表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/117

39:湯船の救世主

 部屋のドアがノックされ、返事を待たずして開かれる。

 目をやると、入ってきたのは女将だった。


「……キリク君、ちょっといいかしらぁ?

 とぉっても大事なお話なのだけれどぉ」


 言葉使いはいつものねっとりとしたものだが、その顔は真剣そのもの。

 先ほどまでアッシュの手当てを請け負い、容態を見てくれていた女将。

 そんな彼女が、大事な話があると言ってきたのだ。


 ……嫌な汗が背中を流れる。

 ひとつ、大きく深呼吸をした。

 気を落ち着けてから、女将に続きを促す。


「……アッシュちゃんねぇ、このままじゃ本当に危ないのぉ。急いで、何か手を打たないといけないわぁ……。

 お姉さんが、解除系の魔法を使えればよかったんだけどぉ。そうであればぁ、イリスちゃんを起こせたかもしれないのにぃ……。

 治癒は神聖術の範囲だから、お姉さんの専門外だしぃ。これ以上は、とても力になれないのぉ」


 ……やはりか。俺から見ても危ない状態だったんだ。

 高いレベルで神聖術を扱える、優秀な治癒士がいない限り、どうにもならない。


 宿に泊まっている客で、神聖術が使える人がいないか。

 尋ねてみるが答えは否だった。

 居るのならすぐに声をかけているはずだし、当然か……。


 仕方なく、今も疲れから眠っているトマスを起こす。

 見習いと本人は言っていたが、少しでも使えるのならば希望はあるはず。

 神官たるもの、神聖術を会得するのは必須らしいからな。


「えぇっ!? アッシュさんが……!?」


「そうなんだ。トマスも疲れてしんどいだろうが、神官と見込んで治癒を頼めないか?」


 目を覚ましたトマスに、事情を簡潔に話す。

 そしてアッシュのもとへと行き、容態を確認してもらった。


「……すみません。ぼくも神官の端くれ、少しばかり神聖術を扱えはします。

 でも……でも……! これだけの傷、ぼくの力量ではとても……!

 少しでも流血を抑える、それだけで精一杯ですよ……!!」


 詳しく聞くに、トマスの神聖術はⅡ。

 正真正銘、嘘偽りなく見習いレベルだ。

 小さな傷を癒すくらいが関の山なんだと。


「……それでも構わない。

 時間稼ぎでもいい、頼めるか?」


「わかりました。ぼくの全力を尽くします!」


 傷口に巻かれた包帯のうえから、トマスは手をかざす。

 すると手の平から柔らかな光の粒子が現出し、刺創部を覆っていく。

 おかげで心なしか、アッシュの表情が和らいだように思える。


「……キリク様、それでどうするです?

 このままじゃ、なにもかわらないです……。

 他に救う手がないのなら、悪戯にアッシュ様を苦しめるだけですよ……?」


「シュリ。それはひと思いに、楽にしてやれってことか?」


 これは余裕のない、俺の考えすぎかもしれなかった。

 シュリとしては、そんなつもりで言ったのではないかもしれない。

 それでもギロリと彼女を睨みつけてしまう。


 だがシュリはなにも言葉を返さず、目を逸らし無言で俯いてしまう。

 同時にぺたりと伏せられた犬耳。


「……悪い」


 彼女の真意はさておき、睨みつけてしまったことを反省する。

 やり場のない気持ちから、あたりがきつくなってしまったようだ。

 頭をくしゅくしゅと撫でてやることで、謝罪の気持ちを表す。


「キリク君、シュリちゃん。さすがにそれは早計よぉ?

 確かにここではぁ、アッシュちゃんを治せないわぁ。

 でもねぇ? ティアネスまで行ければ、なんとかなると思うのぉ」


 ティアネスに……?

 まさか、あの町にある教会を頼れってか?

 悪いがこの地域一帯の教会関連は、自分の村の神父様以外信用できない。


 それなのになぜ……いや、待てよ?


「そういえば、あの町のギルドには治癒士がいたな……!」


 それも千切れた足を繋げられる程には、優秀な使い手のはず。

 あの時イリスと交わしていた会話。そこからの想定ではあるのだが。


「そうよぉ。彼ならなんとかできると思うのぉ。

 それにぃ、イリスちゃんにかけられた術を解ける人も、あそこならいるかもしれないでしょぉ?」


 そうか、魔導士もギルドなら何人か所属しているはず。

 例の治癒士が無理だったとしても、イリスを起こせるやつがいれば……!

 もともとの逃走先であったティアネス。そこまで行ければ、2つの可能性を得られるわけだ。


「もちろん、そこまではトマスちゃんの頑張り次第よぉ?

 それにアッシュちゃんが、町までもってくれればなんだけどぉ……」


「……ぼく、やります!

 絶対にアッシュさんを死なせません!

 ぼくらを守るために、命をかけてくれたんですから!

 ぼくには報いる義務があります!!」


 いまも治癒を継続しながら、決意ある口調で答えるトマス。

 疲労もあって辛いだろうに、その言葉には一切の淀みがなかった。


「よく言ったぞトマス。イリスだけじゃなく、アッシュも絶対に助けるぞ!」


 先の見えぬ暗がりに、光が差した気がした。

 だがこれからは時間との戦いだ。

 トマスもアッシュも、いつ力尽きるかわからないのだから。


「女将さん。重ねての頼みなんだが……。

 すぐに出発するから、荷馬車かなにかを貸してくれないか?」


「……その問題があったわねぇ。

 うちにある荷車は、先日に車軸が折れちゃったのよぉ〜」


 なんだよそれ……。

 馬はあるが、乗れるのは2人が限度。

 それもアッシュとトマスはセットでなければならず、術に専念するトマスに馬の操縦はできない。

 となれば必然的に、3人以上が同時に乗れる、馬車や荷車が必要なのだ。

 追手が現れたこともあり、イリスをここに置いておくわけにもいかない。


「……俺が1人馬に乗って、ティアネスまで呼びにいくか?

 いや、それで間に合うのか……?」


「すみませんキリクさん。ぼくもアッシュさんも、恐らくは……」


 待っていられない、か……。

 今から向かっての片道分。それが猶予というわけだな。


「一応、他に荷馬車があるにはあるのだけれどねぇ……。

 でもうちのじゃなく、他のお客様のものでぇ……」


 他人の所有するものか。

 確かにそれは女将の一存では決められない。

 なら持ち主に頼み込んで……。


「女将、こんな時間からどたばたと何事かね?

 ……おや、なにやら取り込み中だったかな?」


 開けっ放しだった扉から顔を出したのは、宿泊客であろう中年の男性。

 名前まで覚えていないが、彼は俺の知っている人物であった。


「おぉ、君は確か……キリク君だったかな?」


「……俺のこと、覚えてくれていたのか。風呂の時のおじさん」


 前回この宿に泊まった時、風呂で俺を怒鳴った人だ。

 確かすごく風呂が好きで、ここの常連である商人だったか……?


「そりゃ、あんなことがあったんだ。そうそう忘れないさ。

 なにより君とは共に湯に浸かり、肩を並べた仲。

 お風呂で出会った友達、オフロダチだからね!」


 ……急に見ず知らずの、赤の他人になりたくなった。

 その呼び方はなんだかすごく嫌だ。


「それで、いったいどうしたんだい?

 そちらのベッドで寝ている人、すごく具合が悪そうだよ?」


「ファルミスさん。お願いがあるのだけれど、いいかしらぁ?

 あなたの荷馬車を、少しの間この子達に貸してあげて欲しいのぉ」


「えぇ!? それはできないよ女将。私にも仕事があるんだから……。

 でも首をつっこんでしまったわけだし、とにかく話を聞かせてくれるかい?」


 宿の風呂で出会った商人、ファルミス。

 彼に、イリスと教会関連のことはぼかしつつ、事情を説明していく。


 悪人に追われていて、仲間が庇って深手を負い死の淵に立っている。

 その仲間を救うために、治癒のできる人がいる、ティアネスまで急ぎ向かいたい。

 と、こんな具合だ。


「――そういうことだったのかい。

 わかった。仕事も大切だが、人命には代えられない。うちの荷馬車でよければ、お貸しするよ!」


「本当か!? ありがとう、おじ……じゃなくて、ファルミスさん!」


「ありがとうございますなのです!」


「ははは! ま、これもいい休暇だと思うことにするよ。

 私はここでゆっくり風呂に浸かって、養生しておくさ」


 許可が得られたところで、彼の荷馬車へと向かう。

 載せられていた積荷を降ろし、代わりに厚手のシーツを敷く。

 そしてそこに、イリスとアッシュを寝かせた。


 ファルミスさんの馬は1頭だけだったが、さきほど奪ってきた馬も繋げ、2頭で牽引させることに。

 このほうが馬への負担も少なく、速度もでるだろう。

 また、彼の従者も1人付き添うことになり、御者を引き受けてくれた。

 馬車をここまで連れ戻る人員が必要だからな。


 全ての支度を終えたところで、ティアネスへ向けて荷馬車は動き出す。

 その頃には、すでに眩しい朝日が昇っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ