28:欠けた食卓
イリスに見送られ、教会を去った俺達。
空が赤く染まり始めていたのもあり、なにか、心に穴が開いたような気持ちになる。
この旅の始めから、今までは隣に件の少女がいたのだ。
感情豊かな女性だっただけに、居なくなって初めて存在感の大きさを実感する。
短い間だったのだが、彼女との旅はとても濃いものだった。
「……イリス様がいないだけで、こんなにも寂しくなるんですね」
「そうだねー。でも、貴重な経験ができたと思うな。
だって、ここまで聖女様の護衛をしてきたんだよ?
普通の人なら、言葉を交わす機会さえそうないのに。
名誉ある役目を全うできて、僕も勇者へと大きく踏み出せたんじゃないかなって気になるよ!」
「そう、だな。
ちょいちょい忘れてたけど、あいつ聖女様だったんだもんな。
田舎村の住人が、本来なら絶対に出会うことすらない存在だったんだよな。
……これからの俺の人生で、これ以上の出来事はもうないと思うぞ」
ただの村人の少年が、聖女様を助け共に旅をする。
誰に言っても馬鹿にされるだけで、信じてもらえやしないだろう。
でも歴史の片隅に、そういった出来事があったことは事実なのだ。
せめて自分の子孫にだけは、俺の武勇伝として残していきたい。
……ついでに、勇者とは幼馴染だったんだぞって付け加えておくか。
「あー、そうだ。この金のことだけど……」
スられたりすることのないようにと、懐へ大事にしまっていた小袋を取り出す。
「さっきも言ったけれど、僕はいらないよ?
どうしてもって言うのなら、それでまた美味しいご飯でもご馳走してよ!」
「シュリもいらないです!
キリク様が受け取っておいてくださいです!
あ、でも美味しいご飯は食べたいです!」
先ほどの今だ。まぁそう言うよな。
むしろ自分から飯を奢れって催促しただけマシか。
「おう、飯くらいは任しとけ。
そんでシュリ、お前にはこの金で新しい服を買ってやるよ」
思えば、この子はずっとお古を着ている。
宿のおばちゃんが譲ってくれた、娘さんのおさがりであるいくつかだけ。
そのどれもが、所どころ縫い繕ったあとがある程度には着古した服ばかりだ。
新品の衣服となればお高いものだが、ちょうどいい機会だろう。
「服……ですか?
えとえと、はいです! 嬉しいです!」
「よかったねー、シュリちゃん」
「どんな服がいいのか、俺にはわからんからな。
遠慮せず、自分の好みで選ぶんだぞ?
んで、それはおいといてだな。アッシュに頼みたいことがあるんだよ」
「ん、頼みたいこと? なにかな、なにかなー?
僕にできる事なら、なんだって言ってよ!」
「えっとだな、俺とシュリはここからモギユ村へと帰るわけだ。
でも、そこまでの道のりが不安で不安で……。
それはもう、朝までぐっすり寝てしまうくらい不安なのさ」
うーむ、ちょっと言い方が白々しかったか?
まぁ所詮建前だ。それくらいは向こうもわかるだろう。
「……不安なのに、とてもよく眠れてるです?」
おっと、察せない子がいたか。
真面目に捉えられると困るもんだな。
「おうシュリ。ちょっと空でも眺めてなさい」
「あ、はいです。……鳥が列を成して飛んでるですー」
「でキリク君。それでそれで?」
「まぁあれだ。モギユ村までの護衛を依頼したい。
報酬は……行きの額を考慮して、金貨6枚でどうだ?」
これが、俺が考えついた案。
てきとうな仕事をでっちあげて、依頼すること。
これならアッシュに金を渡せるし、向こうも気兼ねなく受け取ってくれるだろう。
おまけに帰り道も安心できるときたものだ。
「……ぷっくくく。あはははは!
いいよ。その護衛依頼、承るよ!」
「お、そうか。助かるな」
「アッシュ様とはまだ一緒にいられるです?
ならわたしも嬉しいです!」
イリスとの別れが響いていたのか、アッシュとはまだ共にいられるとあり、シュリは大喜びだ。
1人減るだけで寂しいものだったんだ。
それこそ4人が2人にまでなれば、その比ではないはず。
「しかしキリク君は優しいね?
聖女様がいない今、村まで帰るのに僕の力なんて必要ないのにさ。
もっと言えば、ティアネスまででも十分だろうに、モギユ村にまで招待してくれるんだもんね!」
「それは買い被りすぎだって。
俺にそんなつもりはなかったし、帰り道は楽がしたいなって思っただけだ」
「ふ〜ん? ま、そういうことにしておいてあげるよ!」
「そういうこともなにも……まぁいいや。
この時間から街を出るには遅いし、今日はロバートを預けた宿に泊まるとしてだ。
ちょっと早いが、これから飯食いに行くか!」
「いいねー。賛成だよ!」
「はい! お供しますです!」
「――はいよ、エール2つに季節のフレッシュジュースお待ち!
料理もすぐ持ってくるから、そっちはもうちょっと待ちなね!」
宿までへの道中、俺達はてきとうに目についた店へと入った。
そこは酒場と食事処を兼ねた店であったため、少し早めの時間であっても客入りがいい様だ。
また朝早くから開店していたらしく、カウンターにはすでに何人かの酔っ払いが。
この時間から酔うほどに酒を飲んでいるなんて、いいご身分な奴らだ。
中には酔いつぶれたのか、カウンターに突っ伏し、寝息を立てている者までいる始末。
そんな中で俺達は、空いていたテーブルを確保し、給仕のおば……おねえさんに飲み物と料理を頼んだ次第。
そして先ほど、最初の飲み物が運ばれてきたところだった。
もちろん酒を頼んだのは俺とアッシュ。
俺の勝手な判断だが、シュリにはまだ早いからな。
「それじゃ、ひと仕事終えた記念に……」
「――乾杯!」
「「かんぱーい!」です!」
互いが手に持ったジョッキを叩き合わせ、そして一息に飲み干していく。
俺はさも当然のように酒を仰いでいるが、初めて飲んだのは昨日の事。
だが意外にも、自分で驚くほどにすんなり飲めていた。
……というかこの味、子供のころ何度か親父に飲まされたやつに似てるんだよな。
むしろ色といい香りといい、まんまだ。
つまり初めてと銘打っていたが、実はそうでもなかったらしい。
今になって、ようやくその正体を知る事になろうとはな……。
「ったく、お前らそんなに遠慮しなくていいのに。
もっと高い店でもよかったんだぞ?」
「わたしはなんでも美味しく頂けるので、大丈夫です!
キリク様が選んだお店なら、どこでも大満足です!」
「うーん、高級な料理は昨晩食べたからねー。
さすがに連日となると、肩がこっちゃうよ」
そういうものなのかね。
だが思い返してみれば、昨日のアッシュはお行儀よく食事をしていたな。
俺達他3人は気にしていなかったので、店員から白い目で見られていたが。
そしてシュリにはもう少し自己を持って欲しいものだ。
こちら側は対等に接しているつもりなのだが、向こうがそうじゃないのがな……。
今は時間をかけて、ゆっくりとほぐしていくしかないか。
2杯目の中身が空になる頃、ようやくテーブルの上に様々な料理が並び始める。
パン、スープ、サラダ、串焼き、ステーキ、煮魚……。
来ていないものを含めばまだまだある。
「……ちょっと多すぎたな。
ここ最近の調子で頼んじまった」
「イリス様がいらっしゃれば、この量でも足りなかったです……」
「2人共。しんみりするのはいいけど、食べないと冷めちゃうよ?
ほらほら、食べて飲んで。いつまでも引きずるのは良くないってば」
アッシュの言うとおりだ。
人との出会いや別れなんて、生きていくうちに幾度となく訪れるもの。
だが田舎の村育ちである俺には、10歳の時以来の大きな別れだった。
だからこそ、今も尾を引いているのだろうな。
……そもそもが村からあまり出ないし、訪れる人も少なかったからなのだが。
「……だな。楽しい食事が台無しになるところだった。
気を使わせて悪かったな、アッシュ。
ほれ、シュリ。どんどん食え!」
「はい! どんどん食べます!
そういうキリク様こそ、もっと食べて下さいです!
お皿に乗った料理が全然減ってないです!」
「食べてるって。めっちゃ食ってる。
ったく、誰だよこんなに頼んだの? ……あ、俺か」
やがて、開かれた木窓から差し込む日の光が途絶え、それにつれ客が増えていく店内。
どの席も賑やかな盛り上がりを見せる中、黙々と手を進める俺達。
ちょっと食べきる自信がなくなってきたのは内緒だ……。




