23:渦巻く邪心
これはキリク達一行が、出歯亀女将の宿を発った日の晩のこと。
とある大きな街、とある大きな建物で行われた密談。
「……この度は、真に申し訳ございません。
命じられておりました聖女誘拐の任、果たす事ができませんでした。
そのうえ与えられた部下達まで失ってしまい、言い訳の余地もございません」
その建物の一室に居るのは2人の男。
1人はある時まで、聖女の護衛を担っていた者。
彼は己が仕える主君へと頭を垂れ、課せられた任務の失敗を告げる。
「……10人もの部下を連れ、何ゆえ成しえることができなかったのか。
もちろん、詳しく聞かせてもらえるのだろうな?」
「はっ! 我々は当初の予定通り、人気の無い辺境の聖地付近にて、手筈通りに事を起こしました。
私の手引きにより、厄介であった教会本部の護衛は全員殺害。
こちらの人的被害もなく、そこまでは順風満帆の運びだったのです」
「ほう。それがどうして部下の全滅を招いたのだ?
よもや、噂の幻獣にでも襲われたとでも?」
「……それが、私にも詳しくはわからないのです。
突然1人、また1人と頭部が爆ぜていき……。
状況を把握できぬまま、部下が次々と死んでいったのです。
私は体勢を立て直すため、断腸の思いでその場を撤退致しました」
ひれ伏す元護衛の報告を聞き、主である男は怒りで身体を震わせる。
そして感情の赴くまま、彼は手に持った杖で、男の頬を力任せに殴りつけた。
「この馬鹿者が!!
体裁よく言っているが、お前は自分の命が惜しくて逃げただけではないか!
挙句には聖女すらもその場に置き去りにし、見殺しにしたのだろう!?
お前を紛れ込ませるのに、どれだけ手間と金がかかったと思っておるのだ!?」
「も、申し訳ございません!
しかし恐れながら、聖女イリスはまだ生きております!
それは紛れもない事実であり、しかとこの目で確認したことです!」
殴られた頬を赤く腫らし、口内を切ったのか唇の端から血を垂らす元護衛。
彼は痛みで悶えるよりも先に、床へと頭をこすりつけた。
赦しを請うように自らの口から続けられた報告では、まだ聖女が生きているのだと。
「む……生きているのか。ならばいい。
してそれならば、なぜ今ここに聖女はおらぬのだ?
護衛は始末できておるのなら、手を出せぬ道理はなかろう?
そもそも、誰がお前の部下達を奇妙な術で殺したのだ」
「それは……わかりかねます。
あのあと、様子を窺いながら現場へと戻ったのですが、そこに聖女の姿はありませんでした。
そして部下達の死因なのですが、恐らく"小石"ではないかと……。
転がる死体を調べたところ、血塗れで砕けた石をいくつか見つけたのです。
残念ながら、そこでモギユ村の住人と思しき集団がやってきたため、それ以上は調べられませんでしたが……」
男は元護衛から顛末を聞くも、結局肝心な事はわからないまま。
立派な髭の生えた顎に手を置き、彼は神妙な顔つきで考え込む。
「土系統の魔法か? それとも、礫を吐く魔獣でもあらわれたのか……?
……聖女が生きているのを、その目で見たと言っていたな? どこでだ」
いまだ頭を床へと擦り付ける元護衛へ、男は続きを促す。
「私が次に聖女を目撃したのは、報告の為にアルガードへと戻る途中のことです。
場所はビノワ村を過ぎ、ティアネスへ向かう道中でした。
どこぞの村人と思しき少年と共に、聖女はいたのです」
「村人の少年……? ティアネスまでへの、気持ち程度の護衛役か。
しかしそれならば、お前1人でも片がつくはずであろう?
なぜその場で襲わなかったのだ」
「もちろん私は好機だと判断し、襲撃しようと企みました。
ですが、何を血迷ったのか2人は、唐突に森の中へと入っていったのです。
恐らくは、ティアネスへの近道のつもりだったのかと……。
私も後を追いましたが、残念ながら森狼の群れに襲われまして……」
「それでまたも見失ったのか……」
男は大きなため息を吐いた。
彼とて、理不尽に攻め立てるつもりはない。
先ほどの、感情に身を任せ晒した醜態を恥じているほどだ。
「重ね重ね、申し訳ございません……」
「いや。部下を失い単独では、事がうまく運ばなくて当然だろう。
……これも聖女が受ける女神ミルの加護、その賜物か」
厄介なものだ、男はそう小さく呟く。
そんな彼の様子を窺いつつ、元護衛はさらに言葉を紡いでいく。
「……話を続けさせていただきます。
次に聖女、というよりは、同行していた少年を見つけたのはティアネスの町中でした。
外套を纏い、姿を隠した女性と共におりましたので、恐らくはその者が聖女でしょう。
ビノワ村に教会はありませんでしたが、小さいながらもティアネスにはあります。
私はそこで身を隠し、聖女の訪れを待ちました」
「……ふむ。護衛が居なくなったのだからな。
その少年とやらだけでは不安であろう。
となれば、教会に庇護や援助を求めてもおかしくはない、か」
「はい。お考えの通りです。
町にいるのならば、必ず訪れるだろうと。
ですが……来なかったのです!
数日待てども現れず、仕方なく私は行動を起こしました。
ですがあの町のギルドマスターは、なかなかに厄介な男でして……」
「奴なら私も知っておるよ。
確かにあの男の目が届く範囲では、不審な行動はできまいて」
「仰る通りでして。
深夜宿に侵入し、そこで聖女を攫おうとしたのですが……。
どういう訳か、決行の直前でギルドの者に見つかり、声をかけられまして。
なんとかはぐらかし、その場を後にした次第です」
とる行動その全てがうまくいかなかったことに、部下の男は顔を歪める。
「……あやつは聖女を見たことがあるはずだからな。
外套で身を隠すあたり、何かしら事情があると察したのであろう」
主である男も、さすがに部下の不甲斐なさよりも、女神ミルの加護なのだと思わざるを得ない。
聖女の身に起こった悲劇からの流れが、まるで彼女を救うようであると。
「それからも機会を窺っていたのですが、ようやく好機と思える話を聞きまして。
なんでも、少年がとある田舎貴族の嫡男と揉め事を起こしたらしいのです。
その貴族側が根に持ち、よからぬことを企てているのだと。
そのための、使い捨てにできる人材を求めていることを知り、私は名乗りを上げました。
御者として潜り込み、奴が企てた襲撃の隙に聖女を攫おうと……」
「だが、またも失敗した。というわけだな」
主の言葉に、元護衛は頷く。
成功していればこの場に聖女がいる筈なのだから、当然の答えだった。
「……ギルドで新たに雇ったであろう護衛が腕利きであり、また襲撃も予測されていたようでした。
町へ救援を呼ばれ、貴族の手駒達は返り討ち。
少年も片時と聖女から離れず、手を出すことは叶わず……。
私も捕まる訳にはいかないので、状況が悪くなるやすぐさま逃げさせてもらいましたよ」
「それで一旦諦め、報告に戻ってきたというわけだな」
「……はい。しかしながら、聖女一行はここアルガードを目指している様子。
ならば待ち構えていれば、向こうからやってくるのではと思いまして……」
「ふむ、確かに。
恐らくティアネスの教会は、お前という裏切り者の存在を警戒して訪れなかったのであろう。
だがここアルガードの教会は、この地方一の規模を誇る。
聖女達がここを目指すのも、この大教会であれば安全と考えての事だろうな」
「よもやこの大教会が、すでに我らの手中だとは思わないでしょう。
厄介だった本部からの護衛も居ない今、火に自ら飛び入る羽虫も同然、となりますね」
「うむ。それならば待っておればよいか。
そして聖女が訪れたとき、温かく出迎えてやろうではないか。
今聖女の護衛に着いている者達も、ここで役目を終えれば元の巣へと戻るであろう。
奴らにはご苦労だったと金を握らせてやればよい。
……お前の失態に目を瞑る事はせぬが、結果良ければなんとやらだ」
「あ、やはり私は罰を受けるので……?」
「当然であろう。よもやお咎めなしとでも思うたのか?
……お前は降格処分とする。私の信頼を裏切ったのだからな。
命があるだけでもありがたいと思え」
「……せめてものご恩情、痛み入ります。
では報告は以上となりますので、これで失礼させていただきます」
「うむ、下がれ」
役目を終えた元護衛は、主へと一礼をし部屋から退出していく。
その後姿を見届け、部屋に1人きりとなった男。
「くふふ。そうか、本部の犬はもう居ないか……。
ならばもう気兼ねする事はあるまいな。
奴らとて、まさか大教会のひとつが対立する教徒の手に堕ちているとは思うまいて」
腹を空かせた獣の口中へ、獲物が自ら飛び込んでくるのだ。
最良の結果とまでは行かなかったものの、本来よりも少し時間がかかっただけ。
結末さえ同じであれば、その行程など些細な事。
「これで計画がまた一歩進む事になる。
ああ、我らが主よ、我らが神よ。もうしばしお待ちくだされ……。
あなた様に相応しき肉体はすでに用意できております。
直に、あなた様へと捧げる贄も用意できることでしょう。
……くふふ、ふはははは、くはーっはっはっは!!」
ただ1人、部屋に残った男の笑いが木霊した。
外は夜の闇に包まれた静寂。
だが男は気兼ねせず、笑い声をあげ続けた。
すでに計画は成されたものだと信じて……。




