樹を読むようになって、大学時代にフィッツジェラルドやチャンドラー、ヘミングウェイあたりに手を出すようになったのがアメリカ文学の入口だったんで、アメリカ小説の翻訳をいくら読んでもアメリカ文学に関して自分がミーハーだという意識は一向に消えないんですよね。


 さて、私のアメリカ文学への平凡なきっかけはどうでもいいとして、フィッツジェラルドに話を移しましょう。フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドは「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる代表格の一人でしょう。ロスト・ジェネレーションは第一次世界大戦後の一時的な好景気に浮かれた「自堕落的な世代」という意味で一般的に使われている言葉です。元々はヘミングウェイに対して使われた言葉らしいですが、作中の登場人物のほとんどが好景気の金や物に囲まれながらも人間的な関係性に対しての不満や葛藤を抱えているフィッツジェラルドの作品は、まさにこのロスト・ジェネレーションという言葉がぴったりであり、彼の作品を読んだことのある人間からすればまるでフィッツジェラルドのために作られた言葉のような気さえします。

 作中の人物たちに劣らず自身もかなり放蕩な生活を送っていたようで、妻を失った絶望があいまってアルコールを加速させ、40代でこの世を去っています。

 ここからは私の私見になりますが、フィッツジェラルド作品の特徴はどれも「愛情」を猛烈に描いています。ほとんどの主人公はある程度以上の財産を手にしていますが、愛情を手に入れる術を知りません。しかし、酒を飲んで乱痴気騒ぎをした先に愛情があるわけではないことを知っていますが、そこから一歩先へ踏み出せないでいるのです。


 この短編集は、そんなフィッツジェラルドの短編の中から『氷の宮殿』、『冬の夢』、『金持ちの御曹司』、『乗り継ぎのための三時間』、『泳ぐ人たち』、『バビロン再訪』の六編を集めたものです。

 それぞれの作品に触れているとあまりに長くなってしまうので、ここでは『バビロン再訪』についてピックアップして取り上げておくことにしましょう。


 主人公のチャーリーは好景気のブル・マーケットにのって富を築きましたが、そのために自堕落な生活に溺れ、妻を亡くし、そしてその後のマーケットの崩壊で財産を失いました。今では生活を改め酒も一日一杯と決め、仕事も軌道に乗ってきていますが、最愛の娘はパリの義姉夫婦のところへと預けたままになっています。本作の主人公の目的は、義姉夫婦に自分が立ち直ったことをアピールし、再び自分と娘が一緒に生活することを了承してもらうことです。

 最初は背景および舞台設定の公開から入ります。主人公がパリへ再訪してかつて通ったホテルのバーで近況を報告することでチャーリーの過去から現在までを説明し、その後娘と義姉夫婦のいる家へ訪れることで、チャーリーの目的とそれに立ちはだかる義姉夫婦の主人公に対する低い評価が伝わります。

 次の章では、娘のオノリアとパリの街へと出かけます。オノリアはチャーリーを慕っているとても評判の良い子です。はやくチャーリーと一緒の生活に戻れることを望んでいます。しかし、街では過去の亡霊(本当の亡霊でなく役割上の意味で)である旧友たちと出会います。チャーリーは自分はかつての自分とは違うのだと彼らとの付き合いをやんわりと拒みます。

 それから、一度目の対決に入ります。姉夫婦に対しチャーリーは自己弁護をせず、素直に過去を反省し心改めことを表明します。そして、この対決は意外とあっさりとチャーリーの勝利に終わります。義姉夫婦はチャーリーに対する評価を改めることはしませんが、不承不承ながらもチャーリーの下へオノリアを帰すことを認めます。

 しかし、当然これで話が終わるわけがありません。再び義姉夫婦の家へ伺い、いつオリビアとパリを出立するかという相談をしているところへ昔と変わらないままの旧友たちが押しかけてきてしまいます。チャーリーは必死に今の自分はかつての自分とは違うのだから、旧友たちは招かざる客であることを主張しますが、義姉は旧友たちにかつてのチャーリーを見てしまったのもあるようで、すっかり憤慨しそれが元で体調を悪化させてしまいます。

 結局オノリアをいつ連れていけるかという話は流れてしまい、義兄が言うには「六か月」ほどはオノリアは義姉夫婦の家にそのまま住んでもらうしかないだろうということになってしまい、チャーリーは自分にオノリアが必要であること、自分が一人では数々の希望や夢が抱けない人間になっていることを痛感したところで終幕となります。

 

 話の展開としてはシンプルですね。課題を抱えた主人公の背景を自然な形で読者に説明し、一度目の課題解決への取り組みは一見成功したように見えますが、ちょっとした不運でそれが覆されてしまい、そこから巻き返しが成功せずにビターエンドを迎えるという形です。

 生活に関する課題はクリアしながらも、「人間関係」、「愛情」という課題はクリアできていない主人公がビターエンドを迎えるというあたりも、典型的なフィッツジェラルドの作風です。

 しかしそれでもこの作品が私の心に残ったのは、過去の亡霊を吹き飛ばすことの困難さが分かりやすく描かれているためです。

 フィッツジェラルドの作品は、しばしば「自身がそうであるために、享楽的な人間に対して寛容に描きすぎている」という批評にあいます。しかし、少しきちんと読めばわかるのですが、前述したとおりフィッツジェラルド作品の主人公たちは享楽の先に愛情を得ることがないことを自覚的かどうかの違いはあれどみな認識しています。しかし、人間というのは分かっていれば解決できるというほどシンプルな世界では生きていないのです。過去の経験のせいか、半分病的な自分自身の精神のせいか、いずれにせよ自己の意思だけでは解決困難な状況に悩まされています(精神の問題であれば自己の意思で解決可能であるというのはあまりにも人間というものに対して無理解な考え方であることを強調しておきます)。それがこの『バビロン再訪』では分かりやすく描かれており、そしてそれの解決が困難であることを示すように安易なハッピーエンドはもちろんのこと、表面を辷るように技巧をこらしたハッピーエンドも用意しません。

 このあたり、金や物といった面で恵まれていると言われた1920年代の黄金のアメリカを謳歌したフィッツジェラルドの人生を下地にした素晴らしい人間というものの描き方であり、フィッツジェラルドが小説を書くにあたっての最高のテーマとプロットであるということは理解しやすいところでしょう。

 短編なのでシンプルなストーリーではありますが、他のフィッツジェラルドを代表する作品に負けず劣らずのフィッツジェラルドらしさが表れた名作である、とまとめておきます。

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