9:少女の拒絶
「あ、マスター! 実は、こちらの方々が少々揉めておりまして……」
受付嬢を声高に男へと呼びかける。
彼女の呼びかたからして、この傷の男がここのギルドマスターか。
纏う雰囲気からして、只者ではないと思ったが。
「うちで揉め事なんざ、いい度胸じゃねぇか。
……しかも片方はまたイースリ家の坊ちゃんか。で、理由は?」
「はい、それは――」
受付嬢が、ギルドマスターへこれまでの経緯を説明していく。
あとこの貴族の男。
"また"と言われていたな。
ということは、度々問題を起こす厄介者というわけか。
まったく、とんでもない奴にあたったものだ。
「――なるほどな。
新人が未登録の奴隷を森で保護してきて、そいつは坊ちゃんが逃がしてしまった奴隷かどうかって話か。
それで揉めている、と」
「そういうことだな」
「ギルドマスター殿!
こいつは盗人ですよ! 私の奴隷を返さないんだ!!」
「盗人とは人聞きが悪いな。俺は獣人の少女を助けただけだ。
それがたまたま、未登録の奴隷だっただけだろ。
言葉だけじゃ、あんたが所有者だって証拠はなに一つないぞ」
「おいおい落ち着けや。俺が間に入ってやるから、手っ取り早く片付けちまおうぜ。
まず坊ちゃんよ。奴隷商と交わした契約書はあるか?
認可の下りている正規の奴隷商相手なら、国の判が押されたものがあるはずだ。
逃げられたのは取引後なんだろ? だったらすでに書類は受け取っているよな。
……違法な取引じゃなければ、だが」
ギルドマスターの言葉に、急にハイネルの態度がよそよそしくなった。
完全に目が泳いでいるな……。
「も、もちろんありますよ!
しかし屋敷に保管してあって、ここへは持ち合わせておりません!」
「それじゃ、屋敷から持ってきてくれねぇか?
そいつさえあれば、坊ちゃんの奴隷だと証明できる。
新人、お前もそれなら納得できるだろ?」
「そうだな。
ちゃんとした公的なものであるのなら、認めるさ」
「……わかりました。すぐに取って来させましょう。
おいギムル。屋敷へと使いをだせ。……わかっているな?」
「心得ておりますよ、ハイネス様」
なんだか怪しいやり取りだ。
ギムルと呼ばれた護衛の男は、外へ出ると5分とせずに戻ってきた。
待たせてあった馬車の御者にでも伝えたのだろう。
「よし、そんじゃ新人。お前もその保護した奴隷を連れて来い。
当事者がいねぇと話にならんからな。
ま、当然シラを切るだろうから、奴隷本人の証言はアテにできんが」
「わかった。すぐに連れて来よう」
俺はギルドマスターの意見に同意し、一旦宿へと少女を連れに戻った。
「あ、キリクさん! 見てくださいよこの子!!
お湯で身体を洗ってあげて、服も着せ替えたんです!!」
イリスの部屋を訪れると、彼女は自慢げに獣人の少女を披露してきた。
最初は薄汚れていた少女だったが、綺麗に洗われたためかべたついていた髪はサラサラに。
天使の輪というのか、美しい光沢を放っている。
「宿の女将さんが、娘さんが昔着ていた服を下さったんですよー。
どうですか? すっごくかわいいですよね!」
なるほど、確かに少し着古した様相のある服だ。
尻尾が出るように工夫された茶のショートパンツに、黒いワンピースを合わせている。
着る服の色合いが、少女の銀髪と良いコントラストを演じているな。
女は化けるというが、本当にその通りだと思う。
洗われたためか、彼女の獣人を象徴する耳や尻尾がとてもふさふさだ。
こちらの様子を窺ってるのか、しきりにそわそわと動いている。
……触ったら怒るだろうか?
「……あ、あの……助けていただいて、ありがとうございます。ご主人様」
少女の発言に、場の空気が凍りつく。
『ご主人様』
それは、平民ならば一度は言われてみたい言葉だろう。
この呼び方をされるのは、決まって貴族や王族、豪商など。
身分の高い者や金持ちなどの、一部だけなのだから。
「生憎だが、俺はお前のご主人様になったつもりはないぞ……」
主従関係もなにも結んでいない。
それなのに、どうしてその呼び方になるのだ。
「で、ですがわたしを助けて下さったのは、ご主人様ですよね……?」
「確かに助けたのは俺だが……。
まぁいい。それよりも、お前の事で少し面倒なことになった。
ちょっとついて来てくれるか?」
「あ、あの、わたしの事でご主人様に迷惑をおかけしたのですか?
だとしたら申し訳ありません!」
床に手と膝をつき、頭を垂れて必死に嘆願する少女。
その横で、こちらを白い目で見つめてくる聖女。
「おいやめろって!? そういうのされても困るんだよ……」
「そうなのですかキリクさん?
本当は、女の子を屈服させて嬉しいんじゃないんですか?」
なにやら辛らつな物言いをしてくるな……。
まあいい、いつまでもこの子に平伏させているわけにはいかない。
ギルドで偉い人を待たせているのだから。
少女の手を掴み、立ち上がらせる。
「とにかく、ついて来てくれ。
お前の本当の主だって主張するやつがいてな」
そのまま、部屋の外へと少女を連れ出そうとして――
「イヤです!!」
大きな声をもって拒絶された。
少女は俺の手を振り払うと、イリスの後ろへと姿を隠してしまう。
「絶対に、あいつのところになんて戻りません!
あの男の奴隷になんか、死んでもなりたくありません!」
小さな少女の精一杯の拒絶。
見れば耳は垂れ、尻尾もお腹にまで張り付くほど。
目には涙を溜め、身体も小刻みに震えてしまっている。
「お願いします……!
どうかわたしを、あの男のもとへ連れ戻さないで下さい……。
わたしは愛玩奴隷なんかにはなりたくありません……」
少女の精一杯の懇願。
イリスも状況を飲み込めず、こちらへとどうするのか目で訴えてくる。
「そうは言ってもな、ギルドマスターから連れて来るようにとのお達しなんだ」
「キリクさん。
確かに本来の持ち主へと返還する義務があるかと思いますが、どうにもならないのですか?
愛玩奴隷なんて、よっぽどですよ? 違法性が高いやつですよ?」
「違法なのかどうかは俺達だけで決める事じゃない。
そんで相手側が持っている契約書が正規のものであれば、どうにもならないな。
でも安心しろ。恐らくだがその可能性は無さそうだ。
あの貴族の態度からして、真っ当な方法で購入したわけじゃなさそうだからな。
だから自分から逃げた奴隷ですって言わなければ、なんとかなるかもだぞ」
「なんとかって……。
もしキリクさんの予想が外れて、正規の契約書を持ってこられたらどうするつもりなんです?」
「その時は、諦めてもらうしかないかな。
正式な手順に則った所有者が発覚した以上、返還しないわけにはいかないだろ。
あの男のもとへ戻りたくない気持ちはわかるが、納得して欲しい。
じゃないと、こちらが本当に盗人にされかねん」
こちらのやりとりを聞き、少女は自分が迷惑をかけてしまっていると思ったのだろう。
イリスの後ろからでてきて、観念したようにうなだれている。
「……わかりました。
助けて頂いた恩人の方を、犯罪者にするわけにはいきませんよね……」
「こっちこそ、助けておいて最後まで面倒見れずに悪いな。
それじゃ行こうか。先方も待っていることだ」
重い足取りで、イリスと2人して少女をギルドへと連れて行く。
依頼の件にしても、この子の件にしても、後味が悪いものだ。
ギルドへ少女とオマケを連れ舞い戻ると、どうやらハイネス側の書類は既に到着していたようだ。
しかしなにやら一悶着起こっている模様。
「……なぁ坊ちゃん。こいつはどういうことか、説明してくれるか?」
書類をルーペのような物で、じっくりと確認しているギルドマスター。
これは予想が当たったか……?
声をかけ難い雰囲気だが、来たからには伝えないとな。
「保護した少女を連れて来たぞ。
一応本人に聞いてみたが、あんたのことは知らないそうだ。
……な、そうだろ?」
「わ、わたしはあなたのことは知りません!」
やや棒読み気味だが、ちゃんと合わせてくれたな。
まぁギルドマスターが言うように、奴隷側の証言なんてあって無いようなものだろうが。
「そんなわけあるか! 私はちゃんとこの娘の容姿を覚えているぞ!
美しいその姿に見惚れて、こいつを選んだんだからな!!」
席を立ち上がり、鼻息荒く少女のもとへと迫るハイネス。
ひとまずは間に立ち、これ以上の接近はさせないように努める。
「邪魔だ小僧、どけっ!
この犬奴隷め、主を前にして嘘を吐きよって……! 帰ったら折檻してくれる!!」
鼻息荒く捲くし立てるハイネス。
例によって顔が近いため、こちらにかかる彼の吐息がひどく不快だ。
「とりあえず、落ち着いてくれ。
で、ギルドマスター。その契約書とやらはどうだったんだ?」
「……残念ながら本物だ」
……なんてこった。
しかし、だとしたら先ほどの彼らのやりとりは一体……?
「ただし書類と判は、だがな」
あ、やっぱり何かおかしな点があったのか。
これは首の皮一枚繋がった、かな?