世界は愛と安らぎで溢れている……?
存在している時点で皆、その世界に許されていると思うんです。許されない者は存在すらできないと思います。
そしてここで存在が消えたものも、どこかで存在していると思います。
よって究極的にはどの命や行いに対しても、裁くことなど我々程度の力ではできないと思うんです。
しかし「あれが悪い」「これが悪い」と言うこともできる。ゴキブリを殺すこともできる。
それは許されているからだと思うんです。
ならばできる限り多く許したい。
私が許そうと許すまいと大した力はないですが、それでも一人一人の「許さない」という思いは結構強力というか、重いです。辛くなりますね。
なので……。
私が生きることを許されここにいる、そのご恩を感じた証として、また天秤を傾かせぬよう。
皆でエゴに傾けば星さえ滅ぼします。
星は……地球は不思議ですね。
何も言わない、あるいは私にはその声が聞き取れないのですが……静かに回り続けています。
時に災害で私たちの命が奪われます。肉食獣も死にます。草食獣もやられます。
けれど星は回ります。人間が強力な核兵器を開発しても、止めるでもなく回り続けています。食品ロスを出しても、いじめや虐待が起こっても、生存競争が過熱しても何も言いません。
星に意思はないのでしょうか。
星に意思があるとしたら、それが神でしょうか。
地球は何を考え、誰のために回っているのでしょうか。今も自分の身が危険にさらされているというのに。
誰かの口を借りて、既に表現しているんですかね?
自分では言わずに人に言わせる、みたいな?
優しさなのか無関心なのか無機質なのか……
究極まで行くとすべて「誰の味方でもない」状態になるんでしょうか。
星が命を産み出したなら、星も命であると思うんです。
貴方や私を産み出した存在が、命であるように。
ところが星が産み出した命が、争いあっています。
どの生き物も星にとって尊い我が子であるはずです。
もし神があるならば、なぜ愛しい子供たちを食い合わせ、戦わせ、競争させるように仕向けるのでしょうか?
神など無いとしたら、このシステムはどこから沸いて出たのでしょうか?
自然は無駄なことをしない、とどこかで聞きましたが……。
そもそも無駄とは、無駄でないとは、効率とは、命とは……
生きるって何なんですかね。
無駄だの効率だの言うのであれば、極論的にはすべてが無駄ですべてが非効率だと思われますが。
私は私の存在意義に、星に、命の巡りに疑問を持ちます。
投げかけます。
しかし月も太陽も雲も沈黙を貫きます。
もしもこれが呪いだとしたら。
もしもこれが祝福だとしたら。
色々考えてみますが……。
一体全体何なのでしょうか。
私たちには考える心があります。美しいと感じたり、喜怒哀楽を表現したり。
それぞれの動物が、それぞれの立場で
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ……
慈しみあい、子孫を残し、
時にはその子孫がすべて滅び、
滅ぼされ……
誰が、誰のために?
自分が自分のために?
ちょっと閉鎖的ですね。
もしも天国があるならば、天国だけで良いと思うのですが、あえて試練があるのは何のためでしょう。
優しさを学ぶため?
強くなるため?
動物には本能があり、きっと私たちも本能で動いているのだと思いますが……。
何のために、このような余計なことを考えられる脳があるんでしょう。
必要のないものは、存在しないはず。
何でとりとめもなく考えるんでしょう。
言葉を持たないものに、意思はあるんでしょうか。