カラミティアの谷 1
「お話はわかりました。しかし手前どもでは受けかねますな」
エイゼンの話を聞いたカラスティアの谷の長老は、要求をあっさりと蹴り飛ばした。
予期された対応ではある。しかし、エイゼンとしてもここで断られるわけにはいかなかった。他の妖獣使いの里からはあっと言う間に断られている。この谷が、最後の砦なのだ。エイゼンにとっても、王都で待つ王子にとっても。
「……そこを、なんとか」
「しかし、虫がよすぎるでしょう。我々が今まで何度も冬の間の支援をお願いしても突き跳ねてきたあなた方が、自分が困ったときだけ我々を頼るというのは」
長老の言い分も最もだとエイゼンは思う。厳しい冬の訪れるこの谷では、寒さと飢えによって毎年冬を越えられない者が出る。それなのに年よりや子供だけでも冬の間、王都で保護してくれという要求を、王家はここ十年の間、聞き入れたことがない。それどころか、妖獣使いたちが得る利益にかける税を増やして暮らしを圧迫していた。「人に害なす妖獣を飼う許可を王が与えているのだから当然だ」というのが王家の主張で、しかもそれは宰相が変わってからさらに圧力を増していた。
「いえ、しかし私が仕える第三王子殿下は現状の辺境民政策を問題視されておられます。実際、宰相閣下が強行する政策には難色を示しておられ、私財をもって支援を行ってこられた。それはあなた方もご存じのはず。その第三王子殿下の危機なのです。どうかお力をお貸し願いたい」
「しかし、妖獣使いを貸すなどと……ご存じのように、我々は妖獣を飼い慣らしているわけではありません。あくまで、彼らの意思に沿って共生しているに過ぎない。都の方々はそういう私たちの暮らしを忌んできた。だからこその辺境民政策でしょう? 妖獣と妖獣使いを貸して、それが都で受け入れられず、何か問題が起こったときにこちらの責任にされるのは心外なのです」
予想していたことだが、谷の人々の都に対する不信感は根強い。これをなんとか払拭しないかぎり、協力を得ることは難しいだろう。
だから、あえてエイゼンは笑顔を作って言った。
「ええ、確かに人を喰らう妖獣を都に放つわけには参りません。だからこそ、妖獣使いが必要なのです。あなた方の信頼関係があれば、獣も人を襲う危険性は低いでしょう。これはあくまで私の考えですが……多少のことは眼をつむってでも力を貸していただきたいというのが本音です。それほどまでに状況は、切羽詰まっているのですから。何か問題が起きたときは、私が盾になることはお約束します。あくまで、私の責任が及ぶ範囲だけになってしまいますが」
「うーむ、しかし……」
長老の渋い顔はなおらない。
強い力を持ち、人を喰らうこともある妖獣。それを従えて力を揮う妖獣使い。その力を恐れ、遠ざけ、目に入らないふりをするのが都の人々だった。そうやって辺境に追いやられた彼らが、都からの依頼を無視するのはある意味当然だとエイゼンは思う。しかし、このカラスティアの谷では手ごたえが少し違っているように感じていた。もっと都に近い里からはかなり冷遇されてきたのだ。この谷の長老は、ただ一つ、何かがあるからエイゼンの要求を突き返せないでいる――そんな感触がある気がしてならない。
――このチャンスを、逃したくない。
気合いをいれて膝を詰めようとした瞬間だった。
「たっだいまー。おじい、お客さん?」
玄関の二重扉を開けて勢いよく入ってきたのは、小さな少女だった。
この谷では珍しい亜麻色の髪を結い上げて頭頂部で一つにまとめ、濃い緑の瞳は長いまつ毛に縁どられてまっすぐにエイゼンを見つめている。黒髪黒目が谷の人々がもつ一般的な色彩なので、彼女の持つ色は明らかに近親者に都で暮らす貴族に近しい人間がいることを意味していた。
その頬にはこの地方の伝統である複雑な文様を化粧で顔に施していたが、予めヤーヤ族の習慣について学んでから長老との会談に臨んだエイゼンはその記号を文字のように読み取ることができた。その意味するところは三つだ。未婚。養い子。鴉使い。
鴉使い。
それはつまり、彼女は少女でありながら妖獣である化け鴉を使う技能を有しているということだ。それはつまり、彼女自身がエイゼンが喉から手が出るほど欲している「妖獣使い」であるということだ。
――凄いな。この谷ではこんなに若い子まで妖獣を扱えるのか。
食い入るように見つめてくるエイゼンをなんと思ったものか、少女は改めてエイゼンの顔をまじまじと眺めてから口を開いた。
「あらイケメン」
「トト、よしなさい。はしたない」
「だっておじい、この人とっても顔がいいんだもの。金髪碧眼なんてこんな辺境じゃまず拝めないよ。都の人? なにしに来たの? なんか食べる? あら、お茶も出てないじゃない! おじい、イケメンだからって辛くあたるんじゃありません。来客にはお茶くらい出すものだよ!」
「トト、おじいの話を聞きなさい」
「ダメダメ、イケメンにお茶のひとつも飲ませなかったらイケメンの神に呪われて結婚できなくなっちゃう。そんなのいやだよ。私はもらわれっ子だけど、おじいにひ孫を抱かせてやるのが密かな夢なんだ」
「トト」
「じゃあお茶いれてくる! イケメンさん、ごゆっくり。おじい、人の顔で対応を変えるのはよくないことだからね。ちゃんとお話聞いてあげなさい!」
少女が嵐のように去ったあと、谷の長老はこほんとひとつ咳払いをした。
「どうも、お騒がせしまして……」
「いえ、元気なお孫さんですね」
「あの化粧の意味をご存じでしょうに、孫と言ってくれますか」
それが、彼女が化粧で施している文様の意味だということはすぐに分かった。長老の家で暮らしているようであっても、彼女は孤児だ。しかも排他的にふるまうことで団結を維持してきた辺境で、明らかに都の血が混じっている外見の少女。
長老の眉間に刻まれたシワと、大きなため息を見れば、谷の人々は長老の孫として少女を育てるのに反対しているのだろうという仮説は簡単に立った。そして、長老が現状を憂えているのだろう、ということも。
「ええ、お二人を見ればその絆が本物であることくらい即座にわかりますよ」
「……トトの母親は都の娘だったんですよ。それがこんな辺境まで嫁に来て。厳しい気候にあっという間に体を壊しました。父親は妖獣の訓練中の事故で死んでしまい、ひとりぼっちになったあの子を孫として引き取りました。いやはや、閉鎖的な辺境に暮らしているとね、あの子もなかなか気苦労が多くて。みんなあの子をよそものの娘としてしか見ません。いつまでたっても、あの子はこの谷の一員になれない」
「あの年で妖獣使いになっても、ですか」
「そうです。あの子はそりゃあ目一杯努力してやっと一羽の妖獣を育て上げたっていうのに。……あるいは、あの子の幸せはもう、この谷にはないのかもしれませんな」
長老はそう言ってため息をついた。
その姿を見て、エイゼンはあるいは、と思う。
恐らく、長老がここまでエイゼンの話を聞いてくれたのは、トトの将来を考えてのことだったのだろう。掟に縛られる正規の妖獣使いは、長老の意志だけでは派遣することは難しい。しかし谷に居場所がない彼女なら、谷のしがらみに囚われず、家長でもある長老の一存さえあれば都に派遣することができる。彼女以外に、王都に力を貸してくれる妖獣使いはいないだろう。あのトトという少女を連れ帰れば、王都に連れていって第三王子の窮状を解決してくれるかもしれない。
しかし、ともエイゼンは思う。
しかし、王都の窮状は少女の不幸を利用してまで解決するべきものか?
もちろんだ、と思う自分と、論外だ、と吐き捨てる自分と両方の気持ちを抱えたまま、エイゼンはしばらく同じように黙ったままの長老と向き合った。
悩んでいるだけでは埒が明かない。断られたらそれまでだ。思いきって、こちらから提案してみるか、と思った瞬間、先程玄関から現れた時と同じように少女は突然現れた。
慣れてない手つきで乱暴にお茶を置くと、そのままたいした勢いで話始める。
「あらま。なんだか難しい話してるのかなーと思ったらあたしの話だったみたいだけど、なんで黙っちゃったの? もっと詳しく聞かせてよ。イケメンさん、あなた名前は何て言うの? なんでこんな辺境まで来たの? おじいに何の用? 猛禽類は好き? 白と黒ならどっち派?」
意味のわかりかねる質問を繰り返して詰め寄ってくるトトをやっとの思いで遮ったものの、トトは少しも黙っていようとはしなかったから、エイゼンは結局自分たちが置かれている窮状を打ち明けることになった。
王都で起こっている惨状。魔力が噴出して濃度を上げ、そのせいで妖魔が発生し、都で暮らす人々に害をなしている。妖魔は低級の魔物だが、何分数が多くて王国の騎士団だけでは対処が難しい。このままではさらに手ごわい妖獣の自然発生を起こしかねず、そうなれば被害は想像もつかない。その前に魔力を散らす妖獣と、それを使役する妖獣使いの協力を求めているのだ。
それを聞いたトトは高らかにこう宣言した。
「なら、あたしが行けばいいじゃない!」
だから、そういうことになった。