94:保護られ勇者様
少年は右手に、これ見よがしに石ころを握っていた。彼の態度は、さも自分が犯人だといわんばかりである。
不遜な少年の態度が癇に障り、子分たちは怒り心頭となって騒ぎ始めた。
「おい、てめぇ! 人様を上から見下してんじゃねぇ!」
「卑怯な場所に陣とってないで、おりてきやがれ!!」
少年を挑発するように、野次が飛ぶ。けれど少年はといえば、どこ吹く風か。瑣末事とばかりに、気にかけた素振りすらみられない。終始無言のまま、冷めた目で見下ろすだけだった。
「だんまりかよ、クソ餓鬼が。……へへ、てめぇがおりてこないなら、こっちにも考えがあるぜ」
ナイフを持った痩せ型の男が、ちらつかせた刃先をアリアに向けた。小悪党らしい、人質をとっての脅迫行為である。
男がナイフを、少女の細い首筋にあてがおうと手を伸ばす。その瞬間、鈍い金属の音が響いた。空中を折れた刀身が舞い、数秒遅れで地面に落下する。
呆気にとられた男が手元を確認すると、ナイフの柄だけを握っていた。根元から刀身が折れ、なくなっていたのだ。
「手加減はこれで終いな。俺もちょっとばかし苛立っているんでね、妙な真似をしたら次は容赦しないから」
よほど腹に据えかねているのか、少年の声には明らかな怒りが篭っていた。
ナイフで少女を人質にとろうとした男は怯え、女親分の後ろにすっぽりと隠れてしまう。ほかの子分たちも下手は打てないとたじろぎ、へたり込む少女から距離を置いた。彼らは判断を頭目に託し、下される命令を待って息を飲む。
外野が黙りこくり、少年と女親分が睨み合う。互いに目を逸らそうとせず、時間だけが流れた。少年は痺れを切らしつつあるのか、石ころを弄る手癖が次第に荒々しくなっていく。
投げた小石で、鉄製のナイフを容易く折る投擲力。的確に狙う命中精度。どこであろうと体に当てられれば、深手を負うのは必至。
さらには少年に優位な高所を陣取られ、一方的な不利を強いられた状況。迂闊に少女に近づこうものなら、次は少年の言葉通り容赦のない一撃が飛んでくる。
沈黙の時間は、女親分に考える猶予を与えた。導き出された結果として、先に折れたのは女親分であった。
「お前たち、帰るよ」
視線をふいと外し、路地の更なる奥地に向かって歩き出す女親分。子分たちは戸惑い、あとを追いながら彼女に尋ねた。
「姉御、あの金になりそうな娘はいいんですかい?」
「捨ておきな。あんな物騒なこぶつきの娘、相手してらんないよ。金は命あっての物種さね」
頭の命令は絶対。率先して女親分が立ち去ると、子分の男たちもそそくさあとに続いた。
薄暗い路地裏の広場に残るのは、少女だけとなる。少女は悪漢たちの去っていった道を、呆然と眺めていた。
「ふぅ、やれやれ。大人しく引いてくれてよかったな、っと」
ゴロツキの連中が完全に立ち去ったのを見届けて、俺は広場に下りた。念のためさらなる第三者が潜んでいやしないか警戒するも、ここにいるのは俺とアリアのふたりだけ。ほかに人の気配はなく、ほっと胸を撫で下ろす。
「ったく、勇者のくせして悪党に好き放題されてんじゃねぇよ」
「ありがとね、キリ君。ええっと、ごめんね? 面倒かけちゃって……」
「本当にな。……やっぱり、体の調子が優れないのか?」
「え? あ、うん。起きてからずっと、全身が重く感じる……かな。だから絡まれたとき、思うように動けなかったよ。普段なら私が直々に、正義の鉄槌で成敗しちゃうんだけどね。……ホントだよ?」
目を泳がせながらも、肩肘を張るアリア。
あのオル爺から師事を受けた今代の勇者様だ、嘘とは思わないさ。でも今回ばかりは、格下の相手に遅れをとっている。本人がどこまで自覚しているかはわからないが、自身の不調は感じている様子だった。
本人に聞こえるように、わざと大きな溜め息を漏らす。あからさまに醸しだされた不機嫌さを、敏感に察知するアリア。逃げた負い目もあり、俺のとる一挙一動ごとに反応しては体をびくつかせている。
俺は落ちているシーツを拾い上げ、萎縮して縮こまった少女に投げ渡した。
「とりあえず着とけ。さすがにその格好のままじゃ、体を冷やすぞ?」
「え? ……あっ!?」
指摘されて気がついたたのか、アリアは慌ててシーツを体に巻きつけた。涙目で俺を睨み、みるみる顔を赤面させていく。
「みみ、み、見た……かな? あたしの……その……」
「ああ、ばっちりとな」
子供の頃は裸で水浴びをした仲だ、否定せず素直に答える。お互い成長したけれど、今更下着程度で恥ずかしがる間柄ではないだろう。
あっけらかんとする俺に対し、アリアの反応はまったくの正反対。赤くなった顔を伏せ、しきりに身悶えしながら唸っていた。自分の世界に入り込んでしまい、俺が声をかけても同じ反応しか返ってこない。
……アリアが正気に戻るまで、しばしの待機。
ようやく顔をあげたアリア。目が据わっており、まるでさっきまでの出来事はなかったかのように振舞い始めた。
「ひ、久しぶりだね、キリ君! ここ、こんな場所で会うなんて、偶然かな!?」
「ああ、久しぶりだな。でも、ここで会ったのは偶然じゃないからな? お前の白い下着姿はばっちり記憶したし、なかったことにはならないぞ」
散々迷惑をかけ、あまつさえはぐらかそうとしてきたのだ。苛立ちから、つい怒りを込めて微笑む。青筋を立てた俺の表情に、アリアはぎこちないながらも笑い返した。
「に、にこー……」
「……」
お互いに、不自然な笑みを向け合う。アリアの額には冷や汗が増えていき、目には涙が溜まっていく。やがて耐えられなくなったのか、表情を崩してしまった。
「やっぱり見られてたかな!? しかもよりにもよってキリ君に!? わーん、恥ずかしいよぉー!!」
今度は泣きじゃくりだしてしまった。情緒不安定な奴だな。
このままじゃ埒が明かないので、俺の目を見ろと諭す。上目遣いで瞳を潤ませたアリアの額に、強烈なでこぴんを一発、お見舞いしてやった。
「いったぁい!? 酷いよ、キリ君!? 泣いている女の子にでこぴんをするのは、人としてどうなのかな!?」
「今ので俺の怒りを帳消しにしてやるんだ、感謝しろよ。……で、なんで屋敷から逃げたんだ? 路地で出くわしたときもさ、俺だってわかってたろ?」
「感謝って、それはちょっと横暴じゃないかなーって……。あ、はい。ごめんなさい、感謝してます」
有無を言わさぬ冷めた眼光に、アリアは観念して平伏する。それからしどろもどろになりながらも、たどたどしい口調で逃げた経緯を語り始めた。
理由を聞き出すと、だいたいはお嬢が予想した通り。人間不信な状態に陥っていたアリアは、ろくに状況確認もせず屋敷を飛び出した。精神的に余裕がなく、逃げているうちに思い込みが暴走。街中を巡回する兵士は、自分を捕まえようと躍起になるゼインの手先と決めつけてしまう。さらには目に映る全ての人が不審に思え、人目から隠れ、どんどんと人気のない場所に自ずと足が向かったそうだ。
最後に、路地の入り口で俺と遭遇。懐かしい顔に一旦は気を許しかけたものの、直後に現れた兵士が台無しにしてしまった。兵士と俺が親しげに話しているのを見て、俺にまで不信感を抱いてしまい、逃げというわけである。
俺はアリアに、ゼインのもとから助け出した経緯を掻い摘んで話した。この街の人は、決して敵じゃないと懇々と言い聞かせる。とりわけオル爺の存在は、アリアの疑心をかき消すのにひと役買ってくれた。
「……そっかぁ、師匠もこの街にいるんだね。会いたいなぁ」
「すぐに会えるぞ。今も多分、お前のことを探しているだろうからな」
最初に見つけたのが俺じゃなく、オル爺だったらもっと早く解決していたのかね。幼馴染と過ごした歳月よりも、師弟の絆のほうが強いのか。うーん、ちょっと寂しい。
「でも……むふふ。キリ君が聖女様の護衛役だなんてのは、まだちょっと信じられないかな~?」
「お? 疑うのか? いいけど、嘘じゃなかったらまたデコピンするからな。覚悟しとけよ」
「え!? それはちょっと待ってほしいかな!? ごめんごめん、信じるから! さっきキリ君にされたデコピン、オーガに殴られたくらい痛かったんだから許してよぉ~!」
オーガの一撃と同等って、それはさすがに鼓張のしすぎじゃ……?
でも勇者として活躍するアリアなら、オーガに殴られた経験を持っていてもおかしくはない。そっか、俺の本気のデコピンには、それだけの威力があるのか。貴重な情報だ、今後の参考にさせてもらおう。
懐かしい幼馴染との会話は、時の流れをまったく感じさせなかった。アリアは最初こそ警戒心があったものの、話をしているうちにいつの間にか、綺麗さっぱりなくなっている。昔と変わりない。子供のころとなんら遜色なく、ごく自然に話せていた。
疲れで足取りがふらつくアリアを背負い、広場を出る。途中、入り組んだ地形に迷子になりかけるも、要請を受け探しに来てくれたお嬢一行に無事保護された。
土地勘のない集落では、複雑な地域においそれと足を踏み入れない。いい教訓となった。




