92:勇者様騒動
「キリク、いつまで寝ているの! 早く起きなさいな!」
ふかふかのベッドで眠る俺を、高飛車な声が呼び起こす。
声の主はカルナリア嬢。なにやら慌てているみたいだが、どうしたというのか。俺はもう少し寝ていたいんだ、うるさいから静かにしていてくれ……。
あれから移動を再開した俺たちは、魔導車を走らせ、何事もなく領都ヴァンガルに到着した。
領都はなかなか立派な壁に囲われており、感想としては王都の規模を縮小した街といった印象を受ける。大通りは人の往来で常に流れ続けていて、客寄せをする商店の声が途切れず賑やかだ。
領都入りしてすぐ、俺たちは脇目も振らずお嬢の実家に直行。つまりこの地を納める領主様のお屋敷だな。
お屋敷では娘の帰還を聞きつけた領主、お嬢の父でもあるバルドス・ヴァンガル氏が俺たちを迎え入れてくれた。
バルドスさんは非常にガタイがよく、鍛え上げられた肉体は服の上からでもわかるほど。ダリルさんから、生粋の武人気質な人だと前情報を得ていたが、外見からすでにそうなんだろうなと察しがつく。
父親譲りなのか、お嬢と同じ青みを帯びた髪。白髪が混じり、水色に近い。眉は太くつりあがっており、口は常にへの字だ。オル爺と違って短く整えられた髭からは、お偉いさんに相応しい威厳を感じられる。
バルドスさんの恐そうな顔つきから、イリスとシュリは俺の後ろに隠れてしまった。たぶん普通に目を合わせているだけなんだろうけど、素の状態が睨んでいるように思えるからだ。
しかし紳士で丁寧な振る舞いから、すぐにふたりは警戒を解く。きっとこの人は、見た目で損をする類の人なんだろうな。
無断で魔導車を持ち出し、勇み足で家を飛び出して心配をかけさせた娘の帰宅。バルドスさんは熊を連想させるほどに腕を大きく広げ、お嬢を強く抱きしめた。
胸が暖まる親子感動の再会……のはずが、直後お嬢の頭に振り下ろされた拳骨で全てが台無しに。
お嬢はその場にうずくまり、たんこぶのできた頭を押さえて静かに悶絶。自業自得とはいえ、思わず同情してしまう。
その後お嬢は父親に引き摺られていき、こっぴどく叱られたのだとか……。
なお俺たちは、客人として手厚くもてなされた。突然の来訪といえど、聖女が訪れたのだから上客として扱われるのは当然か。
疲れを癒す風呂に、豪勢な食事。案内された客室では夢にまで見た最高級のベッドと、まさに至れり尽くせり。
疲れていたせいか、しばらく滞在してご厄介になりたいと心の底から思った。
バルドス領主と腰を据えて話をする場が設けられたのは、翌日になってから。見るからに憔悴しきっていた俺たちに、配慮してくれたのだろう。
まずは事情と経緯の説明。といっても、おおかたの内容はお嬢とダリルさんがすでに報告済み。バルドス領主は昨日のうちに調査のため兵を組織し、日の出とともに村へ向かわせていた。
俺たちを逃したあとも、住人があのまま村に居座っているとは思えないが、なんらかの進展があればと願う。
……なお肝心のアリアだが、ずっとうなされたままでまだ目を覚まさない。時折涙を流し、寝言で「なんで……」「どうして……」と呟くだけ。
容態を診ていたイリス曰く、信頼していた兄弟子のゼインに裏切られ、心に大きな傷を負ったのが原因かもしれないそうだ。アリアが目覚めない理由は体の衰弱だけじゃなく、本人が現実から目を背けているからなのだろうか。
「――もう、なかなか強情ねっ!? ……シュリちゃん、少し手を貸してもらえるかしら?」
「はいです!」
起きない俺の耳元で業を煮やしたお嬢たちによる、なにやらよからぬ謀略が開始されようとしている。
俺も起きたいのはやまやまだが、極上の寝心地が逃がしてくれそうもない。まるで体とベッドが一体になったみたいなのだ。なので責められるべきは俺じゃなく、この最高級のベッドであると、声を大にして言いたい。
「……いくわよ、シュリちゃん」
「はいです!」
……横でごそごそと、なにかをする音が聞こえる。
嫌な予感。間違いなく、俺の身に不幸がふりかかる予兆だ。
「「せーのッ!」です!」
ふたりの掛け声を合図に、勢いよくシーツの片側が持ち上がる。
その結果俺の体は強制的にベッドから投げ出され、受身をとる間もなく冷たい床に叩きつけられた。
「いってぇッ!? ちょ、お前らなにすんだよ!?」
「この私が起こしてあげているのに、無視するキリクが悪いんでしょう?」
「ですです! キリク様は、いつも寝起きが悪いのです!」
憤慨する俺に対し、腕を組み呆れた表情のカルナリア嬢。お嬢の後ろでは、腰に手をあて彼女に便乗するシュリがいた。
いつも寝起きが悪いって、その言われようは心外だぞ。起きるべきときにはちゃんと起きているだろうに。
「……で、どうしたんだよ。ひょっとして飯の時間か?」
「違うわよ! ……勇者様がいなくなったわ。部屋に様子を見に行ったら、ベッドがもぬけの空だったのよ。手分けして探すから、あなたも手伝いなさい!」
寝耳に水とは、まさにこのこと。昼食の献立はなんだろうとくだらぬ予想していたのだが、全て吹っ飛んだ。
鳴き声をあげるべく待ち構えていた腹の虫も、驚きのあまり口を噤んでしまう。
慌てて床から跳ね起き、人目をはばからず急いで服を着替える。
素肌を晒した俺の肉体美に、カルナリア嬢は赤面。顔を手で覆う。男の半裸を見ただけでこの反応とは、存外初々しいのな。
対してシュリは、目を逸らすどころか食い気味でガン見してくる。……なぜだか身の危険を感じるが、気のせいにしておこう。
「それにしても、アリアはなんで逃げたんだろうな?」
素朴な疑問。
目を覚ますと知らない場所で寝ていたら、そりゃ驚くとは思うが……。
俺だったら寝心地のいいベッドに、間違いなく二度寝しちゃうね。
「勇者様の置かれていた状況を鑑みて、まだ自分はゼインに捕まっていると思ったのかもしれないわね。疑心暗鬼になっている部分もあったでしょうし、自分が救助されたのだと楽観視できなかったんじゃないかしら」
なるほど、納得のいく推理だ。
アリアの最後の記憶がどうなっているのかは知らない。だが少なくとも、ゼインに捕らえられてから目を覚ますまでは、アリアにとって空白の時間。その間に助けられたと判断するより、まだ捕まったままであると最悪を想定し、動いたわけか。
個室で目を冷まし、周囲に見張りのいない状況。警戒したアリアは、行動を起こすのに千載一遇の機会と捉えたっておかしくない。
「探すのは勿論として、なにか手がかりとかはないのか? どこに向かったとかさ」
「うちの使用人が、屋敷を出て行く姿を目撃したらしいの。慌てて後を追ったそうなのだけれど、すぐ見失っちゃったみたい」
うーむ、さすがは勇者……というべきなのか? 病み上がりと甘く考えていたが、使用人を振り切る程度には達者に動けるらしい。
目撃した使用人の話では、アリアはベッドのシーツを外套のように羽織っていたそうだ。また靴は履いておらず、素足のまま。
着の身着のまま屋敷を飛び出したと思われ、したがって金銭の類は一切持っていないはず。金がないのに、店で着替えの服なんか買えやしない。探す特徴としては十分か。
なお、お嬢はすぐさま街壁で勤める門番に通達している。見つけて保護したとの報せがいまだ届いていないので、恐らくまだ領都内のどこかに潜んでいるに違いない。
「とはいえ、広い街中をあてもなく探すのはなぁ。……そうだ、シュリがいるじゃないか。シュリなら、臭いでアリアのあとを追えないか?」
これは名案が浮かんだと、シュリに呼びかける。
お呼びのかかったシュリは元気よく手を上げて応じ、『獣化』して狼の姿に変身。鼻をひくつかせ床を嗅ぎ、鋭敏な嗅覚で匂いを辿った。
俺とお嬢は散らかるシュリの衣服を拾い上げ、あとに続きアリアの行方を追う。
しかし屋敷を出て、人通りが多くなるにつれてシュリの足どりが鈍る。快調だった歩速は遅くなり、立ち止まる場面もしばしば。
そして領都で一番の大通りを前に、シュリの足が完全に止まってしまった。
『ごめんなさいです、キリク様……。これ以上は、わたしの鼻では追えそうにないのです……』
頭を垂れ、心苦しそうに謝るシュリ。
いくら獣人族の嗅覚が優れているとはいえ、それはあくまでほかの人間種と比べたらの話。閑散とした場所や閉所ならまだしも、多くの人で溢れかえる広い街中から、匂いだけを頼りに探しだすのは難しかったようだ。
駄目だったからといって責めやしないのだが、随分と気に病ませてしまったな。過度な期待を背負わせてしまったと反省する。
俺が期待をかければ、シュリは健気に応えようと頑張る。こちらは軽い気持ちであっても、シュリは重く受け止めがちだ。もう少し気楽に構えて欲しいのだが、求めるだけでなく、俺も配慮を心がけるべきだな。
自分たちだけでは手に余ると判断し、一旦屋敷に戻る。カルナリア嬢は使用人と兵の中から手の空いている者を集め、次は人海戦術に繰り出すこととなった。
……といっても、集まったのはせいぜい二十人かそこら。あまり大事にしたくないので、外部には助力を求めない。なにせただの人探しじゃないからな、内輪だけで済ませるのが望ましい。
集まった人手の中に、オル爺の姿があった。
そういえば今日は起きてから、まだ一度も話していなかったな。挨拶がてら、声をかけるとしよう。
「オル爺、おはよう。杖なんかついちゃって、どうしたんだよ?」
オル爺の手には、少し太めの頑丈そうな木の杖が握られていた。棍棒にでもするつもりか? これから俺たちが行うのは勇者探しであって、勇者狩りじゃないぞ。
普段のオル爺が持ち歩かない代物に、否が応でも関心がいく。
そういえば初めて会った頃と比べ、心なしか腰が曲がっている。あと気のせいか覇気がなく、顔の皺も増えたような……?
「遅い朝の挨拶じゃな、キリクよ。もうじき昼じゃぞ。……いやなに、わしもいい歳じゃからな。騙し騙しやっとったが、いよいよ老いに屈するときがきただけじゃ。気にせんでええ」
話すオル爺の顔つきは、とうに全てを悟ったとばかりに達観していた。
村での一件以降、移動中ずっと体の調子が優れないと愚痴っていたっけ。具体的には目が霞む、膝や腰の関節が痛いとかな。
長い時間、魔導車に乗りっぱなしで移動したのが堪えているだけかと思っていたが、そう単純ではないらしい。
イリスが神聖術を施せば一時的によくなるが、時間が経てば症状は再発する。歳をとればに誰もが必ず患う、老化による不治の症状。あとで聞いた話だが、イリスはそう診断していた。
「さてわしも、迷子になった可愛い愛弟子を探しに行くとするかの」
そう言い残すとオル爺は、曲がっていた背をまっすぐに伸ばし、杖をつかないまますたすたと歩いて行ってしまう。
……なんだ、元気じゃんか。思わずずっこけそうになった。ひょっとして、俺はオル爺に一杯食わされただけか? だとしたら心配して損したな。
各々が得た情報を共有するために、成果がなくとも一時間おきに屋敷に集合するとだけ決められ、方々に散っていく。
「見送ってないで、俺も動くとするか。……あれ、そういえばイリスとアッシュは?」
そういえば、起きてからふたりの姿をみかけない。集まった群集の中にはいなかったし、この一大事にどこで油を売っていやがんだ。
「イリス様なら朝早くから、アッシュをお供に連れて教会へ行かれたわよ」
「イリス様はキリク様にも声をかけていたですが、起きそうになかったのでアッシュ様とおふたりで行ったです」
あー、そういえばおぼろげに記憶がある。枕元でイリスがなにか言っていたのを、俺は夢現ながら適当に空返事をしていた覚えが。
アリアの逃亡を知らないふたりにも事態を伝えるため、シュリには教会に向かってもらう。イリスたちと合流した後は、教会近辺の捜索を任せた。
お嬢は使用人を数人引き連れ、聞き込みを重点的に行うつもりらしい。
特徴的な装いをしているのだから、目撃すれば記憶の片隅には残るはず。そういった地道な活動こそが、一番の近道かもしれない。
俺はといえば、自分の勘を頼りに単独で街中をふらつくつもりである。
幼馴染として一緒に過ごした記憶を総動員し、あいつが行きそうな場所をあたるつもりだ。
 




