40:領主の末路
空が明るみだした、早朝の教会内。
普段は怪我人や病人の診療を行う、とある一室。
その部屋の中では、見るも無残な姿となったこの街の領主、ヘルマン・アルガードが診療台の上で横たわっていた。
全身に酷い火傷を負い、髪は炙られたのかチリチリに。右腕は肩から消失しており、両足も膝から下は炭化してしまっている。
生きていることが奇跡とも言える状態。
昨夜の爆撃で負傷し、彼は部下達に教会へと運び込まれたのだ。
瀕死の領主に対し、数人の神官達が手を止めることなく、神聖術で治癒を施し続けている。
その輪の中には、ジャコフ司祭の姿もあった。
「まったく、なんとおいたわしい姿に……。聖女の件も含め、なんという日だ……」
時々人員を交代し、治療は途絶えることなく行われる。
ジャコフ司祭に至っては、ほとんどぶっ通しだった。
だが、長きに渡った彼ら神官達の奮闘も、ようやく実を結ぶこととなる。
「……う、うぅ……わた、しは……生きて……?」
「ヘルマン様、気がつかれましたか!?」
領主が目を覚ましたことに、一同は歓喜の声をあげた。
ジャコフもまた、ほっと胸を撫で下ろす。
「か、身体が……左腕しか、動かぬ……?」
「……残念ながら、あなた様の右腕と両足は、もう元には戻りませぬ。
私の腕を持ってしても、復元まではできませぬので。聖女がおれば話は別であったのでしょうが……」
「そう、か……。いった、い……なにが、起こった、のだ……?
わたし、の館が……襲撃、されたのは……わかってい、るが……。
聖女、は……なぜ、おらぬ……?」
「聖女は、彼女をここまで連れて来た連中に誘拐されましてな……。
あなた様の館を爆破したのも、恐らくは奴らでしょう」
「なん、と……!? やは、り……殺して、おくべき、だった……か」
領主は無事な左手を持ち上げ、自身の眼前へとかざす。
全身の痛みからか、さては怒りからか。
その手は小刻みに震えていた。
「わた、しの……身体、は……もう、終いか……」
「……私の力不足で、もうしわけございませぬ。
希望があるとすれば、聖女を連れ戻せればあるいは……?」
「そう、か……。ふふ、ふふふふふ、ふはははは……!
ジャコフ、よ。奴ら、は、どこへ逃げた……のだ?」
突然、高笑いをあげる領主。
彼の奇行に、ジャコフら神官達は理解が及ばず、たじろぐ。
そして尋ねられたのは、事を起こした犯人達の行き先。
「当初は警鐘の鳴った、西の方面が怪しいとされておりました。
ですが、それは我らを混乱させる囮であった様子。
後に東門が開いたという情報がでてきましてな。門番を尋問したところ、あっさりと吐きましたぞ。
奴らの逃げる先など、考えてみればわかりやすいことでしたな。
バスクが先走り、仲間を連れ後を追ったようですが、いまだ戻らぬところを見るに……」
「返り、討ちにあった……か。
……ジャコフ、よ……。あれを、もってこい」
「は……? あれ、とは……?」
「あの、出来損ない、の……石、だ……」
「!! マナを抽出し、濃縮させた晶石のことで!?」
「そう、だ……。あれを、わたしの、身体に……埋め込め……」
領主は残った左腕で、自分の胸元を指差す。
その動作は、ここに埋めろという指示を現しているのだろう。
「なりませぬぞ! あれはまだ不完全な代物。
あなた様もご存知のことでございましょう!?
晶石を埋め込まれた魔獣が、どうなったのかも……!」
かつて戦時中だった頃。国が死にかけの凡庸な兵を、なんとか屈強な兵として再運用できないか。
倫理など度外視した研究が開始され、結果生み出されたのが晶石。
だがそれはこの世に生きる者の身には、あまりにも負荷が大きすぎた。
ほんの一握りの成功例を残し、あとは兵として扱えぬものに成り下がったという。
結果研究は凍結され、いまとなっては邪法となった技術。
彼らセントミル教と対立する者達には、ことを成すために、大きな力が必要だった。
その一端として、現存する僅かな資料を紐解き、現代に再び蘇えらせたのだ。
そして試作的に作り出された物が、ヘルマンらを含むいくつかの上層者達に配られた。
理由は各地で生物に埋め込み、結果をデータとして収集するため。
ジャコフは思い出す。
実験体となった魔物の変貌した姿を。
あまりにも醜悪で、凶暴な化物となった存在を。
その時は魔導士が結界を張り、封じ込め対処した。
対策を練るために長時間封じていたところ、勝手に自壊を始めたのだ。
身体が力に耐えられなかったためであり、おかげで事なきを得たわけである。
「聖女を、さらい……館を襲撃した、ということは……わたしの正体にも、気付いたという……こと。
もう……あとには、引けん……のだ……」
領主は、瀕死ながらも健在な頭で考える。
もう遠くまで逃げ去っているであろう奴ら。
いまから追手を出したところで、追いついたときにはすでに手遅れ。
逃げた先で、すでに真実を伝え終えているに違いない。
となれば王都や隣接する領主達のもとへと、報せを向かわせているはず。
「くく、く……。終わり、だ。わたしの築き上げたもの、すべ、て……。
ならば、諸共に……終わらせてやろう、ではない、か。
なに……わた、しは、呑まれぬ……。この強靭な……意志、を持って……制御して、みせよう……」
「……そうですな。私もあなた様も、異教徒と知られれば今の立場はございますまい。
かといってこのまま本部へと戻れば、いかな処罰を受けることでしょうか……」
「そういう、ことだ……。
だから、こそ……せめてもの、手土産……が、必要なの……だ」
「聖女、ですな」
聖女さえ本部へと連れていけば、最低限の任は果たせる。
厳罰は免れないだろうが、処刑まではされないはず。
領主と司祭、そして周りに居る神官達は、決意を固める。
「わかりましたぞ。ただちに、施術を行いましょう。……晶石を持ってくるのです」
「はい!」
ジャコフは神官の1人に、晶石を持ってくるよう命じる。
念のため教会所属の魔導士も2人待機させ、彼が戻り次第に施術が開始された。
といっても、神聖術をかけながら領主の胸を開き、体内に晶石を縫いこむだけだが。
「――これで晶石の埋め込みは終わりましたぞ。
ヘルマン様、ご気分は如何ですかな?」
「……とくになにも、変わらっ!? うぐっ……ぐぐぐあああああああ!!?」
突如苦しみの声をあげ、もがき始める領主。
唯一残っている左手が、自身の胸元を肉が削れるほどに掻き毟る。
「ヘ、ヘルマン様!? お気をたしかに!」
胸元の傷口から徐々にどす黒く変色していき、腐臭が漂い始める。
いつしか変化は全身へと及び、もはや人間の原型を留めなくなっていた。
「ヘルマン様! ヘルマン様!!」
司祭や周りの者達は必死に呼びかけるも、その声に応じる様子はない。
……異形の姿となった領主は、むくりと起き上がる。
彼の濁った目がギョロリと動き、周囲を一瞥した。
「ひっ!?」
一瞬の間に伸びた左腕。
その腕は近くに居た神官の首を掴むと、裂けるように開かれた口元へと……。
「や、やめえええあああぁぁああ……あ、あ、ぁ……」
ゴリゴリと骨を噛み砕く音が、部屋に居る全員の耳に木霊した。
ジャコフと他の者達は一連の出来事に、恐怖と驚きから、ただ呆気にとられるだけだった。
化物となった領主が神官を食べ終えると、肉を練るような音が鳴り始める。
……失われていた彼の手足が、生え伸びていた。
「! ま、魔導士の皆さん! すぐに結界を! 化物を封じ込むので――」
ジャコフが指示を飛ばすも、さらに2人の神官が異形の腕に掴まれていた。
彼らは叫びにもならぬ悲鳴をあげ、血の飛沫を散らし口の中へと姿を消していく。
「い、急ぐのですぞ!」
ジャコフの一喝。
魔導士たちは口早に詠唱を終え、封じるための結界を作りだす。
元領主である化物を覆うように、球状の薄透明な壁が形成された。
その壁の内側から、外に出ようと力任せに結界を叩く化物。
「……ふぅ。これで安心ですな」
「申し訳ございません、司祭様。我らが遅れたばかりに……」
「仕方ありませんぞ。ヘルマン様ならばと、皆が期待してしまったのですからな。
しかし3人も犠牲になるとは……。やはりあの晶石。碌なものではありませんぞ」
犠牲になった3人の弔いにと、主神への祈りを捧げるジャコフ。
といってもあくまで形だけで、気持ちなど一切篭っていないものであったが。
「それで司祭様。この、元領主である化物はどう致しましょうか?」
「前回と同じですぞ。魔獣同様、そのうちに自壊するはず。
交代要員を呼んできますので、あなた方はそれまで結界の……維持、を!?」
ピシリ、とヒビの入る音。
何度も叩きつけられていた壁に、亀裂が走る。
見れば異形の体は、先ほどよりも大きくなっているようであった。
「ま、まさか人を食べたことで、成長を……!?」
「司祭様……! この化物、どんどんと力が強くなっていっております!!
結界が、もちません……!!」
「も、もうだめ……だ!」
音と共に、粉々に砕ける檻。
逃げる間もなく、次々と行われる殺戮と暴食。
「セセイ、ジョ……ツツカマ……エ、ル。
ワレラガガ……カミ……ノタメニニ……」
化物が口にする言葉は、僅かに残った領主の思念であろうか。
ただそこに、自分の喰らった仲間達への意識は見られない。
部屋中が赤く染まり、惨劇を物語る。
食べカスの小さな肉塊と、僅かな遺品だけがその場に残った。
異形の化物は教会内を闊歩し、出会う者全てを喰らっていく。
神官であろうが、参拝に来ただけの住人であろうが、おかまいなしだ。
化物にとって、動くもの全てが糧でしかない。
建物内に響き渡る、数多の悲鳴。
蜘蛛の子を散らすように、教会の外へと逃げていく人々。
勇敢にも立ち向かう者達がいたようだが、彼らの勇気と命は泡と消えた。
やがて静まり返った教会。
異形の化物もまた、外へと出ていく。
その体は多くの血肉を喰らい、建物の柱や壁を壊すほど巨体に。
体は腐食した肉でできており、竜とも悪魔ともいえぬ、おぞましい姿だった。
「ヒヒ、ヒガ、シ……。セセイ、ジョ……」
背中から、4枚の羽が生え伸びる。
それは巨体に比例した、大きな翼となった。
異形の化物は腐食した体液を撒き散らし、翼をはためかせる。
そしてふわりと宙に浮くや否や、そのまま東の大空へと姿を消した……。




