58:見納めの姿
「……準備はもういいのか?」
「ああ。もともと大した荷物はないし。忙しいのに見送りありがとな、ギルドマスター」
ティアネスの町、アルガード方面の入り口。
草地に列をなす鉄の魔導車は、誰もが二度見してしまう光景だ。
俺もこいつに乗れるのだと思えば、楽しみで気分が高揚してくる。
しかしながら長い距離を移動してきたため、整備点検が必要らしく終わり次第出発の予定だ。
「……なぁキリク。実はお前さんに、謝らんといけないことがあんだよ」
謝る? ギルドマスターが俺に? はて、いったいなんだろうか。
「以前お前さんから任されていた、イースリ家への件なんだがな。あのあと、時間はかかったがちゃんと金を支払わせることはできた。こちらの提示額よりだいぶ渋られたがな」
ああ、そういえばそんなことあったっけ。
言われてやっとこさ思い出す。確か代行報酬として、二割を支払えばいいんだったか。
「謝ることってのは、想定よりも低額になっちまったからか? 俺は気にしないが……」
「いや違うんだ。……町の現状からして、復興に金がかかるのはわかってくれていると思う。つまりだ。ちょっとばかし資金難でな……?」
ああ、そういうことか。なにかと物入りな状況で、必要に迫られて手をつけてしまった、と。だから支払いを待って欲しいってところか。
「わかった。むしろ、その金は復興資金に充ててくれよ。手伝いもろくにできちゃいないからさ。俺達からの見舞金ってことで……かまわないか?」
傍らにいる仲間達へ同意を求める。俺の勝手な一存で決めかけたが、反対の声があるのならば訂正しないといけない。……もっとも、こいつらが首を横に振ることはないとわかっていたが。
案の定、全員が笑顔で同意を示してくれる。まったくもって感謝だな。
「そうか、すまねぇな。ありがたく復興に使わせてもらう」
ギルドマスターと話し込んでいるうちに、いつの間にか準備が整ったようだ。
整備のため動き回っていた兵士達は、全員車内へと姿を消している。
イリス達もすでに乗り込んでおり、残るは俺ひとり。置いていかれたらたまったもんじゃない。
「キリク、出発するわよ! もたもたしてないで早く乗りなさいな!」
集団の長であるカルナリア嬢から、早くしろとの指令が下る。
「じゃあ、行ってくる」
ギルドマスターに別れを告げ、手をふる彼女のもとへと足を向けるも、待てと声がかかった。
「あ、キリク! 最後に……あれからも篭手は使っているか?」
「ああ、ずっと使わせてもらっているぞ。いまじゃいい相棒だ」
右腕に装着された漆黒の篭手。見せつけるように空へとかざす。
洗って何度か天日干しをしたおかげか、最初の頃にあった臭いは消え去っており、いまではシュリも逃げることがなくなった。
……篭手を着けたままで頭を撫でると、若干渋い顔をするが。
「そうか。なら……鬼の声は聞いたか?」
鬼の……声? なんだそれ。
投げかけられた不可思議な問い。必然、顔には疑問の表情が浮かぶ。
「まだ知らないか。ならもしこの先、語りかけられることがあれば……」
「ちょっとー! 早くしなさいな!!」
少しばかり苛立ちの篭った呼び声。お嬢様らしく、待たされるのはお嫌いなようで。
というか魔導車はすでに動き始めている。走れば余裕で追いつける遅い速度ではあるが、出発早々に汗だくとか、洒落にならんし勘弁してくれ。
「ちょ!? 待ってくれって!! 話の途中すまん、行ってくる!」
「あ、おい!! いいか、もし聞こえても相手にすんなよ! 碌なことにならんからな!」
去り際に気にかかる言葉を残されるも、急ぐ状況ゆえに問いただすことができなかった。
列をなし、土煙をあげ街道を疾走する魔導車。
外観や内装を一言で例えるなら、鉄製の箱小屋。
先頭車には、俺を含め仲間達とカルナリア嬢にダリルさんと、七人が乗り込んでいる。おかげで車内は狭苦しく、乗り心地も決してよろしくない。
気分を紛らわすため、両側に備え付けられた窓を開き外を眺めれば、景色が驚くほどの速さで流れていく。
「ふわぁ! はやいです~!」
「王都まで長旅になると覚悟していたけど、これならあっという間だよねー」
「ふたりとも元気だな……。さすがに何時間も乗っていると、尻が痛くなってきたんだが。いい加減景色も見飽きたしな」
乗り込んだ当初は、自分でも驚くほどに興奮した。
だがそれも最初だけで、いまは窮屈さと硬い椅子に体が悲鳴をあげはじめている。
車体は常にガタガタと揺れ、たまに車輪が石でも踏んだのか跳ね上がるのだ。
「おいイリス。気分はどうだ? 大丈夫か?」
なにより一番堪えているのは、ほかの誰でもなく隣に座る聖女様。
顔は青白く呼吸も荒い。死んだ魚のような目で、ずっと力なく俺の肩へと寄りかかっている。
「ふぇぇ……だいじょう、ぶじゃ、ないです……。ぎもぢわるい……です……」
いまにも吐き戻しそうなイリスの背を、優しくさすってやる。
じつは道中何度か下車し、そのたびに茂みで……いや、思い出すのはやめておこう。俺にまで飛び火しかねない。
とにかくイリスの胃の中は、もはや空とだけ。
「すみません。ぼくが未熟なばかりに、気休めにしかならなくって……」
イリスの反対隣では、トマスが適度に休みをいれながら神聖術を施している。
だが悲しきかな。たいした効果はみられない。
本人の言うように、未熟ゆえに体内にまで効果が及ばないのだとか。
イリスが自分自身に神聖術を施せればよかったのだが、いまの乱れた精神状態では唱えることすら困難なようだ。
途中、調子の優れないイリスのため、休憩がてら変態女将の経営する宿に立ち寄った。
ここには世話になった恩人達がいるので、ちょうど礼を言う良い機会だ。
しかし残念ながら、商人のファルミスさんに会うことができなかった。宿泊していなかったのだからしょうがないか。
代わりにというわけではないが、馬屋でロバートにも久しぶりに再会。元気に過ごしていたようで安心した。
実家に連れ帰ってやる予定だったが、結局機会を作ることはできず終い。しばらくこの地を離れるということもあり、女将に頼み込んで引き取ってもらうことになった。
休憩をとったおかげでイリスは少しばかり持ち直すも、再度魔導車に乗り揺られれば、また同じように顔を青ざめさせてしまう。
「聖女様。街壁が見えてきましたので、もうすぐですわ。到着したら、また少し休憩をとりましょう」
カルナリア嬢も護送対象がずっとこの調子だから、心配で仕方がないようだ。
しきりに操縦するダリルさんへ、もっと静かに走るよう文句を飛ばしていた。
もうすぐと告げられてからは早かった。
うっすらだった街影はあっというまに近づき、もはや目前。徒歩であったならば、街壁が見えたとてまだまだかかるのにな。
なんにしても、イリスの体調を考慮すれば早めに休みがとれるのは助かる。
「あー、ようやく到着か。体が凝るなー」
「んー……! なのですー」
「この街も、あの日以来だねぇ……」
アルガードの街、門外。
恐らく、初めて目にするであろう魔導車に驚く門番を横目に、ぞろぞろと鉄の箱から降りていく。
空へ向かって大きく腕を伸ばし、軽くストレッチをして体をほぐした。
何時間も同じ姿勢で座っていたのだ。体を動かすだけで気持ちがいい。
周りを見渡せば、後続車に乗っていたカルナリア嬢率いるヴァンガル兵達も、皆一様に同じ動きをしていた。
「あー……地面がひんやり、心地いいですぅ……」
ただひとり。草地に倒れこむように寝っ転がる聖女様を除いて。
随分とはしたないが、ここまで我慢して頑張ったのだ。大目に見てやろう。
「カルナリア様。ぼくのために街へ寄ってくださり、ありがとうございます」
「気にしなくていいわ。食料を買い込むついでだもの」
そう。ここへ立ち寄ったのは、わざわざ休憩をとるためだけではない。長旅に必須ともいえる、日持ちのする食料を買い込むためだ。
なにかと物資が不足しがちなティアネスでは、はばかれたからな。
だからお嬢様にしてみれば、本当にただのついででしかない。
しかし俺達からすれば、この地に残ると決断した小さな英雄とのお別れだ。
「……なぁトマス。本当に残るのか?」
「はい。神聖術も未熟、戦闘の心得も持たない。そんなぼくが一緒にいても、役にたたないどころか足手まといですから……」
本人は自身を卑下するが、俺はそうは思わない。
イリスを救い出せたのも、アッシュが命を繋ぎとめたのも、すべてトマスの功労。
この少年がいなければ、この街で物語は人知れず、悪い結末を迎えていたはずなのだから。
「なにより見習いとはいえ、ぼくはアルガード大教会に務める神官です。荒れた教会を本来の姿へ戻すのが、ぼくの成すべき役目だと思っておりますので。……死んだ兄の残した家族も、放っておけませんしね」
……そうだったな。
あの夜。追手のバスク達に対し、門は開けぬと最後まで立ち塞がったらしくそのせいで……。
アッシュが奴自身から聞いた話であり、派兵されてきたアルガード兵からも確認をとった。
残念ながら、部下の人達による救命処置は功を成さず、ほぼ即死の状態であったと。
「……いまのうちに、花を添えに行こうか」
買い物はカルナリア嬢らに任せ、俺たちはトマスの兄が眠る墓前、街はずれの共同墓地へ。
日のあるうちにまだまだ先へと進む予定なので、手早く済まさざるをえなかった。恩人に対し無礼だと承知のうえだ。
帰り道、沈黙のなかを歩き続ける。
目前のトマスとの別れに、なにを話せばいいかわからないのだ。
今生の別れってわけじゃないのにな。
「あのキリクさん。お願いがあるんですけど……」
不意にトマスが服の裾を引っ張り、小さな声で俺にだけ話しかけてきた。
「……最後に、シュリさんとふたりきりで話をさせてもらえませんか?」
「そんなの、わざわざ俺に聞かなくても……いや、わかった」
恥ずかしそうに顔を染める様に、なんとなく察する。詳しく聞きだすのは野暮ってやつだな。
シュリは形式上俺が所有する奴隷となっているので、こちらに配慮したのだろう。
皆から遅れて門を出たところで、草地で蝶を追いかけまわす少女を呼びつける。
自分が呼ばれたことに気がつくと、尻尾を振りながらこちらへと駆けてきた。
「はいキリク様! なにかごようなのです?」
「トマスとここでお別れなのは知っているよな? 最後に、お前に話したいことがあるんだとさ」
それだけを告げこの場から離れ、ふたりきりにさせてやる。
遠目で眺めるトマスは耳まで真っ赤に染まり、落ち着きなくしきりに指をもじもじとさせていた。
まだまだ小さいとはいえ、男トマス一世一代の大勝負だ。
俺はシュリを自分の手元に束縛するつもりなどない。あの子の意思を尊重するつもりだ。
なのでトマスの思いが伝わり、シュリが共に残ると決めたのならば……。
まるで娘を嫁にやるかのような心境でいると、話を終えたのか、シュリは俺のもとへと駆け寄ってくる。
トマスの様子はといえば、この世の終わりが訪れたごとくうな垂れていた。
「キリク様! お待たせしましたです!」
「あ、いや……。シュリ、話はもういいのか?」
「シュリちゃん。トマス君の話ってなんだったの?」
察しているだろうに、わざわざ尋ねるアッシュ。さりげにイリスもまた、鼻息を荒くし耳を大きくしていた。
「ええっとですね、ぼくと一緒に残ってくれませんかって誘われたですー」
「それでそれで? シュリちゃんは、なんてお返事したのですか?」
……聞かなくともわかるだろ。まったく、具合が悪かったんじゃないのか耳年魔な聖女様よ。
「私はキリク様のお傍にいたいですって、答えたです」
「うーん、ご愁傷様だねトマス君」
本当にご愁傷様だ。
イリスとアッシュが慰めの言葉をかけるも、トマスは白く固まったまま。……かと思いきや、晴れやかな顔をしているな。
本人曰く、無理とわかったうえで、駄目もとで決起したようだ。だから、受ける精神ダメージは最小限で済んだのだとさ。
「では皆様、旅のご無事をこの地で祈っております。女神ミル様のご加護があらんことを……!」
走り出した魔導車は徐々に、祈りを捧げるトマスを小さなものとしていく。
遠ざかる少年の姿は、やがて砂粒のごとく。
しかし影すらも見えなくなるまで、ずっと見送ってくれていた。
 




