90:怪奇の手がかり
最高速度で平野を爆走し続けた魔導車だったが、太陽が高く昇ったあたりで煙を吐き、不調をきたし始める。このまま走り続けては危険と判断し、整備のため停車することとなった。
「どう? ダリル。かなり無茶をさせちゃったし、やっぱり故障かしら?」
「……いえ、どうやら動力部の過熱が原因みたいです。最高出力で稼動させ続けたわけですからね、冷却が間に合わなかったのでしょう。しばらく休ませれば問題ないでしょうが、念のためほかも点検しておきます」
手を油塗れにし、たどたどしい手つきで魔導車の機関部をいじるダリル。腕には自分で手当てしたのであろう、不恰好な包帯が巻かれていた。怪我は腕だけでなく、体中のあちこちに大小さまざまな傷を負っている。
移動中の車内で互いに報告をしあい、ダリルもまた村の人たちに襲われたと語った。彼は寝込みを宿の主人に襲撃されたのだが、幸いにして寝入りが浅く、間一髪で反応できたのだと。
急な事態に動揺しながらも、最初は説得を試みたダリルだったが……。結果はキリクたちがすでに知っている通り。
ダリルは揉みあう内に、止む無く宿の主人を斬り伏せ、外に助けを求めた。しかし彼を待ち受けていたのは、同様に豹変した村人たち。肌身離さずに魔導車の鍵を持っていたおかげで、魔導車に乗って難を逃れたのだ。
車庫代わりにしていた馬小屋の扉が破られていたのは、悠長に開けている余裕などなかったからであった。
以上の経緯でひと足先に村から脱出したダリルだったが、事情を知らないキリクたちを危険な場所に残し、そのまま逃げるわけにはいかなかった。
村から少し離れた場所で身を潜め、様子を窺い仲間の帰りを待つことに。彼が窮地に颯爽と現れたのは、そういった背景があったからである。
「お疲れさまです、ダリルさん。作業をしながらで構いませんので、治癒をさせてもらいますね」
救出したオルディスに治癒を施したあと、意識を失い眠ってしまったイリス。ダリルの怪我には気づいて気にかかっていたが、極度の疲労からくる睡魔に抗えなかったのだ。
彼女は遅くなったことを詫びてから、作業するダリルの隣に腰をおろし傷元に手をかざした。
「ありがとうございます、イリス様。助かります。……オルディス様はもうよろしいので?」
心配そうな眼差しで、ダリルは木陰に横たわる老体を見やった。
オルディスは血で濡れそぼった衣服を全て脱ぎ捨て、肌着の上から予備の外套を毛布代わりに被り、寝入っている。死んでいるのかと疑うほど静かな寝息だった。
「……はい。今はこれ以上、私がオル爺様にしてあげられることはありません。勇者様同様、落ち着ける場所で養生してもらうほかないです」
「そう、ですか……。では魔導車が動かせるようになり次第、すぐヴァンガルの領都へ向かいましょう」
額に浮き出た汗を腕で拭い、作業に集中するダリル。傍らでイリスとカルナリアが見守るなか、彼は無言で手を動かし続けた。
そんな彼らのやり取りを、眠るオル爺の傍らから眺めていた俺とアッシュ。
俺のひざ元では、シュリが俺の腿を枕に小さな寝息を立てている。柔らかい髪とふさふさの耳が愛おしく、優しくなでてやればぴくりと反応して面白い。荒んでいた心が癒される。
「あーあ、やっとぐっすり眠れると思ったのにな。またおあずけか」
「なに言ってるのさ。君は移動中、ずっと寝てたじゃない。その間も僕は、師匠からお叱りを受けていたんだよ? おかげでほとんど眠れず、へろへろさ」
爽やかな顔には疲れが見て取れ、目の下には隈がでている。アッシュは赤くなった頬をさすり、少しは労ってくれとふてくされてしまった。あれはオル爺を救出したあと、師直々に引っ叩かれた痕である。
なぜ危険を省みずに戻ってきたのか、自分を捨て置き逃げなかったのかと、声が枯れるまで咎められたのだ。
主に説教を受けたのはアッシュだが、助けに戻ったこと自体は全員の総意。無論、すでに手遅れであったなら諦める方針だった。危ない賭けをしたのは否定しないが、結果よければなんとやらだ。
「あんなの、仮眠の内にも入らないって。ちゃんとした寝床じゃなきゃ、この疲れはとれそうもないしな。……まだ頬が痛むんなら、我慢せずイリスに治してもらえよ」
「うーん……。いや、やめておくよ。この痛みを、もうしばらく味わっていたいんだ」
どんな性癖だよ、なんて野暮な突っ込みはなしだな。真面目な場面で茶々をいれるのは、空気の読めない馬鹿がすること。
オル爺が生きていなければ、あの痛みは存在していなかった。生きていたからこそ、得られた実感。あわや寸でのところで失いかけた師との日常を、アッシュは噛み締めているにほかならない。
アッシュが物思いに耽り、会話が止まる。俺もきた道を振り返り、現状を整理した。
あの村の奴らが、俺たちを追いかけているとは考えにくい。仮に執念深く諦めていないにしても、ここまでたどり着く頃には夜を迎えているはず。
それでも油断は禁物として、魔導車の整備が終わるまで俺とアッシュで周囲の見張りをしている。危険なのはあの村の人間だけじゃない。人を襲う魔物や獣なんかは、集落の外ならどこにでもいるからな。
「……しっかし驚いたよな。まさか魔石をもつ人間がいたなんてさ」
手の平に握っていた綺麗な石を宙に放り、受け止める。この石は、オル爺が斬り捨てた村人の切断面からで見つけたもの。
魔石は本来、一部の魔物のみが体内で生成する結晶体。人間の体が魔物のように、魔石を生成したなんて話は聞いたことがない。したがってオル爺は、人間の体内に存在するはずがない不純物に疑問を抱き、手を突っ込んでえぐりとったそうだ。
「キリク君、『晶石』って知ってる? 昔、他国と戦争をしていた時代に使われた、魔石によく似た石らしいんだけど……」
「いや、知らん」
ルルクス国が戦争していた時代って、いったいいつの話をしてんだよ。俺たち若い世代にとっちゃ、ほぼ無縁な化石時代の話だ。そんな古い時代の話を持ち出されたって、知らなくて当然だろう。
「あはは、だろうね。僕も君が寝ている間に師匠から聞かされただけなんだけど、晶石は体内に取り込んだ生物の肉体を著しく活性化させて、限りなく不死身に近くする代物らしいんだ」
「は……? てことは、村の奴らが死ななかったのって……」
「そう。この石を、村人全員が体内に取り込んでいた可能性が高い。もちろんこの石が、本当に『晶石』だって確証はないけどね」
手に掴んだ石を見つめ、ごくりと生唾をのむ。人間から採れた世にも珍しい魔石程度の認識だったが、よもやそんなとんでもない代物とは。
ということは、この石を飲み込めば俺にもあんな不死の力が……? 非力な者が不死身になったところで、たかが知れている。しかし強い者がその力を得たなら? 答えは言わずとも明白。まさしく勇者に聖剣、オーガに金棒だ。
「一応言っておくけど、必ずしも力を得られるとは限らないからね? 体が石の力に耐え切れず、死んでしまう人ばかりだったそうだよ。危険なものだから、くれぐれも変な気は起こさないでね?」
「お、おう。わかってるって」
そりゃそうか。簡単に力を得られるなんてうまい話、そうありはしないよな。もしあったとしても、この晶石のようにリスクや代償を求められて当然か。
愛想笑いで相槌を打ちながら、晶石を腰に下げたポーチにしまい込む。
そのポーチを見たアッシュが、信じられないとばかりに驚き声をあげた。
「あ、それ持ってきちゃったの!?」
「だってこんな便利な物、あのまま捨てるのはもったいないだろ。石入れの袋がぼろくなってきてたから、ちょうど新しいのが欲しかったんだよ。これなら、弾切れに困らないほど入れられるしな」
アッシュが驚くのも無理はない。このポーチは、もとはゼインが所持していたもの。奴から奪ったあと、捨てずにこっそり貰っておいたのだ。いわば戦利品というやつである。
死ぬほどの思いをさせられたのだから、これぐらいの役得はあって然るべきだろう。
魔導車を休ませている間、警戒のため見張りを務めちゃいるが平和のひと言。ちらほらと生き物の姿は視界に入るけれど、襲ってくる気配はなく遠巻きに姿を見せるだけ。
暇を持て余していた俺は、弾となる石拾いに没頭した。




