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82:異よりの甘言

 じりじりと互いに距離を詰め、間合いを測る師弟であるふたりの剣士。

 いつ何時、なにがきっかけとなって再び動き出すか。睨み合うふたりの当事者を除き、まるで予測がつかない。


「童ども、わしより前に出るでないぞ。狙われでもすればとても庇いきれん。あと、決して奴を倒そうなどと考えるな。アリアを救うことのみに頭を働かせよ。よいな?」


 オル爺からの忠告を受け、俺たちは揃って数歩後ろに下がる。

 それにしてもゼインを倒さずして、どうやってアリアを助ければいいのか。……なんて、考える必要もなかったな。

 肝心の宝珠はゼインの腰元にある。場所がわかっているのだから、俺が隙をみて投擲術を駆使し壊せばいい。ちらっと見ただけだが、ポーチの外観は皮製。頑丈そうではあるものの、鉄製の金庫というわけではない。俺が外から石でもぶつけれやれば、中身は容易く砕けるはずだ。

 とはいえ相手は、オル爺をして逸材と言わしめた一番弟子。元勇者と同格の剣士であると考えれば、いつぞやのときみたく、生半可では防がれる可能性も考慮しなければ。

 焦らず、機会を伺おう。大丈夫だ、隙ならオル爺が必ず作ってくれる。


「……よからぬ視線を感じますね。獲物を虎視眈々と狙う、獣のような視線です。……言っておきますが、宝珠を収めたこのポーチはれっきとした魔道具の一種。別の次元に収納できる大容量ポーチです。従って外部からは中の宝珠を壊せませんし、破れでもすれば修繕するまで取り出せなくなりますよ」


 ちらちら向けていた視線に勘付かれたらしく、先に釘を刺されてしまった。実行する前でよかったといえばよかったのだが、どさくさに紛れてという作戦は難しくなったな。

 外から壊すのが無理なら、それこそポーチを奪うしかない。固定しているベルトは普通の物のようだし、ゼインから切り離すだけなら簡単だ。……問題があるとすれば、容易に拾わせてくれるかどうかか。


「あの、ゼイン……様付けはしなくてもいいわね。申し訳ないのだけれど、私からも質問していいかしら?」


 空気を読んでなのか、読まずなのか。沈黙が支配する場で、冷や汗を垂らしながらも手を上げ、ゼインに質問の可否を尋ねるカルナリア嬢。

 彼女の表情はいたって真面目。ともすれば、強張ってすらいる。自分の発言が火蓋を切る合図となりかねないことくらい、重々理解している様子だった。


「あなたが口にした”ニル様”とはなんなの? あなたが仕える主君の名なのかしら?」


「……つい口走っておりましたか。別段隠すほどの話ではありませんので、知りたいのならば教えてさしあげましょう。……ニル様は、我らエストニル教が崇める神。生を司る、美しき女神の名です。ニル様が我らにお与え下さるの慈愛の深さは、あなた方が信望するミルとは比較にもなりません。まさしく至高の御方、真に人々を死の恐怖からお救いくださる神なのです」


 エストニル教……? 女神ニル……? どちらも初めて聞く。

 そもそも、セントミル教のお膝元である教国ルルクスにおいて、ほかの教えを弾劾こそしてはいないものの接する機会は殆どない。時折耳にしたとしても、全て異教で片付けられ頭に残りやしないからな。

 言うなれば、それだけセントミル教が広く布教されている証拠だ。俺のように半端者から、教会の象徴である聖女のイリスまで。信仰心は大なり小なり、ピンキリではあるが。


「ゼイン様! あなた様は短い間ではありましたが、教会で聖騎士を務められていたほどのお方です! ゼイン様は、ミル様に祈りを捧げる敬虔なセントミル教の教徒ではなかったのですか!?」


「……残念ながらイリス様、私は初めからミルなんぞに頭を垂れたつもりはありません。……私が崇め奉るのは我らがニル様のみ。我が信心を捧げしはエストニル教の教えだけです」


 師の質問に対しては遠回りに面倒だと拒否したくせに、女性の疑問には律儀に応じるゼイン。心なしか声色は柔らかく、異性に対しては騎士らしく紳士になる性分なのだろう。

 しかしイリスに対する返事には、背信に心を痛めた様子は微塵も感じられなかった。親しい間柄でなくとも読み取れてしまう、本心からの発言である。それどころか微かに、怒りや恨みといった負の感情さえ込められていたように思う。


 一方イリスにとっては、またも信頼していた者に裏切られたのである。さぞかし苦しくつらい心境だと、予想せずとも手にとるようにわかってしまう。

 案の定、心配は的中。

 鼻は赤く目は潤み、唇を噛み締め今にも泣きだしかねない悲痛な面持ちをしていた。胸を押さえ、必死に平静を保とうと務めている。負の感情を押し殺そうと耐える姿が不憫でならない。


 こういったとき、なんて声をかけてやるのが正しいのか。

 考えても正答を導き出せず、俺にできたのはイリスに話しかけ、少しでも気を逸らしてやることだけだった。


「な、なぁ、イリス。知らないから教えて欲しいんだけど、エストニル教ってどういった宗教なんだ? お前なら知ってるだろ?」


「ふぇ? ええと、エストニル教とはですね、何百年と前に栄えていた教派……です。セントミル教と並び、古くからある神の教えとされています。ですがとうの昔に廃れてしまっていて、現在ではどういうわけか詳しい記述が残っておらず、古い文献に名前が残る程度でしかありません」


 うまく気を逸らせたのか、感情の決壊に歯止めがかかる。……というよりは、イリスが俺の拙い思慮を汲み取ってくれたとみるべきか。


 それにしても何百年も前って、えらく昔からあったんだな。というか、セントミル教自体がそんなにも歴史ある教えだったのさえ知らなかった。

 思い起こせば神父様から、セントミル教の歴史について学んだような記憶はある。これっぽっちも頭に入っていないのは、それだけ当時の俺は興味を持っていなかったんだな。子供の頃の俺は石投げに夢中すぎて、ほかの大抵が疎かだったのは否めないが。

 しかし、両者はどこでこんなにも差がついたのか。同じ長い歴史を持つというのに、かたや繁栄、かたや忘却の彼方だぞ。


「すみません、私も古書で見知っただけの知識しかなくて……。先代様か司教様であれば、もっと詳しく存じておられるかと思います」


「あの、横からちょっといいかな? 僕が勇者様を追って旅をしていた頃の話なんだけどね、地方の田舎町で少し耳にした覚えがあるんだよ。教徒らしき人が教典片手に道行く人を勧誘をしていたんだけど、そのときの謳い文句が『死別した最愛の人に、もう一度会いたくありませんか』……だったかな。あまりにも胡散臭いんで、誰にも相手にされていなかったけどね」


 俺たちの会話に口を挟んだのはアッシュ。

 死んだ者に会いたくないか、か。そりゃ胡散臭い。死者を蘇らせるとでもいうのかね。最愛の人に先立たれて、精神的に参っている人でなければ見向きすらしないぞ。

 ……いや、そういった心の弱った人が食いつくからこそ、成り立っていると捉えるべきか。

 普通の人ならまず近寄らない怪しさだが、藁にでも縋りたい境遇の人からすれば、例え悪魔の手さえも救いに思えたのだろう。


「……胡散臭い、とは心外ですね。ニル様が復活なされた暁には、夢物語ではないというのに。……あなた方もいかがですか? こうして出会えたのもなにかの縁。よい機会ですし、入信なされては? さすれば、刃を交え血を見ずに済むのですが」


 うわぁ……。

 聖女様一行を相手に異教への勧誘とは、節操がなさすぎやしないか? まったく、大した神経をしていやがる。


 当たり前だが、ゼインの誘いに首を縦に振る者がいるはずもなく。

 エストニル教の掲げる謳い文句が真実だとすれば、それはとても魅力的だろう。大抵の人であれば、会いたい故人のひとりふたりはいて普通だ。俺だって気軽に叶うのなら、物心つく前に他界した祖父母と会って話をしたい。

 だがいくらなんでも、世界の理を捻じ曲げすぎだ。どんな奇跡を起こすつもりか知らないが、死者を蘇えらせるのは命の冒涜にほかならない。たとえ神様の御業だとしても、おふざけが過ぎる。


「……誰も応じてはくれませんか」


 ゼインの勧誘には、無言の沈黙が総意の答えだった。

 あまりにも突飛すぎて、お断りの言葉さえ発するのも馬鹿馬鹿しい。


「当たり前じゃろ。馬鹿げた妄言を信じるほど、わしは耄碌もうろくしておらん」


「さすがに、別の神様をいきなり信仰しろって言われてもねー……」


「キリク様が頷かない限り、わたしも頷くことはないのです!」


 とはいえ、ゼインにとって誰も頷かないことは想定の範疇。落胆した様子は見られず、やれやれと肩を竦めるだけであった。


「……あなた方は今、自ら差し伸べられた慈悲の手を振りほどかれてしまわれました。……まことに残念でなりません」


 ったく、どこがだ。言葉に感情がまったく乗っていないぞ。

 殺気や敵意といった悪感は一切途切れさせず、構えた剣を下ろそうとすらしなかった。仲間に引きこみたい気持ちがあるのなら、せめて少しくらいは誠意を現してもらいたい。


「……ですが、聖女がこの場にいるのは私にとってまさに僥倖。……ニル様へ捧げる供物として、いずれは貴女をお招きせねばならなかったのです。……同胞の尻拭いができる機会を得られ、感謝いたしますよ」


 次の瞬間、話は終わりだとばかりにオル爺と剣を切り結ぶゼイン。何度も刃が交差し、鉄の弾ける音が止まず響き続ける。薄暗い晶窟内を、絶え間なく火花の光が照らした。

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