38:返り咲く力
「姐さん? ジーナ姐さん!? どうしたっす――」
不穏な様子に心配になったのか、仲間の名前を叫ぶ槍の男。
だが風切り音が聞こえた途端、その言葉は途中で遮られる。
彼の身体はゆっくりと、力なく地面へと倒れこんだ。
バスクが驚き目を向けると、彼の頭部からは1本のナイフが生えていた。
その死に顔は目を見開き、何が起こったかわからないといった表情。
小刻みな痙攣を起こしつつ、一撃で命を絶たれていた。
「っ!? うそだろぉ!?」
すぐに状況を理解し、雄叫びをあげるバスク。
身を守る盾が消えてしまったいま、己の命は風前のともし火。
彼にはそのことが、嫌でもわかったのだから。
せめてもの足掻きというべきか、バスクはアッシュに向け、剣を再び振り上げる。
先ほどとは打って変わり、情けなどからではない。
殺られるまえに、こいつだけでも。その考えからの行動だった。
だが振り下ろしたはずの剣はなく、しかしなぜか飛び散る大量の血。
それはアッシュの血ではなく、バスクのもの。
一拍の間をおき、少し離れた場所に何かが落下する。
見ればそれは、バスクの剣。
柄には彼の両手が、しっかりと握られた状態であった。
「あぁ……くそぉ……。あいつ、戻ってきやがったのか……。
なにジーナのやつ、見つかっちまってんだよぉ……」
バスクは無くなった両腕を眺め、ぶつぶつとぼやく。
彼にもはや戦意はなく、武器を握ることすらできなくなった。
だが容赦なく、彼の頭部へとナイフが突き刺さる。
「やっぱつい、て……あ、が……」
彼の身体もまた、力なく地面へと倒れこんだ。
「――アッシュ! 無事か!?」
障壁の原因を排除し、ようやく有効となった投擲。
邪魔な壁さえなくなってしまえば、あとは俺の独壇場だ。
全ての事を終え、急ぎ跪くアッシュのもとへと向かう。
近づき目にした彼は、とても無事とはいえない状態だった。
「っ!? 酷い傷じゃねぇか……。
とにかく、止血だけでもしないと!」
とはいえ、今の俺は武器以外ほぼ身ひとつ。
身軽さを最重視したためだ。
仕方なしに転がる死体から、ベルトと服を剥ぎ取る。
それをアッシュの脇の傷口に押し当て、ベルトを巻きつけ強く締めつけた。
汗臭い不衛生な布だが、いまはこれで我慢してもらうしかない。
「あ、りがと……。でも、どうしてここ、に?」
「お前1人だと、やばくなっても絶対に逃げないと思ったからな。
それに、俺がいなくなれば温存のため、術を解くんじゃないかと期待したんだよ。
……ちゃんとあいつらは先に行かせたから、安心しろよ?」
まぁ思惑通りにいかず、障壁は維持されていたままだったけどな。
それでも、戻ってきた甲斐はあった。
離れたところから聞こえた、術者と思われる女の声。
その声を頼りに、身を隠しながら聞こえてきた辺りを探したのだ。
そして見つけ出した、茂みの中に潜む女魔導士。
纏う障壁の蒼光は、光度が低いために遠目では一切わからなかった。
だが傍まで近づけば、その存在を明確に主張してくれている。
残念ながら、その時にはすでに、なんらかの術を放ち終えていたようだったが……。
「……初めて、この手で直接人を手にかけた。今でも少し震えてる。
殺しなんざ、これまでに何度もやってきたってのにな」
自分の血に塗れた手を見て、自嘲してしまう。
もちろんアッシュの血も付着してはいるのだが、大半はあの女の血だ。
「それ、今更……だよね……」
まったくだ。
今までは敵を的に見立て、石を投げつけるだけだった。
手に感覚や実感の残らない、卑怯な手段だったと我ながら思う。
「……気休め程度の手当てじゃ駄目だな」
押し当ててある布が、じわじわと赤く染まっていく。
全身の刀傷も含め出血が酷い。
暗がりでもわかるほどに、アッシュの顔は蒼白だ。
「離れた所に馬が繋がれてたんだよ。多分、奴らのだろ。
そいつに乗って、急いで宿に向かおう。
俺たちにはイリスがいるんだ。あいつならこの程度の傷、すぐに治せるって!」
口数の少なくなっているアッシュ。
気をしっかりと持ってもらうため、励ます。
根拠のない、デタラメを言っているわけじゃない。
実際イリスなら、苦もなく完治させることができるはずだ。
まだ寝ているようなら、頬を引っ叩いてでも起こしてやる。
すぐさま、例の馬を連れてくる。
だがもはやアッシュに、1人でその背に乗るまでの力はないようだった。
「俺を踏み台にしろ。それでなんとか上れないか?」
四つんばいとなり、台代わりとなる。
アッシュはなんとか馬の背に半身を乗り上げるが、それでもまだ上りきれていない。
俺は起きあがり、じたばたと踏ん張るその尻を押し上げる。
「うひゃ!? ちょっとキリク君、どこ、触ってんの、さ……」
「乗せるために、ケツを押してやっただけだろ。
死にかけてるのに、なに変なこと気にしてんだ」
俺だって、野郎の尻を触って喜ぶ趣味はない。
……思ったより柔らかかったのが意外だったが。
続いてアッシュの後ろになるよう、馬へと跨る。
こいつを後ろにしたら、途中で落馬するかもしれないからな。
「馬を走らすのは初めてだが、なんとかなるだろ」
歩くだけの農耕馬や、モギュウにならば乗ったことはある。
暴れ牛となったモギュウでも、なんとか乗りこなせたんだ。
馬を走らせるくらいなんとでもなるはず。
軽く手綱を引き、弱めに足で腹を蹴る。
うまいこと走りだしてくれた。
ムチはないので、発破をかけられないのだけがもどかしい。
しかし俺に扱える範囲はこの程度。無茶をして、暴れられても困るしな。
馬に括りつけたランプの光が、心もとなく進む道先を照らす。
全速の疾駆ではないが、それでも人なんかより速い。
とても俺1人じゃ、アッシュを担いで走り続けるなんて無理だったからな。
これなら手遅れになる前に辿りつけそうだ。
途中、何度か馬を歩かせて休みを与えつつ、ようやくあの女将が運営する宿に辿り着く。
その頃になって、ようやく空は白み始めていた。
道中でシュリ達に追いつけるかと思っていたのだが……。
先に下馬し、手を貸すかたちでアッシュを背から降ろす。
だいぶ衰弱しているようで、自力では降りれなく、なんとか引き摺り降ろしたというのが正しいか。
アッシュに肩を貸し、連れたって玄関の戸を叩く。
するとすぐに扉が開き、女将が中へと迎え入れてくれた。
「あらぁ、2人とも生きていてよかったわぁ!
あの子達から話を聞いて、心配してたのよぉ!?」
「そうか、あいつらはちゃんと無事に着いてたんだな。
道中追いつけなかったから、何かあったんじゃないかと不安だったんだ」
「あの子達もぉ、少し前にここに来たのよぉ。
ずっと走り続けてたみたいで、疲れちゃってたのねぇ。
事情を話し終えたらぁ、すぐに寝ちゃったわぁ」
……そうだったのか。
それこそ、本当に休みなくここまで走ってきたのだろうな。
俺とアッシュの、「イリスを連れて逃げろ」という言付けを、忠実に遂行するために。
ロバートも含めて、あとでちゃんと褒めてやらないとな。
女将は俺たちを空き部屋へと案内してくれ、そこのベッドへとアッシュを寝かせる。
すぐさま彼女は救急箱を持ち出し、慣れた手つきで止血を施し始めた。
その場を任せ、俺は急ぎ3人が居るという部屋へ向かう。
アッシュの血は止まらず、息は荒いままで顔色はどんどんと悪くなるばかりだ。
イリスを起こし、彼女に治癒の神聖術を施してもらわないと……。
「……やっぱり、まだ寝てるのか」
部屋の扉を開けると、ベッドが3つ並ぶ3人部屋だった。
それぞれにイリス、シュリ、トマスと寝ている。
一番奥のベッドに寝かされた、イリスのもとに行き、肩を強く揺する。
声をかけたり、頬を赤くなるほど叩いてみたりと試すが、一向に目覚める気配はなかった。
「……ん、んぅ。……き、りく様?
はっ! キリク様!! ご無事なのです!?」
うるさくしたためか、隣で眠っていたシュリが目を覚ます。
起き上がった彼女は、その勢いのままこちらへと飛びついた。
「うぉ!? ……また心配かけたな。でも、俺もアッシュもちゃんと戻ってきたぞ。
……だが、その肝心のアッシュが深手を負ってな。かなりやばい状況なんだ」
俺の報告に、シュリは顔を青ざめる。
深刻な顔で告げたのだ。
決して冗談ではないと、すぐに理解し、仲間の危機にどうしていいのかわからないのだろう。
「……イリスの力を借りたいんだが、まったく起きてくれねぇ。
くそ、どうしたらいいんだよ……」
「ここの女将様が、言ってましたです。
イリス様は昏睡系の魔術で、とっても深く眠らされているらしいです。
少なくとも、あと1日か2日は寝続けるだろうってことなのです……」
「なんだって!? そんな……」
それじゃ……駄目だ。
とてもじゃないが、そこまでアッシュは持たない。
イリスを当てにしていたのに……。
こいつなら、すぐにアッシュを助けてくれると……!
他に救うすべが思い浮かばず、悔しさに、歯が軋むほど噛み締めた。




