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55:鉄の車輪は走る

「ねぇダリル。もっと速度はだせないの?」


「お嬢様。現状、すでに馬よりも早く駆けておりますよ」


「でもこれ、全速じゃないわよね?」


「そりゃ仰るとおりですが。しかしながら、ある程度抑えておかねば、熱暴走すると技師殿が言っておられたでしょう」


 草原に果てしなく伸びる道を、土煙を上げながら突っ走る一行があった。

 知らぬ者が見れば、それはあまりにも異様な光景。

 ――輓獣を用いず自走する、3台からなる鉄馬車の集団である。


 ときおり道行く行商人や旅人とすれ違うが、中には新手の魔物と見間違えたのだろう。逃げ惑う者や、腰を抜かす者までいるほどだ。


「くすくす……。いまの見た? ダリル」


「ええ、お嬢様。我々にさぞかし驚いたのでしょう。引っくり返っておられましたよ」


「笑ってしまって申し訳ないのだけれど、あの方には悪いことをしたわね」


「ですが我々は急ぎの身。私としましても、本来ならば下車してお詫び申し上げたいところですが、仕方ありません」


 先頭を走る鉄馬車。

 御者席と思しき2人掛けの席に、男女が並んで腰掛けている。

 鉄馬車を操るのはダリルと呼ばれた男。彼は馬を操舵する手綱や鞭など持たず、代わりに両手が掴むのは円形の輪。それを左右に回すことで、巧みに操作し御しているようだ。


 ダリルの装いはぴっちりとした黒の半袖インナーに、ズボンにブーツ。まるでご近所にでもでかけるかのような、動きやすくも簡素な格好。

 恵まれた体格と鍛え抜かれた身体、覗く肌には数多の傷があり、戦いを生業とする者だとひと目で窺える。くすんだ金の髪を短く刈り上げ、顔に皺が刻まれ始めた年頃の紳士であった。


 一方隣に座る女性は、ダリルと同じように動きやすい装いをしながらも、身に着ける布や装飾は上等なもの。誰が見ても貴族だとわかるほど、高貴な雰囲気を醸しだしていた。

 彼女の肌は白く、青みを帯びた髪は腰まで届くほどの長髪。後ろで大きな一本の三つ編みとして束ね、頭には髪が乱れぬよう、装飾の無いシンプルなヘアバンドを着けている。

 右の目尻にある黒子と端麗な顔つきから、大人びた印象を受けるものの、まだ齢にして16。

 名をカルナリア・ヴァンガル。ヴァンガル領を治める領主が一人娘であり、この鉄馬車集団を束ねる存在であった。


「……お嬢様は今回の件、どうお考えで?」


「そうねぇ……。にわかには信じられないわね」


 真面目な話題があがることで、先ほどまでの陽気な雰囲気は一変。互いに顔つきは真剣なものとなる。

 彼らの向かう先は、隣接するアルガード領に位置する、ティアネスという町。


「正直なところ、片田舎のいちギルドマスターからの報告を、真面目に捉えてよろしかったのでしょうか」


「あなたの疑念もわかるわ。でもね、相手はされどギルドマスターなのよ?」


「ただの平民とは違い、それなりに立場のある者が妄言など吐かぬ、ということですか」


「そういうことね。王都とベルゼス領にも使者を出した、と聞いたけれど……。

 ベルゼスはあなたの言うように、妄言と捉えるでしょうね。王都も、アルガード領まで遠すぎるわ」


 草木が高速で通り過ぎていくなか、芯をもった瞳が、正面の遥か彼方を見据える。

 王都側、それもセントミル教総本山である大教会は、聖女とあれば是が非でも動くはず。

 だが前述の通り、隔てられた距離は大きい。ティアネスが報せに出したという使者は、いまだ辿り着いてすらいないことだろう。


 対して、同じくアルガード領と隣接するベルゼス領。こちらはカルナリアの言葉通り。

 彼女は催される立食会などで、何度かベルゼスの領主と接する機会があった。そのため彼の人柄を熟知とはいかないまでも、ある程度は心得ている。

 ベルゼス家のすでに没した先代領主は、名君と謳われるほどの人物だったが、息子である現当主はというと……。

 貴族主義であり差別的。下々の声を聞く気がない。下手をすれば、領主の耳に届いているかすら怪しいものであった。


「……他は動きませんか」


「内容が突拍子すぎるもの。だからこそ、私達が真偽のほどを確認しないとね」


「にしてもですよ。小隊とはいえ、兵を動かしたのです。

 こいつも領主様に黙って、勝手に拝借したことですし、間違いでしたじゃ済みませんよ……」


「……空が青いわねぇ」


「お嬢様、目を背けないでいただけますか?」


 普段は温厚な性格と大きな体躯から、まるでモギュウのようだと比喩されるダリル。

 さすがの彼も、仕える主の娘であるカルナリアの勝手な行動と、止められなかった不甲斐ない自分に苛立ちを隠せずにいた。


 勝手な行動。

 まさに文字通りであり、報告を耳にしたカルナリアが、領主である父親が判断を下す前に、独断で出陣したのである。

 ヴァンガル家は武を誉れとする名門。彼女には指揮官として訓練させるため、若手の兵14名で組織された小隊を与えられていた。

 未熟なカルナリアの補佐として、ある程度年をとり、経験を積んだダリルがついているのである。

 とはいえ彼はカルナリアを御しきれず、常日頃から振り回されてばかりなのだが。


「もう! ならダリルは、聖女様が殺されちゃってもいいのかしら!?」


「ならお嬢様は、誤報だった場合どう責任をとるおつもりで? 道中の糧食費にこいつの燃料費と、馬鹿にできませんよ? ましてや、こいつはお父様が買われたばかりの――」


「もう、もう! お説教は聴きたくないの! ダリルはしばらく黙ってて!」


「はいはい……」


 諦めたように、口を一文字に紡ぐダリル。

 そんな2人のやり取りを、同乗し後部で見ていた3人の部下が茶化す。


「だははっ! ダリルさん、お嬢の機嫌損ねてやんのー!」


「いやいや、ダリルさんの言い分はもっともだろ。普通は先に人を送って調査してから、動くもんじゃないの?」


「それだと間に合わないかもしれないから、お嬢は先走ったわけっしょ? ま、間違いならいいことじゃないっすか」


 彼らの発言に対し、ダリルは一文字の口を湾曲させ、優しい笑みを浮かべる。

 そして誓うのだった。最初に発言した部下は、晩飯抜きだと。

 横目で見ていたカルナリアは彼の心中を察し、後ろでおどける部下の兵に対し、ただ哀れみの念を向けるだけであった。


「でもまさか、ヘルマンおじさまが異教徒だったなんて。今も信じれらないわ……」


 通り過ぎていく雲を眺めながら、カルナリアは呟く。

 隣領という立ち位置にあり、交流も盛んであったヘルマン・アルガード伯爵。

 彼女も幼き頃から面識を持っており、幾度も言葉を交わしたことのある存在であった。


 この国、いやこの大陸において、セントミル教は広く普及し深く根付いている。

 他にもいくつか小さな宗教は存在するが、それは少数部族や一部の国に限ったもの。

 セントミル教のお膝元であるこの国において、伯爵という立場にいながら異教を崇拝するなど、もってのほかなのだ。


 亜人種を含む人類の平等と、慈愛を説くセントミル教。

 小さな小競り合いこそあれど、国家間の大規模な戦はここ数十年と起きていない。今日の平和が保たれているのも、ひとえに教えの賜物である。

 対して他の宗教では、人間または亜人至上主義と偏ったものが多い。ひどいものでは、魔物を聖獣として崇めた教えまであるのだとか。

 いつも争いの火種となるのは、こういった異教の者の手による場合ばかりであった。


「うちの領主様と同じく、耳覚えの良い方でしたからね」


「奥様とご子息を亡くされてから、塞ぎこまれていたものね。

 ある時から明るくなられて、安心していたのだけれど……」


「……甘言をもってして、生まれた心の隙をつけ込まれたのやもしれません。

 人は弱ったときほど、何かに(すが)りたくなるものですから」


「ならば今回の遠征、聖女様の保護だけでなく、できるならヘルマンおじさまと話をしたいわ」


 もし脅されているだけなのなら。利用されていただけなのなら。間違った道であると指摘し、自分が正さねばならぬ。カルナリアはそう考えずにはいられなかった。

 伝え聞いた僅かな情報だけでは、ヘルマンが既に、この世に亡き者であると知らないがゆえである。


「お嬢様。わかっておられるとは思いますが、もし全面抗争となった場合、我々の数では対応できません。

 ……できる限り、穏便にお願いいたしますよ?」


「わかっているわ。無駄に刺激しないように、でしょ?」


「安心して下さいよお嬢。何があろうと、俺達がお守りしますって」


「例え剣を抜くことになっても、やばくなったらこいつに乗って逃げりゃいいんすよ!」


「そーそー。全力を出せば、早馬であろうと追いつけやしないんですから」


「だははっ! 違いねぇ!」


 若いゆえの浅慮からくる余裕か、恐れも悩みもない笑いが車内に響き渡る。

 ひとり渋い顔をするダリルは、年長である自分がしっかりせねばと、改めて気を引き締めた。

 自身の命よりも重い、主の娘であるカルナリアを任されている以上、争いごとだけは避けたいのである。


 遠方に微かに見え始めたアルガードの街壁。

 大きく迂回するように、彼らが駆る鉄馬車は道なき草原を突き進んでいく。

 ここまでくれば、目的地はもはや目と鼻の先であった。

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