68:聖女の帰還
明くる日の朝。俺たちはイリスを連れ、用意された馬車に乗り込み大教会に向かった。ダリルさんは魔導車の整備のため、同行を辞退。ヴァンガル家別邸の従者たちとともに、見送りだけ参加となった。
間もなくしてオラティエの大教会に到着。だが今回は、じきにイリスとお別れになるかもしれないというのに、不思議と寂しい気持ちにはならなかった。
アルガードの時から、さらに長い時間をともにしていたのだ。ここまでくれば、もはや切っても切れない縁で繋がっているのか、とさえ思えている。
綺麗に掃除された歴史ある石段を、ひとつひとつ登っていく。目の前には聳え立つ大教会。
中に足を踏み入れるまで、またアルガードの二の舞にならないか、という不安があった。だがその懸念は、イリスが知己の間柄である神官たちとの再会によって、すぐに払拭される。
イリスが馴染みの神官を見つけ、外套を脱いで正体を明かした途端、神官は涙ながらに無事を喜んだのだ。
教徒が大勢いるこの場では騒ぎとなりかねないと、すぐに奥の応接室に案内される。報せを聞いた他の神官も続々と現れ、皆同様に目を赤くし、聖女との再会を喜んでいた。イリスはとても愛されていたのだと、彼らの身を案じた台詞からひしひしと伝わってくる。
そして聖女帰還の朗報は、すぐ長である司教の耳にも届く。
「イリス様、よくぞご無事で……! 報せを聞かされたときは卒倒しそうになりましたが、今こうして再会でき、爺は嬉しくあります! 女神ミル様のご加護に、感謝を!!」
「司教様! ふぇぇ、ただいまですよ~!!」
息をきらせ駆けつけた、白髪長髭の老齢な神官。ふたりは再開を喜び合い、互いに抱きしめあった。
彼はグスクス司教。セントミル教にて最高位に位置する神官。最初は厳格な仏頂面であったが、聖女であるイリスの元気な姿を目にした途端、どこの好々爺とも知れぬほど表情を緩く崩していた。
「オホン! ……グスクス司教様。嬉しいお気持ちはわかりますが、その辺にしておかれては? 此度の功労者であるキリク様方が蚊帳の外となり、お困りの様子ですよ」
完全に祖父と孫といった、ふたりの世界に入り込んだ彼らを、熟れ始めた年頃の女性神官が咳払いで現実に引き戻す。
彼女は司祭のアルルカ。グスクス司教の補佐を担当する、右腕的な人物らしい。常に口はへの字で釣り目をしたキツイ顔立ちの女性だが、頭に生えたふわふわの猫の耳が印象を一転させ、ぴくりと動くたび愛らしく思えてくる。
ひとしきり彼らの再会する姿を眺めたあと、グスクス司教に事の顛末を説明するに至る。
「……そうでしたか。私どもには大まかな内容しか伝わっておらず、それはもう気が気でないほど心配しておったのです」
ティアネスのギルドマスターが放った伝令が届いたのは、ほんの二、三日前で、もう少し俺たちの到着が遅れていれば、国が兵を一軍アルガードまで送る予定だったそうだ。
さすが魔導車、素晴らしい移動速度である。イリスの体調不良とあの村でのゴタゴタがなければ、先に馬で出た伝令よりも早く着いてしまっていたな。
今しがた教会から城に遣いが出されたので、予定されていた派兵は白紙となるだろう。
カルナリア嬢曰く、今後アルガード領には新たな領主をあてがわれ、領名も新たな領主の家名に変わるかもしれない、とさ。
領内の隅っこに位置するモギユ村からすれば、大事なのは税の負担が増えるかどうか。領名が変わろうがさして気にはならないな。
「しかし此度の一件は、私の失態。護衛につける人選を誤った結果です。イリス様、私は如何様な罰でも甘んじて受けれる覚悟であります」
最高位に就く人物が、赦しを請いながら深々と頭を下げる。だが当のイリスは、彼を責めることはなかった。
「頭を上げてください、司教様。キリクさんたちのおかげで、私はこうして無事なのですから」
「……慈悲のお言葉、痛み入ります。そして道中の護衛を担っていただいたあなた様方にも、深く感謝いたします。同じ悲劇を繰り返さぬために、教会内を今一度精査いたしましょう。……アルルカ司祭、調査はあなたに一任します」
「承りました。必ずや不届き者を洗い出し、教内を浄化いたします。ではさっそく取り掛かりますので、私はこれで失礼させていただきます」
一礼をし、任を承ったアルルカ司祭は足早に席を離れる。彼女が部屋から退出しようとした瞬間、扉が反対側から、唐突に勢いよく開かれた。
「聖女様が戻ったって本当か!? それで無事なのかよ!?」
大きな声とともに姿を現したのは、一人の若い獣人族の男。装いからは一応神官らしいと判断できるが、言動があまりにも荒い。
金の大きなロールパンが乗ったような髪型、着崩された神官服と、まるで街のゴロツキかと疑わしくなる姿だ。獅子らしき獣の耳にはいくつもピアスが付けられており、極めつけは腕から覗く刺青ときた。
「ラヴァル! 突然押しかけるとは何事ですか!? 無礼にもほどがあります! それに、あなたには待機を命じていたはずでしょう!?」
当然男の礼儀を欠く行動に、目の前にいたアルルカ司祭は激怒。彼を叱責する。
だがラヴァルと呼ばれた神官は知らぬとばかりに無視し、一直線にイリスのもとまで駆け寄ると、跪き彼女の白い手を両手で包み込むようにして握った。
「あぁ聖女様、ご無事でよかった! あなたが賊に襲われたと聞かされて、俺、気が気でなかったんすよ!!」
「は、はぁ……。ご心配お掛けしました、ラヴァルさん。……あの、キリ……皆さんが見てますし、お手を離していただけませんか……?」
彼の勢いにたじたじといった様子のイリス。ふたりは知り合いのようだが、雰囲気から察するに苦手な人物らしい。
「ああ、こいつは失礼を、我が愛しの聖女様。久方ぶりの再会に、つい感極まっちまいまして」
最後にイリスの手を愛おしくさすり満足したのか、ようやくラヴァルは握っていた両手を離した。
「これラヴァル。お客人もいらしておるのに、恥を晒すでない。気が済んだのなら、早々に立ち去らんか」
「っち、うるせーな……。だいたいよ、俺を旅の護衛に加えていれば、絶対に聖女様を危険な目には遭わせなかったっての。今回もそうだ、いつも俺にはだんまり。知ったときには全部あとの祭りになってやがる」
グスクス司教のお叱りに反省の素振りすら見せず、あろうことか露骨に不満を吐き出すラヴァル。
そりゃこの男の態度を見ていれば、秘密にされてしまうのも頷けるな。
先ほどのイリスに対する言動から、彼女に大層好意を抱いてるのはわかる。だが、いくらなんでも礼節を欠きすぎじゃなかろうか。俺も他人をとやかく言えた義理ではないが、さすがにここまで無礼ではない。
あまり関わりあいたくない相手だ、そう思った矢先、不意に目が合ってしまう。
「……お? お前があれか。聖女様を救ってくれたっていうキリクか」
「あ、ああ。そうだけど……」
ラヴァルは肩を揺らし、威嚇じみた足取りで俺の前までやってくると、品定めする目つきで一瞥した。こいつのほうが身長が高く、上から見下されている気がして癇に障る。
「……ありがとな。俺からも礼を言わせてくれ」
不意に差し伸べられた右手。睨みを利かせた表情は崩れており、穏やかな笑みとなっていた。
好意で向けられた手を跳ね除けられるわけもなく、応じて握り返す。
「いっ!?」
握手を交わした瞬間思い切り力を込められ、右手に激痛が走った。穏やかな笑みは一変し、つりあがった口角はまさにしてやったりという表情だ。
篭手を装着してさえいれば、この程度屁でもない。街中では不要との判断から外していたのだが、まさかこんな目に遭うとは。もっとも、着けていれば反対の左手を差し出してきただろうが。
だが俺だって、握力には自信がある。毎日石ころを握りこんでいた右手だ。そう易々と音を上げて堪るかっての。
こちらも笑みを崩さず、負けじと力を込めて握り返す。こうなれば、先に手を振りほどいたほうが負けの根比べだ。
「な、なかなかやるじゃんか。でもそろそろやめとかねぇと、お前の手がひしゃげちまうぜ?」
「そ、そっちこそ。二度とイリスの手を握れなくなっても知らないからな?」
一見傍からではわからぬ密かな攻防。この不毛な勝負に割って入ったのは、怒りの形相をしたアルルカ司祭であった。
「いい加減になさいっ!!」
なんと彼女は後ろから、ラヴァルの頭を手に持った経典の角でぶったたいたのだ。不意打ちによる突然の強打に、ラヴァルは白目を剥き前のめりに倒れこむ。
「司教様はこれから皆様と大事なお話をされるのです。我々がいては邪魔になりますから、さっさといきますよ。……お見苦しいところをお見せしました。それでは、失礼いたします」
アルルカ司祭は彼の首根っこを掴むと、乱雑に引き摺りながら部屋を退出していった。
嵐の如き乱入者が去り、室内は静まり返る。
「……ふぅ、勝った。……っていうか、いってぇー!」
第三者の介入により勝負は中断されたものの、結果は場に残った俺の勝ちでいいな。
だが勝利の余韻に浸る間もなく、じんじんとした痛みに右手をおさえてうずくまる。
「キリク様!? どうされたですか!?」
何事かと心配したシュリが、しゃがみこんでこちらの顔を覗きこんだ。
「大丈夫だよ、シュリちゃん。さっきの彼と握手したときに、力比べでもしてたんでしょ。笑顔が引きつっていたし、不自然に長かったもんね」
「ほんと、くだらないことするわね」
対して呆れるアッシュとカルナリア嬢。ふたりの言い分はごもっとも。意地張って付き合わず、すぐ振り払っておくべきだった。まったくもって、不毛な勝負だったと思う。
「キリクさん、まだ痛みますか? 治癒が必要なら……」
少々大げさに痛がったせいで、シュリだけでなくイリスまで不安にさせてしまったようだ。
治癒の神聖術を施してもらうほどではなく、もう大丈夫だと唱え始めた詠唱を中断させる。
「いやはや、うちの者が無礼を働き申し訳ありません」
「神官には真面目な人しかいないと思ってたんだけど、ああいった奴もいるん……ですね」
おっと、相手は目上のお方なんだから、言葉遣いには注意しとかないと。
聖女様に貴族のお嬢様と、身分の高い相手に対しても友人感覚で接していたため、ついつい同じ調子で話しがちになってしまう。グスクス司教は懐が広そうだから大丈夫かもしれないが、相手次第じゃ顰蹙を買いかねない。
ここは王都という大都会。下は貧民、上は王族と様々な人種が混在しているのだ。さきほどのラヴァルと違い、俺は良識を持ち合わせているのだから、これからは意識して使い分けなきゃな。




