60:高貴なるお嬢
イリスのお見舞いに行くのだし、アッシュも誘おうか。
声をかけるため姿を探せば、ダリルさんや兵士達と共に剣術の訓練に励んでいた。かかり稽古で熱心に腕を振るっており、盛り上がっている場に水を差すのも悪いな。
「ま、ひとりでいっか」
どうせ夕食までの暇つぶしなのだ。他にやることがあるのならば、無理に誘う必要はない。
炊事当番にひと声かけ、イリスが養生のためお世話になっている村長宅へと向かう。
道中、手を頭の後ろで組みぷらぷらとした足取りで歩いていると、前方から見知った人物が現れた。
「あらキリク。もうすぐ夕飯時なのに、どこに行くのかしら?」
声の主は、ほのかに髪を濡らした薄着のカルナリア嬢。
そういえば掃除が終わる間際、残りをダリルさんに丸投げし、村長宅へお邪魔していたんだっけか。旅で汚れた体を拭いたいと、お湯を貰いに行ったのだ。
最初は風呂に入りたいとか我が儘をぬかしていたが、そんなものが村にあるわけなく、ダリルさんに窘められていたな。
ほどかれた彼女の長い髪は乾ききっておらず、優しく丁寧に布で拭う姿は艶やかで……なんというか目によろしくない。
「掃除が終わって手持ち無沙汰になったんでね。ちょっとイリスの様子でも、と」
「ふーん……。ということは食事はまだできていないのね? なら私も一緒に行くわ」
言うや否や小走りで駆け寄り、隣で肩を並べられてしまった。
「いやいや、あんたさっきまで村長の家にいたんだろ? なのにまた行くのかよ」
別に断るつもりはないのだが、間近に来られたことで少し動揺してしまう。女性らしく香水でもつけているのか、なにやらいい香りがするのも一因だ。
悟られぬよう平静を保ったつもりだが、ばれていないよな……?
「べつにいいじゃない。あなたとふたりきりで話すことなんてなかったんですもの、ちょうどいい機会でしょ?」
「そう……だったかなぁ?」
思い起こせば、俺がひとりきりになる状況がここ最近なかったか。イリス、シュリ、アッシュと、常に誰かしら一緒にいたものな。唯一単独でいたのは、用を足すときくらい。
このお嬢様も、ダリルさんや部下の兵士と常に行動を共にしていたし、なおのこといまの組み合わせは珍しいわな。
「キリク、あなたに聞きたいことがあったのよね。いいかしら?」
「俺に? かまわないけど……」
なんだろうか。答えられる範囲ならばいいが。
「……ティアネスを襲った大きな化物。あなたが倒したっていうのは、本当なの?」
「え? あー、どうだかな。自分で言うのはなんだが、討伐に大きな貢献はしたと思う。だけど、決して俺だけの手柄じゃない。ギルドマスターや冒険者、衛兵達のみんなで力を合わせた成果だ」
うむ、模範的な素晴らしい回答ができたんじゃなかろうか。我ながら自画自賛してしまうが、実際にその通りだからな。
誇らしげに彼女の顔を見やれば、なにやら訝しげな目を向けられていた。なんとなく思っていることはわかる。そんななりで本当に強いのか、とかだろ。
俺の基本装備はボロの篭手と、腰に下げた小袋にホルダーだけ。篭手についてはずっと装着していると蒸れるから、普段は外している。
なによりいつも傍にいた、英雄譚に出てくるいかにもな勇者貌のアッシュと比較されれば、ろくな武器すら携えていない俺は貧弱に見えても仕方がない。
ここまでの旅中も魔導車の速さゆえ、戦闘を行う機会はほとんどなく、野営中に幾度か魔物が襲ってきた程度。その全てが、彼女の臣下である兵達で処理していたしな。
「人は見かけによらないとはよく言ったものねぇ……。だってあなた、どう見ても強くなさそうなんだもの。この村にも住人として、違和感なく溶け込んでいるわよ?」
ほらやっぱりな。というか、これは馬鹿にされているでいいのか?
悪意のないとぼけた顔をしているが、素で言っているのであればなんと性質の悪い……。
でこぴんをかましてやろうかと考えたが、イリスと違い、このお嬢様は冗談抜きに怒りそうだな。寸でのところで思いとどまれてよかった。
「王都に着いたら、動きやすい範囲で防具を揃えるよ。そうしたら、ちっとはまともになるだろ?」
後衛を担う立場ゆえあまり必要性を感じていなかったが、いざというとき身を守る防具はあったほうがいいか。今回みたく見た目で侮られるのも癪だしな。
「んー……防具も大事だけれど、まず服を新調したほうがいいと思うわよ? あなた、いかにも村人って装いで野暮ったいんだもの。あ、よければ私が見繕ってあげましょうか?」
酷い言い草だな……。これでも俺なりにお洒落しているつもりなのだが。でもまぁ、お嬢様から直々のご提案だ。ここはお言葉に甘えるとしようかね。
「ならそんときはよろしく頼むよ、カルナリアお嬢様」
「ふふん、素直でよろしい」
ついでだし、シュリの服も彼女に見繕ってもらおうか。以前に新しい服を買ってやると約束したきりだからな。野暮ったい俺が選ぶよりきっといい。
それにしても、話していて貴族という身分の差をまったく感じさせないお嬢様だ。こちらの馴れ馴れしい言動に、眉をしかめるでもなく普通に接してくれている。
ダリルさんを除く彼女の臣下である兵達。彼らとのやり取りを見ていれば、口うるさくなくおおらかなのも納得がいくか。
以前に一悶着のあったハイネルのような貴族もいれば、彼女のような貴族もいるんだな。
カルナリア嬢は聖女イリスと共にいた俺に興味が湧いたのか、会話は止むことなく続く。といっても、こちらが一方的に質問攻めにあっているだけなのだが。
ちょうど村の入り口付近にさしかかった際、数人の村人達が集まりざわついている状況に、嫌でも気がついた。
「なんの騒ぎかしら……? ちょっと行ってみましょう?」
何事かと近づき、村人のひとりに尋ねる。
「あっちを見てみな。冒険者さん達が帰ってきたんだ。でも……」
話によればどうやら夕暮れ時になって、依頼を受けた冒険者パーティが村へと帰還する最中のようだった。
しかし依頼を果たした英雄の凱旋にしては、皆浮かない表情。
彼の指差す先に目を向ければ、道を進む夕日に照らされた三人の影。
そう、三人だけしかいなかった。村長の話では、彼らは五人パーティだったはずなのにだ。
目を凝らせば、ふたりがひとりに肩を貸し、半ば引きずるようにして村を目指している。彼らの急ぐ足並みから、焦燥感が見てとれる。
「キリク、あれ! 空を見なさいな!」
カルナリア嬢に言われ視線を上へとあげれば、赤に染まった大空をへの字に飛ぶ四つの影。
普通の鳥にしては大きな影であり、距離を錯覚してしまいそうになる。
「あれって……例のアルバトロス!? ってことは、あいつら討伐に失敗したのか!」
魔鳥の狙いは冒険者達らしく、逃げる獲物を仕留めるため、追いかけてきたのであろう。
地を進む冒険者と空を飛ぶ魔鳥の速度は段違いで、彼らを隔てる距離が徐々に縮まっていく。
「おいおい、このままじゃまずいだろ! あいつら追いつかれるぞ!」
「あ、ちょっとキリク!?」
カルナリア嬢や傍観していた村人達の制止する声を背に、村を飛び出し駆ける。
ここからでは彼らを狙う魔鳥と大きく距離が開いており、篭手を装着していない状態では、投擲したとて届くか不安だ。おまけに夕日が逆光となり直視しづらく、狙いをつけにくい。
少しでも近づき、少しでも太陽の位置をずらしたい。
道から外れ、即座に目をつけた狙撃地点へと辿り着く。そこは周りと比べ少し小高くなった丘。
完全とはいえないが太陽も軸がずれ、幾分か狙いがつけやすくなった。
息を切らし右手に石礫を掴んだ頃には、すでに先頭を飛ぶアルバトロスが、鋭い鉤爪で獲物を攫わんと急降下を始めていた。
必死で逃げる冒険者達に、上空から迫る脅威。
アルバトロスが身を翻し、彼らの背へと凶爪を向けた刹那、絶命の声を残し空中から魔鳥は姿を消した。
飛び散る血肉と、抜け落ちた羽が一帯に舞う。
「よし、間一髪だ!」
かの魔鳥を撃ち落とした……というより、吹き飛ばしたのは右手から放たれた石礫。
まさに鉤爪が彼らへと襲い掛かる寸前だった。
冒険者達も、強襲の体勢をとっていた残りのアルバトロスも、事態を飲み込めず困惑に動きを止める。
こちらとしては的が静止したおかげで、より狙いやすくなったってもんだ。
残る三羽も逃がさず次々に撃ち落とし、他に仲間はいないかと空を睨む。視認できうる範囲に影はなく、危険はなくなったと胸を撫で下ろす。
「村の人たち、今晩は鶏肉をお腹一杯に食べられるわね」
声に振り返れば背後にカルナリア嬢がおり、いつの間に携えたのか、蒼い刃を光らせた十字翼の槍を手にしていた。
女性にしては長身な彼女だが、手にする槍は身の丈同等か少し短い程度。
さきほどまで手ぶらの軽装だったのに、いったいどこから取り出したというのか。まさか借り家まで取りに行ったなんてことはあるまいし……。
「ここから外さず全て命中させるなんて、いい腕してるじゃない。この子を呼び出す必要はなかったわね」
この子、とは彼女が手に持つ槍のことだろうか。呼び出すと言ったあたり、あの槍にはなにかしら魔術的な仕組みがあるのかもしれない。
「こんぐらいの芸当ができなきゃ、聖女様の護衛なんてやれないからな」
「ふふ、なるほどね。……本当に手放しで賞賛できる腕前だわ。ねぇ。もしなんだけれど、あなたさえよければ……」
優しげに頬を緩ませたかと思えば、急に凛とした面持ちとなるカルナリア嬢。
磨き上げてきた技術を褒められるのは純粋に嬉しい。
しかし、俺さえよければなんだろうか。教授を受けたいのであれば、別に構わないが。
「……聖女様を王都へ送り届けたあと、私の下に就く気はないかしら? というのも、うちの隊に後衛を満足に担える子がいないのよ。弓を扱える子はいるんだけど、まだまだ未熟なの」
少し溜めを置いたのち、発せられた言葉はまさかの勧誘だった。貴族のお嬢様から腕を見込まれてとなれば、とても名誉なことだ。
だが貴族にはあまり良い印象は持っておらず、たとえ大出世だとしても快諾する気にはなれないな。
もちろん貴族という人種を、問答無用で毛嫌いしているわけではない。カルナリア嬢やダリルさん、彼女に仕える兵士達はみな気さくで接しやすく、いい人達だと思っている。だが……。
「このタイミングで勧誘とは、熱心なやつだな」
「少しでも有望な人材は、手元に置いておきたいじゃない? ちなみに、アッシュにも声をかけたわよ」
なに、アッシュにもか。あいつの口からそんな話は聞いちゃいないが……。
「で、あっちはなんて?」
「断られちゃった。聖女様を送り届けたあとも、あの方のお口からもう大丈夫と聞くまでは、傍に居たいんですって」
「なるほどな。……悪いが、俺の答えもアッシュと一緒で理由も同じだ」
返す答えは同様に辞退。
ありがたい申し出であったが、受けるつもりはない。
「そう、残念ね。あーあ、断られちゃった。うちの待遇、すっごくいいんだけどなー」
眉を八の字にし、わざとらしく残念そうな素振りを見せるカルナリア嬢。
ちらちらと視線を送ってくるが、考えを改めるつもりはないからな?
「期待に応えられなくてすまないな」
「ううん、気にしないで。もとより半分冗談のつもりだったんだから」
なら半分は本気だったってことだな。でなければ勧誘なんてしてこないか。
俺が断る可能性は念頭においていたのか、残念そうな表情を浮かべたのつかの間で、すぐケロッとした態度となっている。もっとも、こちらに配慮して表には出さないだけかもしれないが。
「でも私はいつでも歓迎するから、気が変わったらいらっしゃいな。さ、彼らのもとに行きましょう?」
最後にそう言い残すと、カルナリア嬢は冒険者達のもとへと駆けて行ってしまった。
負傷しているのか彼らの歩みは遅い。怪我の程度はここからだと判別つかないが、挙動からして満身創痍なのは明らかだ。
俺も遅れまいと彼女の背を追い、あとに続いた。




