59:荒れ畑の村
トマスと別れ、アルガードの街を発ってから早五日。
王都に向かうには、隣接するベルゼス領を跨ぐのが近道らしく、一路領境を目指している。
本来ならば魔導車の速度で五日も走り続ければ、とっくにベルゼスの領内へと入っているはずだった。だが護衛対象である聖女イリスが、長時間の移動に耐えられず、頻繁に足を止めては休みをとらざるを得なかったのだ。
現在も見晴らしのいい平地に陣取り、早めの野営をしているところである。
「ふぇぇ……。気持ち悪いですぅ……」
「イリスさん、辛そうだね。なんとかならないかな?」
「神聖術の使い手本人がダウンしているからなー」
これまで馬車などに乗ったときはどうしていたのだろうか?
本人に尋ねてみると、どんな乗り物に乗っても、今回のように気分が悪くなったのは初めてらしい。
ならば魔導車に限ってだけなのか、それとも……。
「もしかして、まだ加護の封印が解けていないからか?」
加護の恩恵があれば毒を無力化し、病気にも罹らないとサリーさんは言っていた。
実のところイリスは乗り物に大変弱い体質で、これまでは加護のおかげで酔うことがなかったのじゃなかろうか。
この考えが正しいとすれば、足早に出発したのは失敗だったな。
日が経てば加護自体の強力さで、自ずと封印が解けるとも聞いている。だから王都行きを優先してしまったが、これならばモギユ村に滞在し、日がかかってでも先に封印を解放しておくんだった。
結果どちらが早く辿り着けたかまではわからないが、少なくともイリスの負担は大きく減らせていたはずだから。
「申し訳ございません聖女様。私の部下に、神聖術を扱える者がいればよかったのですが……」
衛生兵として外傷の処置を行える者はいるらしいのだが、神聖術は修めていないようだ。
シュリと共にイリスを介抱しているカルナリア嬢が、食べやすく胃にも優しいようにと調理されたスープを、木のスプーンですくい彼女の口元へと運ぶ。
旅立ってからの数日。いまでは常にこの状態であるため、イリスはろくに食事をとれていない。あの食魔人がだ。
自然、栄養を取れていないため日に日に衰弱していく。
張り艶のあった玉のような肌も、いまでは潤いを失ってしまっている始末。
「お嬢様、このままでは聖女様のお体が心配です。もう少し行った先に村があるそうなので、しばらくそこで休養をとるべきでは?」
「……そうね。願わくば訪れる村に、治癒士がいてくれればよいのだけれど」
ダリルさんの進言に対し、異論を唱える者はおらず即決定となる。
しかし村というだけに、あまり期待はできそうにないな。
一旦の目的地を定め、さらに魔導車は進みようやくアルガード領からベルゼス領へ。
再び野営を行い、翌朝から半日ほど進めば、ダリルさんの言っていた村が見え始める。
農作を主とする一般的な村のようで、周囲には開墾された畑が広がっていた。
「……妙ね。どの畑にも、作物がなにひとつ実っていないようだけれど」
「それどころか、ひどく荒らされておりますね……」
前部席に座るふたりの会話につられ、車窓から外を眺める。
育っていた茎や葉はぼろぼろの有様。大地には、食い荒らされた作物達の残骸が転がっていた。
人の手によるものではなく、恐らくは獣や魔物による被害か。
「ひどいな……。これじゃ収穫がなにひとつないぞ」
「大切に育てていたのに、かわいそうなのです……」
もしや村も被害を受けているんじゃ……?
一抹の不安がよぎる。
だが心配は杞憂に終わり、村の入り口では住人達が魔導車に驚き腰を抜かしていた。
村自体は健在な様子で安心するものの、どの村人達もあまり顔色がよくない。
停車した魔導車からこぞって降り、話をつけるためカルナリア嬢が村人に長の所在を尋ねる。
だが騒ぎを聞きつけ向こうからやってきてくれたため、おかげで探す手間が省けたというもの。
立ち話もなんだということで、村長宅へと招かれることとなった。
「ベッドを貸してくれてありがとな、村長さん」
壮齢の村長はぐったりとしたイリスの様子を見て、すぐ休ませるため部屋を用意してくれたのだ。
なかなか立派なベッドであり、久々の柔らかな寝心地にあっという間に寝入ってしまった。
「イリス様の具合はどうかしら?」
「……少し熱があるな。ま、しっかりと休んで栄養をとれば、すぐに治る範囲だ。いまはシュリが傍についてくれてる」
ただの軽い風邪。だが、これで俺の考えは確信と変わった。
加護の力で病気に罹るはずがない聖女が、風邪を引いたのだから。
生憎とこの村に教会はなく、神聖術を使える神官や治癒士は存在していなかった。
となれば民間療法に頼り、自力で治癒してくれるのを待つしかない。
もっともある程度まで持ち直せば、イリス本人が自身で神聖術を使うだろうけど。
「なら、しばらくこの村に滞在することになるわね。いいかしら、村長?」
「へぇ、そりゃ構いませんが」
いまはイリスにシュリ、ヴァンガル兵を除いた面々が村長宅の広間で机を囲み、出されたお茶をすすりながら話をしている。
なかなかの大所帯で世話になるんだ。乗り物があれなだけあって、奇抜な一団でもある。となればちゃんと話をつけておかないとな。
「しかしすでにごらんになったでしょうが、畑があの有様でしてな。申し訳ないですが、金銭を頂いたとしてもあなた様方に食事をおだしする余裕はないのです」
収穫目前の作物だけでなく、酷いことにまだ青い実や若芽まで根こそぎ食い尽くされたらしい。
幸いにも土中にある芋や根菜の大半は無事であり、村の備蓄と合わせ凌いでいる現状なのだとか。
「大丈夫よ、こちらの分は自分達でまかなうわ。私達のことは気にしないでちょうだいな」
カルナリア嬢の言うように、実際食料は豊富に用意してある。なにせイリスが大量に食べると見込んで調達したからな。
だが旅を始めてみればあの調子で、本人がほとんど手をつけることがなかった。おかげで想定よりも食料の減りが遅く、たっぷりと残ってしまっているのだ。
……あのイリスが殆ど食べていないってんだから、決していいことではないんだけどな。
「ねぇ村長さん。よければ、僕達に事情を話してくれないかな? 泊めてもらう礼ってわけじゃないけれど、手伝えることなら協力するよ?」
「あの畑の荒らされ方からして、相当な数の獣害とみましたが?」
広大な畑全面が被害に遭っているのだ。少数のゴブリンの群れなんかで済むわけがない。
ましてあいつらなら、土中の作物を見逃すはずがないしな。
「本当で!? そりゃ助かりますが……」
村長はこちらの申し出に一瞬喜色を浮かべるも、すぐさま浮かない顔に戻ってしまった。
俺たちだけでなく、この場に同席していないがカルナリア嬢率いるヴァンガルの兵士達もいるのだ。彼らの存在は村長も知っているし、戦力も数も決して申し分ないはず。
「とにかく、事情をお話いたしましょう。奴らが現れたのは、十日ほど前のことです……」
奴らとは魔物であるアルバトロス。簡潔に述べるなら大型の鳥だ。
翼を広げた姿は成人男性四人分にも及び、体毛は白く羽先や尾先だけが黒く鋭い。瞳は光が差し込まぬ深淵の色をしており、目を合わせると耐性の弱いものであれば恐慌状態に陥ってしまう。
……と、ギルドで貰った魔物図鑑に書いてあるな。
その魔鳥が群れを成し、近くにある森を根城としてしまったのだと。
数がとにかく多いらしく、村人達だけでは対処のしようがなかったらしい。
「数ならばこちらも負けてないわ。飛んでいる相手なのが厄介だけれど……」
「キリク君がいるし大丈夫だよー。ね?」
なぜお前が自信満々なんだアッシュ。
もちろん相手が飛んでいようが、速かろうが、姿さえ捉えていれば撃ち落としてやるが。
「ありがたい。ですがあなた様方に、満足にお支払いできるほどの報酬が用意できないのです。というのも、すでに冒険者の方々を雇っておりましてな。彼らに支払う分だけで精一杯なのですよ」
なんだ、すでに人を雇っていたのか。
聞くところによれば相手はCランクの冒険者五人組で、すでに森へと討伐に向かったとのこと。
アルバトロスはDランクの魔物ゆえ、多いという数次第だが彼らだけで大丈夫だろう。依頼主としては、この地域から追い払うだけでもいいとのことだし。
「当面の宿を提供して頂くだけで謝礼は十分なのだけれど、先客がいるのなら横取りはよくないわね」
魔物から剥ぎ取れる素材や魔石は、時には報酬以上の値段になるからな。
自分達の手に余る相手でない限り、あとからやってきて対象の獲物を狩ったとなればいい顔はされない。
なんにしても、この村に数日滞在するのは俺たちの中で決定事項だ。
金銭と余剰分の食料を少し分けるということで話はつき、村長宅の一室と空き家を一件借り受けることができた。
こちらの人数からして手狭ではあるが、まぁ仕方がない。兵士達は交代制で車中泊とすることで落ち着いた。
さっそく案内された空き家を、カルナリア嬢陣頭指揮のもと掃除にとりかかる。
年季の入った家ではあるが、人が住まなくなったのはつい最近らしいので、思っていたより埃は積もっていないな。
空が夕日で赤く染まり、腹の虫が悲鳴をあげ始めた頃にようやく作業は終わりを迎えた。
炊事当番の兵士が、鼻歌交じりに夕食を作る姿を横目に、暇を持て余し夕焼けを眺める。
「……イリスの様子でも見に行くか」
シュリを世話役として傍に置いているから心配はないが、今晩の食事ができるまでの暇つぶしだ。
あいつも起きていれば、寂しがっているかもだしな。




