72:枯れ枝の剣
固唾を飲み、緊張した面持ちで新たに仲間に加わる人物を待っていると、ようやく訪れた対面の時。扉が叩かれ、グスクス司教が件の人物を部屋へと招き入れる。
「紹介いたします。彼は――」
「オルディス・シグナリオじゃ。よろしくの、童ども」
現れたのは古めかしいローブに身を包んだ、六十はゆうに超えている老紳士だった。胸板にまで届くほど長い灰の髭を蓄えており、顔には深い皺が傷と一緒くたになって刻まれている。
正直なところ、ラヴァルが現れなくてほっとした。四六時中つっかかってきそうな相手との旅なんて、想像したくもないからな。
しかしこの爺さん。杖こそ持っていないものの、全身を覆うだぼっとしたローブ姿からして魔導士なのだろうか? 並々ならぬ雰囲気を発しており、立ち居振る舞いからして只の老人ではない。
「隠居した老骨を引っ張り出してきおってからに、今度は童どものお守りかの? お主からの頼みでなければ、断っておったぞ」
厳かな目つきで、こちらを一瞥する老紳士。目が合った瞬間、心の底まで見透かされるかのような感覚が襲い、背筋がぞくりとした。並々ならぬ眼力であり、俺たちを見定めているのであろうか。
「……ふむ。なかなか見所のあるやつがおるようじゃの」
「わぁ! オル爺様が一緒に来てくれるんですか!? これは心強いですよー!」
「ふぉっふぉっふぉっ。イリスちゃんは相変わらず元気じゃのぉ。おや? 暫く会わんうちに、また一段と大きくなったんじゃないかえ?」
どうやらイリスとは面識があるらしく、それも結構親しげな間柄と見受けられる。目つきは先ほどの鋭い眼光から打って変わって、イリスと接した途端鼻の下を伸ばしだらしない顔つきに。ったく、どこに目をやっているんだか。
当の本人は身長についてだと思い違いをしており、下心のある視線には気付いちゃいないな。鈍いというかなんというか、幸せな頭してるよまったく。
「どんな人が来るのかと思ったら、とんだエロ爺だな。なぁ、アッシュ。……アッシュ?」
囁き声で隣にいる剣士に話しかけるも、返事がない。どうしたのかと顔を覗き込めば、アッシュは目を見開き体を震わせていた。
「あ、あの! もしかして先代の勇者である、あのオルディス様ですか!?」
なにを呆けているのか疑問に思っていると、唐突に身を乗り出し大声をあげたアッシュ。その声は上擦っており、様子から緊張しているのがはっきりわかる。
だが今の発言から、理由は察した。先代の勇者であるオルディスの名は知っている。彼の成した偉業、暴竜を撃退した逸話は広く知れ渡っているからな。勇者信者のアッシュからすれば、すでに退役してはいるが元勇者。一番のお目当てではないにしろ、憧れの勇者であった人物だ。興奮するのも頷ける。
「うむ、いかにも。元勇者であり、今代の師でもあり、王より剣聖の称号を賜るオルディスとはわしのことじゃ!」
両手を広げ、ローブをはためかせながらポーズを決める先代の勇者様。先ほどまでは隠れており気付かなかったのだが、腰元にはこれまた外見に似つかわしい古い装いの剣が。長年愛用されてきたのであろう使い込まれた柄が、彼が間違いなく歴史に名を残す剣豪だと主張していた。
「うわぁ! うわぁ!! ど、どうしようキリク君!? サインとかもらっておいたほうがいいかな!? かな!?」
「落ち着けアッシュ。嬉しいのはわかるが、一回深呼吸しような?」
普段のアッシュからは想像つかない興奮ぶりに、俺を含め周りは若干引き気味である。ティアネスのギルドで初めて会った当時、アリアの幼馴染だと教えた際にも昂ぶっていたが、今回はあの時以上だ。もし今代の勇者であるアリアと対面したら、行き過ぎて心臓が止まるんじゃなかろうか。
「うむ、これだけ喜ばれるとわしも嬉しいのぅ。いまどきの若者は皆、見栄えのいいアリアばかりもて囃しおる。どれ、握手でもするかの?」
「はい! 是非!!」
シグが差し出した手を、アッシュは念入りに手汗を拭いてから握り返した。嬉しいのは結構だが、さすがに感極まって泣いたりしないよな?
「おや、そっちのちみっこいお嬢ちゃんも可愛らしいのぉ。ほれ、こっちへおいで。砂糖菓子をやろう」
「わーい! シグ様、ありがとうなのです!」
年寄りらしく好々爺を演じ、さっそくシュリまで手懐けてしまった。お菓子で簡単に懐柔されるとは、あの子にはもう少し教育が必要だな。今回は相手が相手だからこそいいものの、悪人にころっと騙されて連れて行かれてはかなわない。
「あの、グスクス司教様。元勇者で剣の達人なのは俺でもわかるんですが、大丈夫なんですかね? 言っちゃなんですけど、老体に無茶させるのは……」
前半の移動には魔導車を用いるとはいえ、大なり小なり負担がかかる。衰えた体には些か酷だろう。それにひと昔前は最強の剣士であっても、避けられぬ老いには勝てない。今の年齢では、もはやまともに剣を振れるのかすら疑わしい。
「年は食ってしもうたが、まだまだ耳はよく聞こえとるぞ。じゃが、お前の懸念はもっともじゃな」
おっと、聞こえてしまったか。老人は耳が遠いものと勝手に判断していたが、元勇者ともなれば並の同年代よりかは優れているらしい。話す音量は抑えていたのだが、次からはもっと落としたほうがいいな。
「話に聞いておるぞ。お前が投擲術を極めた童じゃろ。わしが朽ちた老木かどうか、不安なら試してみるがええ。童自慢の、その投擲術での。なに、心配はいらん。わしの剣の前では、飛来する石ころなんぞ羽虫を払うも同然じゃからな」
俺を睨む目には力が込められており、口元には不敵な笑みが浮かべられていた。挑発まで交えてくるあたり、どうやら冗談で提案しているのではないらしい。自分はまだまだ現役だと周知させ、懸念を払拭させる。そして俺の投擲術を確かめるためにも、本気で試す腹積もりなのか。
その結果俺の言い訳など聞きもせず、有無を言わさぬ強引さで教会の中庭へと連れ出されてしまった。頼みの綱であるグスクス司教もまた、ただ笑うだけでこれから行われる危険な試みを止めやしない。あまつさえ、付近の人払いを率先して行う始末である。
イリスたちもやめるようかけあってくれたが、無情にもその願いは却下されてしまう。
「ほれほれ、準備はできとる。いつでもええぞ。わしを殺すつもりで、全力で投擲してみい」
全力でって、正気かよこの爺さん。篭手を装着していないとはいえ、素手であっても人の頭くらい軽く吹っ飛す威力がある。もし爺さんが昔の栄華を引き摺ったままで、思惑通りにいかず当たってしまったらどうするつもりなのか。下手をすれば俺が、引退した勇者を殺した人物として歴史に名を残しかねないぞ。
とはいえ、完全にやる気となった爺さんを上手くはぐらかす案が浮かばず、逃げ口を見出せない。ならばいっそ諦め、無難に終わせるのが一番か。納得してもらうためにもある程度本気を出しつつ、かつ死に至らしめる大怪我を負わせてはいけない。
……腕、かね。狙うとすれば。それも爺さんの利き腕ではない左。
頭は防げなければ一発で即死だ。腕ならば最悪当たって吹き飛んだとしても、すぐ死にはしない。この場には聖女のイリスもいるのだし、失血死する危険性もほぼなく、元通り繋げることすら可能なはず。
懸命に思考を巡らせ、これしかないと結論を出す。考えが纏まってしまえば、あとはもう覚悟を決めるだけだ。心配せずとも、俺の腕ならばまず狙いは外さない。自信を持って、爺さんの望み通り己が誇る投擲術を見せ付けてやればいい。
腰の小袋から取り出した小石を、二度三度と軽く宙に放り得物を見せてから最後にしっかりと掴み、投げる構えをとる。当の標的である元勇者の爺さんは、一見隙だらけ。だが飄々としながらも、佇むその姿は威風堂々としていた。
……しかし一向に剣を構える様子がない。よもや手刀だとかいって、素手で払うつもりか?
「あの、剣は抜かなくていいんすか?」
「気にせんでええ。準備はできとると言うたじゃろ。……さぁ、早うこんかい!!」
相手は元勇者とはいえ、所詮老人。少し躊躇われるものの、あとには引けない。発せられた力強い怒号を合図に、力試しの投擲を放った。狙いは予てより決めていた左腕。それも掠る程度のギリギリの位置だ。爺さんが変に動かなければ、軽い出血で済む。
健常な若人すら目に捉えることさえ困難な、高速で飛来する石の礫。年を召した老体では、反応さえまずできないはず。
だが完全に舐めきった俺の思惑とは裏腹に、何重にも重なって響いたのは剣が石を断ち切る金属音。
粉粒の如く木っ端微塵とされた石ころが、標的を目の前にして地面へと砕け散っていた。
いつの間に鞘から抜いたのか、爺さんの右手には剣がしっかりと握られており、この結果に俺を含めた周囲ともども呆気に取られてしまう。ただひとり、グスクス司教だけが彼を讃える拍手を送っていた。
『カチン』と剣を鞘に収めた音が耳に入り、ようやく意識が現実へと引き戻される。そして嫌でも理解させられたのだ。目の前に立つこの人物はまさしく、引退していようとまごうことなき勇者、剣の頂に立つ者なのだと。
「これ以上なにか言わずとも、納得してもらえたようじゃな」
言葉を失くした俺に対し、先に口を開いたのは元勇者オルディス。悠然とした顔つきで、こちらに不敵に微笑みかけていた。
「……あんな神掛かった剣技を披露されたら、オルディス様がまだまだ現役の剣士だと認めるしかないですよ」
「ふぉっふぉっ。そう畏まらんでええぞい。わしのことはイリスちゃん同様、『オル爺』とでも呼んでくれりゃあええ。へりくだる必要もないわい」
右手で立派な顎髭を撫でながら、目尻を下げて優しく笑うシグ爺。シュリなんかはすでに懐き始めている。アッシュは逆にどう接したらいいか図りかねており、頭を悩ませていた。
「……では皆様方。新たに加わるオルディス様の紹介も終わりましたし、これにて解散としましょう。旅立ちの仕度は万全ですか? 明日は早いですので、忘れ物をしないためにも、今日のうちからしっかりと確認しておくのがよろしいかと」
グスクス司教の言葉に押され、俺たちはこの場をあとにする。しかし司教とオル爺さんだけは、話があるとかで中庭に残っていた。
「……満足されましたか? オルディス様」
場に残された二人の老者。司教のグスクスはキリクたちを見送り、完全に彼らの背が見えなくなってから口を開く。
「うむ、これほどとは思わなんだな。しかもあやつの投擲、あれで全力ではないのじゃろ。まったく、末恐ろしい童じゃ」
「相変わらず無茶をなされますね。私はあなた様を信じておりましたが、それでも肝を冷やしましたよ。……では、左腕を診させていただきます」
剣の翁、オルディスは目を細め苦笑する。彼の額にはうっすらと滲む汗。
司教はオルディスのローブに手を突っ込み、半ば強引に隠されていた彼の左腕を引っ張り出す。その腕は暗色である袖の上からではわかりづらいが、一部が滲み出た血で赤黒く染まり、濡れそぼっていた。
「……お主にはばれておったか。全て払い落としたつもりじゃったが、防ぎきれなんだ。やはりわしも年をとったのじゃな。全盛期の頃であれば……いや、それでもあの童が本気の全力を出せば、どうだかわからんの」
グスクス司教はオルディスの負傷した左腕に神聖術を施し、傷を癒していく。幸いにして砂粒程度の小石が二、三粒被弾しただけであり、彼の傷は深くない。司教の手にかかれば、完治するのも一瞬であった。
「童が腕を狙ってくれてよかったわい。わしの言葉を真に受け、本当に殺しにかかってきておれば頭に穴が空いておったぞ。それにほれ、こいつを見てみぃ」
治癒が終わったオルディスは、剣を鞘から引き抜きグスクス司教に手渡す。受けとった司教は目を凝らし、刀身をまじまじと眺めた。
「何箇所か、刃が欠けてボロボロでありますね。……これはさきの一件で?」
「左様。聖剣をアリアに託して以来の相棒じゃったが、こいつはもう駄目じゃな。研ぎに出したところで、元通りにはならん」
司教より剣を返されたオルディスは、鞘へと役目を終えた相棒を収める。そして我が子を愛でるかのような手つきで、剣の柄を優しく撫でた。
「その剣は魔剣の類でないといえ、稀代の業物だったと聞き及んでおります。お気持ち、お察しいたします」
「ま、しょうがないの。ふっかけたのはわしのほうじゃからな。形ある物はいつか壊れる、自然の摂理じゃ。それがちと早まっただけのこと。なに、大丈夫じゃて。代わりの剣はある」
愛剣を憂い、少しだけ寂しそうな表情を見せるオルディス。だがそれもほんの一時だけ。昔を思い出す久しい長旅に、供にする有望な若者たち。明日から始まる新たな日常が、彼の胸を密かに躍らせていたのだった。




