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86:死地からの帰路

 縦長の形状で、かぶせのついた小柄なポーチ。止め具を外しかぶせを開くと、ぽっかりと空いた口が姿を現した。

 たいした深さはないはずなのに、覗き込もうが中は真っ暗。不気味な暗黒空間はさながら深淵そのものであり、灯りの有無に関わらず中身は一切見えやしない。さすがは別次元とやらに収納できる魔導具か。


 男は度胸とばかりに腕を突っ込み、手探りでお目当ての品を探る。ポーチは幼児の頭部程度の大きさにも関わらず、突っ込んだ腕は肘までずぶずぶと抵抗なく入っていく。

 底なしな感覚に、このまま体ごと呑まれるんじゃないかと不安になるが、意外にもポーチの口は伸縮性に乏しく、腕を突っ込むだけで精一杯。大容量とはいえ、大きい物は収納不可な仕様らしい。


 時間が惜しいため、とりあえず指先に触れた物を手当たり次第に引っ張り出していく。

 かびたパン、磨り減った砥石、飲みかけの水、はては使い古した男物のパンツと、続々と出てくるのはゴミ。そりゃもう、俺にとってはゴミ同然の代物ばかり。

 なんだよ、かびたパンって。そんなもん残しておくな、捨てとけよ。


 イラつきながらも数多のゴミを引っ張り出し、ようやく本命と思しき球体に指先が触れる。

 冷たく硬い感触に、これは間違いないだろうと取り出せば、思ったとおり大当たり。アリアを解放する鍵となる宝珠だ。


 宝珠を間近でまじまじと眺めれば、妖美な輝きに魅入られそうになる。世の光物がお好きな奥様方であれば、舌なめずりをしそうだ。売ればいい値がつくだろうな。


 宝石と比べても遜色のない美しい球体を、躊躇いなく真下の地面に全力で叩きつける。

 宝珠は粉々に砕け、周囲に飛び散る破片。

 すると鍵の破壊に連動して、アリアを覆っていた結晶もまた、細かな砂状となって瞬く間に崩れていった。


 キラキラと反射する真っ白な砂のベッドに、仰向けで横たわる少女。

 懐かしい面影を残していて、かと思えば女性らしく成長した体つきに、隔たれた時の経過を実感させられた。


 恐る恐る口元に手をかざせば、確かに感じる吐息。弱弱しくあったが、しっかりと呼吸をしている。念のため手首にも指をあてれば、ちゃんと脈を感じ取れた。


 ……よかった、生きてる。

 胸中に燻っていた不安は、生命の鼓動を確認しきれいさっぱりと消え去っていく。


 荷物から外套を引っ張り出し、まる裸の姿を覆ってやる。布で包まれた少女を両手に抱え、予想以上の軽さに驚いた。


「なんだよ、アリア。お前、ちょっと軽すぎるぞ。……イリスよりも軽いじゃんか」


 肉付きのよい聖女様と比べたら当然といえば当然なのだが、イリスと違ってアリアは剣を握って戦う勇者。常日頃戦いに身を置く者となれば、鍛えられた体は相応の重さがあっていいはず。だからこそこの軽さは拍子抜けだった。


 どれだけ長い間、アリアはあの結晶の中に閉じ込められていたのだろう。

 脈を測ったときにも思ったのだが、剣を握る腕にしては手首がやけに細く感じられた。手首だけじゃない、全身が戦いを生業とする者にしては細すぎる。

 拘束された身動き出来ない状況で、長期にわたり囚われていた影響か。鍛えていたはずの体は筋肉が痩せ衰え、もはやそこらの村娘と同等かそれ以下だ。

 死なない程度に、かつ反抗する力を徐々に削がれていった結果なのだろうか。


「なにはともあれ、生きてまた会えてよかったよ。さっさとここから出ような」


 ずっと薄暗い閉鎖空間にいたのだ、さぞや陽の光が恋しかろう。

 体が衰えたのならまた鍛えなおせばいい。生きているのだから、何度だってやり直せる。なによりアリアにはオル爺という、立派な師がついていることだしな。


 負傷していたオル爺はイリスより簡単な応急処置を受け、動く分には支障がなさそう。とはいえひとまずといった具合なので、落ち着いてからしっかりと治癒を受ける必要がある。


「ほら皆、外に出るわよ! 急ぎなさいな!!」


 全員が動ける状態なのを確認し、カルナリア嬢の音頭を合図に一斉に駆ける。

 先頭をそのままカルナリア嬢が務め、縦に連なって後ろを追随する。来た道を、慎重に進んだ行きとは正反対の慌しさで走り抜けた。


 背後からは何度も大きな轟音が響き、崩れた天井が空間を埋めていく。あと少しでも動き出すのが遅れていれば、俺たちも背信の騎士ゼイン同様、仲良くこの地を墓場としていたな。


「オル爺様、お体は大丈夫でしょうか!? 応急処置程度しか治癒を施せず、申しわけありません……!」


 腹部を押さえたまま苦しそうに走るオル爺を、並走するイリスが気遣う。

 対してオル爺は返事をする余裕がないのか、言葉の代わりに吐血で赤く染まったまま口角をあげ、大丈夫だと笑ってみせた。

 強がっているのは誰が見ても明らかだったが、だからといって足を止めてはいられない。苦しかろうが、今は堪えてもらわねば。


「師匠、後ろを失礼します! 僕が背中を押しますから、外まで踏ん張ってください……!」


 アッシュが遅れがちなオル爺の背後に回り、背に手を添え、走る邪魔をしない範囲で後ろから押す。

 苦しいとき、誰もがほんの少しでも力を貸してもらえるだけで頑張れる。心を支える大きな力となる。

 それは勿論オル爺にも当てはまり、それどころか弟子に手を貸されるのが屈辱とばかりに踏ん張っていた。もつれそうだった足の回転は速まり、地を蹴る勢いに力がこもっている。


 やがて前方に明かりが見え、暗い通路から偽の祭壇があった空洞へ。晶窟があるべき本来の美しい姿が眼前に広がった。


 所狭しと壁に結晶が生えるこの場所で一息つきたいが、生憎とそんな余裕はない。ここも連動して崩落しだすかもしれないのだから、足を止められやしなかった。

 二度とこの場所の美しい景色を拝めなくなるのでは、と後ろ髪を引かれるも、一心不乱に外を目指す。


 前方から吹く、外の冷ややかな空気が肌を撫でる。やっとの思いで辿り着く出口。

 俺たちは転がり出る勢いで、晶窟の外へと脱した。気付けば足元から感じていた地響きは収まっており、振り返っても晶窟内が崩れる様子はなかった。

 思えば偽祭壇の間あたりから、頭に小石が落ちてくることがなくなっていたな。ということは、乱暴な採掘がされていた最奥以外は案外無事なのかもしれない。


 だからといって、いつ再び崩れだすかわからない危険地帯へ確認しに戻る馬鹿はいない。次にまた入るとするならば、専門家が念入りに調べた上で、大丈夫とお墨付きをいただいてからでないとな。


 晶窟から離れた場所で地に座り込み、外界の空気の美味さを思う存分に味わう。

 普段はなんとも思っていなかった慣れ親しんだはずの外気は、晶窟内の土っぽい空気と歴然とした違いを感じられ、素晴らしく澄んでいた。


 各自が自分の水筒を、音をたて飲み干す。誰もが皆、空になってもまだ飲み足りないというのが本音だったが、水を求め動く気にはなれなかった。

 死地より脱したひとときの安寧を、じっくりと堪能したかったのだ。


 日はとうに沈んでおり、辺りは真っ暗。空を見上げれば星々が顔をみせており、焚き火どころかランプを灯していない状況では、ぼんやりと照らす月明かりだけが頼みの綱となっている。

 不安と寂しさを同時に駆り立てる、心許ない夜の光。ともすれば晶窟内のほうが、光る鉱石の影響で外より明るかったくらいだ。


「もうとっくに夜になってたのね……。でも考えてみれば、日暮れ頃に中へ入ったのだから、なにもおかしくはないわよね」


「外の景色が見えていないと、時間の感覚って狂ってくるよな」


 思い出したように欠伸が込み上げてきた。緊張から解き放たれ、疲労が一気に押し寄せてくる。

 気を抜くと寝入ってしまいそうになるので、息の整った者から態勢を整え、周囲の警戒にあたった。


 イリスはあらためて、オル爺にちゃんとした治癒を施し始める。先ほどまで何度も咳き込んでいたが、次第に呼吸は落ち着きもう安心だろう。

 イリスに治癒を任せておけば万事解決で、もはや俺が心配するのさえおこがましい。


「……アリア様、ずっと起きないです」


「だね……。顔色もよくないし、早くちゃんとした場所で休ませるべきだよ」


 むしろ心配すべきなのはオル爺より、助け出したアリアのほう。顔色は青く、肌は冷たい。時折苦しげなうめき声が、血色を失った唇から漏れている。

 イリスが傍についているので死ぬ危険はないにしろ、だからといって楽観視していい容態ではなかった。


 過度に失われた血と体力は、イリスの力を持ってしても即座に回復できるものではなく、人間が本来持つ自己の治癒力に依存してしまう。

 安息な場所での休養こそがいまのアリアに必要なのであって、冷たい風の吹きつける野外では、時間が経てば経つほどいたずらに苦しめるだけ。


「じゃな。わしはイリスちゃんのおかげでもう大丈夫じゃ。異論がなければ、すぐにでも村へ戻るとしようぞ」


 座り込んでいたオル爺が立ち上がり、率先して移動を促す。

 自分も心配されるべき立場なくせして、弱ったところは微塵も見せようとしないその姿に、全員がもうひと踏ん張りだと奮起する。

 俺も地に根付く足に力を込め、自ら頬を叩き襲いくる睡魔を散らした。


「考えてみれば、ゼインが単独とは限らないものね。あの場にはいなかったけれど、仲間がいたっておかしくないわ。なら無理してでも、ここからすぐ移動したほうが得策ね」


 ただでさえ皆へとへとなのに、ひとりふたりならまだしも大勢に襲われちゃ堪らない。考えたくはないが、もしゼインと同格の実力者が現れでもしたら、それこそおしまいだからな。


 方針が定まると、さっそく行動を開始する。本来、夜間の移動は避けるべきだが、どちらにせよ危険が付きまとうのであればやむを得まい。

 意識のないアリアはアッシュに任せ、今度は俺とシュリのふたりで先陣を担った。


 さすが夜の山なだけあって、出るわ出るわの魔物の数々。とりわけ夜行性のためか、蟲型の魔物の襲来が群を抜いていた。

 遠方からは狼のものらしき遠吠えが木霊し、夜を生きる獣たちの存在を浮き彫りにさせる。


「おい、シュリ。足元がふらついてんぞ。眠いのはわかるが、あとちょっとだけ頑張れ!」


 頭からシュリにかぶりつこうと、大顎を広げ迫る百足型の魔物。石を投げて処理し、反応が鈍くなりつつあるシュリに檄を飛ばす。


「ふぁひ!? は、はいです! 狼さんも狩りの時間だと叫んでますし、狩られないようがんばるです!」


 自ら頬をつねり、涙目になりながらも睡魔をやっつけるシュリ。

 後ろを振り返ればイリスもまた両の頬を赤くし、頭をふらつかせながらも辛うじて強行軍にくらいついていた。


 誰もが口数は減る一方。足取りは遅く、少しでも気を抜けばもつれそうになる。……事実、後ろではイリスが何度か転んでいる。

 俺が背負ってやりたいところだが、襲い来る魔物の対抗手を担う以上そうもいかず、かといってほかの者には荷が重い。オル爺なら背に乗る感触に喜んで引き受けそうだが、無理をして腰を痛められたんじゃかなわないからな。


 やがて空が白み始めた頃、辛かった苦行にようやく終わりが訪れる。温かいスープに柔らかいベッドが待つ村へと、誰ひとりとして欠くことなく辿り着けたのであった。

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