33:届かぬ声
「ベッドの荒れた様子を見るに、就寝中に無理矢理連れ去られた……ってとこかな。
冷え切っているから、結構時間が経っているみたいだよ」
「……くそ、遅かったか。
トマス。イリスがどこに連れて行かれたのか、わからないか!?」
ここまでが順調だっただけに、最悪の事態だ。
これでも寝静まる、ギリギリのタイミングで決行したのだが……。
「えっと、えっと……。
いくつか思い当たる候補はあるんですが……」
「それはどこだ!?
こうなったら、近い場所からしらみ潰しに当たるしかないぞ!」
まだ間に合うかもしれない。
なんなら、見つかる事を覚悟してでも……!
「でも、何箇所もありますよ……?
それに、本当にそこにいるかまでは……」
そのどれもが確証を持てず、薄い可能性なわけか。
トマスに場所を聞き、分かれて探すにもハズレを引く可能性が高く、リスクがつきまとうわけだな。
だが、そうであったとしてもやるしか……。
その時、締めた扉脇で警戒をしていたアッシュの耳が、なにか音を捉えたらしい。
考え込む俺たちにむけ、警告を発した。
「……!
みんな、廊下から足音が聞こえてくるよ!?
それも複数……!」
「えぇ!? まさか、ばれちゃったんですかね!?」
「いや、そんなヘマはしてないはずだ。
とにかく、急いで隠れるぞ!」
俺とアッシュは身を寄せ合い、クローゼットの中へ。
小柄なトマスはベッドの下へと潜り込んだ。
冷や汗を流し、必死に息を殺す。
ほんの少しだけ空けてある隙間から、外の様子を窺う。
次第に大きくなる足音。
それは部屋の前あたりまでくると、ピタリと止まった。
やはり俺たちのことがばれたのだろうか?
もしそうであれば、あとはもう力ずくだ。
隣のアッシュに目配せをすると、彼も同じ考えなのか頷き、剣へと手を添えていた。
俺も腰につけたホルダーから、今回兵装に加えた、新たな武器を手に取る。
一拍の後、遠慮のない音をたて、部屋の扉が開かれる。
なかへ入ってくる足音。
その音の数から、人数は4人だろうか。
嫌でも脈打つ心臓の鼓動を、懸命に落ち着かせる。
やがて隙間から見えたのは、ジャコフ司祭、神官、守衛。
そして、イリスを担いだ元護衛の男だった。
幸いにも、奴らはこちらに気付いてはいないらしい。
部屋に3人も潜んでいるとは知らず、彼らはゆっくりとイリスをベッドに下ろした。
あの様子を窺うに、やはり事は済んでしまった後なのだろうか。
……いっそ飛び出して、ここで奴らを血祭りにしてやろうか?
俺とアッシュの2人なら、十分可能なはずだ。
再び横へと顔を向け、目と手振りで訴えかける。
だが彼は首を横に振り、否定の合図を返してきた。
そしてこちらの目をじっと見つめるアッシュ。
……落ち着け、堪えろ。ということか。
確かに短絡的過ぎた。
見つかれば面倒な事になるのは、百も承知のはずなのにな。
静かに深呼吸をし、気を落ち着け頭を冷やす。
むしろある意味では、イリスを連れての脱出がしやすくなった。
少なくとも、朝までに発覚する可能性は減ったはずだ。
「……いやぁ、やっぱりいつ見ても美しいっすね。ねぇ司祭様?」
「ええ、まったくです。さすがは、ミルに選ばれただけはあるというもの」
「でも迎えがきたら、あとは贄にされちゃうんですよね?
もったいないなー。……ちょっとだけ、味見してもいいっすか?」
な!? あのクソ野郎、やっぱりここで……!
短気を起こしかける俺を、すぐさまアッシュが手で制止してくる。
彼とて本音を言えば、きっと今すぐ飛び出したいのだろう。
下唇からうっすらと垂れる血が、その心情を物語っていた。
「この……ばかものが!!」
しかしながらアッシュの制止を振り切り、乗り出そうとした瞬間。
外から司祭の怒声が響いた。
「聖女は、我らが神へ捧げる供物なのですぞ!?
それゆえに清らかな身でなくては、純潔でなくてはならないのです!
あなたは、神へ汚れた娘を差し出すおつもりなのですか!?」
「い、いやぁ冗談ですよ……ははは……」
「言っていい冗談と、悪い冗談があるのだとわきまえなさい。
……それが許されるのであれば、まず私が手を出しておりますぞ」
あの司祭もやっぱりクソ野郎じゃねぇか。
……だが、いま手を出される心配はないようだな。
奴らはイリスに布団を掛けると、部屋から退出していく。
その際、守衛に扉の前で見張りをするよう指示していた。
廊下から去っていく足音が、完全に聞こえなくなったのを待ち、アッシュと小声でどうするかを相談する。
「とにかく、外の見張りを始末しようか?」
「そうだな。なにをするにしても、あいつが邪魔すぎる」
仕留める手順を決め、そっと音を立てないようにクローゼットから出る。
ベッド下にいるトマスへと、手で待機を命じておく。
万が一仕損じたとき、なにも全員が仲良く見つかる必要はないからな。
アッシュには扉脇に待機してもらい、俺は部屋の中央で構える。
右手に持つのは、先ほどの武器。
手首から指先ほどの長さで、投げること特化した投擲短剣。
これが数本ずつ、腰につけた左右のホルダーに収納されてある。
今までの石礫では、利き腕である右手でしか十分な威力をだしえなかった。
しかしこれならば、武器そのものが殺傷能力を持ちえている。
左で投げても、実用足りうるわけだ。
……数に限りがあり、石と違って金がかかるのが難点だが。
準備が整ったところで、アッシュへと合図を送る。
扉の外に聞こえる程度の物音を立ててもらい、見張りをおびき出す。
「……ん? なにか聞こえたか?」
向こうはこちらの存在を知らないわけだから、深くいぶかしむことなく音の確認をするだろう。
さすがにこの程度で、応援を呼びに行ったりはしないはずだ。
「まさか、もう聖女が目を覚まがっ……!?」
奴が部屋のなかを見るために扉を開いた瞬間、その額目掛けナイフを投擲。
投げられたナイフは、狙い通りに、刃の根元まで深く突き刺さった。
その場で男が後ろへと倒れそうになるのを、待機していたアッシュが受け止める。
おかげで不審な音をたてることなく、事が済んだ。
「お見事。綺麗にど真ん中だね」
「この距離なら余裕だ。トマス、もう出てきていいぞ」
いそいそとベッド下から這い出してくるトマス。
彼は、事切れ額からナイフを生やした男を見て、咄嗟に口を押さえた。
「気分が悪くなったか? 吐くならすぐに見つからない場所で頼むぞ」
「……いえ、大丈夫です。
見知った人だったので、少し動揺しただけですから……」
「そうか。でも、無理はするなよ?」
「はい。お気遣いありがとうございます……」
トマスとこの男との関係は知らないが、知り合いの死体を目の前にしたわけか。
ましてや彼はまだ年端のいかない少年。
死そのものにも慣れていないのだろう。
「……それで、この人どうしようか?
そろそろ重くなってきたよ」
「そうだな……。
イリスの代わりに、ベッドに寝かせるか。
布団で包んでおけば、少しの間はごまかせるだろ」
この案に了承を得、今も眠り続けるイリスを起こすことに。
まずベッドを開けてもらわんとな。
「……1日とちょっと振りだな。
ったく、相変わらず手のかかる聖女様だよ、お前は」
寝顔を覗き込み、まじまじと見つめてみる。
長い睫毛に、整った目鼻立ち。そして瑞々しい唇。
さっきの下衆野郎ではないが、改めて美しいと思った。
口を開かなければ美人なんだよなぁ……。
「イリス、迎えにきたぞ。ほら、起きろ」
肩を揺すり起こしにかかる。
だが彼女は、いくら呼びかけても目を覚まさない。
デコピンをしても、鼻と口を塞いでも、だ。
「おいイリス、起きろって……!」
「キリクさん。聖女様は何らかの方法で、深く眠らされているのではないでしょうか?
それが術なのか薬なのかは、ぼくにはわかりませんが……」
「……そういうことか。ならしょうがねぇ」
イリスの背と膝下に腕を差し込み、彼女を抱き上げる。
お姫様抱っこなんて、俺の人生で初めてやったぞ……。
「……あんだけよく食べる割に、意外と軽いんだな」
「それ、起きてる時には言っちゃだめだよ?
女性は自分の体重について、言われたくないものだからね」
軽いと言ってやってるのにか。
……意外とってつけた時点で、一見重そうだと判断した。そう捉えられるか。
空いたベッドへ、アッシュとトマスが2人掛かりで死体を寝かせる。
そして頭まで覆うように、布団で包む。
これで女性にしては少々でかいが、寝ている聖女様の完成だ。
「おっと、これ回収しておかないとね。
……はいキリク君。忘れ物だよ?」
その際、アッシュは突き刺さったままのナイフを引き抜く。
こびり付いた血を拭い、こちらへと手渡してくれた。
死体から血が溢れだすが、布団で覆うのだから大丈夫だろう。
「いま両手が塞がってるからな。右のホルダーに入れといてくれ」
「わかったー」
さて、これでイリスを確保した。
……いまも目を覚まさないし、決して無事とは言えないだろうが。
「あとはここから逃げるだけだな。
人を1人抱えてだから、行きよりも難しいぞ」
「……がんばりましょう!」
「大丈夫だいじょーぶ!
僕らの目的は果たしたんだからね。
さ、シュリちゃんが待っているから、急ごっか!」
シュリもイリスとの再会を楽しみにしていた。
いまは1人で不安だろうし、早く戻ってやらないとな。




