5. 芋採りが芋になる
朝陽が昇り、外の空気も大分暖かくなって来た。しかしこの背筋から広がる薄ら寒い感覚は何なんだろうか?
答えはエリーが戦闘準備を始めたからだ。
普段からゆったりした服を着てあまり体型の目立たない格好をしているエリーだが、今朝はその上から手入れの行き届いた魔獣の革鎧を着ていて、なかなか精悍な出で立ちをしている。
ゆっくりと力強く、まるで太極拳の様な優雅な動きの中でどこからかコキコキと軽い音が耳に届いて来る。かと思えば突然鋭い突きを放ち出し、空気を殴る振動が素肌を震わせた。
「もうそろそろ休憩はいいかしら?
それじゃあまずは魔力を練って、ついでに体も解しときなさい」
そんなもう慣れたでしょう? みたいに言わんで下さい。
さっき初めて魔力を練り上げられる様になったばかりなんですよ? 出来るけど...
魔力を練って滞留させる。
言葉では簡単にかつ短く、実際、朝起きてから今まで2時間は経ってない間に出来てしまった。しかしそんな短時間の間に俺は一回死に掛けた。その証拠に、服の腹と背中に大穴が空き全身血と泥に塗れて酷い有り様だ。
エリーにとっても想定外だったが、だからと言って替えの用意も着替えにも戻らせてはくれなかった。
これがたったの生後10年の少年に与えられた仕打ちにしては余りにも過酷で、トラウマになっていてもおかしくない筈だ。まあ、中身は倍の20年は生きた人間だから何とか耐えて見せたけどな!
あんな仕打ちを受けて魔法に対する恐怖心が芽生えそうになると思うが、ちゃんと恩恵をしっかりと享受している。
さっきから身体の調子が良くて立って歩くのが苦にならない。年寄りの様な言い回しだが、昨日初めて立って歩くを修得した俺にとっては劇的な変化だ。跳ぶことも出来るし、走ることだって出来る!
気功バンザイ! 魔法バンザイ!!
キャッキャ、キャッキャとはしゃぎ回った後、一息ついた俺が先ほどのエリーの微笑みと悪寒を思い出したのは休憩が終わる直前だった。
あれだけ入念に準備してるんだから、たぶん組手とか森で動物捕まえるとか、某狩人×2の一島まるごとゲーム島編みたいなことするんだろうか。
「それじゃあ朝ご飯を採りに行きましょ。お父さんの分は作り置きしたのを置いてきたから気にしなくてもいいわよ~」
案の定、森の中に食料を採りに行くそうだ。
なんか"森へピクニック・お父さんはハブ"と言う悲しい場面を目の当たりにした気分だ。でもこの後に待ち受ける悲苦肉の内容を想像するに居なくて良かったとも思う。
これまで家の食卓に上がる食材の調達も調理も全てエリーに任されていた。
野菜は白人参を始め、栄養の偏りなく様々な種類を育てているし、主食の炭水化物になるジャガイモに似た植物の根っこは森の浅い所に自生しているらしい。
肉は森の中でも比較的小鬼の少ない南西一帯の獣を狩るそうだ。
因みにゴブリンの肉は不味くて臭くて食用に向かないらしい。
これを機にやがては食糧調達を分担して俺は肉を、エリーは野菜を担当して研究の時間を増やそうとかいう目論見だろう。
そんな訳でこれから森の南西を目指し食糧を確保しつつ、狩りの訓練をする予定だ。
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森の中は種類のわからない背が高くて太い木が鬱蒼としており、木の葉の天井が頭上を覆って太陽を遮断してしまい入り口から暗い。湿気も多く、その割りに風通しが良くてかなり寒い。
今朝は薄暗い内から起きてた事と悪寒のお蔭で暗さも寒さも気にならないのが幸いだ。
歩いて3分もしないうちに、2~3本のツルに巻き付かれた木を見つけた。
「あら、幸先良いわね〜。エルドワーフ、そのツルの根元を掘り返してみて」
! エリーが俺のことをエルドワーフと呼ぶ時は決まって真面目に気を抜いてはいけない時なのだ。
なのでこのツルを注意深く観察しよう。
ツルは木を支えに上へ向かって伸びており、恐らく太陽の当たる樹上まで伸びているだろう。木の葉と枝に遮られ樹上は確認出来ない。木に巻き付いた蔓は、陽の光が少ない為か葉っぱが無く、代わりにかなり太い。それが直径50~60cmの木の幹に3本ほどしっかりと螺旋状に巻き付いている。
森の浅い地点なのと蔓を持つ植物から推測して、地中には芋が埋まっている可能性がある。
近づいて掘り返してみよう。
蔓は触れた感触からかなり頑丈そうだ。太さと長さがあるので一本だけでも便利に使えそうだ。巻き付かれている木の方も、耳を近付けるだけで中を水が通る音が聴こえて、生命力に溢れていることが判る。
根元は根っこが土を固めているかと思いきや思った程固くない。
これなら素手でも掘れそうだ。
武器? 身体を使えってさ。
芋を求めて掘り返すこと5分、気功による身体強化は目を見張る効果で既に腰ほどの深さまで達した。
しかし木の根っこはあれど肝心の芋が見つからない。とっくに見つけていてもおかしくないと思いつつ、思い切って右腕を一気に肘まで突き立てるととうとう指先に丸い塊が触れる感触があった。
その時だった。
ヒュゥッ…
「!? ッグァ!!」
何かが落下する音がして顔を上げたのと、穴の底に叩きつけられたのはほぼ同時だった。
必死で起き上がろうともがくが落下物が上半身に絡み付いて締め上げ始めた事、腕を地面に固定したまま強い衝撃を受けて肩から肘にかけて滅茶苦茶に折れた事、そして肘から先の土の感触が急に締め固められ腕が抜けなくなった事で全くの身動きが取れない状況に陥ってしまった。
「……うぬぅ~」
どっちもこうなる事が分かった上で俺に掘らせたのか。警戒していたつもりが植物を相手に油断した。クソッ。ここは俺の知る前世とは別の世界、十年以上前までの常識に囚われていたのか? 己に腹が立って来た。
怒りと激痛のお蔭か冷静に成れた。この植物、かなり狡猾だ。
獲物が餌を求めてやって来ても最初は何もしない、これだけ暗くて風通しが良いのだ、この森に住む生物なら目よりも鼻などの感覚が優れているだろう。
地中に餌があることを見出した獲物は根元を掘り返し出す。餌は地中奥深く、俺には分からなかったが匂いに敏感な獣なら掘り進めるほどに匂いが強くなるのがわかっただろう。
やがて餌に到達したタイミングで攻撃、生きていようがいまいが獲物が掘った穴に埋めて養分にする。
正に『墓穴を掘る』とか『ミイラ取りがミイラになる』とかがピッタリだ。釣り師の鑑だ。畜生め。
蛇のように身体に絡み付く落下物を良く見れば蔓だ。先端に掌ほどの大きさの葉を複数付けた蔓が降ってきたのだ。太さ・長さ共に大きいので重さも相当に有り、直ぐに俺は這い蹲る格好になった。
目の前に木の根が突き出ている。間近で見てわかったがこいつも動いている。成る程、土が固められたのは木のせいで、木と芋は共生関係にある訳か。
そっちがタッグを組んでいるなら、こっちにも強力な味方がいるぜ! と必死にエリーを探したが見当たらない?!
・・・・・・。
エリーは良くも悪くも合理主義者だ。そんな人がこの状況で居なくなるのは、孤立させて自己解決させるか既に助ける為に動いている、或いは両方だろう。
前者ならば、この状況をある程度なんとかしないと助けに来ないかもしれない。
後者なら倉庫で見た獲物を見るに、直接蔓をぶち切るとかして助けてくれる筈だ。
その二つの間をとって考えられるのは、直ぐに助けに入れる見えない場所で様子を観ている、だろうか?
なら安心出来る、落ち着けエルドワーフ。
一時の動揺で魔力が乱れてしまった。腕も使い物にならない。だからどうした? 利き腕が使えないなら利き脚を使えばいい。イメージのし易さの問題で、別に身体のどこを使ってもいいんだ。
気功が混ざり魔力を練り上げ身体強化する。
右腕の痛みが和らぎ土から腕を引き抜くことが出来た! だがそれだけだ。蔓を引き剥がすことが出来ず、挙句に脚にまで絡まり出した。
何故だ! まだ足りないのか!?
…いや、これが限界かもしれない。魔力を練った後の万能感に酔っていたがまだまだひよっこ、非力なガキだ。
魔法が当たり前な世界に於いて何十年も生きた植物の足下にも及ばないのは当然と言えるのか。
・・・魔法が当たり前? 家を出る前、エリーは何と言ってたか?
『・・・と言う訳で今朝はお母さんがせんとう...もとい魔法について教えてあげるわ』
そうだ! 元々魔法を使う為に死ぬ思いしてまで気功を受けたんだ。合理主義者なら無理を通して失敗なんてヘマはしない。この時点で俺にも出来ると確信しているのだ。ならやるしかあるまい。やらねばヤられるのだ。
来世が芋なんて御免だ。
肉体に内功と外功を魔力変換させ、更にそこから魔法発動! 魔力エネルギーを爆発させる!!
ボゥッ、ボボボボ!!!
メラメラと全身を炎が包む! やった! 成功だ!
……熱ーー!!?
蔓が焼けて自由になったは良いが今度は焼死の危機だ。引っ込めようとしたが既に服自体が燃えている。
次の瞬間、それまで緩慢な動きだった木の根が活発に動いて俺が掘り返した土諸共俺を土で呑み込んだ。まずい、火は消火出来るが芋にされては意味が無い。
次から次へと絶体絶命の危機が続く。今日は『死は最悪なこと』がモットーの俺にとって人生最悪の日になるかもしれない。
最後の望みを託して左腕だけでも地上に突き出してみせた。
果たして、その左腕を掴み引っ張り上げる存在が居た。
「あ~あ、まさか火をつけるなんて~。ましてやこの森でそれをするなんて予想外だわ~」
アンタがそれを強いたんじゃないですか。
間延びした言い方にちょっぴり殺意が芽生えたがそれよりまだ生きている事が素直に嬉しい。
「エルちゃん本当に鍛え甲斐があるわ~。
講義と手本だけで理解して、いざやってみたら直ぐに会得してして、見せてもいない火の自然魔法まで使って、その上殺意の出し方まで憶えるなんて、将来が楽しみだわ~」
嗚呼、穴があったら入りたい。
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己の発火魔法で水着並みに露出度が増した服は、無事な部分をちぎり取って繋ぎ合わせてなんとか下半身を隠せるだけは確保した。フリチンよりましなだけでほぼ全裸になってしまった。
まぁやってしまったものは仕方がない、そんな事より気になるのは芋だ。
エリーが居なくなっていたのは思った通り、樹上に潜んで見守っていたからだった。それと蔓の本体の植物も、同じく樹上の幹に取り憑いていたそうだ。
手には腰の高さ位の大きさの植物をぶら下げていた。
名前は"インセクト・イェーガー"。
木に集まる虫を食べるついでに根を目当てに近づく生物を倒し、木の養分にしてしまう。根っこの芋に直接体温を持つ何かが触れると木に巻き付けた何本かの蔓の内の1~2本を落として拘束し、木に手伝ってもらって掘り返された土と一緒に埋めてしまう生態を持つ。
本体の見た目は細長い水差しのような落とし穴型の食虫植物だ。
縁の直径に対して底までの深さが五倍になる、試験管のような見た目。
中を覗き込むと虫やネズミっぽい小動物が消化され掛かってドロドロに溶け合っていてグロい。
バナナの様な甘い香りがして、深く吸い込んだら吐き気がした。
「この匂いで虫や小動物を集めるの。普通に呼吸する分には良い香りだけど、大量に吸い込むと嘔吐感と手足の自由が損なわれて穴の底に真っ逆さまになるわ〜。
昔は香水に利用されてたけどその毒性で貴族の暗殺にまで利用されて、今じゃ研究目的以外の栽培は禁止されているわね」
そう言う情報は早く言えと言いたいが、基本的に即死にならなければ体験させる教育方針なので割り切った(白目)。
尚、正しい芋の採取手順はまずこの本体を無力化してから始まるので、怪我を治したら何事も無かった様に芋掘りを再開した。
穴を胸の高さまで掘り返すと、出るわ出るわ大量の骨と芋が。
哀れな骨の主は小鬼の物が多かった。
芋は大小様々なラグビーボールの形をしている。それが40個程。一番大きいのは最長100cm、直径50cm近くの巨大なモノが出た。
こんなもんこれからの予定を考えれば嵩張って邪魔にしかならないな。
一番大きいのを球根代わりに元に埋め戻して、残りも持てるだけエリーの鞄に入れて、持てなかった残りは小さ過ぎるので砕いて木の肥料にしてやる。
これで炭水化物は手に入った。次はたんぱく質の肉を探しに南西の方角を目指す。
俺には方角が全くわからないが、エリーが樹上へ行った時に方角を確認したので後ろを付いて歩く。
まだ太陽が顔を覗かせてそれほど時間は経っていない。と思う。
たった数十分で魔法を覚え、命懸けの闘いをやり遂げた。でも、こんなのはまだまだ序の口。かも知れない。
エリーのことだ、きっととんでもないヤツを倒せとか言いそうな気がする。
わかるのは、家に帰るまでに笑ったり泣いたり出来なくなってることは確かだ。