73:古き勇者の弟子
いよいよ本日、書籍版第一巻が発売となりました。
web版ともども、これからもよろしくおねがいいたします。
明くる日の朝。早い時間から俺は例のドワーフが経営する武具屋を訪れ、依頼していた品のひとつを受け取った。そしてその足で街門に向かい、すでに魔導車に乗り込み待機していた仲間たちと合流する。
聖女様のお忍び旅という名目はそのままなので、目立つのを避けるためにも見送りはなし。別れの挨拶ならとうに済ませてあるからな。まぁ、魔導車そのものがそれなりに目立っているのだが。
「おほぉ! これが魔導車か、噂には聞いておったが速いのぉ!! わしが旅しておった頃にはありはせんかったからの、新鮮じゃわい。……乗り心地はちと悪いがの」
今時の若者は楽なものだ、とオル爺は年寄り臭く言うが、今の時代であっても魔導車を乗り回せる人のほうが稀有だぞ。いずれ広く普及していくのかもしれないが、果たして何十年後になるのやら。
「キリクさん、王都を出発する前から包みを抱えてますけど、それはなんなのですか?」
俺がドワーフのおっさんから受けとった品を、大事そうに懐に抱えているものだから、周りが興味を持つのは当然だった。移動中の暇を持て余した状況だと、なおのこと。
白状すれば、尋ねられるのを内心そわそわして待っていたのである。そこへ食いついてきてくれたのがイリス。俺は待ってましたといわんばかりに、覆っていた包みをほどき中の代物を披露した。
「へぇ、それがキリク君がドワーフの職人に依頼したっていう、新しい武器かい? 結構大きいけど、分類としてはナイフ……なのかな?」
「なんだか変な形してるですー」
姿を見せたのは、歪な形状で指先から肘まではある長さの大型ナイフ。湾曲した内反りの片刃を持つ、あまり目にする機会がない珍しい刃物だ。どちらかといえば、色物の類だろう。
「ほほぅ、ククリナイフかの。どこぞの少数民族の間で伝わっとる刃物じゃな」
このナイフの名称を知っているとは、さすが世界中を巡った経験のあるオル爺。歳を重ねた古老である。あの武具屋で飾られていた魔剣に惹かれ、店主と相談のうえ提案されるがままに拵えてもらったのだ。
さっそく鞘から抜き、光を反射して銀に輝く刀身を露わとさせる。新品特有の、惚れ惚れとする穢れのない美しさ、その出来栄えは横で眺めていたオル爺が唸るほど。いい仕事をしてくれたな、ドワーフのおっさん。
「そのナイフ、魔石を用いて拵えたのよね? なにか能力を付与してあるのかしら?」
「そりゃもちろん!」
窓を開き、流れる外の景色に向けてククリナイフを投擲する。
「ふぁ!? キリク様、捨てちゃうですか!?」
「ちょ、キリクさん!?」
突然の俺の奇行に、驚きを隠せないシュリとイリス。
さっきまで自慢げに見せびらかしていた武器を投げ捨てたのだ。この反応は予想通り。むしろこのふたりしか驚いておらず、こっちが逆に驚きだ。
「まぁまぁ、落ち着け。ほら、ここに指輪があるだろ? これを指に嵌めて……『来い!』」
俺が一言呼びかけると、右手の中指に嵌めた指輪が光を発し始める。やがて光が収束すると、そこには先ほど投げ捨てたククリナイフが握られていた。
これがこの魔剣の能力。先ほどの指輪とククリナイフはふたつでひと組となっており、指輪の装着者がマナを消費することで、どこからでも手元にククリナイフを召喚できるのだ。
「あはは、いいねそれ! キリク君にぴったりじゃないか」
「なるほどね。私の槍から着想を得たのかしら?」
まさしくその通りである。というよりも、まんま真似をさせてもらった。石ころはどこでも拾えるから使い捨てできるが、それ以外となれば数に限りがある。実際、投擲ナイフは何本か回収できず失くしているからな。繰り返し何度も使えるというのは、それだけでありがたいのだ。
「いやさ、お嬢の持ってた槍が羨ましくって。鍛冶師に相談したら、できるってことだったからさ。……まぁ、この能力だけの単純な魔剣なんだけども」
だがそれで十分。俺が持つなかでは一番の大型刃物となり、石ころや投擲ナイフと比べると、圧倒的な質量を誇るククリナイフ。切れ味よりも、とにかく頑丈さを重視して造ってもらった。こいつならば、巨木であろうとばっさり薙ぎ倒してくれるだろう。鞘は背に背負う形で拵えてもらい、右手から一挙動で投擲できるようにしてあるので、不意な襲撃があっても即座に対応できる。
気分はさながら、新しい玩具を与えられた子供。走り続ける車窓から遥か遠くにククリナイフを投擲し、手元に呼び戻すを何度も繰り返した。傍からすれば、なにが楽しいのやらだが。
「私の槍は、召喚できるだけじゃないけどもね。……それよりも、ちょっとキリク。嬉しいからって、浮かれてやり続けると……」
何度目だろうか。手元にククリナイフを呼び戻した瞬間、不意に頭がふらつき、強烈な吐き気に襲われた。座っているのさえ億劫になり、そのまま後ろに倒れこむ。ずっと平気だった魔導車の揺れが、今は最高に気持ち悪い。
「ほらもう、調子に乗るから……! この手の能力はね、魔具の質にもよるのだけれど、召喚する距離に比例してマナの消費が大きくなるの。あなたはただでさえ遠くに投げられるのだから、使いすぎればそうなるわよ」
「そ、そういうのは、はやく、言ってくれ……」
馬鹿ね、と呆れられてしまう。時が戻せるのなら、なにも考えず馬鹿みたいに繰り返した先ほどの自分を殴ってでも止めるのに。
つまりこの気持ち悪さと吐き気は、マナが著しく欠乏したせいか。……いや、それだけじゃないな。体調を悪くした状態に、輪をかけて乗り物酔いが追い討ちとして襲い掛かっている。
「大丈夫ですか、キリクさん!? すぐに神聖術を施しますね……!」
心配したイリスが、すぐさま治癒を施してくれる。だが神聖術でよくなるのは乗り物酔いだけで、マナの欠乏症はどうにもならない。さらにいえば魔導車が走行し続けている以上、いくら治癒を受けても、悪化と改善を繰り返すだけ。ずっとこの狭間で揺れ動いている。いや、むしろ悪化が優勢か……。
徐々に悪いほうへと傾いていく天秤。例えるなら、なみなみと杯に注がれた液体が縁でスライムみたく丸みを帯び、いよいよをもって決壊しかけている状況だ。よりにもよって今日に限って、朝食を多めに摂ったのを非常に後悔している。
「あ、やば、い……。もう、限……界……」
ねずみの頬袋が如く、膨らむ両のほっぺ。逆流してきた胃の内容物が、口の中で最悪の酸味を奏でている。もはや口内の容量も満杯となり、抑えられそうにない。
「キリク君! これを!!」
咄嗟にアッシュが自分の荷袋をひっくり返し、中身を空にして手渡してくれた。俺はその荷袋を受け取ると、最速で袋の口に顔を突っ込む。
「ウプッ! おろろろろろー……」
ギリギリだった……。
こうしてアッシュの見事な機転により、最悪の事態は免れた。しかしこれで全て終わったわけではない。
惨事は伝染するもの。酸味の利いた香りが車中に広がり、同乗していた仲間が次々に不調を訴え始めたのだ。
「うぅ、ぎもぢわるいのです……」
「シュリちゃん、大丈夫ですか!? え、アッシュさんも!? あわ、あわわわわ……!」
どうやら前回の時と違い、イリスはなんともないようで、忙しなく皆に神聖術を施し始める。だが手が追いつかず、次第に混乱しはじめてしまう。
「これじゃ、今日の移動はもう無理ね……。ちょっと早いけれど、ここらで野営としましょう」
「ちょっとどころか、かなりだけどねー……。うぷっ」
「す、すまん……」
間もなくして魔導車は停車。まだ昼前だというのに、本日の移動はここで打ち止めとなった。
キリクは食欲が湧かず、昼食を摂らずに用意された寝床にて就寝。傍らではシュリが添い寝をしており、イリスが看病のため横に付き添っていた。
ときおり彼を心配した者達が、代わる代わる様子を見に訪れている。
「童の様子はどうじゃの? イリスちゃん」
「あ、オル爺様。キリクさんなら、ぐっすり眠ってますよー。今日一日寝ていれば、明日には元気になられると思います」
体調を悪くしてから蒼白だった顔色も、すっかり血色を取り戻していた。悪夢にうなされているといった様子もなく、キリクの寝顔はいたって穏やかである。
「ふむ、なら心配はいらないの」
自分の目から見てもほぼ快復したと断言してよく、安堵したオルディス。
「イリスさん、キリク君の調子はどう――あっ、オルディス様もいらしてたのですか」
オルディスが立ち去ろうとしたとき、続けざまに顔を出したのはアッシュ。彼もまたイリスからキリクの容態を聞き、大丈夫だと聞くや胸を撫で下ろしていた。
「ふむ、ときにアッシュよ。先ほど素振りをしておったようじゃが、お前の剣は自己流かの?」
「え? あ、いえ。幼い頃は剣の先生から教えを受けていました。でも本格的に打ち込むようになってからは、ほぼ独学です」
キリクたちのもとから立ち去った道すがら、オルディスよりいきなり振られた質問に、アッシュは正直に答える。その答えを聞くや、オルディスはアッシュの爪先から頭の天辺まで、周囲をぐるりと周りながら品定めした。
「……惜しいのぅ」
アッシュの前で再び立ち止まると、オルディスは溜め息を吐きながらぼそりと言葉を吐く。それから腕を組み、目を伏せて思案に浸りはじめた。
オルディスの奇怪な行動に、どうしてよいかわからず困惑するアッシュ。意を決して考え込む彼に声をかけようとした瞬間、オルディスの目が大きく見開かれた。
「アッシュよ、わしから剣を教わる気はないかえ?」
それは思いがけない提案であった。
一世を風靡した剣士、先代の勇者が、剣術を教えてやると言い放ったのだ。剣の道に生きる者であれば、誰もが頭を垂れてでも教えを請いたい相手から直々にである。
それは勿論アッシュも例外ではなく、願ってもない話だった。
「ほ、本当ですか!? オルディス様が、僕に剣の手解きを……!?」
「わしは冗談で弟子をとったりせんよ。お前には見所があると踏んだからこそじゃ。まぁ、嫌ならべつに構わんがの。無理強いはせん。我が道を突き進むのも、また――」
「是非! 是非お願いします!!」
その場で膝をつき、深々とアッシュは頭を下げる。この機会を逃したら、次はない。せっかく己の才能を、先代の勇者が見出してくれているのだ。断る選択なんて、アッシュにありはしなかった。
「……よろしい。わしも弟子をとり始めたのは、随分と年をくってからじゃからの。せっかく極めた剣技じゃ。今更ながらわしの生きた証として、有望な若者に伝え残しておきたく思っておる。厳しくいくが、ついてこれるな?」
「はい、勿論です! やった、これでアリア様と同門、兄弟弟子だ……!」
興奮から握った両の手を震わせ、アッシュは意気込みを露わとする。やる気に満ちたその様子に、オルディスは目を細め微笑んだ。
「では、これよりオルディス様を師匠と呼ばせていただきます! 師匠の一番弟子である、アリア様に負けぬよう精一杯努めます!!」
「ふぉっふぉっ、その意気やよしじゃ。じゃがの、わしの一番弟子はアリアにあらず。あやつはいいとこ、二番弟子といったところかの」
「え……? そうなのですか? 僕はてっきり……」
今代の勇者は先代に師事し、彼より剣術を教わっている。これは勇者事情に精通する者なら常識であり、誰もが皆、アリアこそオルディスの教えを一身に受けた秘蔵っ子だと捉えていたのだ。
もともとオルディスは自分で語っていたように、現役だった頃から多少の手解きをすることはあっても、特定の者を弟子として育てはしなかった。だからこそ、アリアが一番の弟子であるとアッシュは思い込んでいたのである。
「後身の育成に力を入れ始めたのは、ある有望な若造を見つけてからじゃ。アリアを王より託されたのは、そやつを弟子にとったあとになるの」
自分の知らなかった裏話に、アッシュは興味を惹かれた。どのような人物が、オルディスの一番弟子、アリアの兄弟子だったのか。気になったアッシュは、件の人物についてオルディスに尋ねた。
「あやつは寡黙で、自分のことをあまり語らん性格じゃったからのぉ。わしも散々弟子入りを断っとった手前、あまりおおやけにはせんかった。じゃが、アッシュよ。あやつのことならば間違いなく知っておるはずじゃぞ。勇者一味の剣士、といえばわかるじゃろ」
「え!? ということは、騎士のゼイン様が!? し、知らなかった……」
しかしいざ知ってみれば、納得がいく答えであった。勇者と肩を並べ、勇者が背を任せられる人物となれば、成るほどといえる。
「ゼインこそがわしの全てを受け継ぎ、わしを超えうる逸材といえよう。アリアは剣の腕において、あやつに一歩及んでおらんかった」
ただし、その性質上いつも表立って脚光を浴びるのは勇者であるアリア。ゼインは常に日陰者であり、縁の下の力持ちであったとオルディスはふたりを評する。
「……ん? そうなると、アリア様と一緒に旅をされてたのだから……」
「まったく、わしの馬鹿弟子どもはどこで油を売っておるんじゃろうな」
オルディスもまた、勇者一行の近況について知る数少ない人物。だが彼はこれといった心配はしておらず、むしろ憤慨するほどであった。だがその怒りは、ふたりの愛弟子を信じているからこそである。
「……ちとお喋りしすぎたの。喉が渇いてしもうたわい。水分を摂ってから、始めるとしようかの」
「あ、はい! すぐお水をお持ちします! 以後、ご指導のほどよろしくお願いします!」
こうしてオルディスの弟子となったアッシュ。以来は魔導車での移動時だけがアッシュの睡眠時間となり、食事を除くほぼ全ての時間が訓練のためにあてがわれた。まさしく、地獄すら生ぬるい特訓の日々が始まったのである。




