29:忘れぬ存在
エールがすでに5杯目となり、料理もようやくその大半がなくなった頃。
カウンターのほうから、酒を催促する男の声がこちらまで聞こえてくる。
今まで寝ていた酔い客が目を覚ましたようで、起き抜けにまた飲むようだ。
「お〜いぃ親父ぃ〜!
おはようの一杯入れてくれぇ〜い!」
「お前さんまだ飲むのかい!?
起きたんなら、いい加減帰んなって!」
「あ〜ん? べっつにいいじゃねぇのぉ〜!
ってかよぉ、こっちは飲まなきゃやってらんねぇのよ〜!
ほんとさぁ〜聞いてくれよ親父さんよぉ〜!」
「聞いてくれって、また雇い主の愚痴だろ!?
仕事を失敗して、それで厳罰をもらったって話!
ったく、こっちは何回聞かされたと思ってんだっての!!」
酔い客も親父も声がでかいものだから、離れたこちらにまで聞こえてくる。
夕食時になって大勢の客が入り、がやがやと騒がしいこの中であってもだ。
ほんの少し、それこそ気まぐれで興味が湧いただけ。
愚痴を吐く酔っ払いがどんなツラなのか。ただの好奇心で、男に目を向けた。
そいつの顔を見たとき、動揺で口に含んでいたエールが気管へと入ってしまう。
勢いよくむせ、咳き込む俺の背を心配し撫でてくれるシュリ。
「キリク様大丈夫です!?」
「あーあ、ばっちいんだー! 料理に飛んじゃったよ、もう!
……ま、僕は気にせず食べるけどね! モグモグ!」
「ゲホッゲホッ!! す、すまんかった……」
わざとではないといえ、謝っておかないと。
アッシュは気にしないと言ってくれているが、人によってはビンタものだ。
「それで、急にむせちゃってどうしたのさ?」
「……少し声を落とすぞ。
あのカウンターに居る酔っ払いなんだが、俺はあいつを見たことがある」
今までの呑気な雰囲気を一変させ、真面目な話として切りだす。
2人も重要なことと察してくれたのか、固唾を呑んで話のつづきを促してくれた。
「さっき、俺がイリスと一緒に旅にでた理由を話したよな?
特にその最初の、俺があいつを助けだしたときの部分なんだが……」
酒の肴にと、話していたこれまでの経緯。
アッシュからも、あとで教えてくれと言われていたからな。
「護衛の1人が裏切って、盗賊のようなやつらと一緒になって襲っていたってやつだね?
それで聖女様を助けたときに、そいつには逃げられたって話だったけど……まさか?」
どうやらアッシュはすぐに勘付いてくれたようだな。
となれば話は早いというもの。
シュリは……説明していけばわかってくれるだろう。
「ああ、あいつだ。遠目からではあったが、間違いないと思う。
1人護衛の格好で、身なりの悪い盗賊側についていたんだ。印象強く残ってる」
「え、ええ!? どうしてその犯人さんが、ここに居るです!?」
「しっ! ……シュリ、声がでかいって」
こちらの叱責に、慌てて両手で口を押さえるシュリ。
ちらりと周囲を確認するが、皆自分たちの会話に夢中なようで、誰も見向きすらしていない。
当の酔っ払いも酒を飲みながら、ずっと空返事の親父さんに愚痴を吐いている。
「……大丈夫みたいだな」
シュリの大声で目立ってしまったかと思った。
だが問題ないようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「また雇い主の愚痴だろって、店の親父がそう言ってたよな?
ということは、あいつが首謀者じゃない可能性が高いだろ?
仕事を失敗ってのも、襲撃のことなんじゃ……」
「なんだかそう言われると、その通りに思えるです!」
「……キリク君が間違いないと断定するのなら、僕は信じるよ。
でも一応だけど、本当にただの偶然ということもあり得るよ?
聖女様関係なく、たまたまこの街に来て、たまたまこの店で飲んでただけ。
そういう可能性も……」
「アッシュの言うとおり、確かに考えすぎっていうのもありえるんだが。
くそ、さっきみたいに大声で話してりゃ、ここまで聞こえるんだけどな……」
お情けで店の親父から1杯を貰ったのか、それを飲みながら、今はボソボソとした話し声。
愚痴を吐いているのであろうが、先ほどと比べ随分と大人しくなっている。
「なんにしても、衛兵に突き出せばいいんじゃないかな?
聖女様に確認を取ってもらえれば、すぐ犯人だとわかるでしょ?」
「それもそうなんだが、何か嫌な予感がするんだよな……」
それで本当に解決するのだろうか?
護衛として紛れ込み、10人もの盗賊を従えて襲った奴だぞ。
関係あるかどうかはわからないが、雇い主とやらまでいるのだ。
それにあの男が口を割って、全てを白状するとは限らない。
「……実は、ちょっと気にかかってた事があったんだが。
あのジャコフ司祭。イリスが襲われたことを、なんで知っていたんだろうなって。
俺はお前らと自分の村で以外は、誰にも話していない。
そんでうちの村にいるのは、力だけが自慢の農耕馬やモギュウだけだ。
早馬で報せを出すなんてことはしていないはず」
こちらの言葉に、真剣な顔で考え込むアッシュ。
シュリは頭が追いついていないのか、少し呆けた顔だ。
「……これはちょっと探ってみたほうがいいかもしれないね?
あ。ちょうど飲み終えて、席を立つみたいだよ?」
酔った男はもたつきながら勘定を済ませると、千鳥足で店を出ていってしまう。
俺は慌てて後を追おうとしたが、アッシュがそれを制止した。
「どうしたんだよアッシュ。早く追わないと、見失うぞ?」
「そ、そうですよアッシュ様!」
「まー落ち着いてってば。
3人で尾行なんてすれば目立っちゃうよ?
相手は酔っ払っているからって、舐めちゃいけないと思うんだ。
だから、ここは僕に任せて欲しい。
僕なら隠密のスキルを持っているし、適任でしょ?」
……そういえば初めて会ったとき、後ろに居たのに気付けなかったな。
隠密スキルなら俺も所持しているが、アッシュのほうが上手なのだろうか?
「俺も持ってるぞ。こっちはⅤなんだが、アッシュは?」
尾行なんてしたことはないが、狩猟を嗜んでいた手前、隠密行動には自信がある。
こちらのほうがランクが高いようなら、俺が行くとしようか。
「あ、なら僕の勝ちだねー! だってランクⅥだもん!」
む、負けた……。
「……悔しいが、そっちのほうが適任だな。
わかった。残った料理は俺達に任せて、行ってくれ!
なに、お前がいなくなってもここは大丈夫だ。
ちゃんと全て食べきってみせる!」
「……わたしはもうお腹いっぱいなのです」
「あはは……。まぁ無理しないようにね?
それじゃ、僕は腹ごなしにちょっと行ってくるよ!」
「頼んだ。そっちこそ無茶はするなよ?
俺達はここを切り抜けたら、宿へ戻って待ってるからな」
アッシュは了承の言葉を返すと、足早に男を追って店をでていった。
「……さてシュリ。もうちょっとだから頑張ろうな?
無駄にするのだけはしちゃ駄目だぞ」
「はい……です……」
死に物狂いでなんとか料理を全て処理し、会計を済ませ俺とシュリは宿へと戻った。
見栄えの綺麗なものに関しては、包んでもらい持ち帰ることに。
この分は、アッシュが腹を空かせて帰ってくることを期待しよう。
当初は昼過ぎにこの街を経つ予定だった。
だが別れを惜しむあまり、次第に時間が過ぎていったために出発を断念。
荷物とロバートを預けるつもりだけの宿だったのだが、そのまま宿泊することになるとはな。
肝心の部屋だが、借りていたのは1人部屋を1部屋だけ。
宿の主人にかけあったところ、2人部屋が運よく空いていた。
今日の寝床を確保でき、あとはアッシュの帰還を待つだけに。
戻ったあいつが戸惑わないよう、最初に借りた部屋で待機だ。
「……なかなか帰ってこないな」
アッシュがあの男を追いかけてから、随分と時間経つ。
待ちくたびれたのか、シュリはこっくりこっくりとお船をこぎ始めていた。
そのため、今はベッドで寝かせている。
俺を差しおいて、先に寝付くことを彼女は拒んだが、眠気には勝てなかったようだ。
アッシュが戻ったら起こすと約束し、夢の中へ旅立っていった。
「もうどの家も明かりが消えちまってんな。
残ってんのは、ここと道を照らす魔導灯ぐらいか……」
開けた木窓から、外の暗闇を眺める。
大きな街ならではの灯りが、わずかな光源となって存在を主張している。
そんな灯火を頼りに、ときおり姿を現すのは、夜の住人と思われる怪しげな奴。
もしくは、警邏を行う巡回中の衛兵だけだ。
宿の主人もさっさと寝てしまい、いま扉には鍵が掛けられている。
なのでアッシュが戻ったら、俺が出迎えてやらないといけない。
襲いくる眠気に抗い、あらかじめ桶に張っておいた水で何度も顔を洗った。
手持ち無沙汰に、寝ているシュリの耳や尻尾、頬をむにむにと弄る。
こちらが少し手に力を入れるたび、体がピクンと反応して面白い。
さわり心地に癒されるのもあいまって、いい暇つぶしになるな。
どの程度で起きるのか?
シュリからすれば、なんとも迷惑なチキンレースを1人で開催。
それは、俺がギリギリの瀬戸際を攻めてやろうとした時だった。
コツンと、この部屋の窓枠へ何かがぶつかる音が鳴る。
すぐさまそちらへと意識を移し、木窓から外を覗き込む。
外では待ちわびていた人物が、こちらへと手を振り「入れてくれ」と催促をしていた。




