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停戦の時間に月を仰ぐ

主張したいことはございません。何を言っているかよく分からないのは仕様です。

 言葉を持たないものは静かに、時に賑やかに、多くのことを語りますね。


「意味」が必要なこともあるけれど、私たちは意味を持つものに慣れすぎて、答えのないものが苦手だと思うんです。


 太陽の光は優しく降り注ぐ……その恩恵はいつも受けているけれど、私たちは太陽を見つめることができない。眩しすぎるんですよね。その存在感だけで十分で、誰も「太陽なんていらない」「太陽は悪だ」なんて言いません。


 人間も、その存在だけで十分だったら良かったんですけどね。

 私たち動物には、ナワバリも水も獲物も必要で、それを得たり守ったりするための知識が必要です。



 ……星の輝きに意味なんて付けなくていい。意味は一人一人が持つから。


 言葉を持たないものは、答えあわせをしてくれません。それを見て何を言おうと、思おうと、否定も肯定もしてきません。

 そしてそこが素敵だと思います。


「これが正しい」って言うと何かが間違いになります。

 誰かが勝つと誰かが負けになります。

 何かに色をつけると、自動的に他のものにも色がつき、囚われてしまいます……。

 傾かない天秤、やじろべえ……それが言葉を持たないものですね。


 けれど人間らしく意味や問いを考えるのも楽しいです。そしてまた、何をも否定することがない非言語の世界に戻ります。



 クモの巣にチョウが引っ掛かっていたら……。

 クモはエサがないと生きてゆけなくて、チョウは食べられたくないはずで……。

 どちらも死と生に直結しますね。


 ここで人間が手を出す権利はあるでしょうか?

 クモは悪だ、あるいはチョウは弱いなどとどちらかを否定する権利はあるでしょうか?


「助けよう」などと思うのも、そこに意味をつけるのも、勝手な理屈だけれど……。


 でも、どのようにする権利もあると思うんです。

「できる」から。


 私は今、空を飛ぼうとしてもできません。

 だから「空は飛べない」けれど、チョウの味方をすることは可能です。

 そして人間のエゴでチョウを助ける人がいた場合、その人を非難することも、できます。非難しないこともできます。


 ライオンがインパラを殺したら、それは自然なので止めるべきことではありません。


 けど、猫が何か他の動物に襲われていたら?

 そして自分に、それを止められる力があったら?

 止める人は多いと思います。



 車にひかれた狸と、ひかれた猫がいたら、猫の方に感情移入する人が多いと思います。

 猫には人間と共に過ごした文化、歴史、そして人気があるから。


 命は皆平等、けれど友達や家族に対して思い入れを持つのは当然です。

 そして何らかの理由によりクモよりもチョウに思い入れを持っている人がいて、チョウをクモの巣から助ける人がいても、悪いとは言えないと思うのです。


 豚を運ぶトラックを、誰も止めません。助けません。

 けれど犬を食べる文化に抗議する人はいます。

 抗議しなくても、好き好んで犬を食べることに参加する日本人はあまりいません。……多分。


 豚に救いの手を差し伸べない、けれど犬だったら助けたい。

 これは差別? 偏見? 偽善?

 ……違うと思います。

 思い入れは、悪じゃないです。

 思い入れがあるから関係を作れるんです。

 思い入れは自然です。

 不自然な思い入れなんて無いと思います。発生した地点で自然です。


 ちょっとタイミングや環境が違って歴史が変わっていたら、ペットとして主流なのは犬や猫ではなく別の動物だったかもしれないですね。


 思い入れを持った相手に対して、どこまで愛情を深められるか。相手が何かよりも、そこが重要なんでしょうね。

 結局人間はエゴで動くんです。誇りを持って。


 犬は愛情を持って育てられて、豚は思い入れを持たれるどころか悪口として使われる。

 猫は可愛い、けど虫は気持ち悪いと見た目で判断される。


 命をいただいている身でありながら、不平等を叫んでみる。

 矛盾を持って、矛盾を非難する。そんなことをしても、良いと思うんです。



 太陽は手出しをしませんね。

 肉食獣にも草食獣にも恵みをもたらし、時に我々に被害や試練を与え、皆の味方であり、同時に誰の味方でもありません。


 地球から見た太陽はそうだけど、太陽にしてみればただ燃えているだけで、あとのことは知らないかもしれませんね。私たちにどう思われているかも。


 それとも逆に、誰も予想がつかないような意思を持っていたりして?


 いずれにせよ太陽は、誰かが困っていても、助けるということはないはずです。


 言葉を持たないものは不思議ですね。思い入れや偏見はないんでしょうか。感情のある身としては、中立も楽じゃなさそうな気がするんですが……。


 ……ここから先は……神を信じる人は聞かないでほしいんですけど。



 神って、誰かの味方をするでしょうか? 加担するのでしょうか?

 神は海や山や空とは違うのでしょうか。誰かに加担するとすれば、意思ある何かでしょうか。

 意思があるとして、人間の味方をするでしょうか?

 草を踏み命をいただく私たちが

「神よ、力をかしてください」と祈り願った時、天秤は私たちのために傾くのでしょうか?


 牛や豚が神に助けてもらえないのは、神を信じていないからでしょうか?

 神が人間の味方だとしたら、他の何よりも神が人間に「思い入れ」を持つ理由は何でしょう?

 神は人間に近いのでしょうか。人間だけ神に作られて、あとは違うとか?


 人間はなぜ神に祈れば力をかしていただけると考えるのでしょうか。

 牛も豚も鶏も、スズメバチもゴキブリもハエも、皆命を与えられた者であるというのに。

 他の生き物を助けずに、人間にだけ力をかしてくれるなんてことがあるのでしょうか?

 あるとしたら、その思い入れの理由は何でしょうか……。



 もしかして助けてくれるというのは人間の思い込みで、

「誰にも味方しない何か」

非言語の世界にいる何かが神なのでしょうか。


 それとも、「命」ばかりに重点を置き、死を嫌っているから輪廻転生の理由と全体像が見えてこないのでしょうか。



 死ぬとか生きるとかは神から見れば小さなことで、どこかもっと大きな部分で、全員が愛され救われているのかもしれませんね。

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