51:焼き付けた光景
甲高く鳴る口笛の音が、広大な蒼空へと響く。
これは安全な場所で待機している、兄達へ向けての合図だ。
手ごろな岩にシュリとふたりして腰掛け、仲間の到着を待つ。
横をちらりと見れば、いかにも褒めて欲しそうな目で、こちらを見つめる犬っ娘の姿。
期待に応えるためにも撫でてやりたいのだが、頭から爪先まで、オークの返り血でべっとりだ。
「……全身真っ赤だなシュリ。
敏感な鼻をしてるくせに、気にならないのか?」
少なくとも、隣にいる俺は気になる。
それほどに血生臭いにおいを漂わせていた。
「血のにおいなら平気なのですー」
「あ、そうなの。……とにかく、少しじっとしてろ。せめて顔だけでも拭いてやるから」
ズボンのポケットからハンカチを取り出し、拭ってやる。
せっかく可愛らしい顔をしているのに、これじゃ猟奇的すぎて台無しだからな。
「んー。……えへへ〜、ありがとうなのです〜」
「身体と髪は水で洗い流すしかないな。あとでイリスにしてもらえ」
「はいです!」
そうこうしているうちに、息を切らせた3人が駆け足でやってきた。
彼らは血塗れのシュリを目にし、卒倒しそうな勢いで彼女の心配をする。
しかしすべて返り血だとわかると、ほっと胸を撫で下ろしたようだ。
「にしてもよ、本当に2人だけですべて仕留めちまうとはな……」
「さっすがキリクさんですよね! 私は最初から信じてましたよ?」
「嘘つけ。心配してたじゃねーか」
「そりゃ心配しますよ。でも信じていなかったら、ぼくら絶対に止めていましたから」
「ですよねー? でもおかげで、泉を利用することできます! ありがとうございます、キリクさん!」
「すっね! よくやったぞ弟!
でもオークの死体を、泉の脇に転がしておいたままじゃ気味悪いでしょう。
俺達でちゃちゃっと片しますんで、しばしお待ちくださいよ聖女様!」
「えー、俺達ってことは俺も? そんなの、兄貴ひとりで……」
「とっととやるぞ、キリク!」
「……へいへい」
しかなく、渋々力仕事に精をだすことに。とはいえ、兄貴の言うこともごもっともだ。
死体が転がる横で、身を清める為の水浴びなんてできないか。
兄と共に、汗だくになりながら7頭もの死体を移動させる。ひとまずは目に付かない木陰まで。
ここにきてやっと、兄自慢の腕力が役にたつ。俺も篭手のおかげで、思っていた以上には労せず済んだ。
対価にマナをがっつり喰われ、疲労感が強いが。
「ささ、聖女様! 景観を邪魔するものは移動させましたし、もう大丈夫ですよ!」
「ありがとうございます、フレッドさん。
さ、シュリちゃん。私が身体を洗ってあげますので、一緒に入りましょうか?」
「はいなのです! イリス様のお言葉に、甘えちゃうですー!」
お、兄貴の目つきが変わったな。オークなんかよりも、そっち目的だったんだから当然か。
女性陣に悟られぬよう、指先を動かし俺へと合図を送ってくる。
まったく、わかってるっての。
「そんじゃ、俺と兄貴、トマスの3人で見張りをしておくよ」
「聖女様、シュリちゃん! 安心して行ってくるといいですよ! さぁさぁ!」
まるで邪心など何ひとつないといわんばかりの、不自然なほどに爽やかな笑顔を浮かべる兄。
逆に怪しく感じるほどで、大人しく黙っていて欲しいものだ。
「えっとー、そうですねぇ……。あの、フレッドさんに折り入って、お願いがあるのですが……?」
おや。イリスにしては珍しく、随分としおらしい態度だな。
兄貴と身長差がかなりあるものだから、上目遣いとなっており、さながら小動物のよう。
でもうちの兄にお願いとはなんなのだろうか?
「聖女様が……俺に? は、はい! なんでございましょうか!?」
「あのですね、いくらこの場から隠したとはいえ、オークさん達の死体を放置しておくのはどうなのかなと。私としては気が引けまして……。できれば、しっかりと埋葬してあげてほしいのですよ」
「そう、ですね」
「でもでも、オークさん達は大きな体ですし、見合う穴を掘るのには人手が必要ですよね?
なので、村まで人を呼びに行ってもらえませんか?」
「え、俺がっすか!? そんなの弟に……」
「俺はイリスの護衛役だから、こいつの傍を離れられないぞ」
「じゃ、じゃあトマス君……」
「ぼくは道がわからないので、絶対に迷う自信があります」
「というわけなので、フレッドさんにしかお願いできないのです。
力仕事を終えたばかりで申し訳ないのですが……。その、嫌……でしょうか?」
うわ。上目遣いだけでなく、手を組んでお祈りのポーズまで。
あざとい、あざとすぎる! でも、うちの兄貴なら絶対に断れないだろうなぁ。
「俺に、しか? ……わっかりました! 聖女様のお願いを断るなんて罰当たりなこと、できようものですか! すぐ行ってきますよ! 待っていてください!!」
兄は了承の言葉を返すと、脱兎の如き速度で村へと駆け戻っていった。
足が遅いと言ったが、訂正しよう。あれは俺より速いかもしれん。
「……ふぅ。もう見えなくなっちゃいましたねー。さ、シュリちゃん! 水浴びしましょっか!」
「はいなのです!」
「オークの死体に、気が引けていたんじゃないのか?」
「もちろんですよ? でも、キリクさん達が見えない場所へ移動して下さいましたしー」
「なら兄貴を使いに行かさなくとも、村に帰ってから人を寄越せばよかったんじゃ?」
「……フレッドさんからは、少し邪な気配を感じまして。
弟であるキリクさんに言い難いのですが、いやらしい視線をよく向けられていたのですよ……」
あーあ、兄貴よ。露骨に胸とか尻ばかり見てるから、危機感持たれてんじゃねーか。
見るのなら俺のようにばれない程度に、さりげなくじゃないと。
なんにせよ、残念だったなご愁傷様だ。
「……うちの兄がすまなかった」
「あ、いえ! キリクさんが謝ることじゃないですよ!?
ではでは、私達は水浴びをしてきますので、見張りよろしくお願いしますね!
……覗かないでくださいよ?」
「へいへい。行ってら」
持参した荷物を持ち、シュリの手を引き泉へと歩いていくイリス。
主犯がいなくなったことで、当初の計画は頓挫しちまったな。こうなったら、大人しく職務をまっとうするとしようか。
兄の遺志を継ぐつもりなど毛頭ないからな。「無理矢理付き合わされて」という言い訳ができなくなるし。
トマスと共に、木を背に地面へと腰掛ける。
聞こえてくる水音と、黄色い声。仲睦まじく楽しんでいるようだ。
「そわそわしてどうしたトマス? トイレか? ……まさか覗きたいのか?」
「ななななにいってるんですか!? そそそそんなこことはありません!!」
「いや動揺しすぎだろ。黙っていてやるから、行ってくれば……」
なかば冗談のつもりで、トマスを外道へ誘った時のことだった。
少し前に聞いたばかりの大きな雄叫びと共に、イリスの悲鳴が俺達の耳へ飛び込む。
ふたりして顔を見合わせ、急ぎ何事かとイリス達のもとへ駆ける。
泉では1頭のオークが仁王立ちし、イリスの前に立ちはだかっていた。先ほど討伐したのが全てではなかったようで、生き残りがいたのだろう。
獣化し白狼姿となったシュリが、首元へと牙をつき立て咬み付き、イリスを守るため必死の抵抗をしている状況であった。
全裸の状態では武器がなく、咄嗟に変身したのだろう。だが孤軍奮闘するも空しく、シュリの牙は喉を喰い千切るにいたっていないようだ。
オークに首根っこを掴まれ、あっけなく引き剥がされる。そしてあしらわれるかのように、水面へと投げ捨てられてしまう。
『ギャウンッ!?』
「シュリちゃん!?」
大きな水音と飛沫をたて、水底へと打ち付けられるシュリ。
その現場を目撃した瞬間、怒りと焦りで、頭のなかが真っ白になる。
……気がつけば、眼下には水面に浮かぶオークの亡骸。
死体の頭部には幾本ものナイフが突き刺さっており、流れ出る血が泉を赤く染め上げていた。
腰につけた左右のホルダーは空となっており、過剰な攻撃をしたのだとわかる。
「はぁはぁ……。大丈夫かイリス、シュリ!?」
「は、はい! 私は無事ですが、シュリちゃんが……!」
「シュリ! 返事をしろシュリ!!」
「シュリちゃん!」
少女が沈んだあたりに向け、名前を叫ぶ。
俺達の声に呼応するかのように、水が飛沫をあげ、人型へと戻ったシュリが姿を見せた。
「あうぅ。頭をぶつけて痛いのです〜……」
「シュリちゃん! よかったぁ。怪我は……うん、ちょっと大きなタンコブができているくらいですね」
駆け寄ったイリスがシュリの全身を調べ、大したことはないと安堵する。
「咄嗟に私の前に出て、守ってくれてありがとうございます。シュリちゃん」
「えへへ〜。当然なのです!」
少女を抱き寄せ、優しく抱擁する聖女様。
ふたりの姿は景観と合わさり、まるで名匠の描いた一枚の絵画のようだ。……横に浮かぶ、醜い死体さえなければだが。
この貴重な光景は、生涯忘れぬよう記憶しておかないと。
「……で。キリクさんはいつまで、私達を見ているおつもりですか?」
向けられる視線に気付いたのか、思い出したかのように白い素肌を手で隠すイリス。
恥ずかしさからか顔は赤面し、涙目でわなわなと震えている。
「キリク様もずぶ濡れですし、一緒に入るですー?」
「一緒には入りません! 早く出て行ってくださーい!!」
「これは失敬。さっさとお暇しますよっと。ほらトマス、行く……ぞ?」
泉のほとりで、鼻から血を流しぶっ倒れているトマス。
奇しくも、共に水浴びの場へ乱入することとなり、目にした肌色の光景は刺激が強すぎたらしい。
服の襟首を掴み、オークの死体と共にずるずると引きずって退場だ。意識を失っちゃいるが、じきに目を覚ますだろうさ。
今日のことはトマスにとっても、一生の思い出になるだろうな。




