85:不落の騎士、その結末
「……キリク君の懸念はもっともだって、僕にもわかってるよ。力になれなかった身で意見するのは、おこがましいと思ってる」
生殺与奪の権利は戦った俺とオル爺にこそあって、傍観していただけの自分に口を挟む権利はないとアッシュは言う。
そんな自分の立場を承知のうえで、なおもゼインを殺めるのは早計だと訴えかける。
「僕だって許せないよ。憧れであるアリア様を、こんな薄暗い場所で冷たい結晶の中に閉じ込めるだなんて酷すぎる。それも仲間であるはずのあのゼイン様がやったというのだから、なおのこと信じられない、信じたくないよ!」
アッシュは心の底から、勇者であるアリアを信望している。それは同時に、勇者と肩を並べて戦う仲間の者たちに対しても、敬意や羨望を抱いていたのだろう。
勇者を害したのがまったく無縁の第三者であったなら、アッシュもここまで反対していなかったはず。相手が勇者のもとに名を連ねる人物だからこそ、現実を受け入れ難く拘ってしまうのか。
「ゼイン様はエストニル教から洗脳を受けていたり、催眠の魔法をかけられている可能性だってあるんだよ。話を聞きだすだけじゃなく、そういった可能性も踏まえたうえで、僕は捕縛を提案したいんだ」
「そう……ですね。アッシュさんのお考えは一理ありますし、私もできるなら最後までゼイン様を信じてあげたいです。だって聖騎士に就いておられた頃と、今のゼイン様は別人といってもいいほどですよ? 教会を守護されていたあの頃の逞しい背中は、嘘偽りではなかったのだと信じたいです」
む、まさかイリスまでアッシュ側につくとは。考えてみれば、勝敗のついた相手を殺すとなったら、心優しい聖女様が許容するはずないわな。
なにも口出しせず、後ろでおろおろとしてくれていたほうがありがたかった。聖女様がアッシュの肩を持つとなれば、対立し「殺すべき」と唱える俺が悪者みたく思えてくる。
「わたしはキリク様に賛成するです! わたしたちに危害を加えてくるような恐い人と、一緒には居たくないです!」
四面楚歌な俺に、シュリだけは味方についてくれた。といってもこの子の場合、俺の意見に思考停止で同調しているだけかもしれないが。
なんにせよ、シュリだけでも味方でいてくれるのはありがたい。
「私の意見はさっきも話した通りね。ここは一旦捕まえておいて、始末するならエストニル教が裏でなにを画策しているのか、詳しく聞き終えてからにすればいいと思うの」
この場で尋問でき、かつゼインが簡単を口を割るのであれば、お嬢もこちらについてくれていたのだろう。残念ながら悠長にしている時間はなく、尋問をするための知識や技能さえ皆無なのだが。
オル爺を除く全員の意見が出揃い、三対二と捕縛する派が優位。
このままではなし崩し的に、ゼインを生かす方向で話が進んでしまいかねないな。
こうなればいっそ、顰蹙を買ってでも強行してやろうか。
俺だって仲間の意見を蔑ろにしたいのではない。あくまで自分なりに、ゼインを生かすことに対する危険性と、得られる見返りを天秤にかけての判断。
意見が通らないからと、駄々をこねる子供とは事情が違う。
実際問題として、ゼインをお縄にかけてはい終了、とはいかないのが現実。
王都にせよヴァンガル領の首都にせよ、それなりの規模の都にまで連行する必要がある。その間、捕らえたゼインが大人しくしているかどうかなんて、問わずとも明らかだ。
暴れれば容易く制圧できる相手じゃないのは、とうに身を持って経験済み。だからといって、常時ゼインの見張りに神経を尖らせ続けるとなれば、相当な負担を強いられる。
抜き身の毒刃を抱えた結果、寝首をかかれましたでは笑い種にもならないぞ。そのぐらい、アッシュだって理解しているはずだろうに。
言い合い熱が入っているさなか、視界の端で剣を握るゼインの右手が動きをみせた。
すかさず反応し、アッシュを押し退けククリナイフを右手目掛け投げつける。
「がっ!? ……っ!」
投擲された刃は人差し指と中指の二本を切り落とし、握っていた剣を離れた位置にまで弾き飛ばす。
ゼインは血の吹き出る傷口を左手で押さえ、呻きながらうずくまった。
下から見上げるようにして、恨みがましく睨みつけてくる目。怯みそうになるほど圧迫感のある眼力に、負けじと上から睨み返す。
「動くなっての。俺は絶対に、あんたに隙をみせやしないから」
投げたククリナイフを呼び戻し、再び切先を向け構える。どこかで必ず仕掛けてくると予想し、気を抜かず身構えていてよかった。やはりこいつは油断ならない。
横目でアッシュを、それみたことかと睨みつける。
ゼインの目に灯る火は消えておらず、成功するか死ぬまで抗い続けると容易に想像がつく。素直に大人しくし、殊勝な態度を心がけるなら折れる選択肢もあったが、もう迷いはなくなった。
……構えたククリナイフを振り上げる。
アッシュはまたも止めようとするも、伸ばされた手は途中で止まり、力なく下げられた。口は一文字に閉じられ、目を背けるようにして顔を俯かせてしまう。
「……ゼインの処遇、すまんがわしに一任してもらえんか」
対立に一応の決着がついたかと思いきや、今度は復活したオル爺のひと声。わしが終止符を打つといわんばかりの有無を言わさぬ顔つきに、振り上げていた刃を収める。
誰よりもゼインと戦い、誰よりも長く身近に接していた師。その本人が希望するのだから、望みに応え任せるのが適当だろう。
手で腹部を押さえ、満身創痍ながらも立ち上がった老体は、剣を杖代わりに重い体を引き摺り、かつての愛弟子のもとへ足を運ぶ。
オル爺はゼインに対し、どうケジメをつけるつもりなのか。
並々ならぬ眼光に押され思わず委ねてしまったが、果たして任せてよかったのか。
……いや、結果がどうであれ、オル爺の判断を信じよう。決しておかしな決断は下さないはず。
なにより、オル爺から感じ取った気迫に間違いがなければ、下される結論は恐らく……。
「ゼインよ、なにか弁明はあるか? 言いたいことがあれば、聞かせてもらうぞ」
「……聖女様を含めお連れの方々は、そろいも揃って甘い考えをお持ちなのですね。明確に敵意を露わとしている私に対し、信じたいだの、催眠魔法を受けているかもしれないだのと。……まったく、見当違いも甚だしい」
そう言うと、ふっと鼻で笑うゼイン。
実利主義なお嬢はともかく、善意で反対していたアッシュとイリスを嘲笑するとは、なんとも呆れた男だ。自分の立場をわかって発言しているのだろうか。
「……相手が誰であれ、事情がどうであれ、敵であれば始末する。聖女の護衛を務めるのであれば、守るためにもそうあるべきでしょう。私ならばそうします。……ゆえに、最後まで殺す姿勢を崩さなかった彼こそ正しい」
自分を殺そうとした相手を肯定するなんて、ゼインの真意が読めない。
殺せと開き直るでもなく、かといって命乞いをするわけでもない。懲りずに反撃の機会を窺ってはいるのだろうが、一貫して態度を崩さず不気味だ。
「そうじゃな。わしもお前と同意見じゃ」
左手であごひげを撫でながら、静かに耳を傾けていたオル爺。弟子の意見に同意を返すと、突如として杖代わりにされていた剣が振るわれ、半月の軌跡を描く。
薄暗い空間を、放物線に飛んでいく丸い影。ボトリと音がし落ちた場所に目を向ければ、そこには転がる生首があった。
一拍の間を置き、首の切断面からじわりと血が滲み出す。
あまりにも見事な太刀筋に、遅まきながらようやく細胞が斬られたと気付き、止め処ない勢いで天井高く血飛沫を噴きだした。
外界に放出され空気に触れた大量の血は、濃い鉄の臭いを辺りに充満させていく。
ほどなくして司令塔を失ったゼインの体は、糸の切れた操り人形同然に力なく血の海に倒れこむ。
痙攣する指先が血溜まりでぴちゃぴちゃと跳ね、不快な水音を奏でる。
……やがてその水音が収まると、残ったのは崩落を堪える壁や天井の軋む不穏な音だけ。
突然の斬首で呆気にとられたのもつかの間、いよいよと危惧していた時が訪れる。
唐突に晶窟全体が大きく揺れ、最初の落石を皮切りに天井が崩れだしたのだ。時間切れだと、崩壊の始まりを告げられる。
崩れ落ちる岩のひとつが、ちょうど真下に転がるゼインの頭部に落下。
熟れた果実ばりに兜ごと押し潰され、種のように飛び出した目玉。白の球体はころころとアッシュの足元まで地面を転がっていき、靴の爪先に当たって停止する。
アッシュはその場から飛び退き、込み上げる吐き気から口元を押さえた。
「うっ……。師匠……どうして……」
「アッシュよ、弟子の不始末を拭うのは師であるわしの役目じゃ。弟子が道を誤ったのなら、正してやるのもまた師の役目」
動揺を隠せないアッシュに対し、淡々とした口調で語るオル爺。
それは己の下した判断が、なにひとつ間違っていないと自らに戒めているかのようであった。
「じゃがあやつは、もう引き返せぬ場所まで踏み込んでおる。わしが今更言い聞かせたところで、もはや手遅れじゃ」
「だからって殺さなくとも……! 殺さずとも、腕を落とすなりすれば無力化できました。今は無理でも、時間をかけて師匠が諭せばあるいは……!」
「アッシュ、お前はゼインの目をまともに見とらんじゃろ。瞳の奥に潜む本性を正面から見据えておれば、捕まえようなどとぬるい考えは持たんかったはずじゃ。狂気にこそ染まっておったが、あれは正常な人間の目じゃった」
動転し、狼狽するアッシュ。
普段の落ち着き払った姿しか知らないだけに、初めて見る一面だった。
「わしらに見せたあの姿こそが、奴の隠し通してきた生来の姿なのじゃろうて。……芯まで染まっとる人間を説き伏せられるほど、わしは徳高くないでの」
この場の誰よりもゼインを深く知る師の言葉に、アッシュはそれ以上なにも言えず口をつぐむ。
しかめた眉は、意思を貫けるだけの強さを持たぬ己の力不足を悔やんでなのか。もしくは在りし日のゼインの面影に囚われ、目を背けようとした自身の甘さを省みてなのか。
オル爺は一度大きな溜め息を吐き、首を失った亡骸の横へ腰をおろす。
好々爺が幼子をあやす優しげな口調で、物言わぬ肉塊と成り果てた死体に語りかける。拳が悲鳴をあげるほど握り締め、しわがれた声は徐々に震えを帯びていく。
「……ゼインよ、どうやらわしの見込み違いじゃったらしいの。お前の剣才に惚れこんだものの、本質まで見抜けんかったわしの落ち度じゃ」
皺の刻まれた老齢の頬を、ひと筋の雫が流れ落ちる。オル爺はすぐに顔を伏せ、溢れ出る涙を悟られぬよう隠してしまう。
がくりと肩を落とした背は哀愁に溢れ、やけに小さく見えた。これまで意識さえしなかったというのに、初めてオル爺が歳相応の、衰えたか弱い年寄りに思えたのだ。
「この歳になっても、まだ枯れ果てておらなんだか……。ゼインよ、お前はいったいどこで道を誤ったというのじゃ……」
見抜けなかった己を悔い、気付き正してやれなかった自分を責めるオル爺。
師弟が築いてきた関係は俺の知るところじゃないが、師自らの手で弟子を殺める日が訪れるとは想像だにしていなかったはず。
名高い勇者のアリアを差し置き、ゼインこそが一番の弟子と評していたんだ。手塩にかけて教えを授けた弟子の結末がこれでは、魂が抜けたように気落ちしてしまうのも無理ない。
傍らでは目を伏せ、涙ながらに魂の安寧を祈るイリスの姿。悠長にしている余裕はないはずなのに、急かす気にはなれなかった。
俺がゼインに対し最後まで冷徹であれたのは、ゼインという人物と人柄をよく知らなかったにほかならない。
その点アッシュは俺と違い、「あのゼイン様が」「ゼイン様に限って」「ゼイン様なら、なにか事情があるはず」……そういった感情に強く囚われてしまったのだと思う。
「ほれ、キリク。なにをぼさっとしとるか、受けとれい」
イリス以上に沈むアッシュを心配していると、不意になにかが飛んでくる。
オル爺から放り投げられたのは、ゼインが身に着けていた例のポーチ。取りこぼしそうになりながらもしっかりと受けとめ、余計な考えを振り払い、アリアが眠る結晶の前まで足早に赴いた。




