69:聖地と聖女
嵐が去ったあと、身内の無礼を謝罪したグスクス司教。眉間に寄った深い皺から察するに、さきほどのラヴァルには随分と手を焼いているようだ。
「あの子も根はいい子なのです。ですが生い立ちが少々特殊でして……。どうか、許してやってもらえませんか?」
「罰ならさっきアルルカ司祭から受けていたから、俺は構……いません」
あの分厚い経典の角を用いた一撃は、逆にお釣りが出るほどだった。なにせ白目を剥いて気絶していたのだ。容赦のない罰にご愁傷様である。
「ところで司教様? さきほど司祭様が、あなたが私たちに大事なお話がある、と申されてましたけれど……」
「おぉ、そうでしたね。……まずお聞きしたいのですが、あなた様方はイリス様が旅に出られた理由をご存知でありますか?」
イリスからは、聖地を巡礼する旅だと聞かされている。お忍びだとも聞いた覚えがあり、納得していたので深く掘り下げはしなかったが……。
「あのあの、司教様! 私は言いつけ通り、教会の関係者にさえ聖地を巡る旅としかお伝えしておりません! 当然、ここにいる皆様にも。だからそれ以上は……」
ん? その口ぶりじゃ、なにか別の目的があって旅をしていたのか?
イリスとは、十分に信頼関係を築けたと自負している。無論詳しく尋ねなかったのはあるが、それを除いても話せない理由があったのだろうか。
「おぉ、偉いですねイリス様。ちゃんと爺の言いつけを守ってくださり、嬉しくあります」
「えへへ~。私だって、ちゃんと分別つくようになりましたからね!」
勝手な印象だが、イリスは少しばかりお馬鹿さんの類だと認識していた。しかし重要な部分に関しては、片鱗も匂わせず守秘できる聡明さを持ち合わせていたか。
「えっと察するに、当初イリスさんが行っていた旅には、部外者に口外できない目的があった、でよろしいでしょうか?」
「仰る通り、聖地巡礼とは表面上の名目にすぎませぬ。イリス様へ課した旅には、公にできぬ別の使命があったのです」
よほどの理由がない限り、聖女が王都から出る機会はないはず。ましてや秘密裏に各地を巡り、さらには身内にさえも旅の名目を偽っていた。果たして、俺はこのまま耳を開いていていいのだろうか?
「司教様! ……皆さんにお話しして、よろしいのでしょうか?」
「イリス様は、彼らをさぞ信頼されておるご様子。ならば私も信用できるというもの。なにより、あなた様方にお願いしたい事柄にも繋がってまいりますので」
グスクス司教からのお願い事。それがアルルカ司祭の言っていた、大事な話ってやつになるのか。
「……ですが今からお教えする内容は、外部に漏れるわけにまいりません。然るに口外禁止を厳守するため、こちら血契の書に署名をいただきます」
グスクス司教は厳しい目つきとなり、人数分の紙を持ち出した。ひとりひとりに視線を合わせて、順に配られていく。
この血契の書に名前を記入し血判をすると、記入者は記載された内容を遵守しなくてはならない。今回の記載内容を要約するならば、『聖地の秘密について、他人に伝えることを禁ずる』といったところか。
「契約を破ろうとすれば、一時的に言語喪失状態となり、意思疎通の手段を全て封じられます。ま、一種の呪いの類ですね。ちなみに勝手に解呪しようものならば、血契の書は灰となり我々にわかる仕組みになっております」
そう簡単には解けませんが、と最後に付け加える司教。それでも漏洩の可能性は残るのだから、結局最後は信頼が全てとなる。もとより破るつもりはないが、背くような真似はできないな。
当然誰一人として異論はなく、説明されたとおりに名前を書き、親指に傷をつけ滲み出した血で判を押す。シュリも悪筆ながら、ちゃんと自分の名前を書けるようにはなっていたので問題ない。
「ふむ、ありがとうございます。預かった書類は、こちらで厳重に管理いたします。では下地が整いましたので、本題に入るとしましょう」
全員から受け取った血契の書を懐に仕舞いこみ、グスクス司教は目じりを緩め頷いた。机上に供された茶に口をつけ、喉を潤してから彼は話を始める。
「余計な話は抜きに、本筋にまいりましょう。イリス様が行われていた旅は、正しくは聖地巡礼ではなく、聖地浄化を使命とされた旅なのです」
聖地はマナが溢れる神聖な場所、と一般には認知されている。モギユ村の近くにある、『聖なる泉』もそのひとつだな。それ以上の謂れは聞いた覚えがない。本心を言えば、そんな大層に崇めるほどの場所か、と思っているほどだからな。
「聖地には周辺に棲む魔物の成長を、抑制する働きがあるのです。ですが聖地のマナが穢れてしまいますと、この機能が正常に働きません。そのため代ごとの聖女様が各地を巡り、浄化をなされていたのです」
語られたのはこれまで知る由もなかった、聖地に秘められた役割。教会内でも限られたごく一部の者にしか伝えられておらず、ひた隠しにされていた真実であった。
それほど大事な役目を果たしているのなら、なぜ世間に公とされていないのか。と疑問に思ったが、これは悪意ある者が聖地を穢す危険があるからだと予想できる。
聖地が穢れから機能を停止したとして、どれだけ魔物に影響があるのかはわからない。だが、ゴブリンですら対処が難しくなるほど強くなるのであれば、まさに一大事となる。
現在の聖地は、先代の聖女が使命を終えてから時が経ち、穢れを帯び始める頃合なのだそうだ。それで今代のイリスにも、白羽の矢が立ったわけだな。
「でも、それほど大事な話をなぜ俺たちに? 血契の書なんて用いてまで、教える必要はなかったんじゃ……?」
「……イリス様はまだ、全ての聖地を浄化なされておりません。なので、旅を再開してもらわねばならぬのです。そのためあなた様方に、引き続き護衛をお願いしたくあるのです」
「でもそれこそ教会に属する聖騎士に、続きを任せればいいのではなくて? 彼らなら腕も確かなのだし。掟を破ってまで、私たち部外者に頼る必要はあったのかしら?」
教会所属の聖騎士。王や領主に遣える一般的な騎士や兵士と違い、教会を守護するため剣を振るう聖職に準ずる騎士。過大な兵力とならぬよう、国からの指示で絶対数が定められている。それゆえ少数精鋭となり、求められる水準が高く安易に目指してなれる役職じゃない。
イリスを護衛し、殉職した彼らも聖騎士だったそうだ。当然、今は亡き裏切り者のバスクもである。
「勿論、本来ならば彼らに任すべき役目であり、部外の者にはとても任せられません。ですが諸事情で、今は動かせる者がおらぬのですよ……」
諸事情、とはなんだろうか。バスクの一件から、ひとりひとり素性をあらためてからでないと任せられない、という理由ならば納得いくが。
だが、それにしてもだ。グスクス司教が手放しに信頼できる者数人くらい、いて然るべきのはず。
「ここまで話しておいて、事情を黙っておくわけにもいきますまい。……あなた様方が直近で、勇者様のご活躍を耳にされたのはいつ頃になりますか?」
なぜか唐突に名が挙がる勇者。直近といわれても、うちは田舎だったから入ってくるのは随分と遅れた情報ばかりだったしな……。
一年も前の情報すらざらで、もはやどの活躍譚が最新なのか時系列さえあやふやだ。
「うーん、僕の知る限りじゃ、半年ほど前に聞いた王級討伐の報が最後……かな?」
「私も、ここ最近の活躍は知らないわね……?」
カルナリア嬢はまだしも、勇者信者のアッシュすら、追えているのは半年も前と古い情報なのか。
なんだか嫌な予感を覚え、胸がざわつく。
「ふむ、だいたいそうでしょうな。こちらもまた内密にお願いしたいのですが、実は……」
真剣な面持ちの司教を前にして、全員が息を飲む。決して良くない話だとは、彼の雰囲気からなんとなく察しがついてしまった。
「……半年前を境に、勇者様一行との連絡が途絶えておるのです」
定期的な連絡を義務付けられていた勇者一行だが、現在は長期にわたり、連絡が途絶えてしまっている状態。つまるところ、勇者は行方不明。
……覚悟はしていたが、予想しうる中でも最悪の部類だ。
「この件が知れ渡れば、民を不安にさせます。国としては、混乱を招く事態は避けたくありますから、大々的に兵を動かせず、少数の密偵を放つに留まっているのです。ゆえに口の堅い我が教会の聖騎士が、総出で捜索に借り出された次第なのであります」
従って今の教会には、見習い程度の者が幾人か待機しているだけ。彼らは守衛として、最低限の役目を果たすだけが精一杯の人材でしかない。
移住先の王都まできたのだから、アリアと再会できるんじゃないかと密かに期待していた。
離れてから六年も経ち、どれだけ成長しているのだろう。再会したら、一度も村に顔を見せなかったことに文句を言ってやろう。
……そう、考えていた。なのに、アリアが生きているのかさえわからない状況だなんて……。
「……アッシュ、顔が青いけど大丈夫か?」
「そういうキリク君こそ、手が震えているじゃないか……」
聞かされた衝撃の事実に、中でも縁のある俺とアッシュは動揺を隠せずにいた。
いや、縁や所縁もない他人であっても、平常ではいられないはずだ。国民的な英雄である勇者が、消息を絶ったのだから。広まれば、国が危惧した通りになるのも容易に想像できる。
「……事情はわかりましたわ。ならば大事をとって、しばらく旅立ちを控えられてはどうかしら? 勇者様の件が解決したのち、あらためて再開なされては?」
「いえ、イリス様には急ぎ旅を再開していただきたいのです。というのも、各地で王級の発見報告が頻発してきており、これは聖地が穢れ力が弱まっているに他なりません」
放っておけば魔物が力を増し、やがては手に負えなくなる。ましてや、芽を刈る役目を担う勇者がいないのだから、最悪は魔王の誕生を迎えかねない。
穏便に処理できるうちに済ませたいのだから、そこで俺たちの出番となるわけか。イリスから信頼を得ており、王都まで無事送り届けた実績を鑑みての判断なのだろう。司教とて本音を言えば、部外者なんかに頼りたくはないに決まっている。
「出払った聖騎士たちを呼び戻せばよいのでしょうが、方々に散っておりすぐにとはまいりません。……どうでしょう、こちらの内情を汲み取り、引き受けていただけませんか?」
こちらの様子を窺いながら、要望を願い出る司教。ここまで話を聞いた手前、断る選択があろうか。あちらも、俺たちなら受けると確信をしたうえで話したのだろうからな。
「僕は構いません。勇者様の安否が気がかりだけど、今は自分にできることをしなくちゃね」
「俺も引き受けますよ」
イリスが必要とするのなら、どの道最後まで付き合うつもりだったのだ。ある意味、願ってもない申し出といえる。
行方不明のアリアに対し、心配なのは俺もアッシュと同じ。だが捜索には聖騎士がこのまま総出で当たるそうだし、彼らを信じて任せよう。下手にでしゃばる場面じゃなく、俺たちは俺たちで与えられた役割を全うすべきだ。
「キリクさん、アッシュさん……! ありがとうございます……!」
奇しくも再び旅路を共にする運びとなり、イリスは嬉しさで目から涙を溢れさせた。照れ隠しとばかりに浮かべた微笑に、なんとも照れくさくなる。
「流れを止めるようで悪いのだけれど、私は即答できかねるわ。……お父様に黙って、魔導車まで持ち出してきちゃったんだもの。そろそろ領地に帰らないと、いい加減拳骨だけじゃ済まなそうなの……」
あれ? 領主である父の代役だと、最初に聞いた覚えがあるのだが……?
魔導車は貴重な大型魔道具。それを無断で乗り回していたとなれば、どれだけ怒られるのやら。
事情はともかく、カルナリア嬢の同行は難しい様子。となれば最速を誇る移動手段がなくなり、徒歩か馬車での旅になってしまうか。
「ふむ、それは残念です。ですが無理強いはできません。……カルナリア様は、ヴァンガル領に戻られるのでありますね? ならば道中だけでも願えませんか。彼の地にもまた、聖地が存在しておりますゆえ……」
素直に引き下がったようにみせかけて、さりげなく提案を持ち出す司教。
魔導車の持つ機動力は、道中の安全にも繋がる。最速で駆ければ、盗賊や魔物に襲われても優に振り切れるのだ。とくれば、簡単に手放したくないのも頷ける。
「うちの領内にある聖地……? んー、もしかして『神秘の晶窟』がそうかしら?」
彼女の問いに、司教はその通りだと頷き返す。
『神秘の晶窟』とは、濃いマナが結晶化し、輝きを放つ美しい洞穴。マナが固形化する理由は定かではないが、天然の魔石とも称される結晶を狙った盗掘を恐れ、民には秘匿されている場所だとカルナリア嬢が説明してくれた。
「確かにうちの領内ではあるけれど、端の端、それも田舎の山奥じゃない。ついでにしては、意地が悪すぎるわよ……」
どうやら『聖なる泉』同様、僻地に位置するみたいだな。であれば彼女が難色を示すのも納得だ。
しかしさすがは聖女様のため、いの一番に駆けつけた人物。渋々ながらも了承をしてくれた。
 




