42:餓えた怪物
「――隊長! 隊長!! 大変です!!」
「どうした、そんなに慌てて」
ティアネスの町、衛兵の詰所。
そこにアルガード方面の守衛を担当していた1人の兵が、血相を変えて飛び込んでくる。
彼は目当ての人物の前まで行くと、息も絶え絶えに自分の見たものを伝えた。
「ど、ドラゴン! ドラゴンがこの町に向かってきています!!」
「はぁ? 何を言っているんだお前は。そんな伝説上の生物が、こんなところにいるわけがないだろう。
あ、さてはお前。さぼって酒を飲んでいたんじゃあるまいな?」
「冗談なんかじゃありませんよ! 職務中に、酒なんか飲むわけないじゃないですか!!」
「ははは! 前科のあるやつが言っても、説得力ねぇって!」
同じく詰所にて待機していた同僚が茶化す。
彼の発言に、その場に居た全員が大きな笑い声をあげた。
「まったくだ。どうせ大きな鳥でも見間違えたんだろう。
酔っ払いの目はアテにならんから、誰かこいつと交代しろ」
「ちょっ、隊長!? 自分は酔ってません、本当ですって!
なんなら、自分の息を嗅いでみてくださいよ!」
そういうや否や、彼は隊長の鼻もとへ口を近づけ、息を吐きつけた。
許可を得ず行った無礼な行為だったが、隊長は不快な顔をするも咎めることはしなかった。
「ふむ、確かに酒の匂いはしないな。だがお前、口が臭いぞ?
ちゃんと毎日歯を磨いているんだろうな?」
「えっと、3日おきにしか……って、それどころじゃなくって!!
本当なんです隊長! なんなら、今すぐ見に来てくださいよ!!」
彼は必死な形相で、隊長へと懇願する。
その様に、半信半疑ながらもあとに続き、数人を残し隊長達は詰所を出ていった。
町の入り口付近に建てられた見張り櫓(櫓)。
上まで登ると、隊長もまた言葉を失い、我が目を疑った。
「なんということだ……」
「ね!? 本当だったでしょう!?」
夕日を背にし、ティアネスに向かって飛来してくる影。
二対の翼が、部下の言うとおり竜を連想させた。
「奴がこの町を目指しているのだとしたら、大変なことになるぞ!?
今すぐに対策を立てねばならん!
お前はここで監視を続け、異変があったらすぐに報せろ!」
「はい!」
隊長は櫓からおりると、下に待機していた部下達を整列させる。
それから大きく深呼吸をし、自身の気持ちを落ち着けてから口を開く。
「本物のドラゴンかどうかはわからんが、私も確かにこの目で見た。
翼を持つ大きな化物が、この町へ向かってきている。
これはこのティアネス始まって以来の、未曾有の災害となるやもしれん」
隊長の言葉に、全員が困惑を浮かべるばかり。
だがそれが嘘ではないということだけは、隊長の態度と日頃の信頼関係から判断できていた。
「モーリス!」
「はっ!」
「お前は今すぐ部下を連れ、住人達に避難勧告を出せ。
避難先はビノワ村、ウブド村、カノキ村の3箇所とする」
もし襲われた場合の、被害を極力減らすための策。
3方向へと別れることで、最悪でも2組は逃げ延びられるだろうとの考え。
ただし相手は空を飛ぶ怪物。必ずしも思い通りにいくとは限らないわけだが。
「了解しました! 行くぞ!」
モーリスと呼ばれた男は、指示通り数人の部下を連れこの場を離れていく。
「次、アルミスとビンス!」
「「はい!」」
「アルミスは非番の者を全員招集してこい! ビンスは冒険者ギルドへ救援要請だ!
この件は総力をあげて当たらねばならん!
それこそ人命だけでなく、町の存亡がかかっているのだからな!」
「「わかりました!」」
任を与えられた2人もまた、使命を果たすため町中へと駆けていった。
「残りは私と共に、迎撃の準備だ! 後衛隊は矢をありったけ持ってこい!
前衛隊は重武装をし、防御を固めろ!」
「「はっ!」」
隊長の指示に、衛兵たちは装備を整えるため詰所へと走っていく。
「ジャスカ。お前は衛兵隊で唯一の魔導士だ。
お前の放つ魔法が一番の火力であり、奴を退ける鍵になるだろう」
「はい。町を守るため、出し惜しみなく全力であたるつもりです」
「頼むぞ。さて、奴がここに着くまでにどれだけ体勢を整えられるか……」
「――隊長! やはり奴はこの町を目標としている模様です!
速度から判断し、接敵まで目測で3分!」
「来たか! くそ、やはり碌に準備ができなかったな。
いやだが、奴は空を飛んでいるのだ。これでも上々か」
町をでてすぐの草原。
そこには30人にも満たない数の衛兵達。
彼らは先ほど陣形を組み終え、迎撃の態勢を整えたばかり。
いまだ非番の兵達は集まりきっておらず、ギルドからの増援もきていない。
部下からの報告では、住民の避難も満足に進んでいないようであった。
彼方を眺めれば、平地からでも姿が視認できる距離となっている。
この場にいる全ての兵達の目に、飛来する影が映りこむ。
「こうなれば、我らだけで戦うしかあるまい。
後衛隊、矢をつがえろ! 射程に入り次第、翼を狙って撃て!」
「「はっ!」」
「前衛隊は盾を構え、守りに専念せよ! 後衛とジャスカを我が身に代えてでも死守せよ!
彼らが奴を地に堕としたとき、お前達の出番となるぞ!」
「「はっ!」」
待機していた衛兵達。全員が覚悟を決め、襲来の時を待ち構えた。
徐々に近づく巨影。
化物も草原の兵士達に気付いたのか、速度をあげる。
「あれは……ドラゴンなんかじゃないぞ!?
形だけなら尾がないこと以外、特徴と当てはまるが、まったくの別物じゃないか!」
「随分と、気味の悪い姿をしていますね……」
異形の化物は衛兵達の前方までくると、その場で翼をはためかせ、空中に留まった。
彼らを獲物と認識したのか、伸びた首を品定めをするかのように向ける。
頭と思しき部位はのっぺらであり、目や鼻があるようには見受けられない。
牙の無い、大きく裂けた口だけが深淵を覗かせていた。
「――来たぞ! ……うっ!? なんだこの腐った臭いは!?」
羽ばたく翼から、風に乗ってやってくる腐臭。
異形な姿と合わさり、衛兵達に動揺を与える。
「くっ! 怯むな、矢を放て!!」
隊長は右手に構えた剣を指揮棒とし、振りかざし標的を指し示す。
号令を受け、矢をつがえていた後衛の弓士達がその指を離した。
二対の翼を狙って放たれた、数多の矢。それはまさに雨の如く降り注ぐ。
だが、化物は突き刺さる矢を気にもとめていない。
「痛みを感じないのか、こいつは!?」
攻撃が意味をなしていない状況に、またも動揺が走る。
衛兵達の気持ちなど知ったことかと、化物は口をより一層大きく開く。
そして大きく息を吸い込み、長い首を仰け反らせた。
「まずい、ブレスかもしれん! 前衛、盾を構えろ!!」
隊長に言われるまでもなく、前衛を担う者達はすでに身構えていた。
構えられた盾は規則正しく並び、まるで1枚の壁となす。
惜しむらくは資金不足のためか、木や鉄の盾が混在し、不揃いなものとなっているが。
一拍を待たずして、化物の口から放たれたブレス。
……かと思いきや、それは火ではなく不気味な液体の濁流であった。
「うおぉっ!? くっせぇ!!」
「なんなんだこいつは!? これじゃまるで、ゲロじゃないか!」
とくにこれといって、勢いの強い水流というわけでもなく。
盾を構えた前衛たちは苦もなく受け止める。
これなら余裕だ。
鉄の盾を構えた者達は、皆がそう思った。
だがその隣から聞こえてくる悲鳴。
それは木の盾を構えていた者達のもの。
見れば盾の鉄枠だけを残し、木の部分は全て溶かされていた。
スカスカとなった盾は役目を果たすことなく、使い手へ攻撃を通してしまう。
全身を鎧で武装してはいても、液体は隙間から容赦なく入り込む。
ゲロブレスを浴びた者達は悲鳴をあげ、草地へと転げまわった。
「ぎゃあああ! 目が、目があぁあああ!!」
「ひぃぃ!? う、腕が溶けて!?」
おかげで並んだ盾の壁は穴だらけに。
無事に済んだ者達も、肉が溶ける痛みに転げまわる同僚を見て、怯えずにはいられなかった。
「陣形を立て直せ! 負傷者を下がらせろ!!」
隊長は声を張り上げる。
だが前衛に立つ兵士達には、もはやそれどころではなかった。
指示に従い、数人で並び再度盾を構える者。
背を晒し逃げ出す者。
負傷した同僚を引きずり、後方へと下がる者。
纏まりを欠き、バラバラな行動を起こす前衛達。
盾の壁はほぼ完全に機能を停止し、瓦解してしまっていた。
「隊長、詠唱が終わりました! 魔法、いけます!」
「む、そうか! 頼む、この状況を好転させてくれ!」
窮地の状況に、希望が湧く。
交戦前から詠唱を行っていた、魔導士のジャスカ。
天へと掲げられた右手。その上空には、3色の光球がいくつも浮遊していた。
これは彼が扱える最大の攻撃魔法。
化物へと、腕を振り下ろすことで解き放つ。
「――火よ、雷よ水よ。混在となりて敵を滅ぼせ!」
それぞれが色に対応した属性を持つ光球。
それらは標的へむけ一斉に、高速で飛来していく。
化物も回避行動をとるが、全てを避けきることは叶わない。
最初の被弾を皮切りにし、次々と着弾していく。
火球は腐肉を焼き、雷球は爆ぜ、水球はその身を穿った。
結果、ジャスカの放った魔法は、異形の化物を地へ堕とすことに成功する。
「よし、やった……ぞ!?」
魔法を喰らいボロボロとなった化物の体。
だが肉が蠢くと、すぐさま傷が塞がっていく。
唯一、火で焼け焦げた部位だけは治りが遅いようであった。
化物は怒りの咆哮をあげる。
裂けた口を大きく開き、長い首をさらに伸ばす。
地に転がる負傷兵を、近場に居た者から次々と丸呑みにしていく。
伸びた首が次の負傷兵へと迫った瞬間、その頭部が斬り落とされた。
「この化物め、よくも私の部下を!」
後方にいた隊長が駆けだしていたのだ。
地に下りている今ならば、攻撃が可能だと。
彼は間一髪のところで、捕食される寸前の部下を救った。
「頭を落とした! これでこいつも死――」
次の瞬間、切りくちから再生した頭部が大きく口を開き、隊長を飲み込んだ。
上官を失い、唖然とする衛兵達。
「て、撤退だ! 逃げろぉ!!」
誰かが大きく叫ぶ。
残された彼らに、統率なぞもはやなくなっていた。
荷物となる武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
戦場には、負傷し逃げることが叶わぬ数名だけが残された。
異形の化物は、彼らにむけゆっくりと首を伸ばしていく。
時刻は夕暮れ。
化物の、食事会が幕を開けた。




