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89:老剣の決意

10/29 内容を一部改稿しました。

 イリスが無事に宿から脱出でき、あとはオル爺さえおりてくれば全員が揃う。

 取り囲む村人の半数近くは無力化。加勢が来る前に魔導車まで逃げ切り、乗り込んでしまえば勝ちだ。

 イリスを受け止めた衝撃で足が笑っちゃいるが、あともうひと踏ん張り。ここを乗り切れば、存分に体を休められる。


 余裕が生まれ、気を抜いたのも束の間。背後から砂を踏む音が聞こえて振り返ると、俺の頬を鋭い穂先が撫でた。

 イリスを抱えたまま慌てて飛びのき、頬をさすった手には血が付着する。

 肌を掠めたのは、農具である四本歯のフォーク。俺がさっき殺めたはずの村人の農夫が、上半身を自らの血で赤く濡らし、両手で農具を槍のように構えた姿で立っていた。


「なっ!? 嘘だろ、確かに俺は頭を潰したはずだぞ……!?」


 しかし現実に、首を失い死んだはずの村人が起き上がっている。あろうことか肉片となった頭部が再生し、息を吹き返したのだ。

 いまだ皮膚が張られていない、筋肉が剥き出しとなったままの顔。人相や表情なんてあったものではなく、血走った目がギョロリとこちらを直視し続けてくる。


「ああ、痛かった。痛かったぞ、坊主。死ぬほどになぁ……」


 生き返った村人は、この農夫だけではない。周りを見れば、ほかにも失った体の部位を再生させ立ち上がる村人がいた。

 お嬢に槍で腹部を貫かれ、息も絶え絶えになっていた老婆。アッシュが振るった剣で片腕を斬り落とされ、地面を転げていた老爺。シュリが容赦なく薙いだ短剣で喉を裂かれ、一撃で絶命していた若者。

 生死問わず深手を負い、立ち上がるのさえ困難だった者達が、武器を手に再び起き上がっている。


「おいおい、勘弁してくれよ……。まさかこの村の連中、全員が不死者アンデッドってやつだったりするのか?」


 人が死後、真っ当に弔われずにいると、不死者アンデッドとなって蘇る場合がある。

 死後の強い念、戦場跡といった血や恨みで汚染された土地、立ち込める瘴気といった、様々な負の要素が重なって不死者が発生する原因となるのだそうだ。

 ほかにも亡骸に寄生する魔物や、死者を弄ぶ外道な術士といった、第三者の手によって蘇る場合もあるのだとか。


 総じてこの手の類には、神聖術による浄化が極めて有効とされる。だとすれば下手に俺が手を出より、イリスに任せれば簡単に片がつく。


「い、いえ。もしそういった不浄の類であれば、私がわからないはずありません。それに不死者であれば特有の腐敗臭がありますし、あんなに早く傷が元通りに治るのもおかしいですよ。……彼らは間違いなく、”生きた人間”です」


 生きた人間だって? あれが? ……俺の知っている人間と、随分違っているんだが?

 俺が知る範囲では、大抵の生物は頭を潰されれば死ぬ。当然、人間だって御多聞に漏れず。なのに彼らは、死ぬどころか傷を負ったそばから再生を始めている。

 普通ではありえない自然治癒速度。いったいどういったからくりが……?


 ふと、脳裏にとある化物の存在がよぎった。

 首を落としても死なず、手足をもごうが新たに生え変わり地を踏み鳴らした怪物。四枚の大翼で空を縦横無尽に飛びまわり、撒き散らす腐臭でティアネスの町に惨劇をもたらした、名前すら知らないあの異形の化物だ。

 村人は奴ほどでないにしろ、近しい不死の再生力を有している。それ以外に類似した点は見られないが、人智を凌駕した驚異的な能力に、似通ったものを感じずにはいられなかった。


 人と化物。そもそもの種族からして違う二者の存在だが、経験則から滅する手段は心得ている。どこまで参考になるかは怪しいが、あながち外れではないはず。


「もしそうだとしたら、死ぬまで殺し続けなけりゃいけないのかね」


 何十人といる村人全員となれば、気が遠くなる。とてもじゃないが相手をしていられないな。何度でも起き上がってくるのなら、実質何倍もの人数を相手にするのと同じだ。

 殺そうが起き上がってくるという、身の毛がよだつ事態。動揺と焦りから、否が応にも脳が暗い未来を連想する。

 芽吹いてしまった悲観的な思考は、堪えていた肉体の疲労を強めた。意識しないよう努め、気合だけで持たせていたが、いよいよと限界。急激に体が重くなり、頭は鈍り靄がかかり始める。


 フォークを手にした農夫が、こちらへとにじり寄ってくる。皮膚の張り切らぬ剥き出しの歯を三日月に歪め、隙間からは恐怖を煽る笑いを漏らしながら。

 抗わねばならないのに、逃げねばならないのに、体が意思を拒む。腕が思うように上がらず、足は地面に縫い付けられたが如く動こうとしない。


 四つ並んだ鋭利な先端が、眼前に突きつけられた。

 醜く歪んだ笑み。頭を潰されたさっきのお返しとばかりに、俺を串刺しにしたくて堪らないのだろう。


「キリク君、イリスさん!」


「なにをしているの、早く逃げなさいな!」


「キリク様!」


 俺たちの窮地に気付いた仲間が、声をあげる。

 だがアッシュとお嬢は、容赦なく襲い来る村人たちからアリアを守るので精一杯。シュリもまた、ひとりで五人もの数を相手取っており、助けにこれるだけの余裕はなさそうであった。

 皆が皆手一杯で、どうにもできない。もはやこれまでなのか。


 せめてイリスだけは、体を盾にしてでも守りきる。あわよくば一矢でも報いれたら上等だ。

 腹を括り、怯えて縮こまる少女を背にふらつく足取りで一歩前へ。気力を振り絞ってククリナイフを構える。

 柄を握る指に力が入らず、世話になった相棒の重さすら満足に支えきれなくなっていた。おかげで刃こぼれした切先は、絶えず小刻みに震えてしまっている。


 相手からすれば、さも滑稽に映っているのだろう。

 いまの俺は恐怖と怯えから尻尾を丸め、それでも懸命に抗おうとする弱者。そう捉えられても仕方がなかった。

 これまでも何度か苦戦する場面はあったが、まさかただの農夫相手に死を覚悟する日がこようとは。


 光を遮り、視界に影がさす。

 見上げれば、空から舞い降りてくる人影があった。

 影は着地際に、落下する勢いのままに剣を振り下ろす。刃は農夫の頭頂部から股にまでかけ、垂直な赤い線を残して大胆に振りきられていた。


 農夫の動きがピタリと止まる。次の瞬間に体がずるりと崩れ、半身ずつ、左右に別れて倒れこんだ。断面は背骨にいたるまで見事に両断されており、生々しく鮮やかな臓物が顔を見せる。遅れて斬り口から血が、噴水の如く勢いで噴き出す。


「魔物や獣は数えきれぬほど殺めてきたが、今日ほど人を斬ったのは久方ぶりじゃて」


 影の正体は古豪の猛者。全身を返り血で真っ赤に染め、修羅の面構えをしたオル爺であった。

 鮮血を全身に纏った姿から、二階の部屋はさぞかしおぞましい状態となっているのは想像に難くない。


 オル爺は休む間もなく、続けざまに近くの村人まで駆け、次々とその身に血を塗り重ねていく。その光景は悪魔の所業と称しても過言ではなく、一方的な蹂躙じゅうりん。もはや殺戮といえた。


 あの老体のどこに、走り回る体力が残っていたというのか。負った傷や蓄積している疲労を鑑みれば、俺と同じく立っているのさえやっとのはず。にもかかわらず、オル爺は止まらなかった。


 限界を超え、無茶をしているのは明らか。灯る命の火に、油をぶっかけて勢いづけているような状態だ。いつ燃料が切れ、燃え尽きたって不思議ではない。


 二階の窓から、オル爺に斬られたと思われる村人が何人も落下してくる。体がまだ再生しきらず満足に動けないからか、受身さえまともにとっていない。

 加勢にきたのだろうが、なにがそこまでして彼らを突き動かすのか。痛みに呻きながらも、落ちた数秒後には起きあがってくる。落下の衝撃で、腕や足があらぬ方向へまがっているというのに恐ろしい執念だ。


「ふぉっふぉっ。好きなだけ斬り放題とは、ずいぶんと豪勢じゃの。年甲斐もなく、血沸きよるわ」


 斬り捨てた村人が再び起き上がれば、もう一度斬り殺す。何度でも、何度でも。どれだけ剣に血糊が付着しようと、意にも介さず振るい続ける。

 斬れ味が鈍ろうがオル爺は止まらず、悪魔となり続けた。


「童ども、この戦場はわしが貰うぞ! 老い先短い命じゃ、最後にどれだけ世界を赤く染められるか、試してくれるわ!!」


 孤軍奮闘する勇姿に感化され、俺もまた体に動けと鞭を打つ。ももを拳で叩き、無理矢理にでも言うことを聞かせる。湧きあがる気力を糧に、重い体を動かした。


 イリスの手を引き、仲間とともにオル爺が拓いた活路をひた走る。目指すのは霧の先で、俺たちを待っているであろう光る双眸。

 決して後ろは振り返らなかった。時折足がもつれ、転びそうになりながらも動かし続ける。

 辿り着いた先に、希望があると信じて……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ふぅ、もう一生分は人を斬ったかの。斬りすぎて、さすがに飽いてしもうたわ……」


 血の海で両膝をつき、折れた愛剣を手にうな垂れる老勇オルディス。備えとして忍ばせていた短剣でさえ、武器としての役目を終えていた。

 もはや指一本動かせず、武器まで失くしては成す術なし。しかしそんな死地に身を置きながらも、彼の表情はやり遂げた満足感から清々しいものであった。


 村人たちは力尽きたオルディスを取り囲み、徐々に包囲の輪を狭めていく。衣服を真っ赤に染めた人だかりの輪は、正気の沙汰ではない。

 何度も斬られた恨みか、彼らの目にはどす黒い殺意が宿っていた。受けた苦痛を倍にして味わわせてやると息巻きながら、ゆっくりと距離を詰める。


 この老人をどう料理してやろうか。

 簡単に死なせてしまってはつまらない。

 指を一本ずつ落とすか、少しずつ肉を削いでいくか。

 いっそ皮を剥いで、剥製にするのはどうだ。


 オルディスの耳に、抑揚のない村人たちの会話が聞こえてくる。

 どれもろくでもない内容で、聞くに堪えない。自分が死ぬ運命はかわらず、違いがあるとすればその過程だけ。

 敵愾心を煽るためとはいえ、彼らに対し過剰なまでに残虐な行いをしたのは事実。どんな仕打ちが待っていようと、とうにオルディスは受け入れる覚悟を決めていた。


 気がかりがあるとすれば、この身をなげうって逃がした仲間の安否。

 孫のように可愛がっていた聖女は無事か。次代を託した若人たちは、彼女を連れ逃げおおせただろうか。犠牲が老いた身ひとつで済んだのなら、安いものなのだが。


 村人たちの話に耳を傾けるのをやめ、逃げたイリスたちの行く末を思い、霞む眼で天を仰ぐ。あたりは霧が晴れつつあり、空には顔を出した太陽が彼を見下ろしていた。


 肌を撫でる風を感じながら、黄昏れるオルディス。風は風前の灯を揺らすも、吹き消さぬよう優しくそよぐ。


 ふと気付けば、村人たちのよからぬ会話は慌しい喧騒へと変わっていた。全身に浴びていた視線はあらぬ方向へ。何事かと思い、オルディスは耳を澄ませる。


 彼の耳に入ったのは、遠くから大地を駆る車輪の音。音は凄まじい速度で近づいてくる。

 やかましい車輪の音に紛れ、幾重にも風を切る音をオルディスは聞き逃さなかった。その風切り音がするたび、ひとり、またひとりと村人の頭が爆ぜ、血を噴き上げ倒れていく。


 気づけば、彼を包囲する村人の輪に道ができていた。手薄な穴に遠方から来た巨体が突っ込み、大きな衝撃を発生させる。


 数人の村人が吹き飛ばされ、宙を舞う姿が彼の目に映った。


 姿を見せたのは、人を轢いた衝撃で車体の前面を大きく凹ませた魔導車。後ろの扉が開くと車内からひとりの若者が飛び出し、死に体のオルディスに手を伸ばす。


「師匠、ご無事ですか!? 生きてますね!? なら、早くこの村から一緒に逃げましょう!」


 霞む目に逆光が加わり顔が見えなかったが、聞き慣れた声で誰かを察するオルディス。

 赤毛の髪をなびかせ、中性的な顔立ちをした若者。彼が最後の弟子と定めた、青二才のアッシュである。


 思わぬ展開に、オルディスは面食らい呆然とする。自分の命を対価に仲間を逃がしたのだ。彼としては、ここで死ぬ覚悟でいた。それなのに、あろうことか自分を救うためわざわざ舞い戻ってくるとは。手遅れだとは考えなかったのか。


 馬鹿な真似を、と怒鳴りかけるオルディス。しかし声が詰まり、言葉がうまくでない。そんな師に、アッシュは悠長にはしていられないと声をかけた。


「僕はまだ師匠に剣を教わっている途中なんですから、こんなところで死なれちゃ困ります! 剣だけじゃない、ほかにも勇者としての心構えとかいろいろ伝授してもらわないと! だから、さあ早く!」


 拒否権はないとばかりに、有無を言わさぬ強い口調で告げるアッシュ。

 まだまだ自分を必要とする弟子の言葉を聞き、皺の刻まれたオルディスの口元が綻ぶ。


「……やれやれ、ようやく休めると思うた矢先じゃったのに、この老骨にまだ働けというのか。まったく、人使いの荒い弟子じゃな」


 さし伸ばされた手をとるオルディス。掴み返した枯れ枝の手は力強く、さきほどまでと打って変わって生気に満ち溢れていた。

 アッシュに引かれ立ち上がり、魔導車の中へと誘われる。車内ではオルディスが案じていた者たちの顔ぶれが揃っており、生還を果たした彼に対し歓声があがる。


「ほら、ダリル! 用は済んだわ、すぐに魔導車を発進させなさい!」


「はい、お嬢様。皆さん、飛ばしますのでしっかりと捕まっていてください!!」


 血でぬかるんだ泥を激しくかき上げ、急発進する魔導車。

 進路を遮ろうと村人が前に立ちはだかるも、意に介さず跳ね飛ばしていく。何人か指をかけ車体に取り付くが、激しく舵をきる蛇行に振り落とされてしまう。

 動き出した鉄の巨躯は、もはや人の手では止められやしなかった。


 徐々に遠のく鉄の馬車。村人たちは必死に追いかけるが、悲しいかな隔たれた距離は際限なく広がっていく。オルディスはそんな彼らの姿を、魔導車の窓から遠い目で眺め続けた。


 豆粒より小さくなったかと思えば、あっという間に見えなくなってしまう村人たち。彼方まで轟いていた怨嗟の声は、いつしか風にかき消されていた。

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