63:五月雨の矢
まだ日も昇らぬ夜更け。
村と森の中間に陣を敷き、何時でも迎え討てるように準備が整えられていた。
「う~、さっぶいな……」
もうじき霜の降りる時間とあって、気温が低く手がかじかむ。十分な防寒をして挑んだが、まだ足りないぐらいだ。
「キリク君、こちらをどうぞ。芯から温まりますし、眠気も覚めますよ」
「んあ? あぁ、ありがとう」
ダリルさんから受け取ったのは、謎の黒い液体が注がれた木杯。沸かしたてらしく手に持つ分には温かく嬉しいのだが、いざ飲むとなれば躊躇われる。
「えっと、これは?」
「おや、ご存知ありませんでしたか。これはカフィーといって、炒った豆を煮出した飲み物ですよ」
大丈夫だと証明するためか、目の前でダリルさんは器を飲み干していく。
彼を見習い俺もひと口、恐々としながらも黒い液体を喉の奥へと流し込んだ。
「うげ、にっが……」
うん、はっきりいって不味い……。見た目どおり、美味しい飲み物ではなかった。
「ははは! なに、年をとればこれが美味しく感じられるようになるのです」
「あら、なら私はまだまだお子様だと言いたいのかしら?」
会話に混ざりこんできたのは、同じく木杯を手に持ったカルナリア嬢。
彼女の発言からして、俺と同様にカフィーを美味しく感じられないんだな。
「ミルクと砂糖をふんだんに加えれば、とっても美味しくなるのだけれどね」
だが生憎と、そのような上等な代物があるわけなく。彼女もまた顔をしかめながら、カフィーを胃の中へと流し込む。
「ま、この苦さは確かに目が冴えてくるな……」
せっかく頂いたのだからと、最後の一滴まで飲み干す。おかげで体は温まり、眠気もどこかへと吹っ飛んだ。
「僕はなかなかいけるけどねー。シュリちゃんは……聞くまでもないみたいだね」
「……アッシュ様にあげるです。わたしはもういらないです」
半分以上残った木杯を、アッシュはシュリから受け取り一気に飲み干してしまった。
そんなに水分を摂って大丈夫なのか。戦闘が始まってからトイレに行きたくなっても知らないぞ。
太陽が顔を覗かせ、空が白み始めた頃。哨戒に立つ兵から、時の訪れが発せられた。
「お嬢、来ました! 数は……目視で十五! なお王の姿は見当たりません!」
先日にスミスが、すでに相当数狩ったと話していた。最終的に乱戦となったため、詳しい数は把握できていないらしいが、手足の指では足りないほどには討伐したと。
だがまだ十五羽もの数が村目掛け飛来してきており、さらには王が姿を現さず控えている。当然、王を守る個体も存在しているはずなので、倍の数は想定しておくべきか。
「来たわね。……いいことあなた達。弓の腕がまだまだなのは私も知っているけれど、せめてひとり二羽は落としなさい?」
カルナリア嬢は臣下の弓兵三人を並ばせ、活を入れる。
というか、ひとり二羽じゃ計算が全然合わないのだが。よもや残りは俺頼みか?
訝しげな視線を送ると、ウィンクを返された。確信犯か。
「お嬢、俺達の腕を舐めないでもらえますか?」
「そうですよ。十本も射れば一本は当たりますし。下手な弓も、数撃ちゃ当たるって言葉知ってます?」
「だいたい、そいつ本当に役に立つんすか?」
敵を撃ち落とす役目において、主人であるカルナリア嬢が、自分達より付き合いの短い俺へと信頼を寄せているのが気に食わない、か。
とはいえ、俺も自分の腕には絶対の自信がある。なんなら、全てひとりで撃ち落としてやってもいい。
四人がかりで睨まれるのは少々堪えるが、毅然とした態度は崩さない。
「はぁ……。あなた達の腕を自慢できれば、どれだけ誇らしいでしょうね……」
「お前達、お嬢様を落胆させるんじゃない! しかもなんだ、十射って一しか当てる自信がないのか!? 情けないぞ!」
普段温厚なダリルさんに叱咤され、彼らは俯いてしまった。
とはいえ元々三人の弓兵達は、剣士から転向し弓をとってからまだ日が浅いそうだ。ならば腕が未熟なのも頷ける。
「しかし、あれを全部討伐してしまっていいのか? 異変を察知して、王が逃げたらどうする?」
「だからといって、見過ごしたら村が襲われちゃうよ? 村長の家にはイリスさんもいるし」
まだ寝込んだままのイリスは、村長夫妻に面倒を任せている。だから村を守ることはイリスを守ると同義の状況だ。
念のため、カルナリア嬢が兵をひとり護衛に残してくれたが、一羽も通さないのが最も望ましい。
「尻尾を巻いて逃げ出すような王であれば、所詮その程度ね。民あってこその王でしょう」
配下達が殺されれば、間違いなく姿を現すと断言。王という存在に対し、随分と理想を抱いているように受け取れる。
しかし相手は魔物。果たして、人が思うように動くだろうか。
「……キリク君の考えているであろう懸念はわかりますよ。ですが、なにも我々は必ずしも王を討伐せねばならぬわけではありません」
追い払えれば御の字、ということか。
討伐を目的に組織された部隊ではないのだし、逃がしたとしても仕方がないとの判断には頷ける。
「もちろん、討伐できれば一番なんだけどね。逃げられたとしても、速やかに近場のギルドへ報告して、任せれば間違いないよ」
情報を伝えれば、十二分に相性のいい編成で討伐隊を組まれる。戦力が足りなければ、領主や国から兵の派遣もある。網を張ってさえいれば、多少時間はかかってでも必ず見つけ出し討伐してくれるのだろう。
「アルバトロス達も、こちらに気付いたみたいね。いいこと? まずはたくさん射って、引き付けなさい。決して村へ向かわせちゃ駄目よ!」
「前衛はふたりひと組で、地に落ちた個体に止めを刺すんだ。いいな?」
あらかじめ決められていた内容であったが、最終確認をするかのように指示が飛ばされる。
兵達は一律に返事をし、襲来に備えた。
「へへ、一番手頂き!」
功を急ったのか、弓兵のひとりがまだ距離があるというのに矢を放つ。
「お前馬鹿だろ!? まだ弓の射程じゃないって、普通わかるっしょ!?」
「いやははは……面目な――」
空の彼方で飛ぶ魔鳥の一羽が、羽を散らし地面へと垂直に落下していった。
「え、うっそ!? 見たかよいまの、俺やっぱ才能あるんじゃん!?」
「マジかよ……! やるじゃんか!?」
訓練の成果が如実に現れたのだとし、気分を高揚させ喜び合う弓兵の三人。
「……水を差して悪いのだけれど、あなたの放った矢じゃないわよ」
「この距離からすでに射程内とは、恐れ入りますね。お嬢様から伺っていた通り、素晴らしい腕です」
実は先走ったのは弓兵の彼だけでなく、俺もである。といっても、こちらは気を急って投擲したのではなく、単純に敵が射程へと入ったから。
相手は言葉が通じる人間ではないのだし、問答無用で先制したっていいだろ。
ちなみに彼の放った矢だが、放物線を描き、地平線の彼方へと姿を消している。
「ほら、がっかりしている場合じゃないでしょ? 早く弓を構えなさいな」
「いまので都合よく、僕らを標的にしてくれたみたいだね」
空高く飛ぶへの字の影は、徐々に高度を落としつつある。村を目指す動きではないので、間違いない。
「狙い通り、上手くいってくれたみたいだ」
なんてな。実際そういった思惑はない。べつに奴らが俺達を無視して村を目指そうと、辿り着くまでに全て撃ち落とす魂胆だったのだから。
続けて二投目を放ち、さらに一羽の魔鳥を落とす。
俺が行う投擲の一部始終を、まじまじと目撃した弓兵達。
「もう全部あいつだけでいいんじゃないかな」などと思われていやしないか、やる気を失くしていないか心配になってくる。
しかし彼らの根性は存外据わっているらしく、なにくそと発奮。射程に収めるなり、怒涛の勢いで矢を放ち始めた。
弓兵達の見せた気概に、カルナリア嬢はいたく感心を示す。
「その調子で頑張りなさいな。……でも、矢は無尽蔵にあるわけじゃないのよ?」
命中率では敵わないとみたのか、前言通り回転率を重視して次々放たれていく矢。
下手な弓も~とはよく謂われたもので、数多放たれた内の何本かを命中させる。
ただしマグレ当たりにも等しく、いずれも急所には刺さらず生きたまま落下。すかさず地上で待ち受けていた兵が駆け寄り、止めを刺していた。
次第に空から悲鳴とともに姿を消し、地上では骸の数を増やす魔鳥アルバトロス。
接敵から五分と経たずに終わりを迎えてしまった。
自陣の人的被害はゼロ。むしろ、前衛組はろくに働く機会さえ与えられずといった結果。
戦闘終了後は、あちこちに散らばったアルバトロスの死体を一箇所に纏める。
体を動かし足りない前衛の兵士達は、意気揚々と作業を進めていた。
「お前達! 死体とはいえ、目を覗き込むんじゃないぞ! 油断していると精神をもっていかれるからな!」
さきほどの戦闘が呆気なく終わったためか、調子が軽くなり悪ふざけを始める兵士達。そんな彼らに、ダリルさんから注意が飛ぶ。
アルバトロスが持つ深淵の双眸。一端の兵士ともなれば、よほどじっくり眺めない限り大丈夫だが、留意しておくべき注意点ではある。
死体集めは彼らに任していると、奮迅の活躍を見せた弓兵達がカルナリア嬢へ、戦果の報告を述べていた。
「お嬢! 命じられていた倍の四羽、落としましたよ!」
「ふぅー。俺は二羽だけど、ノルマは達成したっす」
「……一羽」
彼らが落とした数は計七羽。あれだけの矢を放った割りには、物悲しい戦果と言えよう。
ちなみにだが残る八羽を落としたのは俺。頭部を狙った必中絶命の一撃に、おかげで前衛組へは止めの仕事がまわらなかったのだ。
「キリク様。本気ではなかったみたいですが、どうかされたのです?」
「いや、はしゃぐあいつらを見てたらさ、なんだか遠慮しちゃってな」
子供の頃の自分を思い出し、なんだか微笑ましくなってしまった。
とはいえイリスを守るためにも、一羽たりとて戦線を突破させやしない。彼らの取り零しを率先して狩るよう、心掛けていただけのこと。標的に対しては、微塵も手を抜いちゃいない。
「あなた達。喜ぶのはいいのだけれど、矢の補充を急ぎなさいな」
図に乗る前にカルナリア嬢から戒められ、慌てて魔導車の荷台から矢を補充する弓兵達。
俺もまた、投げて消耗した分の石ころを拾い集める。草地のためか小振りの石ばかり目立つも、こうやって簡単に補充できるのは強みだな。川原ともなれば弾の宝庫だ。
「! キリク様、あれ! 大きいのがいるです!」
せっかくなので暇つぶしに形まで厳選していると、シュリが大声で第二陣の到来を告げた。
遅れるようにして、歩哨に立つ兵からも報告があがる。
「目視で……さっきの倍はいるね。それにしても、王級はわかりやすいねー」
右手を水平に目の上で日除け代わりに翳し、遠く森側の空を眺めるアッシュ。
真似をして目を凝らせば、三十以上はいるであろう数の黒い点。小粒に囲われた中心部には、一際大きくかつ異彩を放つ存在が。
「次が本番か。風の鎧とやらに、お手合わせ願うとしようか」




