62:無力な誇り
イリスを連れ、瀕死となった男の待つ集会所へと舞い戻る。
待望である神官の登場で、沈んでいた空気が僅かばかり軽くなった。
視線の集まるなか、抱かかえたまま室内を進み、瀕死の男が横たわる机脇に彼女をゆっくりと降ろした。着地の際、ふらつきそうになったのを手で支えてやる。
顔色が優れないのは誰が見ても明らか。さりとて、他に希望はなく誰も止めることができない。
「神官様、頼む……。どうか、弟の命を救ってくれ!」
背後からかけられる、縋る祈り。
イリスは彼へと振り返り、優しく微笑んだ。
「任せてください」
意思の篭った言葉。前へ向き直すと、患者に両手を翳し、神聖術を施し始めた。
彼女の奮闘を横で見守る。やはり見間違いではなく、放たれる治癒の光は弱々しい。だがそれでも、懸命に神聖術を施し続ける。
全員が固唾を飲んで見守る状況に、時の流れが遅く感じられた。実際はまだ十分経ったかどうかすら怪しいのに、まるで一時間は過ぎたかのような感覚に陥る。
対面に立ち、イリスの補助に当たっていた衛生兵。彼が治癒の経過を確認するため、包帯がほどかれていく。穴ぼこ状態であった傷は痕が残るものの、ある程度は塞がっていた。
滲み溢れ続けていた血も、綺麗に止まっている。だが同時に……
「脈がなくなりました。イリス様、これ以上はもう無意味です。……無茶をすれば、貴方様のお体にも障ります」
患者の右手首に指を圧し当てた彼が、灯火の終わりを告げる。
生きるため懸命に息を吸い、上下に膨張と縮小を繰り返していた男の胸板は、すでに動きを止めていたのだ。
苦しげな呼吸の音は消え去っており、静寂が場を支配する。
「ポール……! ポール……!!」
兄である男は物言わぬ骸と成り果てた弟を、人目をはばからず抱きしめた。掠れた声で叫び続けるのは、亡くなった患者の名であろうか。
無念の結果となり、ただただ呆然と眺めるイリス。顔には憔悴が浮かび、瞳は光がまるで抜け落ちたかの如く暗く沈んでいた。
月並みな言葉しか浮かばない。しかしそれでもなにか声をかけねばと、彼女の肩に手を置く。
「ちょ、イリス!?」
手が触れる直前、イリスはその場に崩れ落ちた。咄嗟に支え呼びかけるも、意識を失ってしまっている。息遣いは荒く赤み増した額に手を当てれば、せっかく下がり調子だった熱が完全にぶり返していた。
「……すまん、イリスを休ませてくる」
「ええ、そうして頂戴。……後のことは私達でしておくから」
重い空気が包むなかを後にし、再びイリスを抱えて村長宅へと連れ帰った。
「やっぱり、無理させるべきじゃなかったのかな……」
イリスが眠るベッド。その脇に備えられた木製の椅子に腰掛け、後悔を呟く。
結局ポールと呼ばれた冒険者は助からず、イリスの体調も悪化。最悪の結末となってしまった。
イリスならば、なんだかんだで奇跡を起こすだろうと踏んでいたのだ。完治までは難しくとも、命は繋ぎ止められるだろうと。
「聖女という肩書きを、盲信しすぎていたんだな……」
「当たり前なのですキリク様! イリス様だって、ひとりの女の子なのです! 聖女様であっても、万能じゃないのです!」
無茶をさせたことに対し、シュリはご立腹であった。おかげで珍しく彼女から説教を受けてしまう。
「返す言葉もねぇな……」
見捨てることが最良の選択だったのか。認めたくはないが、結果だけを述べるならばそうなる。
冒険者の彼らには申し訳ないが、死の運命から逃れられないのであれば、下手に希望を持たす提案などしなければよかった。
見捨ててさえいれば、持ち上げて落とすことはなく、イリスにも負担を強いらずに済んだのだから。
「きっと落ち込むよな……」
「当然ね。これまで万人を救ってきた聖女様が、初めて取り零したんですもの」
溜め息と共に吐き出された言葉。
気付けば後ろにカルナリア嬢が立っており、見下ろす目から、まるで攻め立てられているかのような錯覚に陥る。
「とはいっても、結果なんて誰にもわからないものよ。あの状況なら聖女様に頼るしかないのだから、あなたの選択は間違っていなかったわ」
彼女はイリスに頼ることには否定的だったはず。なのにまさか擁護されるとは。冷ややかなお小言を頂くかと身構えたんだがな……。
「意外だな。イリスに無茶をさせたから、怒るのかと思った」
「赤の他人だったから冷静でいられたけれど、あれがもし身内だったと考えればね……。助かる可能性が、手段があるのに、出し惜しみされたくはないもの」
自己嫌悪に陥りかけていたが、彼女の言う通りだ。たとえ僅かな希望であっても、掴む努力を放棄すべきじゃないよな。
「……ありがとな。少し気が楽になった」
「どういたしまして。それで、ここにはあなたを呼びに来たの。イリス様のお傍に居たいでしょうけれど、付き合ってもらえるかしら?」
まだイリスが目覚める様子はない。俺が傍にいたとて、出来ることは精々額の汗を拭き、手を握っていてやるだけだ。
目を覚ましたらすぐ報せるようシュリに伝え、カルナリア嬢とともに部屋を退出。
「それで、俺に用って?」
「魔鳥の件について、話し合いの場が設けられたの。狩る腕前を持つ貴方にも、参加してもらうわ」
彼らの惨状から、依頼は失敗したのだと察しがつく。となれば、次はこちらに白羽の矢が立つのも頷けるか。
カルナリア嬢のあとに従って案内されたのは、同じ村長宅の居間。
すでにダリルさん、アッシュ、村長、冒険者パーティのうち金髪の男と主要な面々が揃っており、どうやら俺を待つだけの状況だったようだ。
俺達は空いた長椅子に、並んで腰を降ろす。
「お嬢様、お手数を掛けしました。キリク君、イリス様の容態は如何ですか?」
「突然倒れられたんだもの、あまりよろしくない……よね?」
皆がイリスを心配してくれていた。部屋まで押しかけなかったのは、気遣ってのことか。
「……体力を使いきったのか、深く寝入っているよ。いまは休ませておくしか出来ないし、なにかあればすぐシュリが報せてくれる」
簡潔に現状を伝えておく。今晩は様子をみて、快調の兆しがなければ魔導車を用い、近隣から神聖術の使い手を連れて来なくてはならないか。
「神官様の容態は心配だ。俺達のせいで倒れられたのだから、尚更さ。だが、目下速やかに対応しなければならないのは件の魔鳥だ。放っておくと、畑だけでなく村の住人にまで被害が出かねん」
口を挟んだのは冒険者の男。彼にとって恩人とはいえ、イリスの容態など所詮は他人事か。
もちろん彼とて心配していないわけじゃない。だが仲間を失った直後であり、さらには失態を拭うことで頭が一杯なのだろう。余裕がないためか、気が急いでいるみたいだ。
「私達も村にはお世話になったのだから、手を貸させていただくわ。だから安心して頂戴な」
「お嬢様がお決めになられたのならば、私共一同は従うまででございます。して、まずは情報がほしいですね。……辛いでしょうが、お話し願えますか?」
ダリルさんが、彼へ視線を向ける。周りも倣い、注目が男へと集まった。
「ああ、全て話す。その前に自己紹介がまだだよな。俺はスミス、よろしく」
スミスと名乗った金髪の彼は、壊滅した冒険者パーティの纏め役。そしてもうひとり、先ほど息を引き取ったポールの兄がマカトニ。しばらく弟とふたりきりにして欲しいと望んだため、この場には同席していない。
ほかに弓士と魔導士がいたそうなのだが、予想通り魔鳥の巣食う森にて帰らぬ人となっていた。
「あなた達、冒険者ランクはCなのでしょう? アルバトロス相手に、遅れをとるだなんて思えないのだけれど……」
「もちろん俺達だって勝算があったし、数が多いと聞いちゃいたが十や二十程度なら余裕だったさ」
彼らはパーティ単位であれば、Bランクにも匹敵するのだと豪語した。自信満々に語るのだから、嘘や奢りではあるまい。
ならば実力ある彼らのパーティが、なぜ敗北し壊滅にまで陥ったのか。
「森の奥に一羽だけ、ふた周りほど大きい個体がいやがったんだ。断定はできないが、あれは恐らく……」
「王級……ですか?」
スミスが最後まで言い切る前に、ダリルさんが先に答えを述べた。どうやら当たりらしく、彼は静かに頷き肯定する。
王級。
以前に狩ったことのあるゴブリンロードのような存在。群れを束ねる王であり、通常より何倍も強力な個体となっている。
通常種より最低でも二ランクは上に設定され、国やギルドからも見つけ次第、討伐もしくは報告するように義務付けられている。
放置すれば王はより強く成長していき、同時に群れの規模は際限なく肥大化する。成長しきった王は他種の魔物さえ従え、下手をすれば、軍隊規模で動かねば討伐すら儘ならなくなるほど。
過去に幾度か、魔王と呼ばれる存在が歴史の合間に現れており、その正体は王級が最大まで成長しきった魔物であった。前回の魔王は先々代の勇者が討ち取ったのだが、彼の物語は英雄譚として現代でも詩人達によって広く語られている。
俺が討伐したゴブリンロードはゴブリンという種自体が弱く、また束ねる群れも小さい若い王だった。だからこそ、若造が単独であってもどうにかなったにすぎない。
「でも、アルバトロスはDランクの魔物だよね? 王級であったとしても、大した脅威にはならないんじゃないのかな?」
「俺たちもそう考えたよ。だからこそいけると判断して、結果このザマさ……」
パーティを率いる自分が判断を誤ったのだと、スミスは肩を落とす。もちろんメンバー全員の総意があった上での行動だろうから、彼だけを責めるのは酷であるが。
「本当に情けねぇよ。なんせ碌に手傷すら負わせられず、仲間の犠牲を利用して逃げ帰ったんだからな……」
「ふむ。魔導士や弓士の方がおられたのに、手も足も出なかったのですか?」
「おかしな話よね。魔導士がいたのなら、少しくらいは傷を与えられるはずでしょ?」
攻撃魔法といえば、ティアネスで見た火の大魔法しか俺は知らない。
脳裏に蘇るのは燃え盛る大地の光景。魔法というものは、たった四人だけでもあれだけの破壊を行えるのだ。個人レベルとなっても、相当な威力を発揮する代物に違いない。
分類は違いこそすれ、ひとりが張った障壁ですら、あれほどの強度を誇るのだからな。
二度も苦渋を味合わされたあの防御魔法。今度合間見えた際には、篭手を用いて全力でぶち抜くと内心で決意している。
「……風さ。奴は風を纏ってたんだ。うちの魔導士も風魔法を得意としてたんだが、相手のほうが上手だったらしくてな。風の刃は掻き消されるし、矢や投げた石なんかも弾かれちまって、本体まで届きやしねぇ」
「暴風の鎧ってわけだね? うーん、厄介そうだなぁ……」
といいつつもアッシュはさして困った顔をしておらず、しきりにこちらへと視線を送ってくる。まるで「キリク君ならどうにかできるでしょ?」とでも言いたげだなこの野郎。
実際に試してみない限りなんともだが、篭手の力を使えば突き破るのは容易いはず。
「あの~、口を挟んで申し訳ねぇですが、その危険な鳥は討伐してもらえるんで?」
ここで手を挙げ発言したのは村長。彼からしてみれば、恐ろしい化物が村近くの森に潜んでいるのだからな。村を治める者として、早急に対処してほしいに決まっている。
なにより、もっとも恐れているのは食料。村の住人達のではなく、魔鳥達の、だ。
「村の畑はすでにやつらにやられとります。餌がなくなったことで、次に狙われるは……」
「……間違いなく、村の人達よね」
これまで村の住人に被害がなかったのも、彼らが丹精込めて育ててきた作物があってこそ。身代わりとなっていた畑が全滅したのだから、防波堤がなくなったも同然。
「俺達が確認した範囲だと、森の中でも動植物ががっつりとやられていたぜ」
棲家の森はすでに蹂躙されてしまっているのか。となれば、やはり村人達が狙われるのも時間の問題だな。
「恐らくですが、奴らは食い尽くすごとに移住し、各地を転々としていたのではないでしょうか。でなければアルバトロス如きの王級が、それほどまで強く成長するなんて考えられません」
ずっと同じ場所に定住し続ければ、いずれ見つかり討伐隊が組まれる。今回のアルバトロスロードは、危機が訪れる前に渡り鳥の如く移住することで、難を逃れ生き延び力をつけてきたのか。
王級など容易く生まれる存在ではないが、移動能力に長けた種となれば取り逃しやすい。
「鳥型の魔物って、こういうことがあるから厄介なのよね。まったく、勇者様はどこで油を売っているのかしら?」
ん? どうしてここで勇者がでてくるのか。
疑問が顔にでていたのか、隣に座るアッシュがそっと耳打ちで教えてくれた。
「キリク君。勇者様って、基本的に魔王の芽となる王級を狩るため各地を旅しているんだよ。ここ数十年魔王が現れず平和なのも、勇者様のおかげなんだよね」
初めて知る衝撃の事実。俺はてっきり、悪徳貴族なんかを成敗しながら、世直しのため旅をしているのだと思っていた。実は重要な使命を負っていた
んだな。
「言われてみればここ暫く、ご活躍を耳にしておりませんね。ですがお嬢様、この場に居られない方を頼っても仕方がありませんよ」
「わかっているわよ。でもよかったわね村長。ここには丁度、十分な戦力が揃っているわ。だから安心して私達に任せなさいな!」
この村にとっては僥倖だな。なにせ偶然にも、彼女が率いる小隊が訪れたのだから。
決して相手を侮るわけじゃないが、成長した王級のアルバトロスであっても、数で挑めば討伐できるはず。さらなる成長をさせないためにも、逃がさずに必ず仕留めるべき。
「俺も参加させてもらうぞ。せめて一太刀でも浴びせて、仲間の死を弔いたい!」
酷い目に遭ったはずなのに、心が折れず立ち向かえるとは強い男だ。
異を唱える者はなく、満場一致でアルバトロスの討伐が決まった。
魔物とはいえ鳥種ゆえか夜間は活動せず、いつも早朝に農作物を荒らしに来るのだという。翌朝にも必ずやってくる保証はないが、今夜から準備をし迎え討つ手筈となった。




