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96:少女の心境

本作をご贔屓にしてくださる皆さま、あけましておめでとうございます。

遅くなりましたが、本年もよろしくおねがいいたします。

 教授を願い出た兵たちに、自己流の投擲術を指導した日の夜。早々に夕食を済ませ、与えられた屋敷の個室でのんびりとしていた。窓を開き、室内へ入り込む夜風に吹かれて黄昏る。


「はぁ……。アリアが目を覚ましてから、心なしか毎日が疲れるな……」


 幼馴染なだけあって、接する距離が近い。昔の感覚のままでアリアはじゃれあってくる。おまけに子供の頃の活発な性格は変わらず。体力の落ちた体ですぐ息切れするくせして、無駄に元気だ。アリアの調子に合わせていると、俺の身が持たない。


 それだけじゃない。ぐいぐいとくるアリアの勢いに触発されてか、周りの女性陣も言動がちょっとおかしくなっている。

 例えば、今日の夕食のときに起きた出来事。俺が座る横の席をめぐり、アリアとお嬢の間で争いが勃発。やがて戦火は飛び火し、イリスとシュリまでもが争奪戦を始めてしまった。




「――ちょっと、勇者様? あなたが座るその席、私の場所なのだけれど? 席はあらかじめ、こちらで指定しておいたでしょう? ちゃんと言われた通りに座りなさいな」


 テーブルは片面に四人ずつ、両端にひとりずつの最大十人が掛けられる長机。対面にはダリルさん、オル爺、アッシュの三人が座っている。

 あなたの席はあっちと、オル爺とアッシュの間に空いた空席を指差すカルナリア嬢。この采配にアリアは不満を持ったらしく、強行に出たのが発端だった。


「えー。だって席を決めたのはカルナちゃんでしょ? 自分の家だからって、強権を振るうのはずるいよー。座る席くらい、自由でもいいんじゃないかなぁ?」


「ダメです、ちゃんと従いなさい! 勇者だからと、好き勝手していいわけじゃないでしょう?」


「まあまあ、お嬢様。おふたりは再会して久しく、アリア様は離れていた時を取り戻したいのでしょう。ここは家人であるお嬢様が折れ、懐の深さを示すべきではありませんか?」


 向かいに座るダリルさんが、困った表情を浮かべつつも仲裁に入る。しかしながら如何せん彼の発言力は弱く、燃え盛る炎に吐息を吹きかけたにすぎなかった。

 俺の右隣で、席にしがみつき我侭を通そうとだだをこねるアリア。要求を却下し、折れる様子のないカルナリア嬢。ふたりの争いはずっと平行線を保ったままだ。

 一方、イリスとシュリが陣取る左側は左側で、感化されてしまったのか水面下の静かなせめぎあいが開始されていた。


「……自由に席を選んでいいのなら、わたしもキリク様のお隣に座りたいのです。イリス様、わたしと場所を代わってほしいのです」


「シュリちゃんもですか!? だ、だめですよぅ、ここは私の席なんですから! シュリちゃんが相手でも、譲れません!」


「うぅー……」


 珍しくねだるシュリに、お姉ちゃんを自負するイリスもたじたじ。次第にシュリが瞳をうるわせ始め、慌ててイリスは宥めにかかる。

 あの目に見つめられ続ければ、俺なら即効で折れる。けれどイリスは情にほだされず、最後まで席を譲ろうとはしなかった。


「なぁ。誰がどこに座るかなんてどうでもいいからさ、早く食べようぜ? せっかくの温かい飯が冷めちまう」


 屋敷に勤める専属の料理人が、美味しく食べてもらおうと精一杯腕を奮った料理だ。なのに出来たてを食べてもらえないとなれば、きっと泣くぞ。

 されど俺の言葉は右から左。耳には入っていないご様子。両隣とも話が進まず、食事を始めるどころではない。


 食卓にはご馳走がずらりと並んでいるのに、さっきからずっとおあずけを喰らった状態。当主であるバルドスさんがこの場にいてくれさえすれば、くだらない争いは一喝して終わっただろう。だが生憎と本日は不在。奥さんを連れ、知人が開くパーティにお呼ばれしている。

 まぁ、抑止力となる人物がいないからこそ、こうして事件が起こったわけだが。


 本日の主菜である特上モギュウ肉の分厚いステーキが、たち昇る焼き立ての煙を徐々に鎮火させていく。高温に熱された鉄皿の上で弾けていたソースは、もはや水分が飛びすぎてドロドロ。焦げ付いてしまっている。

 ポテトイモの冷製スープにいたっては、もうほとんど常温。四種の野菜で作られたムースサラダとやらも、肝心のムース部分が溶け始めている始末。


「まったく、いい加減にせんか。馬鹿馬鹿しい。もう待ってられんわい、わしは先に食べさせてもらうぞ」


 あきれ果てたオル爺が痺れを切らし、ひと足先に食事を始めてしまった。ナイフとフォークを手にとり、硬くなり始めた肉を小さく切り分けて口に運んでいく。元勇者の実力はこういった些細な場面にも現れ、切り分けるナイフの扱いが尋常じゃない。肉の筋を綺麗に断ち切り、身崩れひとつさせない鮮やかな手捌きである。


「うーん、美味いのぅ。時間が経ったせいで、芯まで火が通ってしまっとるのが残念じゃわい」


 頬張ったステーキの味に、舌鼓を打つオル爺。他人が美味そうに食べている姿を見せつけられると、いよいよ我慢がきかなくなる。渦中の身としては満更でもなかったのだが、そろそろ鬱陶しくなってきたぞ。


「キリク君、キリク君」


 小さな声で俺を呼び、手招きするアッシュ。ちょいちょいと、本来アリアの席である隣の空席を指差す。

 すぐに意図を理解し、即断。アッシュの出してくれた助け舟に乗っかる。機会を窺ってそそくさと席を立ち、身を屈めて気配を殺しながら移動。アッシュとオル爺の間に腰を落ち着けた。


「ほら、代わりに俺が移動してやったぞ。空いた席にお嬢が座れば万事解決だな。さ、食事を始めようぜ」


「え、キリク君さん!? いつの間にそちらのお席に……!?」


「違う、違うよ、キリ君!? それじゃ解決してない、解決してないかな!?」


「ちょっと、キリク!? あなたまで勝手をするつもり!?」


 もう知らん。女性陣の声は無視し、俺もオル爺に倣って食事を始めてしまおう。

 決着はついたと、続いてアッシュとダリルさんも匙を動かし始める。俺たちが食事を開始してしまい、食べる姿を呆然と眺める女性陣。カルナリア嬢は大きく溜め息を吐き、渋々俺の座っていた席に腰をおろした。




「――豪勢な食卓だったのに、あまり美味しく感じられなかったのは今日が初めてだったな」


 俺たちの食事風景といえば、いつも賑やかが定番だった。なのに一転して、葬儀後かと疑うような静けさ。そりゃせっかくのご馳走も、満足に味わえないっての。

 今回だけで済めばいいが、後を引き摺れば面倒だな……。


 考えれば考えこむほど、気分は憂鬱になる。女性陣のなかでは特に、カルナリア嬢が一番不機嫌になっていた。アリアだけでなく、俺も決まりを破ったわけだからな。

 明日の朝一番で、ご機嫌伺いをしておくべきか。考えすぎたって泥沼にはまるだけ。頭の中にメモだけ残し、明日の俺に丸投げしておこう。


 窓を閉め、眠る準備に入る。扉を叩く音が聞こえたのは、簡素な薄手の部屋着に着替えた直後だった。

 控えめに、けれど存在を主張するノック。俺はすぐには応答せず、息を殺して聞き耳を立てた。


「キリ君、キリ君。……まだ起きてる?」


 扉を叩いたのはアリアか。面倒くさいから寝たふりを……とも少し考えたが、さすがに出てやるか。さっきから鍵をかけたノブが、しきりにカチャカチャと回されている。俺が起きている気配をしっかり察知しているようだ。放置すれば、力ずくでこじ開けられかねない。


「……あ、ごめんね。もしかしてもう寝るところだったかな?」


「いや、いいよ。それでどうした? ……もしかして、子供の頃みたく一緒に寝ようだなんて言うつもりか?」


「しまった、その発想があったか……!」


 半分冗談のつもりで言った俺の発言に、アリアは目を丸くした。真に受けられると逆に困るんだが。枕を取りに戻ろうとしたアリアの肩を掴み、思い留まらせる。さすがにこの歳になって、それはまずい。


「たはは……。興奮して、危うく暴走するところだったかな」


「ったく、昔から変わらないな。思いついたらすぐ行動に移すの、お前の悪い癖だぞ」


「ごめーん。……でね、キリ君に話したいことがあってきたんだ。ちょっと時間、いいかな?」


 ふざけ調子から一変して、真面目に話を切りだすアリア。ふたりきりで、それも夜風を浴びて話をしたいと言うので、屋敷をそっと抜け出し庭にでる。

 外から眺める夜のお屋敷は、穴抜けでまばらに明かりが灯っていた。仲間内だと、オル爺の部屋はすでに消灯されている。年寄りは夜も朝も早いからな。


 冷たい夜風に肌を震わせながら、庭のベンチに並んで腰掛ける。部屋着のまま外に出たのは失敗だったと後悔。我慢できる範囲ではあるが、長くなってくればさすがに辛い。


 夜なので当たり前だが、周囲に人気はなくとても静かだ。風で草が揺れる音、虫の鳴き声だけが耳に流れてくる。


「まず最初に、キリ君に謝らせてほしいの。……長い間、ごめんね」


「……その謝罪は、村にずっと顔を見せなかった不義理に対して、でいいんだよな?」


「うん……。でもでもね、誓って言うけれど、モギユの村が嫌で帰りたくなかったんじゃないよ? キリ君にだって、本当はずっと会いたかったもん。……それだけは、わかっていて欲しいかなって」


 アリアが村を離れてからの生活を、俺はまったく知らない。けど聞かずともおおよそ察しがいく。

 勇者の卵が、暇を持て余すわけがない。ましてやアリアの師に就いたのは、あの厳しいオル爺だ。きっと毎日が過酷な日々の連続で、一分一秒を忙しなく過ごしてきたのだろう。一日二日の休みじゃ帰郷は到底無理だし、そもそも体を休めるだけで精一杯だったに違いない。


 勇者となってからも、恐らくは同じ。課せられた役目、使命に、少女のちっぽけな望みは押し殺さざるをえなかったはず。

 子供の頃はアリアの立場を羨んだが、今にして思えば、個を犠牲にする辛い道を強制されたも同然なんだよな。

 聖剣に選ばれた人生は、果たして本当に幸せといえるのか。判断するのは本人とはいえ、疑問に尽きない。


「あたしが晴れて勇者となってから、お仕事の関係でアルガードの街に立ち寄る機会があったんだ。仲間の皆に了承を得て、村に顔を出す暇だってもらえたの。……でも、行けなかった」


 アリアはベンチから立ち上がり、後ろ手を組みながら夜空を仰ぎ見る。雲ひとつなく、どこまでも際限なく続く満点の星空。俺もアリアを真似て、ベンチに腰掛けたまま空を見上げた。


「仲間の皆には面倒をかけれないから、モギユ村にはあたしひとりで向かったのね。そしたら道中、ゴブリンの群れに襲われちゃって。あ、勿論返り討ちにしたよ? なんたって勇者だもん、ゴブリンがいくら束になっても負けないよー」


 振り返ったアリアの表情は、子供みたく無邪気に笑っていた。まるで自分はとても強いんだぞ、と誇示するかのように。


「……戦闘が終わって、汚れを落とそうと川に寄ったの。水面に映ったあたしの顔は、血ですごく汚れてた。それで思っちゃったんだ。ああ、あたしの手は、洗い流せないほどの血が染み付いているのかなって」


 両の手を見つめ、顔に影を落とすアリア。瞳は暗く沈み、輝きが色褪せる。再会してからの天真爛漫さは、今のアリアからは見る影もなく消え失せていた。


「するとね、なんだか村の皆に……顔を、合わせづらくなっちゃったかな。勇者って響きは格好いいけれど、やってることは人や魔物を問わず、命を奪う行いばっかりだもん」


「そりゃ考えすぎだろ。気にせずとも、村の皆はお前を温かく迎えてくれるっての。勇者にしたってそうだ、昔からそういうもんだろ」


 俺なりに、アリアを励ましたつもりだった。けれど当たり障りのない軽い言葉では、彼女の心に響かない。

 数少ない気心許せるはずの相手を前に、居心地の悪さを感じてしまう。なにを話せばいいのか、なにを語れば、アリアは前を向いてくれるのだろう。


「……誰しも必ず、命を奪って生きている。俺だって普段から、猟師の真似事をして動物や魔物を狩ってきたからな。……それだけじゃない、人間だって殺めた。誰かを守るため、自分が生き残るため必要に駆られて、後先は考えていられなかった」


 命を奪ってきた業。俺たちの間に違いがあるとすれば、数の差くらいだろう。聖職者ですらない俺が説法を垂れるのは、ちゃんちゃらおかしな話だが。


 要するにアリアは、純真無垢だったあの頃と大きく変わってしまった今の自分を、村の皆に見せたくなかったのだ。

 アリアにとってのモギユ村は、子供時代の綺麗な思い出が詰まった宝石箱。汚れを持ち込んではいけない、聖域と化していたのだろう。無意識下で神聖視していた場所に、踏み込んではいけないと心に抑止をかけてしまった。


「ったく、独りで勝手に空回りしやがって。アリアが自分を汚れていると思うのなら、それが気にならないくらい俺も汚れてやるよ。汚いのが自分だけじゃないのなら、少しは安心できるだろ?」


 そっとアリアの頭に手を乗せ、くしゃくしゃを髪を撫でる。悪ガキっぽく笑う俺に、涙ぐむアリアはようやく瞳の色を取り戻した。


「……ずるいよ、キリ君。あたしなんかより、ずっと勇者に向いてるかな」


「本物の勇者様にそう言ってもらえるとは、光栄だな。なんなら代わってやろうか? ……といっても、聖剣が俺を所有者として認めてくれないだろうけどさ」


 ほんの冗談のつもりだった。けれど俺の口にした冗談は、アリアが本当に話したかった本題の核心に触れていた。


「あのね、キリ君。あたし、あたしね……勇者じゃなくなった、かな」

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