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91:晶窟を訪れる影あり

 キリクたちが立ち去ったあと、誰もいなくなったはずの晶窟に、ひとりの人影があった。

 黒衣を纏う少女。ピンと立った黒い耳に、褐色の肌。村を出発するとき出会ったシュリの馴染み、黒狼族のクルゥである。

 彼女は偽祭壇の間で、土砂に塞がれた隠し通路の前に立ち舌を打つ。


「ひでぇ有様だな。っち、めんどくせぇ……」


 転がる石を蹴っ飛ばし、八つ当たり気味に鬱憤を晴らす少女。

 石は壁に当たって跳ね返り、転がる音が晶窟内で空しく木霊した。

 しかし愚痴を吐いたとて状況は変わらず、止む無しとばかりに少女は黒衣を脱ぎ捨てる。


「あー、もう! うだうだ言ったってしょうがねぇ、やるしかないか。……うおおおおおおぉぉぉっ!!」


 女性らしからぬドスの利いた声で雄叫びをあげると、少女の体に変化が現れる。

 二足歩行から四足歩行へ。人の姿から、獣の姿への変化。少女は全身に漆黒の毛を生やした、黒い狼の姿となった。

 一部の獣人だけが扱える、『獣化』である。


 だが少女の使う『獣化』は、一般とは異なっていた。

 シュリが体格相応の小柄な狼に変化するのに対し、クルゥが変化した狼は元の体格より遥かに大きい。赤子であれば、容易く丸のみにできてしまう大狼である。


『獣化』した少女は太い獣の腕で、道を塞ぐ土砂を掘り起こし始める。岩が進路を遮ろうと強靭な爪で砕き、ものともしない。慣れた手つきで、驚くべき速さで掘り進んでいく。

 適度に休みを挟みつつだったとはいえ、一昼夜が経つ頃には少女は目的の最奥に到達していた。


『……お、いたいた。ったく、世話かけさせやがって』


 掘り進めた土砂の中から、お目当てを見つけた少女。周囲の土砂をどけて強引に引きずり出すと、大きな口で咥え外まで運んでいく。


『っけ、ボロボロのぐちゃぐちゃだな。これで生きてるってんだから、気持ち悪いったらありゃしねぇ』


 少女が土砂の中から発掘してきたのは、鎧を着こんだ首のない人間の体。

 純白だった鎧は土で汚れて傷だらけ。おまけにあちこちが陥没していて見る影もない。

 中の体はというと、押し潰された挽き肉状態。全身の骨が砕け、関節は機能を失っていた。総じて誰もが目を背けてしまう、酷い損傷ぶりである。


 普通であれば、間違いなく死んでいる。どう見ても死体だ。

 ……にもかかわらず、挽き肉の体は鼓動を打っていた。指先をわずかに動かし、生きていると主張している。


 全身を押し潰していた土の牢獄から解放され、ゆっくりとした速度で再生を始める肉体。

 少女は男の纏う鎧が再生する妨げになると判断し、強引に剥ぎとる。下に着こまれた鎖帷子は、自慢の牙で噛み千切った。おかげで肉体は露出し、空気に触れてより回復が早まっていく。


 首を失った体であったが、半日が経てば失われていた頭部が新たに形成。とうとう言葉を発するまで復元してしまった。


「……たすか、りました、よ。クルゥ」


『そりゃどーも。それにしても無様な姿だな、旦那。せっかく捕まえた勇者に、逃げられちまったみたいだな?』


「……その件に関しては、弁明の余地がありませんね。師と本気で剣を交えられるまたとない機会に、つい興が乗ってしまった結果です。……我ながら、馬鹿な真似をしたと反省していますよ」


 口ではそう言いながら、言葉とは裏腹に男からは反省の色がみられない。自らの行いに、後悔はしていない様子であった。

 それ以降男は口をつぐみ、体の回復に専念する。


 少女はあきれつつも、まだまだ衰弱したままの男を介抱した。

 彼が水を求めれば川から運んでき、自慢の毛皮で男の体を温める。時折魔物が血の匂いを嗅ぎ付けて寄ってくるが、全て追い払った。


 少女の献身的な介抱は続けられ、男を救い出してから丸二日が経った。


 時の経過に応じて、男は傷を癒していく。無残だった彼の体は、常に生き物のように蠢き続けていた。少女の介抱の甲斐あって、やがて自らの力で起き上がれるまでに至った。


 男は五体満足となった四肢をぎこちなく動かし、治った体の具合を確かめる。


「……ふぅ、まるで生まれ変わった気分ですね」


『実際その通りだろ、頭が生え変わってんだからよ。それにしても、まさかあんたがやられるとはな』


「……私も、自分が負けるとは露ほども思っておりませんでした。私に敗北を贈ってくれたあの少年には、いつかお返しをせねばなりませんね」


 暗く淀んだ瞳で、握りしめた拳を見つめる男。師に勝利した優越感と、年下の生意気な少年にしてやられた屈辱感。称賛と憎悪。相反する気持ちがひしめき合い、男の胸中を埋め尽くした。


「……ククク。まったく、これだから世界は広くて面白い」


 男の浮かべた薄ら笑いに、傍らの少女は全身の毛を逆立たせる。普段の彼は口数少なく、そのため笑う声など少女は聞いたことがなかった。

 付き合いこそ短いが、出会ってからは長く行動をともにしていた少女。彼女は初めて見る男の姿に、不気味さを感じずにはいられなかった。


『でよぉ、これからどうすんだ? 麓の村にいる連中に狩りの合図を出しておいたが、報告にきた奴の話じゃ、まんまと逃げられちまったみたいだぜ』


「……でしょうね。肉体が晶石に適合したとはいえ、精神までは耐えられなかった失敗作たちです。……出来損ないには、最初から期待しておりませんでしたよ」


 少女の報告を受け、結果を予想していた男は冷静に受け止める。


 村の者たちは、昔からこの地に住まう本来の住人ではない。大抵の者が日々の食事にすら事欠き、我が身を売った貧困者。売られた先で晶石を用いた人体実験を受け、生き残った者たちである。


 とはいえ、精神の汚染までは耐えられなかった半端者の集まり。なかには人格をなくし廃人と化した者までおり、多くは命令に従うだけの人形となっていた。


 彼らを処分するにはもったいないとの判断から、廃村寸前の村に居住させたに過ぎない。奥地にて幽閉した勇者のため、不測の事態に備えた保険として活用したのである。


 また物資の運搬に訪れる同志の者を除き、滅多に訪れない外部からの人間と接する玄関口も兼ねていた。比較的正常な者が目的を聞き出し、場合によっては追い払う役目を担っていたのだ。


『ったく、なにが薬草を採取しに来ただけの冒険者だよ、嘘つきやがって。つーか旦那も旦那だぜ。死なないのなら、その不死身の体で返り討ちにしてやりゃよかったんだ』


「……私の体が不死といえど、その力に頼った戦法はとれません。……私がもつ不死の力は、ニル様より授けられた加護による賜物。晶石がもたらす紛いものの不死性とは、似て非なるものです。それゆえニル様が蘇らぬ限り、受けられる恩恵は微弱でしかないのですよ」


 悔しいが、自分が出来損ないと蔑む村人たちに再生力で劣ると男は説明する。

 男の体は、再生に時間を要する。晶石の適合者と比べれば、その速度は雲泥の差であった。即時性を求められる戦いの場では、実用性に乏しい。


 しかし逆に考えれば、男は晶石の力なしで高い不死性を有しているのである。

 力の根源たる神が復活せねば非力と語るが、蘇った暁にはいかほどの力を発揮するのか。少女には想像がつかないでいた。


「……それにしても、最後はお師匠様に首を落としてもらえて幸いでしたね。私を捕縛すると言い出したときは、肝を冷やしましたよ。牢に投獄されると、あとが面倒ですから。……おかげで私は、死んだものと思われているはずです」


 負けはしたが、捕まる事態だけは避けれてよかったと男は語る。

 仮に彼が捕まっていた場合、両腕を落とされたうえで反抗の意思をみせずとも、かの少年と師だけは最後まで気を緩めなかっただろう。それでも意表を突き逃れる自信が男にはあったが、身に宿す不死の力は隠しておきたかった。

 彼にとって最大の切り札。できる限り伏せておくにこしたことはない。


「……そもそも、あなたこそどこで油を売っていたのです? 最後まで姿をみせませんでしたね。私を責めるのは結構ですが、相応の納得できる理由があるのでしょうね?」


『村まで食料を補充しに行ってたんだよ。毎日毎日、湿気でかびたパンなんて食いたかねぇからな。オレが帰ってきたときにゃ、あとの祭り。決着がついちまってた。だから連中が去るまで、薬で匂いを消して身を隠したのさ』


 生き埋めから助けた礼はされども、文句を言われる筋合いはないと少女は吐き捨てる。単独では勝ち目が薄いと、彼女は判断したのである。

 だから男も強く少女を責めはせず、それ以上の言及はしなかった。


「……とにかく、行動を始めましょう。……私の記憶が正しければ、聖女一行のなかにヴァンガル家の令嬢がおりました。ならば逃げた彼らは、領都に向かうでしょう」


『つまり、村に兵が派遣されるのは時間の問題ってか』


「……そういうことです。出来損ないとはいえ、彼らをむざむざ捨て置くわけにはいきません。……急ぎ山をおり、村に向かいますよ」


『あいよ。運んでやるから、さっさと背中に乗りな』


 お座りの体勢から、姿勢を下げ地に伏せる黒狼の少女。彼女に促され、男は慣れた身のこなしで大きな狼の背に跨る。

 男がしっかりと毛を掴んだのを確認し、黒狼の少女は立ち上がった。そして地を蹴り、馬も真っ青な速度で山を駆け下りていく。


「……私の行いが明るみとなるのは時間の問題、急がねばなりませんね。……クルゥ、あなたには頑張ってもらいますよ。出来損ないたちに移動指示を出したあと、働いてもらいます」


『お? もしかしてあいつらを追って、領都に向かうのか? 勇者を奪い返すだけでなく、聖女も攫っちまえば一石二鳥だもんな』


「……違いますよ。アリアにお師匠様、それとキリク。彼らを相手するのに、私たちだけでは無謀です。ましてやヴァンガルの兵は武に秀で、練度が高いと聞きますからね。……なのでここは一旦、悔しいですが諦めます」


 意外な答えに、黒狼の少女は目を丸くした。

 この男の神に対する執心は、普段からも相当だったからだ。その神のためとあらば、多少の無茶なら厭わないとふんでいたのである。


『おいおい、いいのかよ諦めちまって。旦那が信奉する神様を復活させるのに、必要なんじゃなかったのか?』


「……依り代は必ずしも、勇者である必要はありません。聖女に関しても、代案があります。……どちらも妥協となるので、私は好みませんがね」


 男からしても、その胸中は渋々であった。敬愛を捧げる神に最高の体を用意し、最高の贄を用意したかった。それが彼の本心である。

 だが順調だった教団の計画に、陰りが見え始めているのも事実。彼は最善を求めるより、目標を下げ現実的な実現を選んだのだ。


「……諦めるといいましたが、今回だけです。私は最後まで、最良を諦めませんよ。……今はニル様を蘇らせるため、最低限の用意を優先するだけです」


 男は眉間にしわを寄せ、複雑な顔をする。落ち着きはらっているが、心中は穏やかでない。しかし武具を失った彼に、どのみち戦う選択肢はとりようもなかった。


「……さぁ、お喋りはお終いです。……あなたには王都まで私を乗せ、全速力で走ってもらいますからね。時間が惜しいので、休憩はろくにとれないでしょうから覚悟しておいてください」


『うへぇ……』


 心底嫌そうな言葉を漏らす黒狼の少女。しかし彼女は男の命令に逆らえない立場であり、従うほかなかった。


「……奪われたなら奪い返す。それが別の形であれ、ね。……もう暫しお時間をください、敬愛せし我らが神よ。不肖このゼインめが、必ず役目を果たしてみせましょう」

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