67:おいでませ白壁の都
果てしなく地平線の彼方にまで伸びる、巨大な白の街壁。汚れひとつ見当たらない壁面には、幾重にも精巧な模様が掘り込まれ、僅かばかりの淡い光を放っていた。
「ふふ、立派なものでしょう? 王都に初めて来たのなら、見惚れて言葉を失うのも当然よね」
まさに仰る通りで。あまりにも雄大すぎて、どう評していいのかすらわからないほどだ。
あの掘り込まれた模様を伝ってマナが流れており、防御術式が常時展開された状態。その範囲は半球状に空まで及び、王都全域を保護。物理的に飛来する攻撃と魔法、両方に対応した完璧な障壁となっている。普段は待機状態で消耗を抑えているが、有事の際には最大限、如何なく効力を発揮するという。
……と、イリスが自慢げに語っていた。
「その強固さは、過去王都に襲来した竜の吐く火球を、容易く防ぎきったほどなんですよー! ふふーん!」
「おお、そいつはすげぇな!」
竜の吐く火球やブレスといえば、最強の一撃として名高い。
……とはいえ実物を知らないので、実際にどれほどの威力を誇るかは想像すらつかないが。なんにせよ、とてつもなく堅いということだけはしっかり伝わった。
国の心臓部に当たる首都であり、イリスを聖女として讃えるセントミル教の総本山でもある都市。都の中心部には王の住む城が聳えているので、鉄壁の守りを誇るのも当然だわな。
ちなみにギルドで買い取られた魔石の大半は、壁の術式を維持する燃料として、王都に卸されているそうだ。市販に出回る量が少なく、また価格が高価なのは、需要のほとんどを王都で独占しているのが最大の理由だろう。
「あの立派な壁は、私も訪れるたびつい眺めてしまいます。かくいうお嬢様も、初めてご覧になられたときは大層はしゃがれておりましたね。確か、あの日は雨が降った翌日。幼いお嬢様は気分が高揚しすぎて、大きな水溜りに気付かず……」
「ちょ、ちょっとダリル!? 私の小さかった頃の恥ずかしい話を、皆の前で蒸し返さないで頂戴な!!」
カルナリア嬢の幼き頃を思い出したのか、悪びれる様子もなく遠い目で微笑むダリルさん。
あそこまで語られてしまえば、大方の予想はつく。お転婆なお嬢様が、走り回った挙句水溜りに突っ込んだのだろう。そして、他所行きであるお気に入りの洋服を泥まみれにして、泣きじゃくったに違いないな。
想像に容易い姿を思い浮かべ、自然と笑みが漏れる。顔を赤くし、ぷんすかと抗議する彼女の姿もまた、なんとも微笑ましい。
しかし、王都全域を覆う強力な障壁か。その強固さは、竜が吐く火球をも防ぐときた。普通に考えれば、個人程度の投擲など歯牙にもかけないだろう。
「キリクさん。悪い笑みを浮かべてますが、もしやよからぬことを企んでいるんじゃないですか? ……絶対に試しちゃ駄目ですよ?」
「え? お、おう。……俺の考えてること、よくわかったな?」
「さりげなく、右手を石袋に突っ込んでるんだもんね。その行動と表情から、誰だって察しがつくよー」
つい力比べというか、試してみたかったんだが。もし僅かな傷でもつけられれば御の字。今後の絶対的な自信へと繋がる。
魔導士の張る障壁。そいつをぶち破り、勝ち誇った顔を歪ませてやるのが当面の目標。……なのだが、再び対峙する機会なんて早々訪れないしな。
「万が一穴でも空こうものなら、国中大きな騒ぎになるわよ? キリク、あなたなら冗談抜きにできる可能性があるのだから、絶対にしないで頂戴ね」
「悪意がなかったとしても、国家転覆を図ったとみなされるでしょう。実力を試したくなる気持ちは理解できますが、やめておくのが無難です」
半分冗談のつもりだったが、お灸を据えられてしまった。子供が悪戯で、石を投げつけるのとは次元が違うからな。軽率だったと反省。
「さ、眺めるのは十分堪能したでしょ? いい加減、王都に入りましょう」
カルナリア嬢に移動を促され、全貌を眺めるため停車していた魔導車は動き出す。いざ王都入りを果たさんと、門を目指した。
備えられた大きな街門には、並ぶのが億劫になる長蛇の列。人の出入りが激しい王都では、新参者は厳しく審査される。その検問は落日まで及ぶらしく、門が閉じられるのは夜になってから。
俺たちの乗る魔導車は、伸びた列を無視して門へと一直線。並ぶ商人や旅人の顔ときたら、呆気にとられた間抜けなもの。
こうして俺たちが律儀に順番を待たなくてすむのも、この集団を率いるヴァンガル家が令嬢のおかげである。なにせ門番に家紋を見せるだけで、綺麗な敬礼とともに通されたからな。まさにお貴族様様なのだが、こういった特権はずるいとつくづく思う。
念願の王都入りを果たし、広がった壁内の光景。商店や露店が隙間なく立ち並び、忙しなく人が行き交い大層な賑わいを見せる大通り。
魔導車は速度を大きく落とし、設けられた車道をゆっくりと、馬車に合わせた速さで進んでいく。
「ふぇ~、やっと帰ってこれましたよ~」
自身の本拠ともいえる地に着いた安堵からか、肩の力を抜き、だらしなくも表情を崩すイリス。
だがそれも一瞬。すぐに気を引き締めなおし、聖女様状態の凛とした面持ちとなる。
「ようこそ皆さん! 我が国ルルクスが誇る王都、オラティエへ!」
イリスは両手を大きく広げ、自分の家でもないのに大仰にも歓待の声をあげた。
……が、狭い車内で勢いよくやったものだから、案の定手を強打。痛みで涙目となり、すぐさま普段通りのイリスに戻ってしまう。
「ふぐうぅ……」
「イリス様、大丈夫なのです!? 痛いの痛いの、飛んでいけ~……なのです!」
年下のシュリにあやされて、本当にどちらがお姉さんなんだか。
ぶつけて赤くなった箇所をさすりながら、自分で神聖術を施す姿はなんとも間抜けだ。
「あはは……。いやー、それにしても久しぶりの王都だよー。……帰ってきちゃったんだなぁ」
ふたりのやり取りを、苦笑いを浮かべ眺めていたアッシュ。ふと視線を、見慣れた光景であろう外の景色に移し、小さな声でつぶやいた。
彼の表情はどこか憂いを帯びており、あまり晴れやかなものではない。なにか苦い思い出でもあるのだろうか。
「わたしも、王都は久しぶりなのです」
「えっ。シュリも来たことあったのか? ってことは、ひょっとして初めてなのは俺だけ??」
衝撃の事実である。唯一同じおのぼりさん仲間だと思っていたシュリが、まさかの都会経験者だったなんて……。
なんでも彼女は牧場から解放されたあと、しばらくの間は王都の大教会で保護を受けていたらしい。行き場のないシュリたち白狼族。彼らを纏めて受け入れると名乗りをあげた一族が現れ、それを契機に王都を離れたそうだ。
カルナリア嬢が引き連れる若手の兵たちも、皆一度は訪れているらしく、冗談抜きに初めてなのは俺だけ。
……舞い上がって、羽目を外すほど喜ばなくてよかった。危うく、恥ずかしい姿を晒すところだった。言葉を失うほど雄大な王都様に感謝だな。
「お嬢様、これからどうされますか? 真っ直ぐ、大教会に向かっても?」
「そうねぇ……。このまま大勢で行っても迷惑になるから、先に屋敷へ向かいましょうか。荷物を降ろして身を軽くしてから、あらためて訪れればいいわ」
さすがはお貴族様。領地にある自宅とは別に、王都に滞在している間利用する別宅、御屋敷を所持しているのか。
大教会に赴けば、そのままイリスとはお別れになるかもしれない。アルガードを訪れたときと同じく、名残惜しむことのないよう、最後を楽しく過ごしてからでいいだろう。
イリスも同じ気持ちを抱いていたのか、カルナリア嬢の意見に同意し、教会訪問は後日となった。
魔導車は大通りを進み、次第に通りを歩く人の層に変化が現れる。建物も商店や露店がなくなり、代わりに普通の民家ばかりが立ち並ぶ通りに。どうやら住宅街に入ったようだ。
さらに進むと、衛兵が管理する門が姿を現す。カルナリア嬢はここでも家紋を提示し、滞りなく門を潜っていく。
門の先に広がるのは、これまでの民家とは打って変わり、豪邸が立ち並ぶ高級住宅街。まさしく、富裕層だけが住める区域となっていた。
通りを歩くのは一段も二段も上の身なりをした、一目でわかるお貴族様方。引き連れた従者ですら、どこか非凡な雰囲気を纏わせている。
彼ら貴族は横を通る魔導車を目にしても、珍しいものを見たという程度で、大きな反応は示さない。村や道中ですれ違った旅人なんかは、飛び上がるほど驚いていたのに。
そういえば大通りを歩く一般人相手にすら、大きな注目は浴びていなかった。さすがは都会者。魔導車の存在を知らぬ者のほうが少ないってか。案外、王族が自慢げに街中を乗り回しているのかもしれないな。
「……それにしても、場違い感がすさまじいな」
「キ、キリク様! わたし、なんだか恐いです……!」
この区域では、村人の俺は異物としか言えない存在。だが車内で萎縮しているのは、俺とシュリの二人だけであった。
カルナリア嬢とダリルさんは当然なのだが、イリスも、果てはアッシュすらごく自然に振舞っている。
イリスは聖女なのだからわかるが、アッシュのあの余裕はどこから生まれてくるのか。実は名家の生まれだったり……?
とにかく道行く貴族に、田舎者だと馬鹿にされないためにも、虚勢でいいから胸を張っておこう。こちらが背を丸くして萎縮していれば、余計に見くびられかねない。
しばらくして到着した、一軒の豪邸。鉄柵で囲われた広い敷地には、整えられた綺麗な庭に、小さいながらも噴水まで設けられている。
噴水の中央に鎮座する、魔物のような獣の彫像。大きく開かれた口からは、絶え間なく水を吐き出し続けていた。本来であれば賞賛すべき出来栄えなのだろうが、生憎と口から液体を吐くものにはいい印象がない。ティアネスで対峙した異形の化物しかり、魔導車に乗った当初のイリスしかり、だ。
魔導車を専用の馬屋、通称車庫と呼ぶ小屋に停め、主であるカルナリア嬢に引き連れられ館の中へ。
「「お帰りなさいませ、お嬢様!」」
足を踏み入れた途端出迎えたのは、ずらりと一列に並んだ執事とメイド。慣れない光景と状況に、一歩たじろいでしまう。
あれよあれよと身の回りの世話を焼かれ、気付けばいつの間にか豪華な応接室で机を囲み、優雅に紅茶をすすっていた。
焼きあがったばかりのクッキーが芳ばしく、頬張ると口中に広がる甘み。口の中に残るその甘さを、砂糖の入っていない香り高い紅茶が流してくれる。どちらも、貧乏舌であろうとわかる上物。まさに至極の組み合わせだ。
「……ふぅ。一息ついたら、どっと旅の疲れが出てきたわね」
お風呂に入ってゆっくり寝たい、そう零したカルナリア嬢。
控えていたメイドは彼女のぼやきに対し、指示を受けるまでもなく「すでに用意は整っております」と答えた。
大きい豪邸なのだから予想はついていたが、やはりあるのか。となれば俺も是非利用させてもらいたい。風呂なんて、平民が利用できる機会はなかなかないからな。
「お風呂! わぁ! 私も入りたいのですが、構わないでしょうか!?」
「ええ、勿論ですわ聖女様。うちの浴室は広いですから、よろしければご一緒しませんか? シュリちゃんも一緒にどう?」
「はい! お言葉に甘え、ご一緒させていただくです!」
ここで手を挙げ、「俺も」と名乗りをあげたくなるが、無理だと承知の上で発言する勇気はさすがにない。
「キリク君、アッシュ君、ご安心を。小さいですが、屋敷で働く従者用の浴室があります。おふたりは、そちらをどうぞお使いください」
風呂という単語に反応した俺の気持ちを察してか、ダリルさんが待つ必要はないと教えてくれる。
彼の提案に乗り、俺も案内されるまま風呂へ。例によって、アッシュは後からひとりで入るんだとさ。ダリルさんも魔導車の整備をしてからというので、仕方なく俺ひとりで利用させてもらった。
ダリルさんは従者用の小さい浴室と言っていたが、どこがだよ……。大人が三人は大の字で、ゆったり浸かれる広さじゃないか。
身を清めたあとは豪勢な食卓を囲み、悲鳴をあげ始めていた腹を満たす。最後はあてがわれた客室の、柔らかくふかふかなベッドで横になり就寝。
夢に描いたような暮らしぶりで、メイドがなにからなにまで世話を焼いてくれる。これは油断すると、どこまでも堕落してしまいそうだ。
……さすがに、衣類の着脱までお世話されかけたのは困ったが。




